小話3 バレンタイン





一口サイズの愛








 バレンタイン当日。
 合宿所のとある一室に入りきらないダンボールが、食堂のテーブルの上に山積みになっていた。
 そのほとんどが、合宿所のとある一室に住んでいる二人宛なのだから、たいした人気である。
 特に片割れは、関東大会で前代未聞の凄い記録を達成しただけあって、老若男女問わずに、さまざまなチョコレートが送られてきていた。
 そのチョコの山を見て、バンザーイッ、と両手を挙げて喜んだのは、サチ子であった。
「やったやったーっ! 見たか、ハッパ! お兄ちゃん、すごーいっ!」
 元々自慢の兄であったが、気は優しくて力持ちの兄が、バレンタインにチョコを貰ったことは、ほとんどない。あっても義理チョコがいいところだ。
 その兄に宛てられたチョコの、山、山、山!
 サチ子は、自分のことのように喜んで、そのテーブルの周りをステップで飛び上がった。
「わ、わいのファンは、わいが甘いもんなんぞ食わんと分かってるさけ、え、遠慮しとるんやな。」
 ぴくぴく、とかすかに揺れる葉っぱを見上げながら、ベロベロー、と舌を出すサチ子を、こら、サチ子、と怒る山田の声がたしなめるよりも先、
「わ、わりゃっ! コラ待てっ、どブスチビっ!!」
 岩鬼が、そんなサチ子に向かって走り出した。
 それに慣れた様子で、サチ子が小さい体を駆使して逃げはじめる。
 逃げるサチ子を岩鬼がさらに威嚇するように両手を挙げながら追いかけはじめた。
──いつもの追いかけっこである。
「サチ子……まったく。」
 ドタドタドタッ、と、騒々しい音を立てながら廊下を向こうへと走り抜けていく岩鬼とサチ子の背中を見送りながら、山田は小さくため息をこぼした。
 そして改めてテーブルの上に乗った三つのダンボールを見下ろして、はぁ、ともう一度ため息をつく。
 そんな彼に、うらやましいを通り越して感心したような顔で、微笑がダンボールの中を覗いた。
「すごい人気だな、山田。去年とはまるで段違いじゃないか。」
 元々ムードがいい男だということで、同性や子供の受けが良かった山田ではあったが、誕生日やバレンタインに贈り物をされる──というほどのファンは、居ない。
 基本的に、サインをねだられることはあっても、プレゼントを贈ろうというようなファンはついてはいなかった。そういうファンがついていたのは、土井垣や里中である。
 その土井垣と里中ですら、去年は個々にダンボール3箱や4箱くらいのチョコが届いただけだったのに──今年は、土井垣が居ないとは言っても、山田一人で去年の二人分だ。
 甲子園で優勝するよりも、記録を達成したほうが人気が出るんだなぁ、と、微笑みはぎっしり詰まったダンボールを見下ろした。
「いや──里中ほどじゃないよ。」
 照れたような、困ったような顔で頬をかく山田が見やる先──部屋に運び込んだ量と同じ量のダンボールが、積み上げられているテーブルがあった。
 山田が目の前にしているダンボールよりも、格段に量が多い。
 それがすべて、「里中」宛なのだと言われた瞬間、去年よりも多いってどういうことだよ、と、どこかうんざりしたように呟いていた里中の顔が思い浮かんだ。
 夏の甲子園に敗退し、秋季大会では優勝決定戦は行われないまま。関東大会では優勝したものの──確かにほとんどが、コールド勝ちであったけれども──人気が出るのは、記録を達成した山田だけだと思っていたのに……そう、ブツブツ呟いていたのは、自分の人気は野球の強さに裏打ちされたものじゃないのかと、そう憤りを感じているからなのだろう。
「智はなぁ……女性ファンが多いからな。」
「去年の倍以上だからな──凄いよ、ほんと。」
 山田のチョコを持つ手を止めて、微笑は目をさらに細めてチョコの山を見た。
──で、一体、誰があれを始末するというのだろうか?
 去年、土井垣は知り合いの保育園だったか幼稚園に差し入れしたとか言っていた。里中は、母に全部始末してもらったと言っていたが。
「今年は、始末しきれるような量か?」
 たとえ、合宿所中で非常食代わりに使っても、三ヶ月はゆうに持ちそうだった。
「量じゃないなぁ……。」
 苦笑を噛み殺した山田に、だよなぁ、と微笑は同意を求める。
 とりあえず、土井垣がしていたように、メッセージやファンレターの類は別にして取っておいて、近所のお世話になった人と分け合って──それから……、
「保育園に差し入れかな……。」
 やっぱり。
──土井垣さんに連絡をして、どこかいい場所を教えてもらおう。
 そう呟く山田に、それが一番だろうな、と微笑は山田のダンボール箱の中と、里中のダンボールの山とを見比べた。
 まずは、今夜すべて開封して、中身を確認することから始まるのだろうけれども。
「──で、その智はどうしたんだ?」
 早くチョコの開封をしていかないと、すぐ目の前には智の誕生日が待っているんだぞ……?
 そう脅すように微笑が笑って告げた言葉に、そうだな──と、山田が眉を寄せる。
 そうだ──バレンタインの後は、里中の誕生日というイベントがある。
「今年も調理部に頼んで、チョコレートケーキでも作ってもらうか。」
「そーだな、そうすれば少しでもチョコレートが無くなるしなぁ。」
 ダンボールの頭から覗く綺麗な包み紙を見つめつつ、去年も同じコトをしたなぁ、と、二人は同時に思った。
 里中の誕生日、去年も里中と土井垣宛に来たチョコレートで、調理部にお菓子を作ってもらうのである、甘いものが好きな里中の誕生日のために。
「──じゃなくって、山田、その誕生日のためにも、さっさとチョコレートの仕分けをしなきゃ駄目だろっ! 夕飯の時まで、このまま食堂にダンボールを置いておく気かよ。智にもさっさと片付けさせないと……。」
 これでは、合宿所の面々が夕飯を食べれなくなる。
 それに、今はいいけれども、夜も遅くなればストーブを点けるから、チョコレートは溶けてしまうだろう。
 それまでに、どこかへ移動しないと駄目だぞ、と、クイ、と顎でテーブルの上をしゃくる微笑に、そうだな、と山田は一つ頷く。
 しかし、コレをすべて自室に運び込むと、自分たちの部屋には寝る場所がなくなってしまう。
「とりあえず、おれの分は家に置いてくるよ。」
 そう提案して──後は、里中の分の『バレンタインチョコ』を、最低でも半分には減らさないといけない。
 そうしないと、三日後に待っている同人物の誕生日には、もっとひどいことになるだろう。廊下に溢れることは間違いない。
「三年生の先輩方に分けるってのもアリじゃないか?」
 それに、今年は一年生も居るし、彼らに分けてやるのもいいだろう。
 どちらにしても、
「智が居ないことには話にならないんだろうけどさ。
 で、智は?」
 話を元に戻して、微笑が尋ねた先。
「あぁ、買い物に行ってるよ。そろそろ戻ってくるんじゃないかな……?」
 山田が、穏やかに微笑みながら、自分の分のダンボールを二つ、まとめて担ぎ上げた瞬間、
「ただいまーっ! 山田、いるかーっ!?」
 食堂のすぐ手前の出入り口から、噂の張本人の声が響いた。
 帰ってきたな、とお互いに視線を交わしあい、小さく笑って山田は出入り口めがけて声をかける。
「こっちだ、里中!」
 その声に間をおかず、頬を上気させた里中が、ヒョイ、と戸口から顔を覗かせた。
 里中はポケットの中に手を突っ込み、手の中からチロルチョコを取り出す。
 かさかさ、とそれを開きながら山田の側まで歩いてくると、軽く首をかしげて。
「山田、あーん。」
「……は?」
 きょとん、と呟いた山田の口の中に、ぱく、とチロルを咥えさせた。
「……? ……さとなか?」
 口の中に放り込まれたチロルチョコは、懐かしい味がして、山田は戸惑いもあらわに里中を見下ろした。
 そんな彼を見上げて、
「俺からのバレンタインチョコ。」
 にっこり、と里中は微笑んだ。
──と、同時。
「──って智ー、お前、チロルチョコって……あんまりにも愛が無さすぎねぇ?」
 微笑が、ダンボールの中から覗き込んでいるチョコレートのラッピングと、里中が手の中でクシャリと握りつぶした10円チョコの包みとを見比べる。
 どう見ても里中は、他に何かを持っているようには見えない。
 買い物に行くというからてっきり、山田へのバレンタインチョコを買ってきたかと思いきや……、

チロルチョコ……っ!

 義理チョコじゃん。──それも、クラス中の男に義理を配るやさしいクラスメイトの女の子と、同じレベルの。
 カコン、と口を開いて呆れる微笑を、里中はチロルチョコの包み紙をゴミ箱に捨てながら、振り返る。
「俺だって去年は、ちゃんとしたのを山田にあげてたぜ。」
 当たり前のように里中の口からこぼれた台詞に、へー、と、微笑が山田を見る。
 ダンボールを抱えあげたまま、モゴモゴと口を動かし……その頬と耳の辺りが、赤く染まっていた。
「でもさー、山田、夏になって溶けるまで食べてくれなかったんだよ。」
「え、いや──だってその……も、もったいないじゃないか……。」
 モゴモゴ、とさらに口の中に消え入りそうな声で呟く山田を、里中はジロリと睨みあげると、腰に手を当てて、
「そう言って、結局アイスチョコになっただろ。
 だから今年はチロルチョコにしたんじゃないか。」
 これなら一口で食べられる。
 そう自慢げに笑う里中に……山田が、なんとも言えない顔で照れ笑いをした。
「ありがとう、里中。」
「うん。」
 笑って目を交し合う山田と里中の周囲が、一瞬で色を変えた気がして、微笑は無言で頬杖をつき──はぁ、とため息をこぼしてダンボールに凭れ掛かった。
「…………おれ、邪魔者だよなぁ……?」
 うんざりした声で呟いた声には……残念ながら、誰も答えてくれることは、なかった。










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別に、わざわざ「女の子」じゃなくても話は通じるのですが、男の子な里中がチョコレートなんて上げることはないかなぁ、とか思って……。

ちなみにこの後、追いかけっこ中の岩鬼とサチ子が乱入予定(笑)。