パ・リーグの新球団「四国アイアンドッグズ」と、「東京スーパースターズ」の、注目の「二大ヒロイン」と言えば、アイアンドッグズの華麗なる三塁手「マドンナ」と、スーパースターズのエース「里中智」を指す。
現存のプロ野球選手の中で、たった二人っきりの「女性プロ野球選手」でもある。
マドンナは今年初めてのルーキーであるが、里中は高校時代から絶世の人気を誇る、まさにスーパースターの看板投手である。
また、マドンナにいたっては、今期の開幕戦で、スーパースターズの二塁手である殿馬との電撃恋愛が噂され、昨今のニュース番組と芸能雑誌をにぎわわせていた──が、その噂も下火になり始めた頃……、
「スーパースターズの里中、熱愛発覚っ!?」
本日の夕刊の、芸能欄の一面トップであった。
──ビリッ!
マネージャーの北にコンビニで買って来てもらった夕刊を見た瞬間、土井垣はそれを買ったばかりだというのに、真っ二つに引き裂いてしまった。
思わず、と言った表現が似合うその動作に、
「ど、どうしたんですか、土井垣監督!?」
驚いたように、同じ食堂に居た山岡が眼を見張って声をかける。
その隣で、のんびりとお茶を飲んでいた星王達が、おっ、と目を見張る。
「アハハハ、小次郎さんが、監督投げ出して先発投手でもしたんですか〜?」
笑いながら、ミルクコーヒーを両手に包みながら軽やかに笑う里中の声に、土井垣がピクリ、と肩を震わせる。
土井垣が夕刊を買った理由というのが、本日の四国アイアンドッグズの試合が、「デイゲーム」だったからだということもあった。試合が早い時間に終わっていれば、その結果がチラリとでも載っているだろうと、そう思ったのである。
その土井垣を揶揄するように笑う里中の台詞に、続けて、
「それならいっそ、土井垣監督が、代打で出るって言うのもアリっすよね〜。」
「あ、それいいな。」
「ちゅうことはよ、1番岩鬼ならぬ、1番代打どえがきはーん、づらな。」
「ちょぉまてや、ヅラ! おんどりゃ、なんでわいがどえがきの代打に頼らなあかんねんっ!」
いつものように笑い声の絶えない、とても楽しげな光景であった。
──がしかし、土井垣はその彼らの台詞に、ニコヤカに笑いながら応酬している余裕はなかった。
無言で自分が破り裂いた新聞を凝視し続ける。
思わず新聞を持つ手がフルフルと震えたが、そんなことを気にしている暇はない。
土井垣は、ジットリと上から下まで舐めるようにして、そこに掲載された写真と、書かれた文章を読み終え、ビリ……と、力の入れすぎで、あやうく新聞を真っ二つにしそうになった。
「か、監督?」
不安そうに名を呼ぶ山岡と北が、また何かあったのかと、視線を交し合う。
星王達まで怪訝そうに顔を見合わせる中、明訓五人衆だけが、一つのテーブルを囲いながら、またくだらない話に花を咲かせ続けていた。
「それなら、久しぶりに明訓クリーンアップでもいいんじゃないか? 里中も、たまには打ってみたらどうだ?」
「あー、なーる。懐かしの大平監督打順、1番 岩鬼、2番 殿馬、3番 里中、4番山田、5番 俺、6番 山岡さん、7番8番は並べておいて、9番 土井垣さんってどうだよ?」
「って、オイオイ、俺が一体、何年打ってないと思ってるんだよ。それなら、3番 三太郎、5番 土井垣さんだろ。」
「里中のセンスならよ、1年も打ち続けりゃ、岩鬼の1番も狙えるづらぜ。」
「なるほどな、そうすると、わいが来年は、スーパースターズのエースちゅうことかい。1番 ピッチャー、わい! ……ええやないけっ!」
「…………いや、もう、何か言う気力もないけどな〜……。」
ピピーンッ、と跳ね上がった岩鬼のハッパに、あははは、と一同が笑い声を零す。
その、明るい笑い声が、なぜか異常なほどサロン内に響き渡った。
軽い空気をかもし出している五人衆の周囲の温度は、5度ばかり下がっている──その原因である土井垣監督のかもし出す雰囲気に、サロン内の誰もが気づいているというのに、彼らだけが気づいていない……。
彼らが明るい笑い声を出せば出すほど、土井垣の額や米神に血管が浮き立っていくのを、北と山岡はゾ〜としながら背筋を震わす。これが高校時代なら、土井垣はあと3秒以内に椅子と机を蹴り飛ばし、立てかけてあったササラ竹をつかみ取り、ビシィッ、と床をたたきつけながらこう叫ぶのだ「お前ら全員、たるんでるぞっ! 校庭30周!」──と。
懐かしい雰囲気が戻ってきたなぁ、と、山岡も北も、嬉しくもなく冷や汗をたらリとたらした瞬間であった。
バンッ、と……土井垣が、千切れた新聞誌ごと、テーブルにたたきつけた。
と、同時。
「────────…………里中…………………………。」
低く、笑いながらミルクコーヒーを飲んでいるエースの名を呼んだ。
「……ん? はい? 今、何か呼びましたか、土井垣さん?」
キョトン、と目を瞬かせて、彼女は愛らしい容貌に不思議そうな表情を宿す。
ゆるく首を傾げるさまは、世間で「スーパースターズのアイドル」と呼ばれているのにふさわしい愛らしさである。
そんな里中を、暗雲を背負いながら、土井垣はジロリと睨みつける。
「……お前、昨日、練習が終わった後……何してた?」
低く尋ねる彼に、里中は小さく目を瞬かせると、隣に座っている山田を見上げながら、
「何って──いつものように山田と一緒に家に帰って、それから夕飯食べて…………。」
そこで一瞬言葉を止めて、山田と視線を合わせた後、なぜか二人は揃ってさり気なく視線を逸らし、ポッと頬を赤らめあった。
何があったのか、一目瞭然である。
9年もの長い別居生活の果て、ほぼ半同棲状態に入ったのだから、それはまぁ……突っ込んではいけない私生活の領域だろう。
「土井垣監督、それを聞くのは、野暮ってもんでしょ。」
微笑が、ニヤニヤ笑いながら助け舟を出してくれるのに、周囲で話を聞いていた面々までもが、ポッ、と照れたように顔を赤らめる。
里中と山田が、名実ともに夫婦であることは、誰もが知っている──もちろん、微笑に突っ込まれるまでもなく、二人が何に照れているのかなんて、聞かずとも自然と分かることだった。
分かっていたからこそ──土井垣は、テーブルに叩き付けたばかりの新聞を摘み上げると、照れあう山田と里中に向けて、ニッコリと凍てつく微笑を張り付かせた。
「夕飯を食べて、それから──二人でこのホテルでお泊りか……っ!?」
怒りと動揺に、語尾が震えるのをとめられなかった。
土井垣は、その激情のまま──新球団結成後、最低3年は平穏無事に過ごさせてくれと言ったはずだろうと、ドォンッ、と新聞を摘み上げた逆の手で、机に拳を落とした。
その、彼が掲げ持った夕刊の一面に映った色褪せたカラー写真に。
「……──あっ!」
「あ……。」
里中と山田が、揃って目を見張った。
同じように、土井垣が見ていた新聞の内容を知った面々に──動揺が走る。
新聞誌に写るのは、この近辺のホテル街にあるホテルだ。そのホテルのネオンが目立つ入り口に、手をつなぎあって、笑いながら入っていこうとしている人物が二人……どう見ても、目の前の二人と同一人物である。
「バッチリ写ってるじゃん。」
「さすが里中は、写真写りがいいづらな。」
「なんじゃい、ヒーローはアップで写るもんやで。」
動揺のあまり絶句するチームメイトとは異なり、高校時代からの悪友達は、写真にはっきりと写った二人の姿に、そんな軽口を叩く。
その見出しには、「スーパースターズの里中、熱愛発覚!? お相手は高校時代からの恋女房、山田!」と堂々と描かれている。
高校時代から知っている元明訓ナインにしてみれば、「何を今更……」な内容であるが、世間的には里中が山田と結婚していることは知られてないのだから、確かに「熱愛発覚」だろう。
──しかも、よりにもよって、ラブホテル…………。野球界の清純派アイドル(とファンは思っている)が、台無しである。
「お前ら……コレは一体、どういうことだ……っ!」
怒りのあまり、声が震えるのをとめられず、バッ、と新聞紙を前に突きつける土井垣に、里中は零れそうに瞳を見開き──かと思うや否や、慌てたように椅子を蹴倒し、土井垣の手から新聞紙を奪い取った。
そして、マジマジとそのスキャンダル写真を見下ろすと、かすかに動揺した面差しで、写真の一点を指先で指し示し、
「山田っ、このホテル──、夜間の宿泊料金、7時からでも同じだぞっ!?」
夫婦揃って1億プレーヤーだとは思えないような台詞を吐いてくれた。
もちろん、里中の指先が示しているのは、ちょうどカラー写真にバッチリ写っていた「宿泊料金一覧」の部分である。
「そうだな……二時間分、もったいないことをしたな…………。」
しかも山田がそれに神妙に頷いてはいてくれた台詞のおかげで、この写真がいつ撮られたものかということまで、一同は知ることになった。
──というか、誰も自球団のエースと捕手の夫婦が、何時にラブホテル入りしたか(しかも昨日)なんてことは、知りたくもない。
「って、突っ込むところはソコじゃないだろ、お前らっ!!」
バンバンっ、と激しくテーブルを叩く土井垣の気持ちを、誰もが理解できたが、元凶である片割れは、さっぱり理解してくれなかった。
それどころか、軽く眉を顰めると、
「えー……他に何を突っ込むところがあるんですか?
だって俺の部屋にはお袋が居るし、山田んちには、おじいちゃんもサッちゃんも姫も居るんですよ?」
独身男には、そういう可哀想な台詞は吐いちゃいけません的な台詞を、いぶかしげに吐いてくれた。
土井垣の米神が揺れすぎて、そのうち血管が切れそうなことにいち早く気づいた山岡が、里中っ、と小さく叱咤するが、それ以上何を言ったらいいのか分からなくて、微笑に救いの視線を求めてみた。
微笑は、高校の先輩からの視線を受け取り、ふぅ、と溜息を零すと、里中に向けて、「注意」を施す。
「あー……智、智。別にお前らがラブホテルに行ってようと、二人目をがんばって仕込んでようと、それはとやかく言わないけどさ。」
「し、仕込むって……三太郎……〜。」
真っ赤に赤面する山田が口もごるが、微笑は山田を無視しして、真剣に里中を見つめながら、
「行くなら、せめて休日の前の日にしておけ。」
そう忠告した。
土井垣の血管をなだめるどころか、逆にプチプチと切れさせるような発言に、山岡は床と対面しそうなほど、ガックリと両膝を落とした。
あまりのことに脱力を覚える面々とは違い、9年間同じプロの場で、慣らされてきた土井垣は、
「突っ込むところはソコじゃないだろう、だからっ!!」
バァンッ、と、再び机を叩いた。
このままだと、机ごとひっくり返して、暴れそうな勢いである。
そんな土井垣に、うんうん、と殿馬がわけ知り顔で頷き、
「づらな〜、道理で今日の智は、体力ねぇと思ったづらぜ。」
──やっぱり、ちょっぴりずれた一言を零してくれた。
……だーかーらー、突っ込むところはソコでもなくって……っ!
フルフルと、拳を握りこんだ土井垣の目の前で、新聞紙を覗き込んでいた里中が、驚いたように顔を上げて、
「えっ、そ、そうか? ……うん、分かった、今日は気をつける。」
キリリ、と真摯な表情で殿馬に答えてくれる。
「今日はって、今日はじゃないだろ、今日は、じゃっ!!」
喉が破裂するかと思うほど、怒鳴り込んで──土井垣は、脳みその血管が数本くらい切れる音を聞いたような気がした。
どうしてこれだけ突っ込み放題な状況で、俺以外、誰も突っ込みはしないんだっ!!
心からそう思うが、それはそれで仕方がないことである──誰も、この話に、突っ込むに突っ込めるような気力がなかったのである。
ぜぇぜぇと、息を切らすほど突っ込んだ土井垣に、そ、と北は水を差し出した。
高校時代よりもグレードアップした「露見」ぶりに、北も山岡も着いていけず、代わりに突っ込んでくれた土井垣にしてあげることと言えば、こんなことくらいしかなかった。
──俺たちも、いつかこの会話にまで突っ込めるような気力を取り戻せる日が来るんだろうか? いや、できることなら、永遠にきてほしくはない気もする。
ガバッ、と土井垣は、北が複雑な思いで差し出してくれた水をかっぱらうと、一気にソレを飲み込み、グイ、と手の甲で口元を拭い取った。
そのまま視線を上げて、らんらんと輝く瞳で、
「問題はソコじゃなく、お前ら、スキャンダルにはあれほど注意しろと言っただろうっ!」
無理矢理話を元に戻してみた。
だがしかし、新聞紙を握り締めていた山田が、その土井垣を困惑した眼差しで見上げながら、
「でも土井垣さん。俺と里中の熱愛発覚とか書かれてるけど、俺たち……もう結婚してずいぶんになるんですよ?」
「な? 別に夫婦なんだから、一緒にホテルに泊まっても、おかしくはないと思うんだけどなぁ?」
まったく自覚してない台詞を吐いてくれた。
「……………………もしかしてお前ら、バレンタイン監督と、東尾監督が、死ぬような思いでお前らのことを、世間に黙り続けてたことに──気づいてないのか……………………?」
シュルシュルシュルと、肩からストンと力が抜けていくのを感じつつ──、土井垣は、自分の台詞から、ずいぶんと力が無くなったのを感じた。
「え、黙り続けてたって……何がですか?」
「姫のことをスキャンダルにするなら、分かるんだけどなぁ。」
首をかしげ続ける二人の、なんとも理解してないような表情に、胡乱気な表情を上にあげると。
ヒョイ、と肩を竦めた微笑と、片目を眇めて済ました顔の殿馬と視線がぶつかった。
そして、
「よっぽど、芸能スポーツは、記事に困っとったんやな。サトとやぁーまだのスキャンダルなんちゅう、下らんもんを取り上げるしかないんやで。」
岩鬼は、一人納得していた。
「……………………………………。
………………北…………………………。」
そんな五人衆をグルリと見回し、土井垣は小さく──我ながら覇気が無くなったと思う声で、昔馴染みの後輩の名を呼んだ。
「は、はい。」
返って来る声の主に、額に手をあてながら、土井垣は重々しく……、
「すぐに警備の数を増やしてくれるように頼んでくれ──、俺は、オーナーに連絡して、記者会見について相談してくる……………………。」
なんで俺は、監督一年目から、こんなことをしなくちゃいけないんだ。
──うんざりした顔で、そう告げた。
+++ BACK +++
この話の途中で出てきた「土井垣込み打順話」が、今週号のチャンピオンで出てきてしまったので、嬉しいやら愕然とするやら。まぁ、打順は違いますけどね。
とりあえず、言いワケすることは……今更なので、しないデス……がんばって裏っぽい雰囲気を出したみようと思ったけど、突っ込む人が居る場面で、裏っぽいのは無理でしたね──。
一応、里中は一年目のオールスターのときに、世間的に「女」だって公表した扱いにしておいてください(笑)。