温泉へ行こう!









 2005年、1月──
 波乱万丈の2004年が終わり、今年はさらに忙しなくなる雰囲気を持って明けた年──球界には、新たな風が吹き荒れる予感にみまわれていた。





 四国アイアンドッグスの「マドンナ」は、その日、自宅の窓辺で優雅にティータイムの真っ最中であった。
 華奢な脚で支えられた小さなテーブルの上には、英国の趣の漂う透き通るようなアフタヌーンティと、香ばしい香を放つクッキー。
 美しいレースのカーテンから差し込む昼下がりの太陽の視線は、ひどくうららかで──表は青ざめた空と吹きすさぶ北風が吹いているというのに、ここだけは一足も二足も早い春が訪れているようだった。
 テーブルの上に置かれた小さな一輪挿しには、可憐な花が一刺し──紅茶の香りを邪魔しない程度に、ほんのりと香っている。
 けれど、それらの用意されたテーブルの前に座るマドンナは、春の陽だまりに似た空気にまったくそぐわない表情をしていた。
 重い溜息を唇から零して、彼女は北風に晒される庭を見つめる。
「………………ふぅ……。」
 そんな元気のない「お嬢様」を、心配そうに見守る影があった。
 その人物は、部屋の片隅に立つ──この家の執事であった。
 小さい頃から聡明で美しいマドンナに仕えてきた執事であったが、それでも今、目の前で溜息を付いている彼女の気持ちは分からなかった。
 彼女が突然クラシックバレエからプロ野球界へ転向したときは、毎日のように未知の世界にキラキラと目を輝かせ、それはもう──「クラシックバレエにお戻りください」とは言えないほど、生き生きとしていたというのに、今の彼女は、まるで水から出された魚のようで……悪あがきのように跳ねる力も持っていないほど、落ち込んでいるように見えた。
「……おじょうさま……。」
 心配そうに呟いて、彼は憂いの横顔を見せるマドンナの、整った容貌を痛々しげに見つめる。
 今の彼女の人生が、「四国アイアンドックス」と言うプロ野球球団と、「スーパースターズの殿馬一人」という男によって成り立っているということは知っていた。
 オフシーズンに入ってからは特に、後半の割合が非常に大きくなっているのも、そういうことを隠そうともしないマドンナの性格のおかげで、良く知っている。
 昨日も今日も、「殿馬一人さま」と書かれた手紙を、ポストに投函してきてくれと頼まれたばかりだ。ちなみにその前の日も、もう少し前の日も、彼女はポストに投函する為の封筒に、チュ、とキスをしてから、嬉しそうに笑って自分たちに託すのだ。
 少しばかり他の「お嬢様方」よりも芸術肌のマドンナは、時折とっぴもない行動に出ることがある。
 今回の稀に見ないほどの落ち込みぶりも、それに起因するのだろうかと──もしそうならば、一体何をどうすれば彼女の機嫌が戻るのか、皆目見当もつかない。
 ここはやはり、彼女が自分で行動を起こすのを待つか、もしくは事態が好転するのを待つのか……それしかないのかと、執事はマドンナに負けず劣らずの重い溜息を零す。
 そうして、屋敷の中に憂鬱の色を伝染させていっている事実に、ことの起こりの張本人はまったく気づかず、
「……殿馬さん…………。」
 はぁ、と悩ましげな溜息を一つ零しながら、マドンナは右手の指先に紅茶のカップを引っ掛けた。
 そのまま、一口、お茶を口に含む。
 長い時間放置していたために、ずいぶんと冷めた紅茶は、少しばかり口の中に苦さを残した。
 いつもなら、甘いクッキーの味とちょうど良く口の中でホロリと心地よくブレンドされるのに、今日ばかりはそうも行かない。
 紅茶を飲む手も、クッキーをつまむ手も、一向に進むことはなかった。
 それどころか、年末前のクリスマスの時に会ったことばかりが、グルグルと頭を回り──やはり出てくるのは、溜息が一つ。
 彼女はそのまま、チラリと携帯電話に視線を落とすと──、オフシーズンに入ってからも、かけることはあっても一度も鳴ったことはないソレに、なんだか溜息ばかりが零れてきて、
「殿馬さんのご友人方の携帯電話の番号を、聞いておけばよかったかしら……。」
 思わずそんなことを呟いた。
 けれどすぐに、マドンナはハッとしたように目を見開き、慌ててそんな不穏な呟きをもらした自分の口元を覆うと、
「いいえ、殿馬さん以外の方の電話番号を、この携帯に入れるわけにはいきませんものね。」
 キリリ、と顔つきを改めて、真摯な瞳で携帯に目を落とす。
 「殿馬専用」として使用している携帯電話は、マドンナが常に肌身離さず持っているもので、四国アイアンドッグスのマスコットキャラの土佐犬のストラップと、東京スーパースターズのユニフォームを模したストラップがついている。
 もちろん、ユニフォームのマスコットの背番号は、「4」──本当なら、オリックスの時にあったような、実物の殿馬を模したものが欲しかったのだが、スーパースターズは一年目の新設球団のため、まだまだファンのためのグッズの種類が品薄なので仕方がなかった。
 そのストラップを指先で弄びながら、マドンナは困ったように頬に手を当てると、
「2月のキャンプに入る前に、殿馬さんとデートのお約束を取り付けたかったんですのに……。」
 困りましたわ、と、小さく零す。
 正月早々、「一番初めに愛する人に新年の挨拶を!」ということで、殿馬の家に電話をしたときには、留守番電話が応答してくれたし。
 その後はマドンナ本人の方が忙しくて、手紙を出すのが精一杯──気づけば、もう明日は1月7日……クリスマスの東京で行われた「殿馬一人 チャリティーコンサート」の場で聞いた、「1月7日からは自主トレで、5人とも1週間はいない」日に入ってしまう。
 それが終わったら、すぐに球団の自主トレに入り、そのまま2月のキャンプだ。
 マドンナも四国に帰らなくてはいけなくなるから、なんとしてもそれまでに日程を合わせて、来期シーズンに向けて、結婚の約束を取り付けたかった。
 さて、どうしたものかと、ほとほと困った顔で携帯電話の待ちうけ画面一面に写る殿馬の顔に、うっとりと見とれていたマドンナであったが、「四国」の言葉に、浮かんだ顔に、ハッとしたように視線をあげた。
「そうですわ! 困ったときは監督頼みですわ!」
 クリスマス前にも、実践したばかりの台詞をまた今日も呟き、彼女は殿馬専用携帯を横に置くと、いそいそと「アイアンドッグス監督」の電話番号が入った携帯を、開くのであった。













 携帯電話が鳴った瞬間、居間に居た弟達が口を揃えて、
「あんちゃん、マドンナからまた電話だぜ。」
「兄貴、マドンナから電話入ってるよ。」
 教えなくてもいいのに、そう教えてくれた。
 しかも二人とも、チラリとも携帯電話のほうを見ず、お正月の特別番組に視線をあてたままである。
 小次郎は、そんな二人に苦い色を見せて、縁側に座り込んだ体勢のまま振り返り、畳の上に置いてあった携帯電話を引き寄せる。
 そんな兄に、チラリと視線を向けて、知三郎は眼鏡の奥の目を緩めると、
「年末のクリスマス前にも電話があったばっかりなのに、今度はなんだろーね。」
 ふふ、と意味深に笑う。
 小次郎はそんな末っ子を軽く睨みつけると、取り上げた携帯電話の画面に出た名前と、「専用」に設定した音楽、そしてピカピカ光るLEDを見下ろし──小さく溜息を零してから、観念したように耳に当てた。
「はい。」
『監督、あけましておめでとうございますですわ。』
 応答した瞬間、朗らかで心地よい美声が耳に飛び込んでくる。
 そのどこか浮かれて現世離れした雰囲気の声を耳にした瞬間、小次郎は自分がひどく疲れを覚えるのを感じた。
 野球をしている時はいい。
 彼女はスーパースターズの殿馬に敵わないまでも、そのリズム感とクラシックバレエで、思いもよらない美技を魅せてくれるし、女性ながら十二分に貢献してくれている。
 華やかで知的で美人で実力もある。
 正直に言えば、自チーム内には、そんな彼女にあこがれる男だってたくさんいる──いるからこそ、面倒なことに気を使わなくてはいけないことも一度や二度じゃない。
 いっそ、自チームの誰かと恋仲になってくれれば、そんなことに気を使わなくても、「彼氏」が気を使ってくれるだろうから、楽なんだが……と、昨年のオールスターのときに土井垣に零したところ、彼は非常にニコヤカな顔で「先輩面」をして、「バカップルに胃を痛める回数が増えるだけだから、それを求めるのはよせ」と忠告してくれた。
 その土井垣の視線の先には、毎年、いつ見ても、イチャイチャしてベンチ内にいるその「バカップル」が居た。
 土井垣は1回から3イニングス完投し終えたばかりの里中を視線で突き刺しながら、「今年は優勝して、来年のオールスターで俺が監督になって、里中は9回以外は投げさせないようにしたい。」と、非常に物悲しい誓いを立ててくれた。
 里中は自分の出番が終わった後も、最後までベンチに残っているのである──その彼の目的が何かなのは、本人に聞かずとも分かる話だ。
 広いベンチの中、「どうしてあれほど密着して座ってるんですか」なんていうヤボなことを聞くような好奇心旺盛な選手は、今年も居なかった。
 ただし、その様子が良く見える相手側──セントラル側は、指差していたようだが、あえて土井垣は視線に入れることはなかった。
「マドンナか……今日はどうしたんだ?」
 疲れたように応答する兄を、家の中から武蔵と知三郎が、ニヤニヤと見る。
 これが兄の恋人からの電話であったなら、もう少し気を使ってやるところだが──何せ兄も、今年31歳になる。そろそろいい加減、結婚したほうがいいんじゃないのと、そう言いたい気持ちがあるからである。
 しかし、相手はあのマドンナ。
 去年の開幕戦早々に、よりにもよって「東京スーパースターズ」の、殿馬一人に惚れたお嬢様である。
 つい二週間ほど前には、『クリスマスの殿馬さんのチャリティーコンサートに行こうと思っているのですが、どのような服を着ていけばよろしいか、相談に乗ってくださらない?』と、トラック1台分のドレスを持ってやってきた。
 あの時小次郎は、「神奈川の実家」に帰ろうとしていた不知火や土門を、無理矢理「どうせだから皆で忘年会でもしようじゃないか」とここへ連れ込み、マドンナの「ドレスのお披露目(しかも殿馬のための)」に付き合わせた。
 彼女はそのまま浮き立つように東京へと旅立っていったが──その後どうなったのか分からなかったのだけど。
……今日は、一体、何の用だと言うのだろう。
 少しばかり覚悟を決めて、グッ、と腹に力を込めた小次郎へ、
『はい、実はお聞きしたいことがあるんですの。』
「……………………。」
 今度は、「殿馬さんと初詣に行こうと思うんですが、振袖はどれがいいと思います?」じゃないだろうな、まさか。
 あのお嬢様は、たかがそれだけのために、わざわざ四国まで来たりしないだろうな?
 いや、だが、もう1月も6日だ。これから初詣という季節ではないだろう。
 それなら一体、何が目的なんだと、イヤな妄想に駆られながら、無言で先を促す小次郎に、電話の向こうのマドンナは、
『殿馬さんたちは、1月にいつも自主トレをしているという情報までは掴んだのですが、どこのホテルに泊まっているかまでは分からないんですの。
 監督は、殿馬さんたちが、一体なんと言うホテルに泊まっているのか、わかりませんこと?』
 ほんっとうに困っていると言いたげに、たっぷりと溜息を零してくれた。
 その溜息の重さに、
「………………………………………………──────────。」
 小次郎は思わず、手にした携帯電話を投げたくなる衝動にかられずにはいられなかった。
 そして同時に、土井垣の言っていた「同じチーム内にバカップルがいると胃が痛くなる」というのが、分かったような気がした。
──何はともあれ。
 今度会ったら「違うチームに惚れてる相手がいる女がいるのも、血管が切れそうになる」と言い返せる言葉ができたのは、間違いなかった。
「箱根のホテル、な……。」
 どこか苦い気持ちでマドンナの言う「自主訓練先」を口にして、小次郎は眉を寄せた。
 東京スーパースターズの5人が、正月に自主訓練をしているというのは、球界ではそれなりに有名な話だった。
 だから、誰かに聞けば答えは返って来るだろうと想像できたが、問題は「誰」に聞いたら、彼らが「箱根で訓練している」以上の情報を聞くことができるのか、であった。
 山田達が「日本一の富士山が見える宿」で自主訓練をしていると言う話なら、小次郎もダイエー時代に岩鬼から聞いたことがある。初夢で見た富士を、その目でありありと見て、今年一年の抱負を誓い合うとかどうとか、うそ臭い台詞を吐いていた覚えもある。
 だがしかし、どこのホテルに泊まっているかと言う話になると、小次郎は聞いた覚えがなかった。
 知ってそうな面子は、土井垣くらいだろうかと、そう思った瞬間、
「ホテル大観だよ、確か。
 山田さんが、何かあったら電話してくれって、電話番号を教えてもらった覚えがある。」
 末っ子が、そうしたり顔で教えてくれた。
 電話番号も、多分携帯に入ったままじゃないかな? と、彼が自分の携帯電話を取り寄せるのを見ながら、本当にマドンナにそのホテル名と電話番号を教えてしまってもいいものか、悩んだのだが──。
『まぁっ! ホテル大観ですわねっ!? わかりましたわ! ありがとうございます、小次郎監督、知三郎君!』
 さすがはマドンナ、地獄耳だった。
 電話の向こうで小躍りしている気配がありありと感じて、思わず受話器を耳から遠ざけた小次郎が、いやそうな顔で電話を見やる先で。
『それでは、ごきげんようですわ、監督! また来月、お会いしましょう!』
 電話のこちら側にまで花を吹き飛ばしてきたマドンナが、チン、と軽やかに電話を切った。
 つー、つー、つー………………。
「………………………………。」
「わー、マドンナさん、新年早々から飛ばしてるね。」
「殿馬の追っかけなんて、気がしれんぜ。」
 無言で携帯電話を見下ろす小次郎の背後で、のんびりとミカンの皮を剥きながら、知三郎がヌクヌクとコタツで温まりながら暢気な言葉を吐く。
 その彼の斜め前で、武蔵がゲンナリしたような台詞を零した。
 そんな弟2人を見ながら──新年早々、疲れた気がすると、小次郎は肩を落とすのであった。


















 時は少し戻って、2004年12月初め。箱根──ホテル大観。
 「明訓5人衆」が、プロ野球界に入ってからずっと、正月明けに自主訓練の宿として指定している宿である。
 その自主訓練の「合宿」も、今年でとうとう10年目を迎える。
 ひそかに「10年」という二桁数字になる瞬間を、待ち構えていたホテル大観の従業員達は、「今年はみんな同じ球団だから、もうしないんじゃないか」と心配をしていたのだが、今年も無事に山田から電話予約が入った。
 その電話を取った支配人は、思わず事務所内に居た全員に、ヨシッ、と握り締めた拳を突き上げた。
 突然拳を握りしめて、事務所内の全員に何かを訴える支配人に、何事だと視線をよこした社員たちだったが、受話器をしっかりと握り締めながら、
「はい、それでは保土ヶ谷の山田太郎さま、男性5名様のご宿泊でよろしかったですね? 日付の確認と、お部屋数なのですが……。」
 と、満面に浮かんだ興奮の面持ちとは対照的な、静かで丁寧な口調で電話の向こうに説明する支配人の言葉を耳にした瞬間、
 がたがたっ! がたんっ!
 そこかしこで、拳を握る支配人に、同じように拳を握って、無言で興奮を訴える従業員達が居た。
──みなさん、揃ってノリがいいことである。
 電話の邪魔にならないように、腕をブンブン振るったり、天井向けて拳を突き上げたりする、突然異様な空間になった事務所の中、支配人は宿泊名簿のパソコンを開きながら、
「それでは御予約、確かに承りました。
 ご確認のために、繰り返させていただきますね。
 1月7日から、一週間、いつものお部屋をお一つ、山田太郎さま、岩鬼正美さま、殿馬一人さま、里中智さま、微笑三太郎さま、以上男性5名様。一泊二食のプランで……はい。」
 繰り返してくれる支配人の言葉に、それぞれ慌てたようにメモ用紙にメモを始める。
 その彼らのメモには、「10周年、1月7日!」と書かれていた。
 いつものお決まりの言葉を口にして、チン、と支配人が電話を切った瞬間、彼は朗らかな表情を浮かべて、
「とうとう10周年だっ!」
 ばんざーいっ! と両手をあげて叫ぶ。
 その支配人に、
「10周年ですねぇ。」
 にこやかな笑みを浮かべて仲居頭の女が頷く。
 しみじみと呟かれる言葉に、そうだ、と支配人も頷く。
 記念すべき「10」という数字。
 それは同時に、彼ら5人が全員無事にプロ野球界10年目を終えたという事でもある。
 とうとう11年目に突入する明訓5人衆の、これからを願って、大観の人々は、自分たちに出来る精一杯のもてなしを、色々と実現しようと思っていた。
 ただ、今年も──正しくは来年の1月──とまってくれるかどうか分からなかったので、まだ「もてなしの色々」が、具体化していなかったのである。
 それも、今日、この日に予約が入った以上、具体的に色々と考えることができる。
 予約を貰ってからでは行動が遅くなると、シーズンが終わった直後に、従業員全員に「アンケート」を行い、「こんなことをされると、今年もがんばろう! って思うのってどういうこと?」を集計していたりもした。
 その努力が、実を結ぶときがきたのだ。
「よし、それじゃ、年明けの1月7日に向けて、10周年プロジェクトを実施だな。」
 うんうん、と頷く支配人に、このホテルの古参メンツたちは、顔を見合わせて困ったように頬に手を当てた。
「とは言っても、まるで具体化してませんからね……。」
 何かやろう! というのは、ホテル内で意見は固まったのだが、その「何か」となると、これがまた難しくて、具体的な話にならないのだ。
「これが夫婦だったりしたら、スイートテンということで、ダイヤモンドリング……は用意できないから、結婚10年目の錫婚式として、錫やアルミ製品、ワイングラスか何かプレゼントするんすけどねぇ。」
 うーん、と顎に手を当てて考えた風の支配人に、そうですよねぇ、と仲居頭が首を傾げる。
「とりあえず、10周年記念に、お料理はグレードアップさせるのは確定ですよね、コック長?」
 視線を向けた先で、ホテルのコック長が重々しく頷く。
「旬の素材をふんだんに使い、健康と栄養を考えた、すばらしい料理を考えますよ、一週間、毎日ね。」
「もちろん、10周年おめでとうのケーキもいりますよね。これは、最終日のほうがいいかしら?」
「任せてください。砂糖菓子で、ちゃんとそれぞれの人形も作りますよ──もちろん、明訓ユニフォームのね!」
 準備は万全です、と微笑むコック長に、さすが、と大観の主要面子は微笑む。
 もともとあの5人の「お客様」たちは、ここへ初めて泊まった当初から、この新年の自主トレだけは記者達に囲まれたくないと思っていたようだから、できれば大騒ぎにはしたくない。
 けれどそう考えると、目立ちそうなことや、派手なことは、一切できない。
 地味で心温まる10周年の、思い出に残るような心配り。
 これが案外、難しいものなのである。
 支配人は、自分の顔を見つめる従業員の顔を見やって、
「今年も一部屋だけの予約だったしな……。」
 それぞれの個室なら、今年は特別だと、5人の個性にあった部屋を用意できるのだけど──、同じ部屋となると、そうも行かない。
 個性豊かな彼らを満足できるように飾り立てた部屋など、とてもじゃないが安らげない。それは、「安らぎと温もりの宿」に反してしまう。
「多分いつものように、着いた早々に肩慣らしからはじめられるでしょうから、その辺りでいつもと差別化をはかってみては?」
 名案だとばかりに、そう提案する運転手に、支配人と仲居頭が、
「どうやって?」
 揃って大げさに突っ込んだ。
 もちろん、バスの送迎の目立たない「差別化」なんて、ポッと浮かんでくるはずもなく、運転手は首を竦める。
 そんな風な、あいまいな提案だけでなんとかなるなら、もう10周年プロジェクトは完成しているはずだ。
 もっと具体的な案が必要だと、支配人は鼻の頭に皺を寄せる。
「ウェルカムドリンクのサービスと、10周年記念の写真撮影は必要だな。」
「もちろん、富士山をバックにですね。」
「で、五人のサインももらえれば万々歳。」
 チロリと本音を漏らして、一同からジロリと視線を貰って、はは、と支配人は挙げかけた手を、そろり、と下ろした。
「お部屋には、何か特別なものでもご用意しましょうか?
 結婚10周年じゃありませんけど──うーん、野球選手に、よさそうなものって何かないかしら?」
 10という数字からは、どうしてもスイートテンダイヤモンドだとか、錫婚式だとかが思い浮かんで、こりゃ駄目だと、そう仲居頭が肩を落とした瞬間、
「それなら、やっぱり箱根神社の、『勝守』だろ。」
 バスの運転手が、ピンと来たというように、人差し指を一本立てた。
「勝守か……なるほどな。」
 それは灯台もとくらしだったと、支配人ですら目を見張った。
 確かにあれは、観光客からもなかなか評判がいいと聞いている。
 今年こそは日本一を狙いたい──しかも今年は、球界編成で色々とゴタゴタしているからこそ余計に、彼らにはがんばってほしい──、ことから考えると、それは一番効果のある「区切りの年」の贈り物と言えるだろう。
「なら、その勝守を人数分買って来て、部屋に置いておくか……いや、やはり手渡しのほうがいいか。」
 うーん、と支配人が目を輝かせて語るのには、
「しかし、彼らは毎年、箱根神社に参拝に行ってないと言い切れるのですか?
 あそこの神社は、心願成就のご利益と、開運厄除のご利益もあるんですよ──あの岩鬼君が、見過ごすはずはないと思います。」
 コック長が、渋い顔でそう水を差した。
 さらにその彼に続けて、
「それに勝守なんていうご利益の高いお守りを、山田君が見逃すはずもないですよね。」
 きっと毎年、里中君に買ってあげてるに違いありません。
 まるで見てきたかのように、うんうん、と頷いてコック長に同意する仲居頭。
 話はそこで、また止まってしまった。
「────…………うぅーん……料理のグレードアップと、特別ケーキ。
 それだけでは、やはり役不足だなぁ。」
 どうもこれでは、中途半端な10周年だ。
 そう呻く支配人に、そうですねぇ、と一同も呟く。
 そのまま首を傾げ続けること数分。
 不意に仲居頭が、顔をあげた。
「特別ケーキ……あ、そうですわ、支配人。
 勝守に、差別化をしたらいいのではないでしょうか?」
 それなら、彼らが買った勝守とも差別化ができて、プレゼントをしても「二重」になったと思う、ガッカリした感が軽減されるのでは、と続ける。
「差別化? お守りに?」
「ええ、そうです。お守りに、特別ケーキに作るような五人の小さなマスコットをつけるんですよ。」
「…………────ああ! なるほどっ!」
 それは確かに、手作り風であったかいお守りになるし、貰った側も嬉しいかもしれない。
「なら、特別ケーキが明訓ユニフォームで行くから、小さなマスコットは東京スーパースターズのユニフォームにするか?」
 砂糖菓子で人形は作れても、さすがに「本物の人形」は作れないから、あんたにまかせるぞと、コック長に見下ろされて、ベテランの仲居頭は、当然ですと言うように胸を叩いて頷く。
「任せてください! だてに息子や娘の体育シューズ入れを手作りしてませんよ!
 ……っと、それで行くと、タオルやさりげない小物なんかにも、それぞれの刺繍を入れるのもいいかもしれませんね。10thとか入れて……。」
 しかしそれは、その時限りのものになってしまうか──いや、記念品としてホテルに飾るという手もある。
 そんな風に、ちょっぴり営業方面に走ってしまった仲居頭に、オイオイ、と今度は支配人が突っ込みを入れて、その案はとりあえず棚上げになった。
 どんどん具体的に脳裏に浮かんでくる、今年の正月明けの「明訓5人衆」の10周年記念の話に、よしよし、と支配人は頷くと、
「それじゃ、年末年始と忙しい時期が続くが、このテンションを維持して、彼ら5人の10年を、見事に飾ってみせるぞ!」
 サ、と右手を一同の前に出した。
 それを見下ろして、一瞬他の面子は顔を見合わせたが、すぐに支配人の意図を悟り、それぞれ右手をその支配人の手の上に重ねていく。
 そして一同は、職務の責任感と、お客様の喜ぶ顔を追求するための輝きに満ちた目で、お互いの顔をしっかと確認しあった後、
「やるぞっ、おーっ!」
 気合充填、国民的人気者達のために、走り回ることを改めて決断したのであった。













 そんな彼らの思いが報われるかどうか……それは、今はまだ、箱根の神のみぞ、知る。










+++ BACK +++


とりあえず、大観の人々と、マドンナ。

目指せ山里バカップル!(笑)