スーパースターズが本拠地、東京ドーム。
その東京ドームの食堂で、四角いテーブルを取り囲んでスーパースターズの有名人2人は、何冊かの薄っぺらいパンフレットを広げていた。
向かい合わせに座りながら、それぞれ手元にコーヒーカップを置いている。
「色々あって悩むな。」
うーん、と首を傾げる山田に、そうだな、と里中も眉間に皺を寄せる。
「普通にハワイにするか? 日本語も通じるし。」
「俺、水着になりたくない。」
ぶす、と唇を軽く尖らせるように呟いて、頬杖をつく里中に、山田は少し名残惜しそうにパンフレットの山を一瞥した。
その半分以上が温暖で暖かな場所──すなわち、綺麗で青く澄んだ海を目的としたツアー旅行ばかりだった。
「──べつに、泳ぐのばかりが目的なわけじゃないだろ?」
「でも、泳がないのにグアムとかハワイとかに行くのって、なんかもったいなくないか?」
「……里中、泳げないわけじゃないだろ?」
それどころか、高校1年の時は、泳ぐのも好きだと言っていた覚えがある。
岩鬼のように風呂の中で泳ぐことはしないが、2人で川に行ったときは、喜んで河童のように泳いでいた覚えがある。
川でアレだけ泳げたら、プールや海でも泳げるはずだと思うのだが──。
「泳ぐのは好きなんだよ、水着になって人前に出るのがイヤなんだ。」
高校の時は、みんなでプールに行ったこともあったが、胸も無いのに女性物の水着をつけるという抵抗感──。なんで女性用の水着には、必ずパットが入ってるんだ、これのおかげで余計に胸の中が見える、と、文句を言って母を困らせた記憶。
その後百歩譲って、母が用意してくれたアウターに見える水着をしぶしぶ着て、みんなと市民プールに行ったのだが──あの時、周囲から寄せられた表現できない視線。あの居心地の悪さは、今思い出しても不愉快だ。
アレから、里中は一度も人前で水着を着て泳いだことはない。泳ぎたくなった時は、こっそりと夜に学校のプールに入る日々だった。
──ちなみにその時、いつも付き合わされるのは山田である。
里中は、そんな思い出を思い出させる海関係のパンフレットを脇にどけてから、
「あ、でも、山田しか居ないなら、別に水着になってもいいぞ。」
つけたしのようにそう言った。
「山田と里中しか居ないプールって、貸切かよ?」
実は同じテーブルについていた微笑が、オーストラリアのコアラの写真に目を留めながら、コレなんかいいんじゃないの? と、差し出してくる。
「コアラを抱く姫ちゃんなんて、可愛いんじゃないか?」
多分に、コアラを抱く里中も可愛い。
その台詞はグッと喉で飲み下して、微笑がオーストラリアの写真を差し出してくる。
さらに、その微笑の向かいに座っていた殿馬が、
「コレがお勧めづらぜ。」
ヒラリン、とイタリアのパンフレットを投げてよこしてきた。
「今の時期なら、これじゃい。」
当たり前だろうと言いたげな言葉と態度で、隣のテーブルからヒラリンと岩鬼が投げてくるのは、香港食い倒れツアー。
「これのどこに時期が関係あるんだよ。」
思いっきり呆れた声と態度で里中が岩鬼を軽く睨みつけた。
「でも、香港もいいかもな、里中。」
岩鬼が投げたパンフレットを手に取り、ペラペラと捲る山田に、そうか? と里中はやる気もなさそうである。
「あ、ならここはどうだ? カナダっ! スキーができるぜ、スキー。」
「ローマづらな。」
左右から微笑と殿馬が新しいパンフレットを差し出してくる。
岩鬼もヨダレをたらさんばかりに、「タイもええわい。」と呟いている。
そうやって、次々に色々と出してくるからこそ、里中も山田もいまだに行き先を決められないでいた。
何冊かのパンフレットを、五人で好き勝手に捲りきった結果、
「いっそ、国内にするか。」
山田が海外用のパンフレットを閉じて、一番初めに脇にどけておいた国内旅行のパンフレットを引き寄せる。
そんな彼らに、おっ、と岩鬼が反応した。
「そや! それやっ!
さっきから、なんかしっくり来やへん思うとったんや、わいは!
おんどれらが、海外なんちゅうとこへ行こう思とるんが間違いなんやで。」
「国内だったら、山田の顔が売れすぎてて、ゆっくりできないじゃないか。」
呆れたように微笑が大げさに肩をすくめる。
そんな彼に、岩鬼が大きく顔を開いて叫んだ。
「それが間違いやっちゅうとるんや! わいならともかく、やぁーまだが有名なワケないやろ。」
「いや、CM出現率から言うと、里中が一番、顔が売れてると思うぞ。」
パタパタ、と岩鬼の言葉を手の平を振って否定して、とにかく国内はダメだと、微笑は山田が引きずり出してきたパンフレットを蓋した。
「どこにしようかな? やっぱり一生に一度のことだしなぁ。」
首を傾げて、里中はパンフレットを再び捲り始める。
けれど、パンフレットのツアーを見ても、どれもピンと来ない。
「里中、行きたいところとかあるか? 見たいものとか。」
言いながら、再びパンフレットを捲る山田に、頬杖を着いて里中が首を傾げる。
「うーん、いっそ、国内でほかの球団の試合ツアーでもするか?」
見たいもの、というと、やはり「野球」だと思えてしまう。
そんな里中に、
「オイオイ、色気ないなぁ……。」
「づら。」
「いちゃつくことだけは一人前のくせしよって。」
一応「旅行先」を探す手伝いをしているつもりらしい三人が、呆れたように突っ込む。
しかし、今も日常からして野球一色なんだから、しょうがないじゃないか、と里中が軽く唇を尖らせた瞬間──、
「──……あっ、そっか、山田。
それなら俺、アメリカがいいな。」
ピン、と来たように里中が顔をひらめかせた。
「アメリカ……? ──あ、メジャーか。」
すぐに里中が言いたいことを理解した山田に、笑顔で里中は頷き、微笑が持っているパンフレットの山の中から、『アメリカ』と大きく書かれたものを取り出す。
綺麗なカラー印刷がされたパンフレットを目の前で大きく広げて、松井とイチローが有名になったおかげで、メジャー観戦ツアーというのも用意されていることだし。
「いいな、それ。」
「だろ? 俺、松井に会いたいな。」
里中が差し出したパンフレットを覗き込みながら、山田は顔をほころばせる。
メジャーに行きたいと思っていながらも、結局この目で直接見たことはない。だから、この機会に里中と2人で観戦するのも楽しそうだ。
「ヤンキースは確かにはずせないぜ。」
微笑までもが話に載って来るのに、うん、と山田は頷いて、
「イチローさんにも会いたいかな。」
「あ、それいいな。ぜひ旅行日程に入れよう。」
先ほどまでアレほど難航していたのが嘘のように、サクサクと話が決まっていく。
そんな2人の旅行日程に、思いっきり身を乗り出して、岩鬼までもが首を突っ込んでくる。
「そないたくさん行って、おんどれら、イングリッシュも喋れへんのに、どないする気や?」
「日常会話くらいだったらできるぜ。お前みたいに、喋れないのにメジャーに行こうとしてたわけじゃないからな。」
ベ、と舌を突き出す里中に、なんやとぉっ! と岩鬼が豪気に席を立った瞬間──、
「岩鬼! 何をしているっ!」
ビリッ、と、食堂に良く響く声がした。
思わず彼ら5人の周りの人間が、驚いたようにビシリと背筋を正すが、五人はゆっくりと声の主を振り返った。
案の定、そこに立っていたのは、このスーパースターズの監督である土井垣であった。
彼は片手に、食事が乗っているトレイを持っていた。
「なんや、土井垣はんか。」
「あれ、どうしたんですか、監督。今から食事ですか?」
興味を失ったような岩鬼が、ガタン、と乱雑な仕草で椅子に再度腰掛け、山田が穏やかに笑って軽く頭を下げる。
一番仲がいいこの五人は、なんだかんだで一緒に居ることが多いが、別の見方をすれば、よりにもよって一番厄介な五人がいつも一緒にいる──とも言う。
「あぁ、ちょっと遅れた食事時でな。
──で、お前らはなんだ? 旅行のパンフレットなんか広げて。」
岩鬼が座っているテーブルと同じ場所に席を取り、土井垣は彼らのテーブルに乗っているたくさんのパンフレットを顎で示す。
するとそれに、里中と山田が顔をあげて、声を揃えて言った。
「新婚旅行をしようと思ってるんです。」
「やぁーまだにゃ、もったいないっちゅうとるんやで、わいは。」
「なんだかんだ言って、この2人、新婚旅行もマダでしたからね。」
「づら。」
当たり前のように話してくれる五人に、パシン、と割り箸を割りながら、へー、と相槌を打って──土井垣は、ぴたり、とその動きを止めた。
「…………新婚旅行……だと?」
ギギ、と、機械的な音がするかと思うような動きで、ジロリ、と睨みつけてきた土井垣をまったく気にせず、
「アメリカのメジャーを見に行こうと思ってるんですよ、な、山田?」
「やっぱり、本場は見ておきたいですしね。」
2人はニコニコと笑って土井垣に答える。
聞きようによっては、「新婚旅行でメジャーを見に行くとは、勉強熱心だな」という台詞ではあるが、ここでひとつ注目しなくてはいけないことがある。
2人は現役のプロ野球選手で、現在、前半戦の真っ最中なのである。
そんな2人に、コホン、と土井垣はわざとらしく咳き込むと、
「──で、お前ら、それはいつ行く話しをしてるんだ?」
聞いてると、まるで今シーズン中にも旅行に行きそうではないか。
別に新婚旅行に行くのはかまわない──まぁ、結婚してから何年たってるんだといいたいところだが、2人とも別のチームだったのだから仕方がない。
すると2人は、キョトン、と目を瞬いて、
「前半戦が終わった後、一週間くらいが一番いいんじゃないかと思ってるんですけどね。
ヤンキースの試合の日程とあわせてみないと、詳しくは分かりませんけど。」
きっぱり言い切った。
「…………………………お前ら、なんでオフシーズンに行かないんだ。」
確かに、オフを取るなとは言わない。
けれど、お前ら夫婦が揃って休みを取るということは、スーパースターズのエースと正捕手が同時に休暇を取ることになるということを、自覚しろ。
フルフルと震える拳を必死にこらえて、土井垣はニッコリと無理矢理笑顔を貼り付けてみた。
そんな彼へ、
「オフシーズンに行ったら、メジャーの試合もしてない上に、普通に顔見知りもいるじゃないですか。」
里中は堂々と言い募った。
「だから、ロッテの時は、ぜんぜん行けなかったしな。」
監督とか同僚が止めるから。
そう続ける里中に、今目の前で俺が止めようとしてるだろうがと、土井垣が怒鳴るよりも早く、山田が口を開いた。
「まぁ、だからと言ってシーズン中に行くのもどうかと思ったんですが、オフシーズンだったらメジャーリーグの試合はしてませんし。」
──ダメだ、こういう所には生真面目な山田も、結局は里中に甘いのだ。しかもソコに野球が絡んでくると、ぜんぜんダメなのだ。
「──……あぁ、そうだな……っ、お前らがオールスターに選ばれなかったら、それでもいいだろうけどなっ。」
イヤミったらしく、ニッコリ微笑んで言い募ってやった瞬間、
「あかんっ! それやったら、わいは行けへんやないけっ!!」
ガーンッ! と、ショックを受けたように岩鬼が全身をビリビリと震わせた。
「俺はどーかね? 微妙なとこか。」
「今年くらいはよ、お祭りに出なくてもいいづらぜ。」
頬杖をついて微笑と殿馬が、当たり前のように頷いた。
「山田は選ばれちゃうしなぁ……って、ちょっと待て、なんでソコで岩鬼たちが、関係あるんだよっ! コレは、俺と山田の新婚旅行だぞっ!?」
里中が、ドンっ、とテーブルを叩いて叫ぶ里中に、山田も引きつりながら笑った。
しかし微笑達は、平然とした顔で、
「いやー、松井さんに会うのは久しぶりだなー。」
「アメリカンポップスっちゅうのもよ、いいもんづらぜ。」
「とんまは、イチローはんの美技でも見て、ちぃと真似せぇや。」
そんな会話を交わし始める。
「って、ちょっと聞けよ、お前らっ!」
怒鳴り込む里中に、さらに付け加えて土井垣もドンッとテーブルを叩く。
「それは俺の台詞だ!」
「まぁまぁ、落ち着け、里中──と、土井垣さんも。」
山田が穏やかに笑いながらとめようとするが、里中はキッと眦を吊り上げて彼を見下ろす。
「じゃ、何か、山田っ!? お前は、俺とお前の新婚旅行に、こいつらを連れてくって言うのかっ!?」
「海外旅行がはじめての、おんどれらが、ヘマをせんように、付き添ったろって言うとるんやないけ。」
カッカッカッと、明るく笑う岩鬼に、あー、もーっ、と、里中は頭を抱えた。
そんな彼の隣で、
「おっ、そうだ、アメリカといえば、確かロッテの中西がアメリカ帰りだったよな?」
微笑が思い出したようにポンと手を叩いた。
「──……あぁ、そーだけど?」
今度は何を言い出すつもりだと、眉を寄せた里中に、微笑は自分のポケットから携帯を取り出し、電話帳を開くと、
「中西も誘おうぜ、殿馬、岩鬼。
あいつ、絶対メジャーの試合見てるはずだから、詳しくて道案内をしてくれるさ。」
耳元に携帯電話を当てる。
「って、よぶなよっ!!」
慌てて里中が手を伸ばすが、リーチの長い微笑から電話を取り上げられるはずもない。
彼はそのまま嫌がらせのように目の前で電話をし始めた。
「中西ならよー、確かに、アメリカには詳しいづらな。」
「アメリカ帰りやしな。」
その微笑をみながら、殿馬と岩鬼が当然のように頷きあう。
「っていうか、邪魔するなっ! 行くなら、お前はお前らだけで、行けばいいだろっ!」
「いいじゃん。せっかくだから一緒に行こうぜ、智。
中西も電話の向こうで行く気満々だし。」
ガックリ、と里中は肩を落とした。
あの、中西が行く気になって、とめられるはずはない。
「……くそっ、ハネムーンベイビーは、男の確率が高いのに……っ。」
「って、里中、里中!」
握りこぶしをして悔しげにうめく里中に、慌てて山田が身を乗り出して彼の口を閉ざそうとする。
そんな、好き勝手に騒ぐ面々を見て──あぁ、と、土井垣は溜息を零した後、
「──新婚旅行でもどこでも行っていいから、一年目からオフを取るのは止めろ……っ!」
それだけは言わねばならないと、たっぷりと苦渋の色をにじませて宣言した。
そんな、いつもよりもずいぶん疲れた色をにじませる土井垣に、五人は無言で視線を合わせた後、
「……えーっと……それじゃ、里中……試合はあきらめて、スタジアムだけ見るってことで、オフシーズンに行くか?」
こりこり、と、頬を掻きながら、山田は一歩譲った提案をしてみるのであった。
オンシーズン中に行こうとしても、結局、誰かが着いてこようとするのなら、オフに行っても変わらないのだから。
+++ BACK +++
いや、行き先がメジャーリーグだったら、着いてくるかな、とか……(笑)。
土井垣さんはいつも苦労してる人です。