そのマイクロバスは、軽快な調子で道路を走っていた。
──けれど、そのバスの中に乗る人々は、一部を除き、ひどく憂鬱気な色を乗せていた。
奇妙な沈黙が支配する中、交わされる会話は一部の者のみ。
本来なら、昨日がオフであるが故に、オフの日に何をしたかという報告を、仲がいいもの同士で和気藹々としていてもおかしくはない状況である。
にも関わらず、マイクロバスの中は、奇妙な静けさと、一部の者による会話だけに支配されていた。
バスの一番前の席で、ボソボソと昨日の新聞を見て話している者。
小声で昨日のニュースについて語り合う者。
──そして、昨日のオフのことを和気藹々と話す、微笑と山岡の声。
「で、その後、なんと確変10回連続! 更にノーマルが来たんすけど、そこで引き戻しで確変でしょー、イヤー、俺、やっぱりあの店とは相性いいっすよ、ほんとに。」
嬉々として、「パチンコ報告」を隣の席の山岡にしている微笑の声は、バスの中に一段を明るく響く。
「そりゃ良かったな、三太郎。俺は、あの店とは相性悪いからなぁ……お前と行っても、勝つのはお前ばっかりだよな。そのツキ、俺にもよこせ。」
軽口をたたく山岡に、微笑も笑いながら彼の脇を肘でつつく。
「何、言ってるんすか。いっつも玉を流してやってるじゃないですか。」
「ケチケチするなって。俺が勝ったら、その分キッチリ返すからさ。」
笑う微笑に、山岡も笑って返す。
この異様な雰囲気の中で、当たり前のように楽しく会話をしている2人に、周囲の面々は、なんとも言えない視線を向ける。
彼らが高らかに話してくれているおかげで、このバスの中を憂鬱にしている声が、おぼろげにしか聞こえなくて済んでいるわけなのだが。
視線を他へずらすと、同じようにうんざりした顔の面々が、諦めたように目を閉じていたり、バスに酔うと言っていたクセに、なぜか真剣に雑誌を見ていたり、MDウォークマンをガンガンに掛けて窓の外を見ていたり。
それが当たり前の行動だと、思えた。
思えたが──当たり前じゃないのは、微笑と山岡だけではない。
「彼ら2人」のスグ前の座席に座っている殿馬は、話が丸聞こえであろうに、まるで気にせず、サラサラと作曲している。
あの会話を聞きながら、一体どういう曲が出来るのか、ぜひとも聞いてみたいものである。
さらに殿馬のナナメ後ろの席──すなわち「二人」の真隣では、悠々と岩鬼が通路に足を放り出して、腕を組んで爆睡中だ。
ぐぅぐぅ、と寝息がかろうじて聞こえるが、それもバスのエンジン音にかき消されてしまっている──熟睡してるのは、丸分かりである。
「先生席」と学生時代から呼ばれている席に座る土井垣とマネージャーの北は、一番酔いやすい席に居るにも関わらず、手元の資料か何かを見ている最中のようである。
そんな彼らを順番に見た後──、思わず零れた台詞が一つ。
「さっすが……慣れてるやつらは、違うなぁ…………。」
国定の、心からのげんなり度を示す、呟きであった。
それを受けて、先程から耳をふさぎたくてしょうがなかったらしい木下が、憂鬱そうな表情で隣の席の彼を見上げる。
「慣れてるヤツって……明訓OBのことだよな?」
ひどく今更な確認だった。
事実、このバスの中でいつもと変わりなく振舞っているのは、明訓OBくらいのものである。他のメンツに至っては、げんなりした顔を張り付かせるばかりだ。
思わず木下は、通路を挟んだ隣の席で、朝のニュースの話へと、話の種を移行させた微笑と山岡を見やった。
2人はスグに木下の視線に気づくと、ん? と首を傾げる。
「なんだ、どうかしたのか、木下?」
人のよさそうな笑顔を浮かべる山岡に、思わず、
「どうかしたもないっすよ。」
間髪いれずにそう答えた。
そんな彼らに、不思議そうな顔をする2人へ、木下は無言で視線を斜め前へと向けた。
山岡と微笑が座るシートの前に座るくだんの2人は、一応周りに気を使ってか、小さな声でボソボソと会話をしてはいる。
漏れ聞こえてくる話の内容は、ごく普通の昨日のテレビのことであったり、朝の珍事であったりと、本当に普通の内容だ。
微笑と山岡が、先ほどから笑いながら話している内容と、遜色ないほどくだらないことばかりだ。
──なのだが、なぜか聞き手にはそう聞こえない。
「……山田と里中が、どうかしたのか?」
何のことだか分からない、と言いたげに首を傾げる山岡に、慣れてるヤツは違うよな、と、国定が顔を顰める。
山田にしても里中にしても、単体で居る分には、何も害はない。──いや、別に2人で一緒に居るから害があるわけではないのだが、こうして「ボックス席」のような空間で2人で座ると、分かる人にはわかる。
空気が違うのだ、とにかく。
同じような会話をしていても、あの二人が二人で居る時に話していると、まったく違う会話に聞こえてくるくらい、空気が違う。
「すっごく、なんか、違うなぁ〜……とか思いません?」
「なんていうか、垂れ流し。」
国定と木下が、ボソボソ、と2人に聞こえないように小さく呟く。
すっかり二人の世界に入っていると言っても過言ではない二人には、まったく自分たちの声は聞こえていないと分かっている──分かってはいるが、大きな声で言うに言えず、目線で斜め前を示す。
それを見た瞬間、あぁ、と微笑が納得したように頷いた。
「話してる会話は普通なんだが、あの2人が2人っきりで話すと、何か違うんだろ? 前から、前から。」
経験者は語る──あっさり、とそこで話を終わらせようとする微笑に、いや、だから話はソコじゃなくって、と国定と木下がガックリと肩を落とす。
山岡は、そんな彼らに苦笑をこぼしながら、コリコリ、と米神を掻く。
「あー……いや、分かる気がするけどな。
俺も、10年ぶりに間近で見て、ビックリしたしな──昔よりもグレードアップしてないか?」
10年。
そう口にした瞬間、卒業から10年かと、シミジミと感じ入る。
思わず懐古に入りかけた山岡を横に、そうかなぁ、と微笑は首を傾げた。
「高校時代からあんなもんでしょ?」
「ほら、あの頃はまだ、いつも隣同士の席とかじゃなかっただろ? 里中も、山田も。」
けど、スーパースターズに移籍してからというもの、基本的に隣同士がワンセットだ。
食堂などならとにかく、こういう移動時のバスのボックス席で二人が横になると、今のようにバス中の選手たちが当てられてしょうがないほどだ──本人たちは自覚の欠片もないだろうが。
山岡がそう笑いながら告げると、微笑が、あぁ、と一つ頷いた。
「それはアレですよ。当時の1年生に害があるといけないからって、岩鬼が、いっつも2人が並んでバスに入らないように、調整してたんすよ。」
当たり前のように語られた台詞に──、
「…………──────ハ?」
素っ頓狂な声をあげたのは、木下や国定だけではなく、キャプテンであった山岡もであった。
彼は、目を軽く剥いて、マジマジと微笑を凝視する。
「調整って……岩鬼が?」
初耳だと、そう呆然と呟く山岡に、だから、と微笑は簡単な種明かしをしてやる。
つまり、高校時代にあれだけ仲の良かった二人が、どうしてバスや新幹線でしょっちゅう一緒に座っていなかったか、という、ばかばかしい疑問への答えを。
「そういうとこは気が利くんすよね、岩鬼って。」
そう前置きしてから、微笑は当時を懐かしむように目を細めて、にっこりと笑って続ける。
「山田も里中も、一緒に並んでバスに入るから、自動的に席が隣同士になるでしょ? で、別々に──間に数人入れば、イヤでも席は離れるじゃないっすか。山田も里中も、そこまでして一緒に座ろうとすることはないし。」
「…………も、盲点だった………………。」
愕然と呟き、山岡が口元に手を当てる。
言われてみれば、基本的にナイン全員が仲のいい明訓高校は、バスに入った順番で次々に奥から座っていくよう指示が出されていた。
だから、バスに入ったときの前後の人間と隣同士になる。
もちろん、誰が隣になっても構いはしないのだから、誰もそれに文句はなかった。
今だって、山岡は微笑と話しながらバスに入り込んできたから、自然と隣同士になった。
国定と木下にしてもそうである。
普段一緒に話しながら行動しているからこそ、隣同士の席になりやすい──考えてみれば至極当たり前の原理であった。
つまり、山田と里中にも同じことが言えるのだ。
そしてソレをいち早く察した岩鬼が、彼らを別々にするように配慮していた、と……そういうことか。
まったくもって、どうでもいいようなことには悪知恵の働く男である。
「そっか……ということは、こうならないためには、俺達が、山田なり里中なりに話しかけて、2人を離しちゃえばいいってことか。」
なるほど、と納得した木下に、そうそう、と気楽に相槌を打つ微笑。
今度──たぶん今日の帰りのバス──試してみるかと、木下と国定が顔を見合わせてそう結論付けた瞬間、微笑の後ろの席から、ひょい、と緒方が顔を覗かせた。
「微笑、そういう方法があるなら、どうして今日までずっと、2人で一緒に座らせてるんだい?」
椅子の背もたれに腕を乗せて、微笑の長身を覗き込むようにしてたずねる緒方の疑問は、至極当たり前のソレであった。
何せ、バスの中という、逃げられない密室の中で、「普通に話していても何か違う」ような2人と一緒の空間に居るのが、そろそろ耐え切れなくなってきている面子だって居るのだ。そういう面々は、あえて視線を窓に飛ばしたり、ウォークマンをつけて抵抗していたりする。
たとえて言うなら、新婚ホヤホヤのカップルと、同じバスに乗り合わせてしまったときの、あの言い知れないムズ痒さというか……さらに言えば、その新婚カップルが、自分の知人であるという時の、この言い知れない──以下略。
「いちゃつくなっ。」といいたくても、別に2人はいちゃついているわけではない。単に、隣同士に座って、普通に会話をしているだけである──ただ、周囲が感じる空気が、ムズ痒さを伴う、たとえられないものであるだけで。
首をかしげる緒方の隣から、
「そりゃ、おれも聞きたいな。」
足利も顔を覗かせる。
同時に、微笑たちの会話を聞いていたらしい賀間とフォアマンが国定と木下の後ろの席から顔を覗かせて、そうだな、と口々に言い合う。
何せ、スーパースターズが結成されて今まで、バスに乗るたびにこの苦痛と戦ってきたのだ。
話している内容は普通だから、ついウッカリ口を挟もうものなら、後は新婚ラッシュとでも言うか、お互いに話すときだけ声色が違うのではないかと思うほどの雰囲気に挟まれしまうというか──、サンドイッチ状態の自分の立場が、非常に辛いと思ったことも、一度や二度じゃない。
周囲からいっきに突っ込まれ、微笑はなぜかわざとらしいほどわざとらしく視線を泳がせ……
「………………や、だって……ね、鉄二さん?」
泳がせら視線を最終的に山岡に当てて、首をかしげる──かわいらしさの欠片もない仕草である。
突然話を振られた山岡は、はじめは何のことか分からないと、きょとん、と目を瞬いたが、すぐに彼が何を言いたいのか悟り、苦笑を刻み手のひらで額を撫で付けた。
「え、あー……なぁ?」
そして、主語も動詞も何もなく、山岡は引きつった笑みを浮かべて、無意味に微笑を見返して首をかしげ返した。
──やっぱりかわいくない山岡の仕草に、国定が肘掛から通路へ身を乗り出す。
「なんなんです、一体?」
興味津々な表情で、木下も国定の方へと身を乗り出し、緒方と足利も背もたれから身を乗り出す。
賀間とフォアマンも同じように、顎を軽く上げて、微笑と山岡を見下ろす。
そんな6人の視線を受けて、微笑はうーん、と苦い笑みを広げた直後、
「──────……………………山田と一緒に居ると、……ほら、智の機嫌がいいから………………。」
もごもご、と、早口に零した。
早口であった上に、小声であったのは、我ながら、「明訓高校の面子は里中に甘い」という事実を、かみ締めているからであった。
そして案の定、答えを待っていた面々から返ってきた反応は、
「………………──────ハ?」
いぶかしげで不満そうで──なおかつ、理解不能だという表情であった。
あきれを含んだ視線にさらされて、うう、と微笑は小さくうめく。
「いや、でもな、本当に山田と一緒に居るときの里中と、いないときの里中は、ぜんぜん違うから。」
あわててフォローに入る山岡であったが、それもフォローになっているかどうか分かりはしない。
結果として、
「あー……つまり、微笑たちは、『新婚バカップル状態に当てられる』ことよりも、それに目を瞑って『里中が幸せそうにしているのを見ている』ことを選んだということか?」
賀間から冷静に、そう解釈されることとなった。
その言葉に、反対したくて手をあげかけた微笑であったが──、賀間の台詞を頭で反芻してみて、しおしおと手を下げた。
「──反論できないっすね、鉄二さん。」
「反論してくれ……三太郎…………。」
言いながらも、山岡も自分で分かっていた。
やろうと思えば、二人を引き離すことくらい、自分も出来たはずだ。
しかし、やらなかった──その理由を突き詰めていけば、結局、微笑と同じところに終結するのは分かりきっていた。
最初のうちは、「里中も山田と一緒に居られるようになったばかりだしな。」で、にこやかに見守っていた。
──そのまま、「里中はいつも山田と一緒に居ると、楽しそうだなぁ。」と見守り続けていたのは……、確かに、自分たちは里中に甘いという証拠に他ならない。
「──とにかく、ココまで追い詰められた以上、今日の帰りから作戦実行だな。」
肘掛に額を押し付けるようにして、国定が力なく笑って片手を挙げて宣言した。
それに、やはり力なく片手を挙げて同意する者が数名。
「了解。」
そう、お互いにつぶやきあった。
元明訓ナインは、あてにならない。
その言葉を、心に刻み込みながら──。
+++ BACK +++
イミもなければ落ちもない。
たんに思い浮かんだから書いてみたかっただけです。
たぶん、普通の会話をしてるんですよ、山田と里中は。
↓↓↓
「そういうわけでさ、今日、お前んち行くから。」
「そっか、じっちゃんも喜ぶよ。」
「でも、山田んちのジッちゃん、いつまでも元気だよなぁ。
うちの母さんのほうが、病院と仲がいいくらいだ。」
「里中のお母さんは、無茶するからな……親子ソックリだ。」
「──ゥ……そりゃ、高校のときは無茶もしたけど、今はそうでもないぞ?」
「そうか?」
「そうだよ。」
でも、なんか垂れ流しなんです、2人とも(笑)。
嬉しくてしょうがないっていうか、お互いしか見えてないって言うか。
その、拒絶ムード以前の隔離ムードに、誰も入っていけない、っていうか、見たくないし聞きたくない。
恋人同士って、普通に会話しているだけでも、なんか「2人だけの世界」になりますよね。あんな感じです。見ている方は、疎外感を感じるどころか、「入っていきたくねぇ、この世界に……っ!」と思うわけですよ。
とか考えてみました。
ハイハイ、ただの妄想ですよ(笑)。
さらに続くなら、下でどうぞ。
そんな、周囲からの突っ込みを微笑が受けている頃、コチラはまったく周囲とは別世界で、ごくごく普通の日常会話を繰り広げていた。
「──で、サチ子がそう言っていてな。」
「へー、サッちゃんも、学校で大変なんだな。ただでさえでも美人なんだから、アニキとしては心配じゃないか?」
首をかしげる里中に、山田は顔をゆがめる。
「いや、そーでもないぞ? あれを女だと思ってくれてる男のほうが少ないと思うんだが……。」
「それは兄の眼から見てだろ。サッちゃんだって、あと2年もすれば、結婚したいって言う男がたくさん出てくるって。」
なぜ二年なのか──それを里中に聞いても、答えは、「さぁ?」と返ってくるに違いない。
「顔が良くても、性格がな……。」
自分の妹が自他ともに認める美人なのは、山田にしても嬉しいことだ。
嬉しいことなのだが──、あの、男勝りな性格は、結局年頃になっても、恋をしても変わることはなかった。
口が悪いのに拍車がかかったのは、岩鬼と会ってからだろうと殿馬は言うが、昔から似たようなものだったような気もする──いったい誰の口調を聞いて、あのように話すようになったのか。
口の悪さと気の強さで、「美人でかわいいさっちゃん」が3割りくらいは差し引かれていると、山田は思っている。
「そっか? 三太郎なんて、サッちゃんが嫁になるなら最高だとか言ってたぞ──高校の時から。」
「──……ぇっ、こ、高校のときって、サチ子はまだ小学……。」
ひそかに狼狽する山田兄に、うんうん、と里中は頷く。
「おれもそのときまで、三太郎がロリコンだなんて知らなかったんだけどさ。」
しみじみと呟く里中に、すかさず背後から、
「ってちょっと待て、智っ! そこで話を勝手に完結させないでくれよ、頼むからっ!」
ニョッキリと顔を出した微笑が叫ぶ。
頭上から突然降ってわいてきた微笑の声に、里中は驚いたように顔をあげる。
「えっ、だってこの間も、中学生の女の子見て、『可愛いなぁ〜』とか言っていたから、てっきり本物かと思ってたんだけど、違うのかっ!?」
「違う!」
すかさず微笑は里中の台詞に即答するが、座席から見下ろした先で里中は、あっさりと顔を山田へと戻し、
「で、この間、不知火に会った時にさ、サっちゃんは誰が見ても美人だよな、確かに。とか言ってたから、不知火にも注意しておいたほうがいいぞ。」
話を元に戻した。
「あはは、分かったよ。」
明るく笑う山田に、
「ってこらこら、智。無視するなって。」
微笑が、コンコン、と里中の頭を軽くつつく。
それに小さく笑い声を零して、里中と山田が微笑を見上げながら、二言三言言葉を交わす。
そんな、あっさりと二人の世界に入っていった微笑に、
「……充分入ってけてるよなぁ、微笑……。」
うらやましいと、素直に言っていいのかどうか、微妙な展開に、ぼっそり、と──力なく、木下たちは、呟くのであった。