頼もしげに周囲を見回していた土井垣は、柔らかな笑みを唇に乗せて、明訓高校の後輩たちの姿を見やった。
高校卒業当時から「プロ級」だと言われていた後輩にしかり、プロでもまれた面々にしかり──誰も彼もが、当時よりも数段たくましくなっていた。
それを頼もしげに見やり、土井垣は視線を横へずらし──彼らの中央に立つ山田に目を留め、苦い笑みを口元に馳せた。
「しかし山田──お前は、たくましくなったというか……太ったよなぁ……。」
どっしり、とした雰囲気に思わず、山田はいくつになっても「ドカベン」だなぁ、と思っていた以上に──間近でこうして会うと……、
「確かに、下半身なんか、どっしりしたよなぁ。」
あはは、と笑う微笑の隣から、
「貧乏人のくせに、食いすぎなんじゃい。ぶ、分不相応ちゅうやつやな。」
ポンポン、と岩鬼が山田の頭を叩きながら嘯く。
そんな岩鬼に、
「よく知ってるづらな。珍しいこともあるもんづらぜ。」
「明日は雪が降るかもな……初雪だぜ。」
殿馬と里中が、揃ってわざとらしい仕草で空を仰ぐ。
そんな二人に、アハハ、と軽やかな笑い声をあげる山田に、ドッスン、と岩鬼はさらに彼の頭に重みをかける。
「やァーまだ、おのれのことやぞ。」
「あはは……うん、そうなんだけどな。」
かく言う岩鬼にしても、微笑にしても殿馬や里中にしても、身長だけではなく体重も高校の頃に比べてプロ野球選手らしく増えている。そのほとんどの比重が筋肉だというから、鍛え上げるだけ鍛え上げたと言えよう。
それは、山田にも言えるとは思うのだが──……。
一同の視線の先には、相撲の横綱のようにポッチャリとした山田の丸い下半身が……。
「太ったよな──お前。」
昔言ったことだが、「ホームランに脚は要らない」──それは今でもそう思っている。山田はそう思えるほどの打者である。
さらに捕手としても、この体には思えないほどに軽快な動きをするから、まぁ、別に何か言うことはないとは思うのだが。
しっかりと筋肉がついて、スラリとした肢体と表現は出来るが、細身だとは表現できない高校の同級生たちに囲まれてもなお、山田の丸さ加減は良く目立った。
「やァーまだ、西武じゃ太った体で通用したかもしれんがな、キリッと引き締めてかからんとあかん! ──わかっとるやろうがなっ!」
「うん、そうだな──キャンプが始まる前に、もう少し引き締めておくよ。」
ぐりぐり、とつむじの辺りを肘でマッサージされながら、山田は首をどんどん落としながら岩鬼の台詞にニコニコ笑いながら頷く。
「え、山田、ダイエットするのか?」
驚いたように目を見張る里中に、山田は自分の下半身を見下ろして、
「いや──食事制限くらいで十分だろう。」
「どこがやねん。」
この腹で、そう言うことを言うのか、と、岩鬼がポンポンと山田の腹を叩く。
そんな岩鬼に、山田が苦笑を滲ませた。
「まぁ──ぼちぼち、やってくよ。」
岩鬼の手を軽く払って、山田がそう告げて──ダイエットはほどほどにな、と、土井垣が小さく笑った。
実際、会ったときから太っていた山田が、いまさらスリムにダイエットした姿など──想像も出来なかった。
誰もがただの軽口の延長にすぎないと、分かっていたからこそ、三日坊主になるなよ、と声をかけ……キャンプを楽しみにしてるぜ、と続けた。
そこで話は終わるかと思ったのだが。
明けて翌日。
「やっまっださーんっ!」
ブンブン、と手を振るのは──振り返った先で、山田は驚いたように目を見張った。
そこには、先日まで西武でバッテリーを組んでいた、犬飼家の三男坊、知三郎の姿があった。
「知三郎、どうしたんだ!?」
連絡もなしに山田家に向かって走りよってくる知三郎の姿に、ビックリした様子を隠せないでいる山田に、彼はニコニコと屈託なく笑いながら、
「はい。ちょっと兄貴から話を聞いて、お土産を持ってきたんですよ。」
ほら、と、挙げてみせる右手には、西武デパートの紙袋。
その紙袋の持ち手に、小さな土佐犬のマスコットがつけられているのを見て、山田は小さく笑みを見せた。
「土産だなんて、そんな気を使うことなんて無かったのに。」
「いえいえ。サッちゃんはぜんぜんこういうのには縁がないでしょ? だから、絶対必要だと思ったんですよ。」
はい、と手渡された紙袋に、山田は首をかしげる。
「サチ子? ──何の話だ?」
言いながら、山田は背後の自宅のドアを振り返り、
「まぁ、あがっていけよ、知三郎。」
そう誘いかけるのだが、
「いえ、ぼくはコレで。ちょうど今から実家に帰る前なので、新幹線の時間が……。」
言いながら、めがねの奥でにっこり笑う知三郎に、そうか? と山田は首をかしげる。
それと同時、
「山田〜、誰か来たのか?」
ひょっこり、と山田家の玄関から顔を覗かせるのは、里中であった。
「──って、あれ、知三郎。」
きょとん、と目を見張らせた里中に、知三郎はかすかに顔をこわばらせた後──はぁ、とため息をこぼした。
「多分そうだろうと思いました……。」
「なんだ、山田にお別れでもしに来たのか? 時間あるならあがってけよ。岩鬼たちも居るから騒々しいけどさ。」
足先で山田の祖父の下駄を引っ掛けながら、ガラガラと音を立てて扉を横に引いて出てくる里中に、知三郎は小さく笑って首を振った。
「いえ、新幹線の時間がありますから。
それに、今日は山田さんに餞別のお土産を置きにきただけなんですよ。」
言いながら山田に手渡した紙袋を示して、さて、と知三郎はもと来た道を戻ろうと、足先を返しながら、
「あ、そうそう。言っておきますけど、来シーズンは、簡単に日本一は目指せませんからね。」
「それはこっちの台詞だぜ。」
山田の隣に立って、紙袋の中身を見下ろしていた里中が、知三郎の台詞に顔をあげ、ニ、と笑う。
お互いによく似たタイプの二人は、一瞬視線を交し合った後──先に視線を逸らした知三郎が、ヒョイ、と肩をすくめるようにして、紙袋の中身を示す。
「ソレ、里中さんが居るなら、僕的には三冊目の特集がお勧めですよ。」
「三冊目って……本か、これ?」
目を丸くして尋ねる里中には答えず、知三郎は体を前に向けて、肩越しに顔だけ振り返りながら、
「じゃ、兄貴たちが待ってるので。」
山田に軽く会釈をして、歩き出した。
そんな知三郎を軽く手を振って見送った後、山田は里中と共に家の中に入った。
玄関の扉を閉めると同時、中から岩鬼がニュゥ、と顔を覗かせて、
「誰か来とったんかい?」
「ああ、知三郎がね、餞別とか言って……。」
コレ、と山田が掲げると、待ってましたとばかりに岩鬼とサチ子が山田の手から紙袋を受け取る。
西武デパートの模様を確認して、サチ子はそれをいそいそとテーブルの上に置く。
「わー、どうせなら家に入ってくれれば良かったのに。」
なんだろう、とウキウキ顔でサチ子が紙袋の中を覗き込む。
「あ、アホ抜かせ。こないせまっ苦しい家に、これ以上人が入るかいな。」
そのせまっくるしい部屋でくつろぎまくっている岩鬼の台詞に、サチ子は紙袋の中に顔をしかめながら、
「チサちゃんが寄っていってくれるなら、岩鬼を追い出すだけだだけさ。」
そう岩鬼に返事をして、期待していたものが入っていなかった中身を、ズルズルと引きずり出した。
ドサリ、とテーブルの上に出されたのは、普通に本屋で平積みになっているような類の、女性雑誌だった。
「え、これが餞別?」
覗き込んだときから、雑誌らしいとは分かっていたけれども。
そう顔をしかめるサチ子がテーブルの上に広げた雑誌の一番上にある一冊を、岩鬼が手に取り、ぺらぺらとめくり始める。
続けて二冊目を微笑が何気に手に取り、どれどれ? と表紙を見た。
特に何か変わったような話題が書いてあるわけではない──と思えたのだが。
「山田──これ、おめえのよ、ダイエット大作戦ちゅうヤツづらぜ。」
もてあましたように雑誌の山を見下ろしていたサチ子の隣から、殿馬がトントン、と雑誌の一つ──表紙に大きく「楽して痩せる! ダイエット特集!」と書かれている文字を示した。
瞬間、
「──……えっ!? 兄貴、ダイエットするのっ!?」
驚いたようにサチ子が眼を見張った。
その彼女の態度から察するに、山田が「食事制限」をしているわけではないのは、丸分かりであった。
「いや──少し体重を落とそうかと思ったんだけどな。」
山田も里中も、雑誌が並べられたテーブルの周りに、座り、それぞれ一冊ずつ手に取った。
確かに殿馬の言うとおり、どの本の見出しも「おなか回りのダイエット」だとか、「ダイエットの秘訣! サプリメントを徹底解剖!」だとか言う文字が躍っている。
「そういや、ちょっと前に山田がダイエットするだとかどうとか、土井垣さんと話してたな。」
アレか、と呟きながら、へー、と微笑がやる気なさそうに雑誌をめくる。
それを見ながら──、
「……──で、なんでソレがチサにつたわっとんねん?」
女子供の読むような雑誌は興味がないと、ぽい、とサチ子に向かって雑誌をほうりつつ──それでも、チョロリと気になる眼差しをソコへ向けながら、岩鬼が疑問をぶつけた。
「そういやそうだな──俺が居るなら三冊目がお勧めとか言ってたけど……三冊目ってどれだよ?」
里中も首をかしげながら、自分が手にした雑誌と、他の雑誌を見比べる。
しかし、そのどれも同じように見えるので、とりあえず自分が持っている「巷で噂の『お勧めダイエット』」を見てみることにした。
「知三郎は、小次郎さんから聞いたって言っていたけど……。」
「あ、じゃぁ、岩鬼からばれたんじゃないの?」
打てば響くように答えて、サチ子が疑いの眼差しを岩鬼に向けたが──、
「アホ言うな、小次郎はんとは、たとえ昔は同じチームでも、今は敵やからな……連絡なんて取ってるわけがないやろ……。」
岩鬼は、両腕を組んでどっしりとそう言い切る。
そんな彼の言葉に、驚いたように里中は顔をあげると、
「え、俺は普通に中西とも連絡を取ってるぞ? 今度の引越しには、手伝いが欲しいしなー。」
雑誌をペラペラと指先でめくりながら、首をかしげた。
そんな彼に、それは単に引越し人員が欲しいというだけじゃ……と、一同は心の中で思ったが、あえて口にすることはなかった。
最近のお引越しは、全部お任せで楽なはずなのだが──、一体里中は、中西に引越しの時に何をやらせようとしているのだろう……聞いてしまったら、自分たちも巻き込まれるのが確定なので、とりあえず聞かなかったことにしておいた。
「じゃ、誰から話が……って、この面子以外だったら、土井垣さんだよな……。」
「なんだかんだ言って、土井垣さんと犬飼さんって、一緒に飲みに行ったりしてるみたいだし、ソレだな。」
話を元に戻そうとした微笑は、すぐに答えにぶつかって、苦い笑みを刻み込む。
山田もソレに頷いて、それで知三郎は、「サチ子はこういうのが縁がないと思って」と、わざわざ餞別に持ってきてくれた……ということだろう。
確かに、サチ子が「ダイエット」に精を出しているのは見たことがない。サチ子はどうやら、母と祖父の太らない体質を十二分に受け継いでいるようである。
その、自分で買ったことのない類の雑誌に、サチ子も興味を示してペラペラとめくり始める。
「へー、ダイエットって、絶食するかサプリメントで痩せるかしかないと思ってた。」
「運動するって言うのもありだとは思うけど──山田は高校の時よりも運動量は増えてるんだろう? なら、食事制限でいいんじゃないか?」
サチ子の感心した呟きに、それなりにまじめに雑誌を見ていた微笑が呟く。
そんな彼に、そうだな、と頷いた山田には、
「けどよぉ、高校時代よりも運動量が増えてるづらに、なんで太るづらぜ?」
殿馬が不思議そうに問いかける。
その台詞に、そりゃ食べる量が増えたんだろうと、満場の一致の答えが返った。
「って、いや──本当にダイエットをするのか、おれは……。」
このままだと、本当に食事制限が効きそうだな、と──山田が苦い笑みを刻んだ瞬間、
「え、するんでしょ? せっかくチサちゃんがこんなに差し入れてくれたのに。」
サチ子が、面白そうにダイエットレシピをチェックしていた。
と、そのときであった。
真面目に雑誌を見ていた里中が、不意に、
「──あっ。」
声を上げたのは。
と同時、
「山田、知三郎が言っていたのって……もしかして、コレじゃないか?」
自分が手にした雑誌が「ソレ」なんじゃないかと、そのページを開いたまま、山田に見せる。
「え、知三郎って……お勧めとか言っていたやつか?」
「そう。」
見せた見開きページの題材は、「巷ではやりの『ワタシのダイエット』」。効果があるかどうかは疑問がたくさん残る、ウソくささ満点の噂話である。
「どこだ?」
「ココ。」
覗きこむ山田に、里中は人差し指で雑誌の一点を指し示す。
その指先を見て──山田は動きを止めた。
「そう言われてみると、お前が太り始めた時期と、重なるよなー?」
明るくあっけらかんと口にする里中が頬杖をついて呟くのに対し、山田は雑誌の一点を見たまま、凝固しつづけた。
「お兄ちゃん?」
「山田?」
不思議そうに声をかけるサチ子の声も、微笑たちの声も耳に入らず、山田は顔を俯けて、いや、あのな、と小さく口の中で声をかけるが、里中はそれを聞かずに、
「来月には保土ヶ谷に引っ越してくるし、おれも。
それからかなー、な、山田?」
「……──いや、だからな……里中……っ。」
俯いた山田の顔と言い、額といい、耳といい、首といい……むき出しになっている部分という部分が真っ赤に染まっていくのを見ながら、微笑が疑問に思い、ヒョイ、と首を伸ばして山田の前に置かれた雑誌を覗き見る。
見開きのページに、ドン、と大きな見出しで、「ワタシのダイエット」。その中の、一押し注目と書かれたあたりを、先ほど里中が指差していたはずだが……。
「チサちゃんの一押しって何なに?」
「二人でやるダイエットっちゅうたら、脂肪吸引ちゃうけ。
サチ子、お前、やァーまだの脂肪を、胸に注入してもらたらどや?」
「ふざけるなっ、ハッパ!」
パシンッ、と軽い音を立てて、岩鬼のやに下がった後ろ頭にスリッパを叩きつけ、まったくもう、とサチ子がテーブルに身を乗り出し、自分も微笑と同じように雑誌を覗き込もうとした瞬間。
バフッ!
微笑が伸ばした手によって、勢い良く雑誌は閉じられた。
「……って、三太郎ちゃん?」
「────……いや、なんでもない。たいしたことないよ、うん。」
あわてて弁解する微笑の頬も、心なし赤く染まっていた。
「なんでもないって……何が書いてあったの? 気になるよ〜!」
山田の前に置かれたままの雑誌を手に取ろうと手を伸ばしたサチ子の手先から、ばっ、と素早く雑誌を取り上げたのは、思いっきり雑誌の前で凝固していた山田であった。
その顔には、まだ冷めない赤い頬がそのまま残っていた。
サチ子は、そんな兄をいぶかしげに見て──、
「なんでおにいちゃん、顔が赤いの?」
「えっ、いや、あの……っ。」
「いまさら、自分がデブなことを恥ずかしゅう思うたんやろ。」
あわてる山田には、岩鬼が飽きたようにそう答えて、
「サチ子、そりゃそうと、もう茶がないやろ。おかわり入れやんかい。」
ほれ、と湯のみをサチ子の前に置いた。
その空っぽの湯飲みを見下ろして、サチ子は鼻の頭に軽くしわを寄せた。
「もーっ! 自分でそれくらい動きなよねーっ!」
そう言いながら彼女は、自分の分の湯のみと一緒に持ち上げて立ち上がりながら、
「里中ちゃんたちは要らない?」
他の面々に確認して、ブツブツとこぼしながら──まぁ雑誌は、みんなが帰ってからでもゆっくり見よう、と心に決めつつ、台所へと姿を消した。
それを確認して、山田は、ふぅ、と手にした雑誌を机の上に戻した。
その雑誌の表紙にも、良く見ればアリアリと書かれていた──やはり知三郎が言っていたのは、このことか、と思えば、眉がへの字に下がってしまった。
「山田、二人でがんばろうなっ!」
その山田の手を、しっかりと握り締めてやる気満々で宣言する里中には、とりあえず、
「智……頼むから、時と場所を考えて発言してくれ……。」
微笑は、懐かしいムードに帰ってきたぜ、と──投げやりに呟いてみた。
そして、山田が目の前に置いた雑誌を、何気にヒョイと覗き込んだ岩鬼は、デカデカと表紙に派手に書かれた一言に目を留め──、
「なんや? か、彼氏と一緒に、えくすたしぃでダイエット?」
眉を寄せて、読み上げてみた。
それでもイミが理解できないらしい岩鬼はさておき。
「──そんなことだろうと思ったづらぜ。」
テーブルに顎を置いて、疲れたように殿馬が呟いた。
「……っていうか、なんだ? …………知三郎も公認だったのか?
──いつのまに…………。」
微笑が、とりあえずサチ子の目に触れないように、その雑誌は自分が持って帰ろうと──こっそりと誓ったことは、あえてココに明記しておこう。
+++ BACK +++
オチが分かった人にはごめんなさい……。
あえてオチは文章にしなかったのですが──この時点で何がオチなのか分かっている方っていらっしゃるのでしょうか?
オチを文章にする勇気がなかったんですよ……本当は土井垣さんが出てきて、「アホかーっ!」と里中に突っ込んでくれるはずだったんですけどね☆
自分がダイエットするために読んだダイエットネタです。
でも、一部ではケッコウ有名ですよね、このダイエット方法。お肌も綺麗になるし、とか良く聞きます。
痩せるというか、やつれて太陽が黄色く見えるの間違いじゃ……というか、リバウンドしそうですよね、この痩せ方……。
ということで、セックスダイエットがオチでした……。ごめんなさい…………。もうしません………………。