「北さん、北さーんっ!」
駆け足で近づいてきた里中を見た瞬間、北はイヤな予感を感じた。
思わずそのままクルリときびすを返して立ち去りたい気持ちが満々だったが、今回の対西武ライオンズ戦──土井垣監督から、くれぐれも里中から注意をそらすなと言い聞かせられている。
そのため、里中を見たら、厳重体制で彼の様子を見ていろ、とも命じられていた。
──そんなことを言うくらいなら、西武戦の先発投手を、ローテーション抜きで里中にするとか、ノックを里中にさせるとか、そういう、いろいろ彼をグラウンドにとどめておくような手を使えばいいものを……。
「なんだい、里中?」
結局、他の誰でもなく、貧乏くじを引いたのは自分のようだ。
そう思いながら振り返った北に、うん、と里中はうなずいて、にっこり、と笑った。
「北さん、実は俺──今からちょっと、西武の方に偵察に行こうと思ってるんです。」
いくつになっても、笑った顔に花が散る30手前の男というのもどうだろうと思いながら、北は里中の告げた内容に、少し意識が遠くなりかけた。
──けれど、それを必死の思いで押し殺して、北は苦い笑みを貼り付ける。
「…………………………────────えーっと…………いや、里中、それは……おれの仕事だから。」
──というか、エースピッチャー自ら、いったい何を偵察しにいくんだっ!
と叫べばきっと、ココがどこなのか自覚もせずに──堂々と、「山田の役に立とうと思って!」と答えそうな気がした。
なので、北はあからさまに視線をそらしつつ、そう里中に言うのだけど、
「そう、だから、北さんに教えてもらおうと思って、探してたんだ。」
「……何を?」
いぶかしげに里中を見上げると、彼はニィッコリ、と笑んだ。
この笑顔を敵に回すのは危険だ。
小動物が危険に対し、ひどく敏感であるように、元明訓ナインもまた、里中と山田に関する危険については、ひどく敏感であった。──たとえ10年経っていようとも、短い間で回復してしまうほど、敏感である。
ジリ、と、無意識のうちに背後に後じ去った北を追い詰めるように、里中は彼の肩をギュ、と握り締めると、
「俺だってばれずに、うまく西武にもぐりこむ方法、知らないかな、って思ってるんです。」
輝く目が、彼が何をたくらんでいるのか、訴えているような気がした。
というよりも。
「──────………………ナイと思うけど……。」
コレだけ目立つ人間が、いったいどうやって、「ばれずにもぐりこむ」つもりなのか、北が聞きたいくらいだった。
そもそも昔から、そこに立っているだけで悪目立ちするのが、明訓の岩鬼と殿馬と里中なのだ。山田と微笑なら、まだうまく周囲に溶け込む術があっただろうが、岩鬼と里中だけは、絶対に無理。敵の諜報係りに不似合いな面子は誰かと聞かれたら、この二人をまず筆頭に上げたくらい、何をしていても、どんな格好をしていても、目立つのだ。
高校時代に、誰が敵チームの視察にいくかという話し合いをしていたときに、真っ先にその候補からはずされたのが、岩鬼と里中──だと言うくらいなのだ。岩鬼はさまざまな理由からはずされたとはいえ、里中にはせめてもう少し自覚をしてほしいものである。
「ほら、北さん、地味に目立たずに記者とかに紛れ込むの得意じゃないですか。その十八番、俺にも教えてくださいっ!」
拳を握り締めて力説してくれるのはいいのだが、北も別に「得意」なわけではない。
ただ、里中が目立ちすぎるだけだ。
「十八番って言われても……里中には教えるのは無理だよ。
それこそ、里中だと分からないように色々変装させるしかないと思う。」
そう続けた北に、里中は軽く首をかしげた後──、
「変装か……。」
少し物騒な色が篭った呟きをこぼす。
──刹那、北は、自分がまずい一言を里中に提案してしまったような恐怖を覚えた。
そして慌てて、
「と、とは言ってもっ! 変装する道具なんてないし、そんな、わざわざ記者に化けて偵察になんか行かなくっても、ほら、堂々と西武の練習なら見れるじゃないか、里中っ!」
そう無理やり浮かべた、引きつった笑顔で里中に提案するのだが、里中はそんなことを聞いてやしなかった。
口元に拳を当てて、
「とりあえず、西武の帽子を売店で買って……サングラスも売ってるよな? ……ファンの男か何かに…………。いや、いっそ、記者を身包み剥ぐほうが簡単か。」
「いやっ、頼むから、ちょっと待ってくれ、里中……。」
最後のは、犯罪だと思うから。
泣きそうな気分でポン、と里中の肩をたたいて引き止めると、彼は驚いたように軽く目を見張り、それからアハハハ、と小さく笑った。
「やだな、北さん、冗談ですよ、冗談。
というか、確かに変装なんてしてる時間はないのは確かですしね。」
「そうそう、だから、偵察はおれに任せて。」
お前はおとなしく、ブルペンかロッカーに居てくれ、頼むから。
そう半泣きの笑顔の奥で続けたが、
「駄目です。人に頼むと、聞き足りないこととか出てくるから、やっぱり自分で直接聞かないと……。」
里中の決意は大きかった。
その時点で、北は、土井垣が「里中に注意」と発した本当の理由を知ったような気がする。
つまり、ロッテに居た頃は、好き勝手できなかったし、西武自体に山田が居たから、素直に西武の人間に接触していなかっただけで。
このチャンスを待っていたに違いない──……っ!
「それに──山田が打撃練習で、手が話せない今じゃないと……。」
「…………何を聞く気だよ、おまえは……。」
北の声には、ゲンナリした響きが混じっていた。
聞いても仕方がない。
いや違う。
聞くほうが間違っている。
そう思いはしたが、聞かずには居られなかったのだ。
「そりゃ決まってるじゃないですか。」
そして里中は、まったく悪びれずに、きっぱりはっきり言い切った。
「西武に居たときの、山田のことです。」
それ以外に何があるのだと、そういう里中の目であった。
北はそれを認めて、多分そんなことだろうと思ったと、深々とため息をこぼした後、
「────────……………………里中、今思い出したんだけど、さっき、土井垣監督がお前を探してたぞ。」
最終手段を口にしてみた。
すなわち、もう手に負えないから、後は頼みます、土井垣さん──作戦である。
すると、里中はひどく困ったような顔で、
「後でもいいですか? おれ、山田が打撃練習を終える前に聞いてこないと……。」
首をかしげて北を上目遣いに見上げるが、
「すまん、おれもずっと忘れてたから、多分、今、すぐ──、で頼むっ!!」
北がそれに折れることはなかった。
折れてしまったら最後、里中はきっと、変装するのをあきらめて、そのままの格好で西武のベンチあたりに首を突っ込みにいくに違いない。
──頼むからやめてくれ。
「…………しょうがないなぁ。──また明日にするか。」
「…………………………………………────────ぅん、そーしてくれ。悪いな…………。」
対西武戦の間、なんとかするしかない。
北は心の奥底からそう思った。
+++ BACK +++
いや、里中が居なかったから、こういうことでもしてるのかなぁ、とか思ったんですヨ! 伊東監督とか松坂のところに行って、山田調査とか……!
でも、その前に土井垣監督が里中の首根っこをつかんでもって帰ってくるかなー、とか。
やっぱりチャンピオン立ち読みだったので(笑)、詳しい描写は覚えてません。
というか、ネタにするくらいなら、ちゃんと買うとか読み込むとかしましょう。