パロですよ〜

新婚さんいらっしゃい 2










「兄貴ってさー、なんだかんだ言って、里中ちゃんのことになると、強引だよねー。」
 電気ストーブで程よく温まった部屋の中で、ちゃぶ台で頬杖をつきながら、サチ子はバリ、と手にしたせんべいを噛み砕く。
「え、太郎君?」
 すると、呟いたサチ子の言葉に答えるように、台所から声が飛んでくる。
 目線をあげると、ちょうど加代が、片手にお茶が乗ったお盆を持って、やってくるところだった。
「太郎君がどうかしたの、サッちゃん?」
 首を傾けるようにしてやってきた、昨日からの新しい山田家の住民の手からお茶を受け取ると、サチ子はそれを両手で包みながら、そうなのよ、と頷く。
「隣の家のことー。」
 ずず、と音を立ててお茶を啜ると、思いもよらず上品で美味しい味に、おっ、と思う。
 思わず視線をあげてみると、真向かいに腰を落とした加代が、片手を湯のみの底に当てて、クイ、と一口お茶を飲んだところだった。
 その飲み方が、片手に湯飲みを掴んでグイと飲む祖父や兄の物とは違って優雅に見えて、思わずサチ子は両手で包んだ湯飲みを見下ろす。
 綺麗な澄んだ色のお茶は、いつになく美味しそうに見えて、サチ子はもう一口、お茶を口に含んで、芳醇なその味わいに、笑みを零す。
「隣の家って──……あぁ、お引越しのこと、もしかして?」
 緩く首を傾げて、加代はちゃぶ台の上に置かれているせんべいを一つ手にとって、ぱり、と口先で噛み砕く。
 そんな加代に、そう、とサチ子は小さく頷いた後、チラリと隣の家の方角の壁を見やり、
「だぁーって、里中ちゃんと挨拶に来たと思ったら、もう今日は引越しでしょー? なんか、早すぎて、ビックリだよ。」
 心の準備も出来やしない。
 そう、軽く下唇を尖らせて文句を言うサチ子に、加代は、そうねぇ、と頬に片手を当てて笑う。
「確かに、お引越しが決まるまで、あっという間だったものね。」
「でしょ? お母さんも、大変だったんじゃないの?」
 少しでも早く里中ちゃんと一緒に住みたいからって、ほんっと、強引だ。
 ──まさかこんなに早く兄と別居……とは言っても、隣の家だけど……するとは思ってみなかったサチ子は、心の準備が出来ているやら出来ていないやらで、ひどく複雑な気分だ。
「うーん、でも、最近の引越し屋さんは、なんでも全部やってくれるから、そう大変ってことはなかったかな?」
 実際、今、隣で引越しの真っ只中なのだが、時々引越し業者の人が品物を確認にやってくるだけで、加代は何もすることがない。
 ダンボールも持って帰ってくれるし──大変だった記憶と言えば、引越しが決まった夜に、慌てて「息子のもの」「母のもの」を分けたことくらいか。
 それも、つい先日、千葉から神奈川へと引越しをしたばかりだから、荷物も紐を解いていない──というか、
「それにね、なんとなく……、すぐにこうなることは分かってたから、すぐに引越しできるようにしてあったのよね。」
 ふふふ、と笑う加代に、サチ子は目を丸くした。
「──……って、えっ! もしかして、兄貴が先になんか言ってたの!?」
「ううん、違うわよ。ただ、そうね……女の勘かしら?」
 少し首を傾けるようにしてそう呟いた後、加代はフフフと笑った。
 千葉から神奈川に引っ越すことになったとき、最初っからこの長屋に住んだほうが楽なんじゃないかと、思ったことはまだ内緒だ。
「女の、勘。」
「そう。だってほら、サッちゃん? 智がFAするって決めた時、太郎君と一緒のチームに行こうって話していたの、覚えてる?」
「うん。お母さんが入院してるときだったよね。」
 コクリと頷いたサチ子に、そう、と加代は相槌を打って、
「あれはね、太郎君なりのプロポーズだと思っていたの。──ほら、アメリカに行けば、男同士でも結婚できるじゃない?」
 ニッコリと、穏やかに微笑んでくれた。
「────…………なるほど。」
 さすがは、人生の先駆者。
 そこまでは考えなかったと、サチ子は目からうろこが落ちる思いで、マジマジと加代を見つめた。
「それは考えたことなかったなー……おにいちゃんと里中ちゃんが一緒に暮らすのは、当たり前だと思ってたけど……そっか、アメリカじゃ、男同士でも結婚できるんだー……。」
 パタン、と、そのまま力なく机の上に倒れ付しそうになりながら、サチ子はしみじみと口の中で呟く。
「つまり、お兄ちゃん……あの時からすでに、里中ちゃん結婚すること、考えたんだ……。」
「──だと、私は思ったんだけどね。」
「……おにいちゃんが、大屋さんに隣の家を貸してくれってお願いしてるときも、里中ちゃんとお母さんを隣に引越しさせるのかなー、程度にしか思ってなかった。」
 歩いていけるとは言え、保土ヶ谷のアパートは、すぐ近所というには少し遠い。ちょっとした散歩の距離くらいはある。
 それだと、少し不便だろうと思ったのだとばっかり、思っていた。
──まさか、同じ「引越し」でも、自分と里中の新婚家庭にするためだったとは……想像することすらしなかった。
「ふふふ……アメリカに行ったら結婚しようって、太郎君は智に言ってあったんだと思うわよ?」
「あっ、そっか! 結局、アメリカにはいかなかったから、それで兄貴、改めてプロポーズする機会を狙ってたんだっ!」
 パチン、と指を鳴らして、サチ子がテーブルの上からガバッと起き上がる。
「なるほどー。周りから固めるところが、兄貴らしいよね〜。」
 そういうことかと、二枚目のせんべいに手を伸ばしながら、サチ子は納得したように二度三度頷く。
 加代はそれに頷き返して、同じように二枚目のせんべいに手を出しながら、
「さすが太郎君ね。」
 サチ子の呆れ半分の感心に同意を示して、カリ、とせんべいにかじりついた。
 隣の家からは、ガタガタと家具を移動させている音が聞える。
 引越し屋さんが移動してきてから、すでに小一時間ほど経っているから、荷物の少ない里中家の引越しは、もうそろそろ終わりを告げることだろう。
 後は、加代の着替えをこちらへ運び、変わりに太郎の着替えを向こうへ運ぶだけだ。
 何か忘れ物があっても、どうせ隣同士なのだから、その都度取りに行けばいいだけの話だ。
「──……そー言えば、私、まだ隣の家の間取り見てないんだけど、どんな感じ?」
 兄たちがキャンプに行っていて居ないときは、サチ子か加代が交代で隣の部屋を掃除しなくてはいけない。
 兄達が東京ドームから返ってくる前に、一度顔を覗かせて置こうかな、と首をかしげるサチ子に、そうね、と加代は隣の家と続く壁に視線をやった。
「ほとんど間取りは同じだったと思うけど……右と左が少し違うかしら?」
 先ほど見た記憶を掘り返すように呟く加代に、サチ子は顎に手を当てて──、グルリと自分の家を見回した。
「んー……そうすると──。」
 ふすまで隔てられた二室の片方が、サチ子たちが普段寝室に使っている部屋だ。
 そしてその間取りがほとんど同じだということは。
「──……ぅわ…………お母さん、私達、大ピンチだよ。」
 サチ子は口に手を当てて、顔を大きくゆがめる。
 小さい頃からこの長屋で育ってきたサチ子は、この長屋の長所も欠点も、良く理解している。
 そして、隣の家もこの家と同じ間取りだということは──しかも逆方向に同じ間取りだということは──。
「え、大ピンチって……何がなの、サッちゃん?」
「──寝室、壁越しだよ……。」
 今ひとつピンチさを理解できないらしい加代に、サチ子は畳の上をズルリと尻で歩くと、隣の家との壁越しに手を当てて、コンコン、と壁を叩いた。
 手の甲に当たるだけでも、壁が薄いことが良く分かるその壁を叩いた瞬間、隣で家具を移動させていた音が、ふとピタリと止まるのが分かった。
「サッちゃん?」
「しぃ。」
 不思議そうに尋ねてくる加代を振り返って、サチ子は唇の前に指先を押し当てると、そう呟いて、クイ、と壁を指で指し示した。
 すると、耳を澄ますまでもなく、壁の向こう側から、
『今、何かノックする音が聞えたと思ったんだけどなぁ?』
『玄関には誰も居ないぞー。』
『じゃ、隣の部屋か何かじゃないのか。』
 複数の男の声が聞えてきた。
 くぐもってはいるが、何を喋っているのか分からないというほどではない。
 少し離れた位置に居る者同士で話そうとしているためか、少し大きめの声を出しているのだろう──良く聞えた。
「あら、壁が薄いのね……。」
「そうなのよ、お母さん。」
 ヒョイ、と肩を竦めて、サチ子は緩くかぶりを振った。
「ね? これじゃ……。」
 チラリ、と意味ありげに視線をあげると、加代はその意味に気付いたように、重々しく頷いてくれた。
「大ピンチねぇ……。」
「大ピンチでしょー?」
 そのまま視線を絡み合わせて、二人は示し合わせたように、はぁ、と溜息を零した。
 問題は今日の夜──引越し初日で、加えて言うなら……、
「新婚初夜だよねぇ〜。」
 かすかに目元を赤らめて、サチ子が呟けば、
「初夜だとは思えないけど、新婚初夜はあるものね〜。」
 加代が、さすがに「筒抜け」は困るわねぇ、と呟く。
「──って、おかあさーん。」
 さすがにその台詞は、二十歳を迎える娘には、少々厳しい台詞だと──サチ子は、おいおい、と片手を手招くようにして加代にセーブを願い出る。
 加代はそんなサチ子に、あら、と口元に手を当てて、照れたように白い頬を赤く染めて笑った後、そそくさと湯飲みを持ち上げた。
「──ん、まぁとにかく、サッちゃん。お引越しが終ったら、一緒に酒屋さんへ行きましょう。」
「あ、引越し祝い?」
 確かにそれは必要だ。
 ついでに、いつものケーキ屋さんに、ケーキをお願いして来たほうがいいだろうかと、サチ子は真剣に考える。
 そんなサチ子に、加代はパフリと両手を合わせると、
「そう。それでね、私とサッちゃんで、智の両隣について、バシバシ注ぐのよっ!」
「里中ちゃん酔わせちゃったら、それこそお兄ちゃんの思うがままじゃないの、お母さんっ!!」
 がたんっ、と、思いっきり良く机を叩いて、サチ子は腰を持ち上げる。
 驚いたように目を見開くサチ子に、まぁまぁ落ち着いて、と加代は両手を降ろすと、
「ほろ酔いならそうかもしれないけど、完全に酔い潰してしまったらいいのよ、サッちゃん。
 太郎君を酔い潰すよりも、智を潰すほうが、ずっと楽だもの。」
「……──うぅーん……うまく行くかなぁ?」
 あの、兄貴相手に──果たして、うまく里中を酔い潰すことが出来るのだろうか。
 心配げに目を閉じて考え込むサチ子に、
「けどね、サッちゃん。耳栓を買いに行っている暇はないんだもの、今日くらいは、我慢してもらわないと。」
「──そうだよねっ、だって、今日一日のことだもんねっ!」
「そうよ、サッちゃんっ!」
 ちゃぶ台ごしに、ガシリ、と手を組み合う加代とサチ子は、うんうん、と納得したように頷きあう。
 そして、そんな風に、勝手に二人の間で話が進んで行っているのを──……。


「……サチ子…………里中さん………………。
 頼もしいのぅ…………。」

 隣の部屋で、太郎の衣服を整理していた山田祖父が、ちょっぴり遠い目をして、涙ぐんでいたとかどうとか言うのは、また別の話である。













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バ カップル 万歳


↑この話のどこにバカップルがいたと…………。


って言うか……イチャイチャ一個も書いてないじゃん!! ガーンっ!
次だっ! 次こそは、愛妻弁当書かなくっちゃっ! っていうか、新妻エプロンも書かなくっちゃっ!!