それは、ある日突然











「ごめんごめん、携帯忘れた。」
 そう言って家の中に駆け込んできた里中を見た瞬間、あ、と気づいたのは、多分、山田だけだろう。
 サチ子は、照れ笑いを浮かべながら入ってきた里中に、腰に手を当ててしょうがないな、と笑う。
 そんな彼女が手にした携帯を受け取って、
「本当だな。」
 にこりと笑う。
 その目や睫の辺りが、シットリと濡れているように思えるのは、山田の気のせいではないだろう。
──聞いてたのか。
 そのまま携帯をポケットに仕舞う里中を、無言でジ、と見つめる山田の無防備な背中を、
「兄貴、ほら、ボヤボヤしてないで、里中ちゃんを送っていきなよ。」
 ドォンッ、と、サチ子が勢い良くたたく。
 その、女とは思えないほどの強烈な力に、ゴホッ、と咳が零れた。
「え、いや、別にいいよ。そこまでだし。」
 慌てて手を振る里中に、遠慮なんかしなくていいのよ、とサチ子は軽く首を傾けるようにして、ほらほら、と兄の背をズイズイと入り口に押し出す。
「さ、サチ子……っ。」
「明日から、ハッパや三太郎くんやとんまちゃんと一緒で、二人っきりになる機会が少なくなるでしょ。一週間も! 気を利かせてやった妹の気持ちくらい、汲みなさい。」
 とうとう兄の大きな体を玄関から落としたサチ子は、そのままクルリときびすを返す。
「って、サチ子……。」
「サッちゃん、いや、別に、俺は──……っ。」
「いいから! ほらほらほらっ!」
 何か言おうとする二人を、強引に押し出して、サチ子は、二人の鼻先でピシャンと扉を閉めた。
 それから、玄関脇においてあったスキー板を一瞥すると、小さく溜息を零して。
「ほんっとにもう、世話の焼ける人たちだなぁ。」
 腰に手を当てて、そんなことを呟いた。
 それを聞いていた祖父は、がく、と肩を落として──今からもう、小姑気分だな、と、心の中だけでコッソリと零した。










 さて、一方その頃、突然サチ子により家から追い出された二人はというと、なんとも言えない顔でお互いの顔を見合わせた後、
「……──それじゃ、里中、おまえのうちまで、ゆっくり行こうか。」
 ポン、と山田が里中の肩を叩いた。
 そんな彼を見上げて、里中は申し訳なさそうな顔になる。
「ゴメン、俺が携帯を忘れてなかったら、わざわざお前に表に出てもらうこともなかったのにな。」
「謝ることじゃないだろ。
 それよりも俺は……。」
 笑いながらそこで言葉を区切って、山田は眉を落とすと、なぜか声を潜めて、
「サチ子が何か企んでるような気がしてならない。」
 真剣な顔で、自分たちが向かっている先を睨みつけながら、そう呟いた。
「……って、それは考えすぎだよ、山田。」
 思わず、サチ子が自分と山田を部屋から追い出したのは、電話の続きをするためではないのかと言いそうになって、慌てて里中は続きを飲み込んだ。
 先ほど、サチ子が「志摩子ちゃん」に、「スキー旅行へ行くのを取りやめ」にした件を電話していたことは、自分は知らないことのはずなのだ。
 そんな風に、無理矢理何かを飲み込んだような顔になる里中に、山田は苦笑を浮かべた。
 やはり里中が、サチ子のスキー旅行を断る電話を聞いていたことは間違いないだろう。
 まったくもって、自分の家のことに関しては隠すのがうまいくせに、自分のことになると、隠すのが下手になるところも──昔と何も変わっていない。
「そうかな。」
 込み出てくる笑みをこらえながら、山田はゆっくりと歩きながら、すぐ間近に見えてきた里中の住んでいるマンションを見上げる。
「そうだよ、サッちゃんが何かたくらんでるって……俺とお前を家から追い出して、何ができるって言うんだよ。」
 里中は、内心の焦りを隠しながら、そうなんでもない顔を取り繕う。
 そうしながら、隣を歩く山田をチラリと見上げると──穏やかに笑っている彼の顔にぶつかった。
「……………………山田。」
 なんとなく、事実に思い当たった気がして、里中は小さく彼の名を呼んだ。
「ん、なんだ?」
 里中の呼びかけの声に不穏な響きが宿っているのに気づいているだろうに、山田が答える声は、ひどくのんびりとしていた。
 里中は、ジットリと山田を見上げた。
「──……気づいたんだろ。」
「……ん? 何のことだ?」
 穏やかに微笑む山田に、あぁ、やっぱり、と里中は溜息混じりの息を零した。
「お前には、黙ってることができないな……。」
 すぐにばれる。
 そう、うんざりしたような表情で零す里中に、山田はコリコリと頬の辺りを指先で掻くと、
「それは、俺の台詞だよ、里中。」
 里中と同じように、苦い色を刻んだ笑みを零した。
「そうか?」
「うん、そうだよ。──お互いさまだ。」
 言いながら、ポン、と軽い調子で里中の肩を叩くと、彼は小さく笑みを零して、半歩分、山田に近づく。
「帰ったらさ、山田。」
「ん?」
 肩が触れ合うほど近く。
 里中の言葉に視線を下げると、サラサラと緩く揺れる短い黒い髪。
 端正に整った容貌には、微かな笑みが刻まれていた。
「サッちゃんに、ありがとう、って言っておいて。」
「──あぁ、伝えておくよ。」
 もう目の前に見えてきた里中のマンションまで、あと少し。
 少しの間合いを、二人はことさらゆっくりと歩きながら、たわいのない会話を、穏やかに交し合った。










 兄と里中が揃って玄関から出て行った後、サチ子は自分が先ほどまで座っていたちゃぶ台に駆け戻った。
 そして、机の上に置き去りにしていた携帯を手に取ると、ピ、とボタンを二回。リダイヤル二回で表示された名前と電話番号に、迷わずサチ子は発信ボタンを押した。
 無言でサチ子と自分のためにお茶を入れるジッちゃんは、サチ子が電話をかけた相手は、彼女が明日からスキーへ行くはずの相手に違いないと思っていた。
 祖父思い、妹思いの太郎が、自分のことを犠牲にしてサチ子や祖父のためにがんばってきてくれたことを、すぐ間近で見て育ったサチ子は、兄と同じようにさりげない優しさで自分たちを支えてくれることが多い。──もっとも兄とは違って、サチ子の場合は本人が「さりげない」つもりである……というパターンが多かったが。
 今回のスキー旅行にしてもそうだった。
 学校のサークルの面子で行くスキー旅行は、当初は2月の雪の多い時期に予定していたのだと言う──その時期ならば、学校の試験も一段落して、早い春休みに入るようなものだからだ。実際サチ子は、去年も2月の太郎のキャンプの時期には、自宅と里中家、そして遊びにバイトと、クルクルと動き回っていたものだった。
 そうやって色々と身軽く動き回るサチ子であったが、彼女は決して2月中に丸1日家を空けるようなことはしない。高齢の祖父や、体の弱い里中の母に万が一のことが起きるかもしれないと分かっているときに、旅行などできるはずがないからだ。
 太郎も居ない、里中も居ない、自分しか居ないと分かっている状況で、長屋の隣のおばさんに祖父のことや里中の母のことなど、頼んでいけるはずもない。
 サチ子はそれが分かっていたから、去年のサークルのスキー旅行も断っていた。
 祖父も太郎も、サチ子の口から聞くことはなかったが、彼女が夜も遅くに携帯電話で、友人と話していたから知っている。
 『ゴメン……二月はどうしても駄目なんだぁ……うん、遊びに行くだけならいいんだけどね、泊まりはちょっと……ほら、うちが空いちゃうから。』
 軽い口調で話しているけれど、サチ子が諦め半分で語っていることを疑う余地はなかった。
 サチ子は物心付く前に両親を事故で失っており、両親の記憶もなければ、家族でどこか旅行へ行ったという記憶もない。
 太郎が働くまでは貧乏で、新しい服を買ってやることすらままならず、彼女の一番の一張羅は、太郎が中学時代に賀間君がくれた「赤いフリル付きの服」だけだった。
 不憫なサチ子の小学校時代の旅行の思い出と言えば、「お兄ちゃんの応援に甲子園に行った」だとか、「お兄ちゃんの応援に、埼玉にも行ったね」だとか、「里中ちゃんのお引越しの手伝いに、千葉まで行ったっ! 里中ちゃんが、東京ディズニーランドに連れてってくれたのっ!」だとか……。
 だからこそ、今年のスキー旅行は、少し無理をしてでもサチ子に行かせるつもりでいた。
 その上、今年はサチ子のサークルの人たちも、彼女のことを考えてくれて、わざわざスキー旅行の日程をずらしてくれたのである。
 日付的には正月ラッシュが終わり、ホテルの値段が落ち着く頃──そしてそれから出発しても、ギリギリ学校の冬休み明けに間に合うころ。
 ──つまり、1月7日に。
 けれどサチ子は、それを聞いて喜ぶどころか、苦い笑みを刻んで、
 『ゴメン、ずらしてくれたのは嬉しいけど……。』
 そう断ろうとしていた。
 1月7日。
 それは、毎年多少のずれはあるものの、確実に山田達が箱根に旅行に行っているときだった。
 つまりそれは、山田も里中も居ないときに、自分もルスになることを示す。
 だからこそ、サチ子は断ろうとしていた。
 けれど、ちょうどその電話に居合わせていた祖父が、それをとめたのだ。
 「サチ子、わしに遠慮をして行かないのなら、そんな遠慮は無用だ。」と。
 サチ子はもちろんそれを聞いて、「何を言ってるのよ、誰も遠慮なんてしてないわ。」と笑った。
 けど、太郎のそれと同じことで、他の誰がだまされても、小さい頃から育ててきた祖父の目をごまかせるわけはない。
 可愛い孫娘に、こういうときの時間の贅沢もさせられないなんて。
 そう言って、太郎も巻き込んで説得した結果、サチ子はようやくスキー旅行に頷いた。
 太郎が箱根行きを辞めようかとまで言い出したときには、「一年の最初にいつもすることをしないと、その年のスタートが鈍るぞ」と叱咤した。
 ──だから、サチ子が訳知り顔で里中にそのことを説教しているのを見たとき、祖父は笑うのを堪えるのに必死だった。
────…………同じくらい、優しい孫娘のことが、嬉しいのと、申し訳ないのとが、半々。
 自分たちが説得して、サチ子にスキー旅行に行くように言ったのに、結局彼女はスキー旅行を取りやめることになってしまった。
 それも、まるでスキー旅行には未練がないような彼女の態度に──やっぱり、里中の母親のことだけではなくて、自分のことも、心配でしょうがなかったのだろうなと、苦い色がこみ上げ来るのをとめられなかった。
 これはもう、サチ子に何の遠慮もなく旅行に行かせるには、太郎達の箱根旅行へ、自分たちが丸ごと付いていくしかないのじゃないかと、そう思うくらいだ。──最も今回、それを実現させるには、加代の体力が心配でできないが。
「サチ子……。」
 思わず祖父が、すまんな、と万感の思いを込めて呼びかけると、彼女は受話器を耳に当てたまま、チラリとこちらを見て、シィ、と唇の前に指先を押し当てた。
 その理由が分からず、軽く目を見張った祖父の耳に、呼び出し音のコールが何度か聞こえる。
 と同時、プツ、と携帯電話の受話から聞こえていた音が唐突に途切れ、
『はい、もしもし、サッちゃん?』
 朗らかな声が聞こえた。
 その声が誰のものなのかすぐに気づいた祖父が、驚いたように目を見張る。
──てっきりスキー旅行に行くサークル仲間に電話しているのだとばっかり思っていたのだが。
「あ、加代お母さん?」
 ニッコリと整った顔に笑みを浮かべるサチ子の口から出た言葉に、なぜそこで里中の母親に電話をするのだろうと、祖父は首をかしげる。
 先ほど里中に、「お母さんには内緒にしておいてね」といったばかりだというのに。
 そんな祖父の顔を横目に、サチ子はしゃあしゃあとした顔で、うん、と電話に向かって頷くと、あどけない笑顔で笑いながら、
「里中ちゃんなら、さっきお兄ちゃんと一緒にそっちに行ったよ。うん、多分きっと、いつものように10分はかかると思う〜。」
 いつものように。
 あっさりと口にするサチ子の声に、コロコロと笑う加代の笑い声が聞こえた。
 声だけ漏れ聞くと、彼女が体力が少なく弱っているようには、とても思えなかった。
『そうね〜、智と太郎君が一緒だと、一人の時よりも、遅いものねぇ。』
 それすなわち、サチ子と加代の間で、時間を計っているということに他ならない。
 この二人は時々そうやって、「智と母が一緒に帰った場合」「智が一人で帰ってきた場合」「智と太郎が一緒に来た場合」「サチ子が太郎と一緒に来た場合」に分けて、時間を計測しているのである。
 この場合、「サチ子と加代が一緒に歩いていく場合」というのが、一番遅くなるはずなのに、なぜか「智と太郎が一緒に来る場合」が、一番長い。
「そうなの。だからね、今しか話す機会がないと思うから、今から説明してもいい? ほら、この間、言った件っ!」
 ピシっ、と指先を立てて、嬉しそうに顔をほころばせるサチ子に、何を言っているのか分からず、祖父は無言で両手で湯飲みを包み込む。
『このあいだの件って……。』
「そうっ! 里中ちゃんとおにいちゃんが居ない間に、やっちゃおうって言うあれ!」
『え、でも確かサッちゃん、明日からスキー旅行に行くんじゃなかった?』
──なぜか加代は、山田祖父と太郎しか知らないはずのことを知っていた。
 里中ですら、玄関先にスキー板があることを疑問に思わず帰って行ったのに──ちなみにこれは、サチ子に言わせると『里中ちゃんは、お兄ちゃんしか見てないから、スキー板なんて目に入ってないよ。スキー板に『山田太郎』って書いてあったら、『山田、箱根の帰りにスキーでも行くのか?』って絶対聞いてくると思う。』ということになる。
 加代がスキー旅行のことを知っているということは、確実に「加代さんに内緒で、私が加代さんの面倒を見るわ」作戦は、不発に終わってしまうのではないだろうか?
 祖父は、思い切り良く顔を顰めて、サチ子の顔を眺めた。
──お前は一体、何を考えてるんだ。
 そう目線で尋ねてくる祖父に、ふふふ、とサチ子は意味深に笑った後、受話器を持ち直し、
「スキー旅行は取りやめにしたの。」
 あっさりと、そう告げた。
 その瞬間、電話の向こうで加代が小さく息を呑み、
『──もしかして、智が何か言ったのかしら?』
 どこか不安そうに問いかけてくる。
 サチこの携帯電話の受話音量が大きいおかげで、じっちゃんもその音をしっかりと拾ってしまう。
 ──あぁ、ほら、やっぱり加代さんにばれてるじゃろう。
 そう焦る祖父に気づいてか気づかずか、サチ子はあっけらかんと、
「里中ちゃん? 里中ちゃんはね、さっき携帯電話忘れてったよ。
 待ち受け画面がねー、お兄ちゃんだった。」
 明るい笑い声を立てて、すぐに気を取り直したように、
「スキーはね、いいのよ。今年は暖冬で、雪も積もって無いらしくって、行って見ないと滑れるかどうか分からないって言われてたから、また今度にするわ。
 お金払う以上、行き損はイヤだもん。」
 すらすらと口から出てくるサチ子の、当然のような台詞に、祖父は思わず舌を巻いた。──驚くほど流暢で、サチ子はもしかしたらコレで食べていけるのではないかと思ったほどである。
「で、スキーは来月、東京にある人工スキー場に日帰りに行くことにしたから、それはいいの。
 問題はね、お母さん。
 これで私、暇ができたわけじゃないっ!?」
 正しく言えば、そうではない。
 けれどサチ子は、あえてそういいきって、さらに声を弾ませて受話器を興奮した面持ちで持ち直した。
「本当は2月のキャンプのときにしようかって思ってたけど、この際だから、今のうちにやっちゃおう!」
「…………2月のキャンプ?」
 おうっ! と拳を握り締めるサチ子の声に、祖父が何のことだと目を瞬く。
『えっ、明日からっ!? ってサッちゃん、それはあまりにも急だわ……。
 私、まだ大掃除も終わってないのよ?』
 焦ったように加代がそう呟くのに、呆れたようにサチ子は返す。
「またそんなこと言って。お母さんったら、無理して大掃除なんかして、倒れちゃったら、里中ちゃんが箱根から帰ってきちゃうじゃない。
 お母さんちは、大掃除なんかしなくっても綺麗なんだから、大丈夫よ。」
 きっぱりはっきり言い切って、サチ子はパタパタとなにもない空間を手の平で叩いた後、
「それに、そんなのは、里中ちゃんとおにいちゃんにさせちゃえばいいのよ。
 二人で暮らす新居くらい、自分で掃除させなくっちゃ。」
 ──爆弾発言を、投下した。
 お茶を啜ろうとしたじっちゃんは、あっけらかんと口にするサチ子の台詞に、思わず──ブッ、と、噴出した。
「……し、新居って……さ、ささ、サチ子っ!!?」
 目をひん剥いた祖父に、サチ子はクルクルと指先で携帯ストラップをもてあそびながら、
「さっきね、里中ちゃんにさりげな〜く言ったら、特に不満はなさそうだったし、お母さんは、身一つでこっちに来てくれたらいいんだよ。足りない着替えとかは、お兄ちゃんたちに後から移動させればいいし。」
 ふふふふ、とサチ子は笑みを楽しげに笑う。
 そのサチ子の含み笑いに答えるように、
『……うーん、でもサッちゃん、それはさすがに難しいんじゃないかしら。』
 加代が厳しいわね、と続ける。
──どうやら加代も、サチ子が今やろうと提案していることの内容を、把握しているようである。
 ただ一人、じっちゃんだけは無言で湯のみに視線を落とし続ける。
「え、難しいかなぁ?」
『だってサッちゃん、うちには、ダブルベッドはないわよ?』
 真剣に困ったように呟く加代の台詞に、思わずじっちゃんは掴んだ湯飲みに頭から突っ伏しそうになった。
 そんな加代の天然に、サチ子は負けず劣らず、あっさりと、
「それなら、里中ちゃんのベッドと、加代お母さんのベッドをくっつけて、無理矢理セミトリプルにしちゃえばいいんだよ。お兄ちゃんだったら、ダブルじゃ足りないもん。」
 いつの間にかこの女二人の間で、里中君と太郎の「新居計画」が、着々と進んで言っている……っ!
 そのあまりのことに、じっちゃんは呆然とした。
 けれど、ことの事態はきちんと飲み込めていた。
 つまりサチ子は、「三人で暮らすよ」と先ほど里中に言ったことを、実行しようとしているのである。
 すなわち、「保土ヶ谷のマンション」を、「山田と里中の新居」として使い、この家に「加代」を引越しさせようという計画だ。
「…………サチ子…………そういうことを、おじいちゃんに相談もせずに決めるのはどうかと思うぞ…………。」
 湯のみを両手で握り締めながら、たしなめるようにじっちゃんが穏やかに切り出すが──だがしかし、語尾が微かに震えてしまったのは、動揺から回復できなかったのだからしょうがない。
「え、でもジッちゃんだって前に言ってたじゃない?
 サチ子が嫁に行く前に、里中ちゃんとおにいちゃんが一緒になるなら、まずはおにいちゃんに家を出てもらわないといけないなー、って。」
「…………サチ子……いや、それはな…………。」
 ただの、軽口で。
 そう続けようとした祖父に、にぃっこりとサチ子は微笑みかけると、
「そういうわけだから、お母さん、また明日、お兄ちゃんたちが箱根に向かった後に!」
 一週間もあれば、十分引越しはすむ。
 自宅にある兄の用品をすべて里中家のマンションに運び、加代が自分の当座の荷物を纏めて、こちらへ来ればいいだけのことだ。
 二人が箱根から帰ってきてみたら、新居の出来上がり〜、というわけである。
『そうね……あら、ちょうど今、智たちも来たみたいだわ。
 ふふ──ちょうど10分ね。』
 加代が楽しげに喉を震わせて笑うのに、ほんとね、とサチ子も時計を見て笑って──、
「それじゃ、加代お母さん。これは、明日まで里中ちゃんに内緒だからね。」
『サッちゃんも、太郎君には内緒よ。』
 しぃ、と、お互いの唇に人差し指を当ててから──くすくすと笑って、お互いに別れの言葉を口にして回線を閉じた。
 サチ子は、見下ろした携帯を、パタン、と閉じて、ふぅ、と息をつく。
「よしよし、これで今年のお兄ちゃんと里中ちゃんは絶好調で、日本一を取ってくれるわねっ。」
「…………サチ子……………………。」
 もうなんと言っていいのか分からなくて、じっちゃんは湯飲みを見て、サチ子を見て、天井を見て。
 それから、静かに自宅の寝室になる場所に視線をずらした後、
「──加代さんの布団でも、買ってくるかのぅ……。」
 とりあえず、前向きに呟いてみた。










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サチ子は小姑希望。
ということで、やってみました(笑)。

あの後のお話。
大丈夫よねっ、これくらいだったらっ! だってもうあの後、皆、箱根に行ってるしっ!


色々考えたんですけど。
サチ子、箱根に行くって分かってるのに、スキー旅行を予定するのはおかしい……とか。
だからきっと、このスキー旅行は、サチ子に祖父がサチ子に無理矢理進めたのだろう、と。だからサチ子は、「嬉しいけど、複雑」な心境だったんじゃないかな、と。
そこへ里中の話が入ってきて、結構あっさりと「じゃ、スキーやめちゃお」って思ったのじゃないかな?

でもって、さらに「人生の一大事」って言うのは、結構、サークル旅行とか断る手に使うんだろう(笑)。
まぁ、ある意味一大事〜?

本音を言えば、太郎と智には長屋に住んでほしいものですが、新婚カップルは同じ屋根の下に居ると迷惑ですので(きっぱり)、最初の二年か三年くらい──サチ子が嫁に行くまでは、別居ということで。

ちなみにこの話を書きながら思い出したのは、うちの家族の話……。
山田家として話してみると、下みたいな感じの会話になる。


サチ子「お兄ちゃんが結婚したら、私、一人暮らししなくちゃいけないかなぁ〜? 寝るスペースないもんね。」
じっちゃん「いや、それはいらんじゃろ。隣の畳店の奥に、ちょいとスペースがあるじゃろ。あそこに夫婦の部屋を作ったらええんじゃからな。」
サチ子「ってじっちゃん、さすがにあんなところに夫婦の部屋なんか作っちゃったら、大変だよ……ジッちゃん、夜中にその前で畳作れるの〜?」
太郎「って、サチ子っ、なんてことを言うんだ、お前はっ!」
サチ子「まぁ、冗談はおいておいたとしてもさ。さすがに風呂やご飯のたびにこっちに移動してくるって言うのも、どうかと思うよ。
 っていうかそれくらいなら、いっそ改築許可貰ってさ、山田畳店に二階作ったらいいじゃん、二世帯住宅。」
じっちゃん「おおっ、その手があったなっ。」
太郎「あ、そうか。二階を作ればいいのか。」
サチ子「そうそう、二階に風呂もトイレもキッチンも作ったら、いいだけの話じゃん?」
太郎「そうだな、なるほど。
 それならサチ子と岩鬼も、一階で住めるな。」
サチ子「そうそう……って兄貴ーっ! 誰もハッパと結婚するなんて言ってないだろーっ!」