プチ結婚話








「山田さん、里中さん、せっかくですから、結婚式──あげませんか?」
 昼食を食べている最中──突然やってきた野球部の後輩のその台詞に、声をかけられた二人は、きょとん、と目を瞬いた。
 秋季大会が終了し、なんとか苦戦を強いられつつも関東大会入賞を果たした野球部の後輩たちは、現在ドラフトを目前に控えて、やや浮き足立っていた。
 春の選抜向けて──春こそは、山田と里中たちが抜けた明訓は敵じゃない、などと言われないようにしなくてはいけない。そのための猛練習に明け暮れる日々を送っている後輩たちであったが、明け暮れているばかりではない。
 何せ、もうドラフト会議が目の前に迫っているのだ。
 昨年は残念ながら、誰もドラフトで指定をもらわなかった明訓高校であったが、今年は違う。
 今年で高校を卒業する──どこよりも本命の「山田太郎」をはじめとした元野球部の3年生達は、記者達の注目の的である。
 そんな時期……あと一週間もすれば、ドラフト会議のことで、山田にインタビューを取ろうと、校門前に再び記者達が集結するだろうことは想像に難くなかった。
「結婚式って……誰の?」
 咥えていた箸をおいて、里中がいぶかしげに眉を寄せる。
 目の前に座る渚と高代、香車、上下、蛸田……つい先日まで同じ合宿所で暮らしていた後輩達は、そんな里中に苦笑をにじませると、
「とにかく! ドラフトで騒がしくなる前に、やっちゃいましょう!」
「ですから、今日っ! 先輩達を皆連れて、合宿所に来てくださいねっ!」
 キリリ、とそれぞれ真摯な顔で、里中と山田にそう叫ぶと、二人に向かって深々とお辞儀をして、去っていった。
 どこか浮き足立つような足取りを見送り──里中は、山田と視線を交わした。
「──なんなんだ、一体?」
「さぁ?」
 とりあえず、何が起きているのかはわからなかったが、放課後、岩鬼達を誘って、合宿所に来いということらしい。
 それだけは、理解することができた。








 放課後、岩鬼を捕獲することは簡単だ。
 合宿所を出てから、長屋住まいに変わった自宅に帰るのがあまり楽しくない彼は、しょっちゅう学校内で、いろいろなクラブに顔を出しては、からかっているからだ。
 前の自宅なら、自室に入れば一人の世界になれたが、今は家のどこに居ても父や母から丸見え──そんな生活が、窮屈らしい。
 岩鬼の性格を知っている者なら、みんな驚くことなのだが、彼は父親と母親には従順なのである。
 放課後、合宿所に行こうと誘えば、岩鬼はすぐに捕まる。
 微笑も、ホームルームが終わってすぐに彼のクラスへ行けば、二つ返事で誘いに乗ってくれた。
 殿馬は、放課後はいつも、音楽室の空いているピアノで弾き続けているから、彼を誘うのも簡単だった。
──なんだかんだ言って、2年以上の間、一緒に暮らしてきた仲間達の行動パターンは、お見通しである。
 そんなこんなで、放課後になって10分と経たないうちに、無事仲間達を収集した山田は、さて、と首を傾けた。
「今から行ってもいいものかな?」
 確かに渚たちは、放課後に来てください、といっていた。
 言ってはいたが──放課後すぐに行っていいものだろうか。
 そう問いかける山田に、岩鬼が何か答えるよりも先に、
「いいんじゃないか? どうせだから、久しぶりにバッティングピッチャーでもしようかな、俺。」
 ぐるり、と里中が右腕を軽く回してそんなことを呟けば、
「何を言ってるんだ、里中っ!」
「おいおい、無茶するなよ、智っ!? お前、ついこの間まで休憩時間のたびに吐いてたじゃないかっ!」
「虚弱児が、一人前の口を叩いてどないするねん。もう少し自分の体をいたわっとけ、サト。」
「無茶はやめとくづらぜ。」
 血相を変えた山田や、顔をきつくしかめた微笑、さらに頭をポンポンと叩きながらも、心配そうにちらちら見下ろしてくる岩鬼、前を歩いていた殿馬すらも振り返ってそう言ってくる。
──ちょっと、過保護すぎるんじゃないだろーか、と思うのだが、確かについ先月まで、気持ち悪くてご飯もろくに喉を通らなかった分際で、動きすぎるのも考えものだろう。
 アンダースローは体を使うから、妊娠している身ですることではないと、一応自覚はあるし。
「冗談だよ、冗談。そんな、皆そろって反対しなくてもいいじゃないか。」
 慌てて笑いながら、顔の前で手を振るが──じっとり、と信頼されていない目で見つめ返され、里中は少し居心地悪げに視線を飛ばした。
 それから、こほん、とわざとらしく咳き込み、里中はニッコリ笑って四人を振り返った。
「ま、それはとにかく、早く行き過ぎたのなら、別に食堂でのんびりしててもいいんじゃないか?」
 久しぶりに、食堂のおばさんと話もしたい。
 そう訴える里中に、それもそうか、と──四人が頷く。
「たまにはファンに囲まれずに、ゆっくり茶をしばくのもええかいな。」
「ファンに囲まれてお茶を飲んでたのなんて、あったか〜?」
 悠々とした態度で岩鬼がそう呟けば、微笑が軽く首をかしげてそうぼやく。
 そんな彼に、岩鬼は勢い良く笑い声を落としてやった。
「まぁ、確かに三太郎は、そういう機会はなかったかもしれんの。」
「……あたたた。」
 ココまで自信に満ちた男は珍しい──誰だったかがそういっていた台詞を思い出しながら、ヒョイ、と肩を竦めあって、何はともあれ、将来「明訓5人衆」と長く呼ばれることになる五人は、野球部の合宿所めがけて歩き出すのであった。










 見慣れた合宿所──実を言うと、つい先日までは、学校が終わったあと、ついつい足が合宿所に向いてしまうこともあった──その、高校生活の大半をすごした合宿所の扉を、どこか懐かしい気持ちでくぐる自分を不思議に思いながら、靴を脱いだ先。
「くぉーらぁっ! ナギー! タカ! 何の用で、この男岩鬼さまを呼び出したんじゃいっ!!」
 ビリリッ、と響く轟音で、岩鬼が合宿所中に響くのではないかと思う声で叫んだ。
 その声の大きさに、思わず四人は肩をすくめつつ、
「岩鬼がいると、呼び鈴要らずだな。」
「だな。」
 それぞれに靴を脱ぎ、下駄箱の中にしまおうとして──あぁ、そうだった、自分達の場所はもうないんだったなと、さびしげにそれを置き去りにする。
 あがりこんだ廊下は、最後にココを出たときとは違い、ヒヤリとした感触を足裏に伝える。──もう秋も真っ只中だから、仕方がない。
「えっ!? わーっ! もう来ちゃったんですかっ!?」
 岩鬼の声に、慌てて廊下に飛び出してきた蛸田は、なぜか自室の方角ではなく、食堂から出てきた。
 その彼は、まだカッターシャツ姿で、つい先ほど学校から帰ってきたところのようにも思えた。
「もうとはなんやい、もうとはっ! お前らが呼び出したんやろうが。」
 言いながら、ずかずかと岩鬼は蛸田が出てきた食堂へと、にょっきりと顔を突き出す。
 その後に続いて、山田たちも食堂へと足を向けた瞬間。
「……なっ、なんじゃこりゃっ!!!?」
「…………へ?」
 出入り口に立ち尽くして叫んだ岩鬼に、後から続いた面々が、互いに首をかしげて顔を見合わせる。
 そして、出入り口に仁王立ちする岩鬼の左右から、ひょっこりと顔をのぞかせた。
「あぁっ、バカッ、タコ! そういう時は、談話室とかミーティング室とかに案内しろよ〜っ!」
 慌てたようにガタガタと椅子をけり倒して渚が出入り口へと向かったが──だがしかし、すでに岩鬼の脇から、里中と殿馬、微笑が食堂へ入り込んでいた。
 三人は、驚いたようにグルリと食堂の中を見回し──微笑が、中央に集められた机と、並んだ椅子を目に留めて、首をかしげた。
「──なんだ、今からもしかして、引退パーティか何かでもしてくれるのか、もしかして??」
 それにしては、少しばかり時期が外れているのではないだろうか?
 そう首をかしげる微笑の隣で、殿馬は自分が愛用していたピアノが、チョコン、とテーブルの端に乗せられているのに気づいた。
「おいよぅ、おめえら、今から何をする気づら?」
「何をって──里中さん、山田さん、何も話してないんですか?」
 高代が困ったようような顔で見やった先では、里中が壁に飾りつけられた折り紙のレイを見上げていた。
「話してないって……何がだ?」
 まったく理解していないような顔で振り返る里中に、話してないんですね……と、ガックリ、と高代が肩を落とす。
「もー、里中さん〜、昼休みに言ったじゃないですか〜。」
「──……何を?」
 意味がわからない、と首をかしげて、里中は山田を見た。
 昼休みに高代と渚がやってきたのは、放課後、岩鬼たちと一緒にココへ来い、という内容だったと思う。
 思うのであるが──それ以上は記憶になかった。
 何か覚えているか、と確認するように山田を見ると、山田は顎に手を当てて、そういえば、と首をかしげた。
「結婚式がどうのと言ってなかったか?」
「そう! それですよ、山田さん〜っ!!」
 両手を前で組んで、キラキラと希望に目を輝かせる高代を見下ろして、山田は二コリと笑った。
「そうか──で、誰が結婚するんだ、高代?」
「え、何々? 誰かの結婚式の準備でも手伝うのか?」
 納得したような山田の台詞に続いて、ぱちぱち、と里中が目を瞬かせる。
 そんな、当事者であるはずの二人に──ガックリ、と、高代は肩を落とす。
 そして、悲鳴に近い声で、
「ぜんぜんわかってない〜っ!」
 天井向けて叫ぶ。
 突然叫んだ高代に、驚いたように蛸田たちが振り返る中、
「──て、この状況で『結婚式』って言ったら、そりゃ、ひとつでしょ。」
 あきれたように、微笑がテーブルの上に載ったままのレイをひとつ摘み上げた。
 もう少し綺麗に切れなかったのかと思うような、ぎざぎざの切り口の折り紙が、不揃いにノリで貼り付けられている。
「たまには、おめぇらも、いいことを考えるづらな。」
 殿馬が、ニヤリと笑ったかと思うや否や、テーブルの上のミニピアノの前に立ち、指先で主メロディを一音ずつ奏でる。
 ドドドドー、ドドドドー、ドド……
 そして二音に増えて、
 ミー、ミミミミー……
 さらにもう一音増える段階で、
「結婚行進曲?」
 里中が渋面で周囲を見回した瞬間、ふわり、と、やさしい香りが鼻をくすぐった。
 時々──本当に時々、おばさんの機嫌のいいときに食堂から香ってきた、「オヤツ」の匂いだ。
 ぴくり、と反応した里中が、厨房へと顔を向けると、ちょうどおばさんが両手に大きな皿を持って入ってくるところだった。
 その皿の上には、白い生クリームと季節外れのイチゴがおいしそうに飾り立てられた、二段ケーキが乗せられている。
 おばさんは、すでに食堂に集っている三年生たちを認めて、あら、と目を瞬いた。
「やだ、里中君も山田君も、もう来ちゃったのっ!? まだご馳走を皿に移してもないのよ!?」
 びっくりしたようなおばさんに、名指しで指名されて──ようやくそこで、里中と山田は間近で視線を交し合った。
──もしかして……。
 そのまま二人は、せっせとレイを取り付けている後輩たちへ視線をやると、
「…………結婚式って……俺と山田のか?」
 あからさまに、冗談だろ? と言った表情で、里中が問いかけた。
 瞬間、脚立に上って蛍光灯にレイを取り付けていた渚が、唇を尖らせて振り返って叫ぶ。
「当たり前じゃないですか! 他に誰の結婚式があるって言うんですかっ!?」
 両手を広げて力説する彼に、山田が目を丸くさせる。
──と、同時。
「なっ……なんやとーっ!?」
 厨房に首を突っ込んで、おいしそうな匂いのするご馳走をチェックしていた岩鬼が、ニョキリと巨体を伸ばして叫んだ。
 ビリッ、と強く響く声に、一同が首をすくめる。
「ナギ! おんどりゃ、本気で言うとんのかっ!? やぁーまだは確かに18やが、サトはまだ17で!? まだ、籍なんて入れられへんやろっ!」
「っていうか、それ以前に俺はまだ戸籍はオトコだから、オトコ同士じゃ籍は入れられないってば。」
 岩鬼に間髪居れず突っ込みを入れて、改めて里中はおばさんがテーブルの上に置いたケーキを覗き込む。
 おいしそうな生クリームの香りと、ツンと甘酸っぱいイチゴの匂いに、小さい頃によく食べた誕生日のケーキの味を思い出して、小さく笑んだ里中へ、
「結婚式って言っても、本物じゃなくって、真似事ですよ、真似事っ!」
 噛み付くように吼えた渚に、なんやとーっ、と、さらに声を荒げようとする岩鬼へ、あわてて高代が背後から抱きついて必死で止める。
「だ、だって、さすがに本物の結婚式なんてできませんけどっ、でも、やるなら今しかないじゃないでしょ!? 里中さん、あと半年もしないうちに子供生んじゃうんですからっ!
 だ、だから、せめて結婚式くらい挙げさせちゃおうって、みんなで決めたんです〜っ!!」
 必死で叫ぶ高代の、命を費やすような叫びに、岩鬼が渚に飛びかかろうとしていた手を止めた。
 小柄な高代を見下ろし、岩鬼はギョロリと目を動かせる。
「けけけ、結婚、式、やと……っ!?」
「そう! やっぱり、せっかくだもの。きちんとしたドレスとかは着れなくても、指輪とかなくっても、永遠の愛くらいは誓えるものね〜。」
 そんな岩鬼を恐れず、一人朗らかに、ぱふり、と手を合わせて笑ったのは──何を隠そう、この「結婚式もどき」の発案者である、まかないのおばさんであった。
 さらに彼女は、自分の頬に手を当てて、
「おばさんもねぇ、結婚式は挙げれなかったのよ。でも、二人で一緒に神社の前で、愛を誓い合ったの──なんだか、教会と違ってムードは無かったけど、でも、それでも……おばさんにとったら、とっても大事な思い出なのよ。」
 ふふふ、と、照れたように笑って、だから、と、彼女は里中の両手を取って握り締めた。
「本当は、里中君のお母さんの居る病院が一番いい場所かと思ったのだけど、そういうわけにも行かないでしょう? おかあさんに見せてあげられないのは残念だけど、おなかが大きくなるまえに、ドレスは着ておいたほうがいいわよっ!」
 ギュ、と、力強く握り締めるおばさんの瞳に宿る、炎のようなたくましさに──里中は、はぁ、と、答えるしかできなかった。
 高校1年の夏から今まで、ずっとこのおばさんの作る料理の世話になってきた。
 正直、逆らえなかった。
 そしてそれは、なんだかんだ言って女子供に優しい岩鬼にしても同じ事。
 何か叫ぼうとしていた岩鬼は、おばさんが異様なくらい盛り上がっているのを悟ると、両目をパチンと閉じて──しおしおとハッパを落とした。
 その中で、
「──で、その、ドレスってどうするんだよ? タキシードなんてないから、山田は学生服に──んー、これでいいだろうけどさ。」
 微笑が冷静に、自分のポケットの中から出したハンカチを、山田の学生服の胸ポケットに突っ込み、その端を垂らしてやる。
 どう見ても学生服は学生服だが、そうするだけでムードがあるような気がする……と思っておけ、と、微笑は無理やり自分に言い聞かせる。
「えー……スカートなんて履きたくないぜ、俺。」
 イヤそうに顔をしかめる里中に、
「あら、でも、やっぱり結婚式には白い服じゃないと。
 あのね、里中君、花嫁の白い服は、これからあなた色に染めてください、って言う意味を持つのよv」
「すでに染まりきってるづらぜ。」
 ウキウキと、乙女のように瞳を輝かせるおばさんの台詞に、とりあえず殿馬は突っ込んだ後、彼は飾りつけの手を止めた後輩を見上げた。
「──で、よぉ? おめえら、里中のドレスを、用意してるづら?」
 瞬間、彼らは──なんともいえない顔で、互いの顔を見やった。
「別にいいよ、白い服なら、このカッターも白だし。」
 厨房のおばさんに逆らうのは得策ではない。
 無言でそう結束した3年生たちは、口から出掛かっていた意義を飲み込み、結婚式もどきを行う方向で話を進めていく。
 里中は、ドレスを着なくてすむなら、コレでいい、とばかりに、学生服の襟元からのぞく白いカッターシャツを指先で示すが、
「いえ、あの──一応、ドレスじゃないんですけど、白い服……は、用意してあるんですけど………………。」
 にごった言葉で、渚と高代、蛸田と上下、香車が顔を見合わせる。
 そんな彼らに、
「ドレスじゃないんだ? ……じゃ、別にそれでもいいけど。」
 ある程度は譲歩してやろう。
 そういうえらそうな態度でのたまう里中に、ますます五人は萎縮したように視線をあわせる。
 いったいお前ら、どういう服を着せようとしているんだ、と、そう里中が問いかけるよりも先。
「そうと決まったら、さ、里中君っ! 着替えてきてちょうだい! おばさんも、それに間に合うように、料理の仕上げ、しちゃいますからねっ!」
 この場の誰よりも乗り気なおばさんが、さぁさぁ、と里中の背を押す。
 こういう強引さに、里中は弱い。
 素直に肩をすくめて歩き出す里中を、あぁぁぁ……と、渚たちは見送る。
「着替えは、ちゃんと用意してあるんでしょう、渚君たち?」
 晴れがましい表情で見上げてくるおばさんに、用意、してはあります──と、か細く消えるような声で、渚たちは答える。
 そんな彼らに、いったいどういう服を用意してるんだと、山田と微笑が視線を合わせる。
 一介の男子高校生に用意できる服なんて、せいぜいが高校の演劇部の衣装を借りてくる、程度のことしかないと思うのだけど──……。
 首を傾げあった彼らは、すぐに知ることになる。
 野球部の後輩たちは、そんな想像の範疇外に居るのだということを。










 おばさんの豪華な料理がテーブルの上に並び、鼻腔をくすぐる香りがあたりに馥郁と広がる。
 その中、ようやく飾りつけを終了した厨房には、堂々と巨大垂れ幕が横切り、テーブルも一列だけを残して撤去され──結婚式場風に見せたパーティ会場が、即席に出来上がっていた。
 居心地悪そうにしている山田をテーブルの端の二人席に座らせ、殿馬はテーブル外でピアノ係り。
 さらに司会者を渚が買って出て、香車がライトアップ用のライトを手にしている。
 いったいどこから、そのマイクとライトを──と疑問に思ったが、答えは放送部以外にないので、誰もそれを突っ込むことはなかった。
「そろそろ里中さんが、来る頃だと思うんですけど……。」
 首をすくめ、どこか戦々恐々とした態度で出入り口を見る渚たちは、何かを恐れているように見えた。
 しかし、岩鬼は悠々と用意された席に着いているし、微笑もその対岸に座っている。
 特にこの場には恐れるようなことはない。
 ──ということは、彼らが恐れているのは、「ドレスを用意されている里中」ということになるが…………いったい、どういうドレスを用意したのだろう?
 にわかに不安になってきて、山田が重い腰を上げた瞬間だった。

ばんっ!!

 予告もなく、唐突に扉が開いた。
「ぅわっ、さ、里中さんっ!!!?」
 待ちに待っていた花嫁の登場シーンのはずだが、なぜか渚はマイクを持ったまま後ろに跳び退り、悲鳴に近い叫びを上げて自分の顔を覆った。──今にもボールか何かが自分の顔めがけて飛んでくると、そう疑っていないかのように。
 けれども、誰もそんな渚にかまっている余裕はなかった。
 なぜなら、ぽかーん、と口をあけて、出入り口に視線が釘付けになってしまったからだった。
 そこに、けだるげな表情で立っているのは、紛れも無く里中だ。
 別にそれはいい。
 いいのだが──彼女が身に着けているのは、どう見てもドレスなどではなく……、
「さ、里中?」
 困惑の声をあげる山田に、里中は苦虫を噛み潰したような顔でうなずく。
「っていうか、渚、高代……お前ら、これは、どういうことだ?」
 期待はずれな里中の姿に──せめてドレス姿までは行かなくても、それに近い……そう、入学以来一度も見ることのなかった里中のスカート姿とか、そういうのが見れるかと思っていた微笑は、見慣れた里中の格好に、がっかり感を隠せなかった。
「…………──い、いや、確かに、白い……な。」
 引きつった声を上げる山田に、おばさんもがっかりと肩を落とす。
「白いけど──これは、違うでしょう。」
 ドレスは着ないとそう公言した里中も、着ておいてなんだが、コレはどうかと思う、と後輩たちをあきれた眼差しで見やった。
──と、同時、
「おんどりゃっ! 何考えとるんじゃ、サトーッ!!」
 岩鬼が、ガッターンッ! と椅子を蹴飛ばして、その場に立ち上がる。
「なんで俺だよ?」
「ナギやタカが、せっかくお前のためを思うて、いろいろ用意してけつかんのに、なんでおんどりゃ、ユニフォームなんて着とるんじゃいっ!!!」
 目をひん剥いて叫ぶ岩鬼に、あぁぁぁ、と渚たちはますます首をすくめる。
──そう、里中は、白地に緑のラインと文字の入った、どこからどう見ても、公式戦の明訓高校のユニフォーム……に、身を包んでいた。
 岩鬼の叫びに、だーかーらー、と里中が唇をゆがめる。
「いろいろ探したけど、コレしかなかったんだよ……っ。
 俺が聞きたいぜ、どういうつもりなのかってな!」
 腰に手を当てて、懐かしい気がする明訓ユニフォームに身を包む里中に、ううう、と後輩たちが口の中でうめき声をあげた。
 あからさまにこそこそする彼らに──やっぱり、このユニフォームで間違っていないようだと、山田が苦い笑みを貼り付ける。
「──……渚、高代──俺たちにもわかるように説明してくれ。」
 そう訴える山田に、はい……と、マイクを両手で握り締めた渚が、上目遣いに怖い先輩たちを順番に見上げた。
「えーっと……あの、おばさんに言われて、がんばって白い服を探してみたんですけど……やっぱり、カッターシャツは違うし、でもって、そうなると何も見つからないし。」
「エプロンとか体操服もアリかなー、って思ったんですけど、さすがにそれだと、コンセプトが違うじゃないですか……。」
 つんつん、と指先をあわせて上目遣いの渚に続けて、上下が尻つぼみにつぶやく。
 白い体操服の上下の上からフリルのエプロン。──確かに白くてフリルもあるから、ドレスっぽい、と言えばドレスっぽいが、なんだかそれだと、コスプレに近くて──里中に殺されそうだと、一同が決断を下したことは伏せておく。
「──まぁ、白いちゅったら白いけどよ……。」
 せめて、女子チアが着ていたような白のああいう服にしておけ、と思う微笑は、間違っては居ない。
 間違ってはいないとは思うのだが──……、腕を組み、あきれたように扉に立つ里中の姿は……何か違う。
「やーぁまだ、あかんわ、こりゃ。
 お前らは、ほんまにわいがおらんとあかんのぉ……。」
 しみじみとつぶやく岩鬼に、そんなことはないと反論したい気持ちはあったが、この場に居る後輩たちの誰もが、それに反論できなかった。
 事実、自分たちもそう思ったからである。
「──だ、だって、なんか、里中さんに似合う白いもの、って考えて探してたら……なんか、それ以外に思い浮かばなくなっちゃったんですよ……。
 あっ、でも、ちゃんと背番号は1なんですよっ!?」
「問題はソコじゃない。」
 びし、と突っ込んで、微笑は椅子の背もたれにドッともたれかけながら、当事者である里中と山田を横目で見やった。
「──で、どうするよ、お二人さん? おばさんのご馳走とケーキはあるし……パーティってことにしといて、お祝い会、でいくか?」
「づらな。」
 ジャーンッ、と、いくつかのキーを同時に押した後、殿馬が結婚行進曲を奏ではじめる──とは言っても、キーが少ないので、簡略化したどこか幼稚な音にしかならなかったが。
「えぇぇぇー、で、でも、がんばってブーケとか、ベールとかも用意したんですよ。」
「えっ、ベール!? ユニフォームにかっ!?」
 渚の言葉に、すっとんきょうな声をあげて、里中が心底イヤそうに顔をゆがめた。
 さすがに、明訓高校のユニフォーム姿にベールは似合わないだろう。
 それくらいなら、ベールの代わりに帽子をかぶっておいたほうがいい。白くなくて緑色でも、中央に「M」と文字が入っていても!
 そう訴える里中へ、
「えっ、でも、ベールは白いですよっ!?」
 高代が叫ぶが、そういう問題じゃない! と、里中が手で突っ込む。
 問題は、似合うか、似合わないか。
 そこなんだと、そう3年の先輩たちが後輩をたしなめるよりも早く。
「って言っても、ベールも変わりになるような白いのが無くって、コレなんですけどね。」
 ヒラリン、と、香車が──先ほどからずっと置きっぱなしになっていた、「芦屋旅館」の名前入りのタオルを、両手で摘み上げて広げて見せた。

 その瞬間、食堂内に落ちた沈黙の重さを、主催者たちは冷や汗で見守った。

 カタカタ……と、かすかに肩を震わせるおばさんが、怒っているのかあきれているのか。
 岩鬼ですが何も言えず、絶句している──その、わなわなと震えているのは、怒りのためか、怒鳴る前兆か。
 微笑にいたっては、テーブルに突っ伏して、肩を震わせている──コレは多分、笑いの発作の手前なのだろう。
 あのクールな殿馬ですら、ピアノの前で凝固して、香車が掲げたタオルを見ていた。
 そして、くだんの、その「タオルをかぶる」ことになる張本人は。
「…………………………──────────まぁ、なんだ?」
 指先で無理やり米神をもみながら、本物のベールを、ユニフォームの上からつけるよりもマシだと自分に言い聞かせつつ、山田を見上げて。
「──俺たちらしいって言ったら、らしいな? 山田?」
 そう……笑った。
 そんな、花がほころぶような、どこか楽しげな様子の里中に、山田もホロリと口元をほどけさせた。
「確かに、そうだな。」
 おいで、と山田に手招かれて、里中は彼の隣の席へ腰掛ける。
 動きにくいドレスよりも、ユニフォーム姿のほうが、ずっと楽でいい。
「あ、山田さん──その、これ、一応。」
 おずおず、と香車にタオルを差し出されて、芦屋旅館の文字がプリントされた白いタオルを受け取る。
 山田はそれを、なんとも言えない顔で広げた後──里中を見て、
「……かぶってみるか、一応?」
「…………────野球部の練習の後と、そう変わらない気がするけど……まぁ、かぶっておく。」
 なんだかなー、と、ムードに欠けるとか言いようのない会話で、ふぁさ、と里中の頭の上にタオルをかぶせてやった。
 それを見て、わーっ、と渚と高代が盛り上げようと拍手をするが──どう見ても、今さっき、グラウンドで一汗掻いた後の、里中以外、何者でもなかった。
「………………なんだかなー。」
「……アホや、猿芝居や……あかんわ…………。」
 岩鬼ですら、盛り上がることもできず、顔にバッチンと手のひらを押し付ける始末。
 おばさんにいたっては、もう何も言う気力もないようであった。
「そういや、ブーケって何なんだよ、結局? ろうそくか?」
 かぶっていてもしょうがないと、とっととタオルを引き剥がし、里中は首をかしげて渚たちを見上げる。
「いや、もしかしたら懐中電灯かもしれないな。」
 笑いながら山田も予測してみたところ、ウッ、とか言って上下と蛸田が胸に手を当てているのを発見した。
 とどのつまり、見たところ、「白い服=渚」「ベール=香車」「ブーケ=上下。蛸田」の準備係りと見た。
──というかお前ら、一個くらいまともなものを用意しろ。
 思わず裏手で突っ込みたくなる先輩たちであった。
「まっ、まぁ、とにかく! 料理はちゃんとしているんですもの。
 結婚式はできないけど、お祝い会くらいはきちんとしましょ! ね?」
 ことさら明るい声で──もうあきらめも極地に達したらしいおばさんが朗らかに笑う。
 その言葉に、それぞれ苦笑いを浮かべて、テーブルの席に着き始める。
 そうして──まぁ、いっか、とつぶやいた後、
「ほら、渚──お前ら主催者なんだから、音頭くらい取れよ。」
「づら〜。」
 ビバーンッ、と殿馬がピアノの音を奏でて。

 何はともあれ、パーティは始まるのであった。






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すみません……私の書く後輩たち、バカばっかりで……(涙)。

計画性はきちんと持ちましょう。
ちなみに、計画を適当にして、実行日がやってきてしまうのは、私です(笑)。
私が幹事なら、真剣にやりそうで怖いデス……。

さらに言えば、指輪が用意されてなかったので、里中がレイを指差し、「もうアレでいい。」というのに、「いや、せめてドラマや映画みたいに、缶ジュースのプルトップくらいにしておけ!」と微笑が止めるとか言うのもアリです(笑)。
このときの写真は、誰がどう見ても、「優勝したときのお祝い会か、引退のさよなら会ですか?」にしか見えないのがポインツ。

「ん……そんなとこ。」とあいまいに答える先輩たちに対し、ヤケになった渚君は、「結婚式だよ、ちくしょう!」とか叫んだり叫ばなかったり。