談話室のカレンダーの秘密
明訓高校の合宿所には、一同が集合する場所が三箇所ある。
ひとつは食堂。唯一テレビがある部屋である。
ひとつはミーティングルーム。机と椅子が並ぶ、一同が作戦会議などに使う場所だ。
そして最後のひとつは、談話室。
単にあいている部屋のひとつに、自然とみんなが集まった、というだけの部屋であるとも言う。
食事を終えた後、テレビを見終えた面々は、個室に帰るかこの談話室に集まる。一応小さいならがも冷蔵庫などが設置されているそこは、座布団やクッションが乱雑に配置されていて、たいてい誰かがゴロゴロと横になって雑誌などを読んでいる。
その、談話室の壁に、年間カレンダーがはられている。
とは言っても、男所帯のカレンダーであるから、そうこまごまと書き込まれているわけではない。
合宿所のそこらにはられている字と同じ字で、岩鬼の日、だとか、優勝記念日、だとか言う字が書き込まれているくらいだ。
予選などの日取りの細かな日程は、常にミーティングルームに張り出されているので、誰もここには書き込まない。
なので、基本的に期末テストの日程を確認するときにしか、このカレンダーを見ないのだが──。
「あ、この映画、6日からなんだ──。」
いつものようにゴロゴロと談話室で雑誌を見ていた渚が、ふと広告ページで目を留める。
そのまま彼は視線をあげ、滅多に見ない年間カレンダーを見上げた。
見上げた矢先、滅多に見ないカレンダーの、今日の日付がどこにあるのかわからなくて、キョロリと視線を動かす。
「えーっと、次の練習の休みが…………って、なんだ、これ?」
先月の上旬に、ひとつ花丸がついていた。
渚は眉を寄せて、その花丸を見つめる。
そのまま視線をずらすと、さらに二月ほど前にも花丸が一個。
「……なんだ、この、花丸マーク?」
この日って、何かあったかな、と、不思議そうに首をかしげる渚に、なんだなんだ、と談話室に居た他の面子も顔を上げる。
──と同時、
「あ、それ、俺。」
山田の背中にもたれかかって、野球雑誌をめくっていた里中が、ひらり、と手を上げた。
「里中さんですか? なんなんですか、コレ? 何かの記念日ですか?」
誰かの誕生日なら、その人物の名前が書き込まれているはずだし。
いったい何の記念日だと、渚以外の面々も首をかしげる中、
「俺の生理日。」
山田の肩ごしに、里中がしれっとして告白した。
瞬間、山田が読んでいた本に額から突っ伏した。
──顔を赤く染めながら、ちらりと見上げた先に見えたカレンダーの「花丸」の日付……言われてみれば、里中が腹が痛いと、ヒステリーになっていた時期と重なっていたような気がする。
「…………………………って、そんなもの書かないでくださいよっ!////」
思いっきり耳や首まで真っ赤になって、渚が持っていた雑誌で口元を覆い、どこか恨みがましく里中を上目遣いに見つめる。
花丸の正体を知ってしまったら、なぜかカレンダーを直視できなかった。
なじるような視線の渚に、里中は小さく唇を尖らせる。
「だって、俺の部屋にカレンダーないもん。ちゃんとそういうのはチェックしておかないと、次の予定日が分からないんだぞっ。」
山田の肩ごしに渚を振り返っているのを疲れたのか、里中はクルリと体を反転させて、山田の背中に抱きつくようにして、渚を見上げる。
ますます体を縮める山田を、微笑は生ぬるい同情たっぷりの目で見た後、里中へ視線を移した。
「って、さとる、お前──不順じゃなかったっけ?」
微笑が、なぜそれを知っているかは、里中が普段から暴露している証拠である。
里中も山田も、微笑がその事実を知っていることには頓着せず、微笑を見やった。
「ま、そーなんだけどな。でも、だいたいの目安にはなるじゃん、今のところ、40日〜50日周期?」
ほら、と、指先で年間カレンダーを示す里中の指先を追う者は、一人もいなかった。
山田が、雑誌で顔を隠しながら、「里中……」と小さく咎めるように名前を呼んだが、里中はそれが耳に入っていなかった。
考え込むように顎に手を当てて、軽く首をかしげると、
「こないだおばさんから、基礎体温をつけないと、危険日が分からなくって大変よ、って言われたな、そーいや。」
さらに、男子高校生がリアクションに困るような台詞をはいてくれた。
あからさまに真っ赤になって顔を伏せる者が続出する中、特に山田の顔のほてりはすごかった。
そんな山田の肩に顎を乗せて、里中は年間カレンダーを見上げると、
「これから、ココに基礎体温も書いてこうかな?」
「……や、やめてください、お願いですから…………。」
パクパク、と動くばかりだった口から、ようやく台詞が飛び出たのは、疲れたような台詞であった。
泣きそうな気持ちで、両手を胸の前に組み合わせ、そう懇願する渚に、同じ談話室の面々からひそかな拍手が送られた。
──どこの世界に、先輩ピッチャーの、危険日とか安全日とかが書き込まれたカレンダーが……っていうか、知ってしまっても、それで得するのって山田さんだけじゃないですかっ!
そんな渚の心がまったく聞こえてないのか、
「そうか? ここだとよく目について、良いと思うんだけどなぁ。」
里中は、軽く首をかしげる。
そんな里中に、ますますめげそうになった渚であった。
このままでは、談話室のカレンダーが、うれしくない使い方をされてしまう──……っ!
そんな恐怖に駆られた健全な高校球児たちの悲鳴を聞いてか聞かずが、単なる自分の都合でか、それまで沈黙を守って事の成り行きを見守っていた殿馬が、リーシャルウエポンに声をかけた。
「山田……おめえよぉ、部屋にカレンダー、買ってやれづら。」
雑誌に真っ赤な顔を隠していた山田は、殿馬のそんな声に、うなずいた。
「──うん、そうだな……そうするよ。」
その声に疲れがにじみ出ているのを感じているのかいないのか、里中は山田にもたれるようにして彼の顔を覗き込む。
「え、いいじゃん、別にこのカレンダー、俺以外誰も書き込まないし。」
そう──事実、岩鬼の字で書かれた言葉以外、誰も書き込んではいない。
書き込んではいないが……書き込まれる内容によっては、誰もカレンダーを直視したくない現実ができてしまう。
「いや──俺が知られたくないから…………、な、里中?」
あえて、直接的表現をとらずに、そう苦い笑みを貼り付けて里中に言い聞かせるように告げる山田に、里中は一拍置いた後、
「──山田がそういうなら、じゃ、今度から、部屋のほうに書くようにするよ。」
にっこり、と、笑って同意した。
「うん、そーしてくれ。」
ぜひ。
──誰もが思った。
同時に、やはり里中対策には、山田リーサルウエポンだ、とも。
+++ BACK +++
やりたい放題です──すみません。