誰もが一度は通る門








 その日、殿馬は久し振りに作曲に精を出していた──とは言っても、自宅でやるような真面目な作曲ではない。
 何せ場所はスーパースターズの本拠地であるドームの食堂。
 テーブルの上に乗せられているのは、高性能──とはいえ、おもちゃのピアノ。
 横に置かれた五線譜と、耳にかけたペンだけが、いつもの本格的な作曲道具と同じもので、他はただのお遊びにしか見えなかった。
 音を拾っては、サラサラサラー、と書き付けていく。
 そんな動作を譜面1ページ分ほど続けた頃だった。
 フイに、殿馬の頭の上に影が落ちた。
「──殿馬、ちょっと聞きたいことがあるんだけど……時間、いいかな?」
 声をかけられて見上げた先──そこに立っていたのは、中学・高校時代と顔見知りの男の姿があった。
 わびすけ、と仲間内で知られている、スーパースターズの投手陣の1人、両手投げの木下である。
 殿馬、山田、岩鬼とは同じ中学出身で、特に彼は山田と岩鬼とは一時期同じ部に所属していたということもあり、あの2人とは一段と仲が良い。
「山田と岩鬼の居場所なら、知らんづらぜ。」
 飄々とした顔でそう断定すると、木下は少し困ったような表情になった。
 それを認めて、そうじゃないらしいと、殿馬は片目で彼を見上げて、譜面をテーブルに上に置いた。
「なんづら?」
 話す体制に入った殿馬を見下ろして──木下は、周りをはばかるようにキョロリと周囲を見回す。
 しかし、昼食時を過ぎた食堂は、ガランとしていて、遠くに職員らしき数人が談話をしているほか、人影はない。
 これなら誰かに聞かれることもないだろうと、安心したように彼は殿馬の前の席に座った。
 その、どこか慎重な様子に、殿馬は軽く眉をひそめた。
──投手が、何かを隠すように行動するときといえば、「故障」かと、そう疑うのは、高校時代のエースピッチャーの影響である。
 明訓高校の黄金時代のエースを担っていた少年は、常に故障や体調と戦っていた。そしてその際、誰かに気づかれないように、必死になって振舞うところがあった──特に、すぐに自分の不調を見破る捕手相手には。
 だから、そのときの影響か、未だに岩鬼や山田、殿馬、微笑達は、「投手が一目をはばかり何かを隠そうとしている」=「投手の故障」だと、最初に思ってしまう節があった。
「──…………あの、さ……殿馬は、高校時代の山田を、良く知ってるよな?」
 不安そうに目を揺らして見上げてくる木下の表情に、殿馬はいぶかしげな表情を浮かべた。
 知っているも何も、殿馬と山田は同じ明訓高校の野球部員で、さらに年の半分以上を同じ合宿所で過ごしていた。
 だから、高校時代の山田を知っている──その表現は間違ってはいないが、わざわざそれを確認することはないはずだ。
「何が言いたいづら?」
 中学時代と違って、歯切れの良い会話をするようになった「わびすけ」らしくないと、殿馬が視線をやった先で。
 ん……と、あいまいな木下の返事が返ってきた。
「──言いたい、っていうか……別に、その、プライベートに口を出すのはどうかなぁ、って思ったんだけど──国定も気になってるし、っていうか、賀間さん達も気になってしょうがないみたいなんだけど。」
 話せば話すほど、みるみるうちに眉が下がって行く木下を見て、殿馬は理解した。
 誰もが一度は通る道である。
「──……あの、さ。」
 視線を戸惑うように揺らす木下を見ずに、殿馬は視線を譜面に落とすと、
「付き合ってるづらぜ。」
 そう、完結に答えた。
「そ、そうか……って、えっ、な、何がっ!?」
 思わずつられたように殿馬にうなずいて見せた木下であったが、すぐに驚いたように目を見開いて殿馬を凝視する。
 その視線を受けて、飄々とした顔で、殿馬はチラリと木下を見上げた。
「山田と里中の話づら。それともよぉ、違ったか?」
「…………まぁ、確かに、山田と里中の話──なんだけど。」
 飄々と尋ねられて、木下は小さく頷いて──ん? と、首を傾けた。
 今の会話を振りかえり……木下は、右手でピアノの音程を拾っている殿馬を見据えた。
「──……殿馬、もしかして……さっきの答え、その、山田と里中の件について……か?」
 低く尋ねた木下に、気楽な口調で、
「づら。」
 殿馬は即答した。
 木下はそんな殿馬の口調に、動きを止めて──マジマジと、殿馬を見つめた。
 いつもクールで底を見せない殿馬の台詞は、冗談とも、本気とも感じ取れた。
 けれども。
「────…………殿馬……。」
 茫然と、呟いた木下の脳裏には、今、まさに殿馬に問いかけようとしていた台詞がグルグルと渦巻いていた。
 あの二人、ちょっと仲が良すぎるよなぁ?
──そう、木下は言って、笑って過ごしたかった。
 高校時代から黄金バッテリーと称され、プライベートでも明訓5人衆は仲が良かった──その中でも、山田と里中の仲の良さは格別だ。
 スーパースターズに移籍してから、里中は自宅を保土ケ谷のアパートに移した──そのことによって、山田家と里中家の家の距離は近づき、二人が一緒に帰宅しているのは良く見かけた。時々、山田の妹に頼まれた買い物を、商店街でしていることもあるらしい。
 その光景を偶然見かけた賀間は、どうにも納得できないような顔で、どうして同じ袋の両端をそれぞれ持ち合ってるんだと呟いていた。──まぁ、確かに、いい年をした男同志がすることではない。
 この間は、国定と木下が共にピッチング練習をしている隣で、山田と里中が、真剣に額を付き合わせて、なぜか同じコーヒーを飲んでいた──この場合の「同じ」は、同じカップというイミである。
 仲が良ければ、回し飲みもするだろうが、なんだか二人の場合は少し異色のような気がしないでもない。
 それでも──まさか、と、そう思っていたのだけど、目の前の殿馬は、そんな茫然とする木下へ、
「誰もが一度は通る道づらぜ。」
 飄々と呟く殿馬の台詞の奥に隠れた台詞の意図に気付いて、木下はガックリと両肩を落とした。
 つまり。
「……もしかして、あの二人……公認なのかい?」
 恐る恐る、身を乗り出して問いかけた瞬間、
「おぅづらぜ。」
 アッサリ。
 イヤになるくらいあっさりと帰ってきた答えに、木下は頭を抱えたくなった。
「あんなもんで悩んでたらよー? わびすけ、おめえら、この先付き合ってけねぇづらぜ。」
「あんなものって……あれよりも凄いのか?」
 アレ、という瞬間、スーパースターズに入団して以降、常に一緒に居る二人の姿がアリアリと頭の中に浮かんだ。
 良くアイコンタクトをして、さらにトコロかまわず目で会話をして、二人にだけ分かるような会話をして、時々二人の世界に入ってしまう。
 ──アレよりも凄い光景というのが、想像できない。
 そう顔を歪める木下に、
「序の口づらぜ。」
 殿馬は、しれっとした顔と声でそう教えてやった。
──高校時代からあの二人と一緒の殿馬の言う台詞には、ひどく重みがあった。
「ま、まさか山田が……──。」
 今日は、エイプリルフールじゃなかったよな? と、歪んだ顔で木下が確認した瞬間、

「あれ? 殿馬、作曲してるのか?」

 食堂内に良く響く声がした。
 耳に心地よく響くその声の主に、ハッ、と、木下は身を強張らせる。
 更に続いて、今、できることなら聞きたくなかった人の声まで聞こえてきた。
「木下も一緒なんだ?」
 人の良さそうな声の口調で、ニッコリ、と微笑む山田は、首からタオルを下げた里中を伴って、殿馬と木下の居るテーブルへと歩み寄ってくる。
 その歩みよりに、ちょっと待ったっ! と掛けたくなるのを堪えて、
「…………里中……山田……おつかれさん…………。」
 ちょっと渇いた口調で笑って、二人を出迎えてやった。
 そんな木下に、ニッコリと微笑んで、里中が山田を見上げる。
「山田、いつものでいいか?」
 里中は首から掛けていたタオルを山田に手渡し、そのまま自動販売機を示した。
「いいよ、里中。自分で買うから。」
「この間はお前に奢ってもらったから、今日はおれが奢るよ。」
 断る山田を制して、里中は気にせずスタスタと自動販売機へと歩いていく。
 それをチラリと見送って、山田は殿馬と木下が腰掛けるテーブルの隣にドッシリと腰を落とした。
「そういえば木下、さっき国定達が君のことを探してたぞ。」
 座るなり、山田が思い出したように言う台詞に、木下はそうか、と短く答えた。
 国定や賀間たちが自分を探している原因は分かっている。
 先程、殿馬に聞いたことを確認するためだ。
 しかし、今の話を聞いた直後で、山田や里中を直視できるはずもなく、その言葉に乗るようにして木下は立ち上がった。
「それじゃ、殿馬、サンキュー。
 山田も、また明日な。」
「あぁ。」
 引き止めてくれるなよ、と願った祈りは届いたらしく、殿馬も山田も、アッサリと木下を開放してくれた。
──もっとも、引き止められるかもしれないと言うのは、ただの考えすぎだろうが。
「あれ、なんだ、木下、もう行くのか?」
 両手にカップを持った里中が、自分とすれ違いに食堂から出て行こうとする木下に声をかける。
 そんな彼に、苦笑いを刻みながら、木下は軽く手をあげた。
「国定達がおれを呼んでるらしいからな。
 ──じゃ、またな、里中。」
「あぁ、また明日な。」
 ニッコリ笑顔で送り出してくれる里中の、騒がれるのが分かるほど整った顔立ちに、なんとも複雑な気持ちを抱きつつ、木下は食堂から出て行った。
 そんな、どこかいつもと違うような木下に首を傾げつつ、里中は殿馬と山田の待つテーブルに着く。
 山田の前に、持ってきたカップの一つを置いて、そのまま当たり前のように山田と同じテーブルに着く。
 こんな何気ない仕草も、一度気になってしまうと、木下達は酷く気になってしまうのだろうな、と、殿馬は他人事のように思えた。
 高校時代から彼らを見ている自分達にしてみたら、山田の隣の席が空いているのに、そこに座らない里中は、里中じゃない。
「おめぇらもよ、罪作りづらな。」
 きっとまたしばらく、彼ら2人のおかげで、心労や気苦労を覚えるチームメイトの姿が見えることだろう。
「──……は? なんだよ、突然?」
「え、おれたち、木下に何かしたっけ?」
 いぶかしげに里中が眉間を寄せ、山田が首を傾げる。
「わびすけ達に、何かしたわけじゃー、ないづらな。」
 譜面にサラサラと音符を書き付けて、殿馬はそう答えるだけに済ましておいた。
 高校を卒業して以来、この2人が一緒に居るところをずっと見ていることが出来たのは、明訓のOBである自分達と、箱根の自主トレに参加した面々くらいのものであろう。
 他の者は、せいぜいが試合のときに一緒に居るところを見るだとか、お互いの単品と付き合いがあっただとか、その程度のことだ。
 四六時中一緒に居て、この2人が、2人で一緒に居るときのみに放つ「独特のオーラ」に当てられたことはないはずだ──自分達以外は。
 考えてみたら、木下や国定たちのような反応を示す者に会うのは、実に高校3年の夏以来である。
「久し振りに、面白いものが見れるづらな〜。」
 後で三太郎にも教えてやろうと、殿馬はそう呟いた後、鼻歌で自分の譜面の音符を確認し始める。
 そんな殿馬に、意味がわからないと、当事者2人はきょとんと視線を合わせて、そろい合わせたように首を傾げるのであった。



 自覚がなく周囲をへこませる2人と、自覚がありながら周囲を巻き込む友。
 どちらのほうがマシなのか──……、それは被害にあった者にしか分からない。







+++ BACK +++




 自覚ナシにピンクオーラ垂れ流しの2人に、「なんだかあの2人は、仲がいいとかそういう次元じゃないような気がする……」という事実に気づいたチームメイトは、それとなく殿馬とかに話を聞いて来いと、中学時代からの知り合いである木下をプッシュ。
 しかし木下は、殿馬から聞いた話をそのまま国定や賀間に話していいか悩むだろう。

──という話。

 別に親しかったら、いつも隣の席に座るし、当たり前のように一緒に居るとは思うのですが、なんかそれだけでは言い知れないほど、一緒に行動するんですよ、きっと(笑)。
 ちなみに、里中は基本的に傍若無人なスキルを所有していると思います。人様を退ける岩鬼とタメをはれる感じ(笑)。
「ごめんよ」と言いながら、岩鬼が座っている椅子の肘掛に腰掛ける里中とか大好きです。