ピ、と音を立てて携帯電話を切った後、知三郎は小さく溜息を零す。
 そんな彼に、獅子丸は愉快げにニィと口元をゆがめると、
「なんだ、お前、生意気にも彼女でもいんのかよ?」
 その巨大な手の平で、ワシワシと知三郎の頭を揺さぶる。
 そんな彼の腕力に左へ右へと揺られながら、ちがいますよー、と知三郎は首を竦めた。
「友達です、友達っ!
 今は、彼女とかそれどころじゃないでしょ!」
 まったくもう、とさらに首を竦める知三郎に、どうだか、と獅子丸は疑いの目を向ける。
 そんな仲のよさを見せる「三位一体」ローテーションの投手二人に、山田はニコニコと笑みを絶やさない。
 シーズン開始前のキャンプでは、一体どうなることかと色々気に病んだものだが、今では獅子丸も知三郎も、お互いのホテルの部屋に行くほど仲が良くなった。
 獅子丸は知三郎のことを信頼し、知三郎もまた獅子丸に軽口を叩くほど信を置くようになった。
──その、小柄な知三郎と、ワシワシともてあそぶ獅子丸の姿を見ていると、ほんの数年前の光景が、脳裏によみがえってくるような気がした。
 一瞬、喉が詰まるような痛みが、胸の中でチクリとうずいた。
 思わず視線を落とした山田に、
「山田さんっ! 今の聞きましたっ!?」
 知三郎が、大げさに両手を広げて、そう訴えてくる。
「……って、えっ?」
 じゃれあう二人の姿ばかり目で追っていた山田は、突然叫んできた知三郎の台詞に、軽く目を見開いた。
 その、とぼけたようにも見える山田の顔に、獅子丸は口をへの字に曲げて、
「なんだよ、山田、おまえ、ぜんぜん聞いてなかったのか。」
「山田さん〜。」
 知三郎も呆れたようにガックリと肩を落とすのに、ゴメンゴメンと、山田は笑った。
「いや、二人とも、仲がいいなぁ、って思ってたんだよ。」
────まるで、あの明訓時代の、二人を見ているようだ。
 そんな強い懐古の念が胸のうちによみがえってきたのに苦笑をもらしながら、山田はフルリとかぶりを振った。
 そして、目の前の二人をもう一度見据えながら、
「さ、それじゃ、そろそろ肩慣らしから始めようか。」
 今は、懐かしい気持ちも、それに関与するさまざまな思いも、閉じ込めて、ニッコリと笑いかけた。
 今までも、耳の奥裏にふとした拍子に蘇る「声」が。
 目の前の二人を見れば見るほど、もっと近くなってきたような気がして──そんな自分に、苛立ちともつかない、小さな漣のような痛みを、覚えた。







『なんだよっ、岩鬼っ! 俺の頭は、お前の肘置きじゃないぞっ!』
『なんや、ちょーどええ高さにある肘置きやなぁ思たら、おんどれの軟弱な頭かいな。どうりで、柔らかすぎると思ったわい。』
『あのなぁっ!』
『おぃよぅ、岩鬼よぅ。おめえの重量でサトの頭に乗っかってよ、サトの身長がこれ以上縮んだら、どうするづらぜよ。』
『ってこらっ、殿馬っ! そりゃどういうことだよっ!』
『アホか、とんま! 伸びたもんが縮むかいな。』
『ちーぢむづらぜ〜。おめえよ、そんなことも知らんづらかよ。』
『ぬなっ! し、知っとったわいっ!
 そやな、サトの身長がこれ以上ミニマムサイズになってもうたら、見えへんなってまうな。すまんかったの、サト。』
『…………あのな…………っ。』
『そうづらぜ。サトも縮むづらぜ〜──……年取って、50か60歳くらいになったらよぅ。』









 記憶にある少年は、強い闘志を目に宿し、弱音を吐いても必ずその泥沼から這い上がってくる──そんな場面ばかりだった。
 感激屋で涙もろくて、笑顔がはじけるように明るくて、短気で直結型。
 隣を向けば、いつもそこで笑っている姿ばかりが、思い出せた。
 周りに居る「高校時代の同級生」たちが、3年の間にずいぶん成長した中、彼だけはいつまでも「まだ170にならない……っ」と悔しげにつぶやいていた姿ばかりだ。
 合宿所の脱衣所に設置された体重計と身長計を、常に細かくチェックしていたのには、誰もが気づいていながら気づいていないフリをしていたっけ。
 握った手のひらの感触。
 耳に心地よく響く弾む声で呼ばれた自分の名前。
 その背を、その強い瞳を、そのしなやかな腕を。
 もう一度間近で──できることなら、同じグラウンドの上で見たいと、そう願うのは。

「見果てぬ夢であるはずが、ない。」

 ただ、信じることしかできない自分が、少しだけ悲しいと、そう、思った。






















 寮の個人部屋は、四畳一間と簡易キッチンがあるだけの、本当に小さな作りだ。
 最初からついている設備は、下部分がテーブルとクローゼットになっているロフトベッドと、小さな収納クローゼット兼押入れ。簡易キッチンには、コンロが一つと30センチ四方の洗面台。
 他に必要なものは、全部自分で購入することになっている──一応、全室テレビと電話の回線はあるが、テレビを買うのも、電話を買うのも、個人の自由。
 のため、寮生のほとんどは、携帯電話でことを済ませているのが現状だ。
 風呂とトイレは共同で、トイレは各階にあり、風呂は一階の大浴場が一つ。
 隣にはランドリーがあり、やはりこれも個人で洗濯をすることになっている。
 洗濯を終えたものは、個人の部屋の窓を開いた先にある小さなベランダで干すようになっていて、快適とは言えないものの、苦労することはない。
 また、その小さなベランダ、なぜか隣の部屋と一跨ぎでいけるようになっている──ため、今のように夜中なのにカーテンを開けっ放しにしていると……、
 コンコン。
『智〜、前をお邪魔さん〜。』
 軽い挨拶をして、ベランダを通行していく先輩選手の姿が…………。
「……広瀬さん、また川上さんの所に行くんですか?」
 呆れたように、椅子に座って「ベースボールマガジン」を読んでいた里中が、窓の向こうに見えた顔に問いかけると、広瀬と呼ばれた男は、ガサリとコンビニの袋を掲げて、
『一本おすそ分けしてやるよ。』
 頼んでもないのに、袋の中からビールを取り出し、コトン、と窓の外においてくれた。
 そしてそのまま、いそいそとベランダをまたいで、隣の部屋のベランダへと移っていく。
 里中は、そんな彼に、小さく溜息を零すと、椅子から立ち上がり、窓へと近づいく。
 カラカラ、と窓を開くと、ムッとする熱気と、ベランダの上に置かれた、汗を掻いた缶ビールが一つ。
 先ほど広瀬が消えていった方角を見やると、ちょうど広瀬が目的の部屋の前に到着したところだった。
 かと思うやいなや、広瀬の到着を待っていたかのように、窓が開いて彼はそのまま中へと消えていった。
 里中はそれを横目に、缶ビールを持ち上げて、
「ほんと、仲いいな……あの二人。」
 苦笑に近い笑みを零して、せっかく貰った缶ビールだからと、ありがたく頂戴しておくことにして、カラカラと窓を閉めて、部屋の中に戻った。
 きっちりと窓の鍵をかけて、カーテンを閉める。
 缶ビールを机の上において、里中はフ、と手を止めた。
 一枚の写真立てが、目に入った。
 思わず、ビールを掴んだその手で、里中は写真立てを手に取った。
 写真の中で、その少年はこれから来るだろう輝かしい未来を──それを掴み取るために必死にがんばることを、まるで恐れていないように笑っていた。
 俺一人じゃない。だから、がんばれる。
 そう思って見上げた先には、いつも穏やかに笑う男の顔があった──……、あの頃。
「…………やまだ……。」
 小さく、写真の中の自分の隣で笑っている男の名を呼んで、里中は視線を自分が読んでいた本へと落とす。
 表紙を飾っているのは、やはり注目の人──里中が写真で見たのと同じ顔だ。
 けれど、その彼が着ているのは、決して明訓時代のユニフォームじゃない。
 彼が他のユニフォームを着ているのが、見慣れないと思っていたのも最初だけ──今では、立派な西武の4番だ。
 里中はその雑誌に視線を落とした後、コトン、と机の上に写真を置いた。
 迷うように一瞬、瞳が揺れる。
 「大学で4年、ノンプロで3年」
 それが、自分がプロの世界に立てるかどうかの実力を量る目安だと思っていた。
 その、「ノンプロ世界」での目安まで、あと一年。
 けれど、一向に新しい変化球の目途はつかず──ストレートと変化球に切れが増した自信はあるが、いくら体ができて来ても、球に力がないため、力技の選手には、強引に場外に持っていかれることもしばしば。
 連続20奪三振なんていう、「打たせて取るタイプ」の投手にしてみたら、夢のようなこともしてしまったけれど──、それでも自分自身としては、力不足が否めないような気がしてならない。
 ──そう、一言で言ってしまえば、自信がないのだ。
「これじゃ俺も、半年前の知三郎のことを笑えないな……。」
 苦い笑みを張り付かせて、里中はストンと落ちるように椅子に座り込む。
 あと丸1年。
 さ来年は、どうしているのか……幸いにして今のところ、投手人生が駄目になるようなダメージは負っていない。高校時代に無理をして投げてきた後遺症が嘘のように、右腕は万全の状態に近い。
 だから、来年──プロテストを受けることも、考えてみてもいいと思う。
 そして、本当にプロテストを受けるつもりがあるならば──来年の今の時点で、自分はプロでやれると言う自信ができたなら。
────……挑戦したいと思う球団は、たった一つしかなかった。
 けれど、そう確固たる意思で願えば願うほど、里中は半年前の自分の発言が、自分の首を絞めている事実に気づくのだ。
「…………西武にプロテストを受けに行くなら、最低でも知三郎クラスの変化球が居るよな…………。」
 果たして西武が、今現在「三位一体」で活躍している「犬飼知三郎」が居るのに、同じようなタイプの里中を、取ってくれるだろうかどうか。
 しかも、知三郎が持っているような「ドックル」クラスの決め球がない。
「──もっとも、山田が説得に来たら、それに折れない投手なんていないよな……。」
 だったら、結局のところは、自分の発言が墓穴を掘ったわけではないはずだ。
 そう零して──里中は、なんだか滅入りそうになる自分に、とっぷりと溜息を零した。
「今年一年、時間を見て、色々考えてみるか──……。」
 一人で考えても、新しい変化球なんて早々生まれるわけではない。
 色々なビデオテープを見て試してみたが、自分の最大の売りである「コントロールのよさ」を失うような類の変化球は、好みじゃない。
 そう考えれば、知三郎が持っている「どこへ行くか分からないナックル」なんていうのは、言語道断だ。
 たとえ相手が空振りしなくても──見送っても「ストライク」が取れるような、そんな変化球がほしい。自分の意思を持って、ストライクゾーンを通せるような、それが。
 ぼんやりと、視線をさまよわせるように里中が天井を睨みつけた、その刹那。
 不意に机の上に置き去りにした携帯が鳴り出した。
 とっさに携帯電話に手を伸ばすと、同時にプツリと携帯が切れる。
 一体何だと、画面を見下ろせば、メール着信のお知らせが表示されていて、さらにメールを開けば、今ちょうど考えていた人物の名前が記されていた。
「……なんだ、知三郎かよ。」
 なんとなく、開きたくない気分になったが、彼から来るメールといえば、「山田情報」であることは間違いない。
 時たまイヤミかと思うようなメールが入ることもあるが、有意義な情報が来ることもあるので、素直に受信したメールを開く。
 ──絵文字を使って打ってくる彼のメールは、偶然見た同僚が、『智の彼女のメールって、色気ねぇな〜』とカンチガイしたことがある代物だ。
 そんなメールを、里中は「見づらい」といつも文句を言っているが、彼はだから面白いというように、時々パズルのような絵文字を送ってくることもある。──頭のいい子供は、これだから分からない。
 苦虫を噛み潰したような顔で、里中は題名に使われた絵文字を睨みつけた後、本文を開いた。
 それは、今日の試合の結果報告だった。
 ダイエー対西武。三戦目になる今日の先発が「犬飼小次郎」と「犬飼知三郎」の兄弟対決なのは、昨日の夜から知ってした。それも三連戦の最終日の「1勝1敗」という、見所のある勝負だっただけに、今朝のスポーツ新聞でも注目の一戦だと書きたてられていた。
 この試合に勝ち越した方のチームが、リーグでの単独首位に躍り出る貴重な一勝でもあるからこそ余計に、福岡ドームは熱狂に包まれていたことだろう。
 いつも試合とはぜんぜん関係のないことばかり送って来るくせに──たとえば「寮で獅子丸さんの部屋に行ったら、パンツがあって、僕が三人くらい入りそうです。片足ずつ僕と里中さんが入っても、まだ余裕がありそう……」とか。
 珍しいこともあるものだと思ったが、それほど嬉しかったということだろう。
 何せ、ランニングホームランで同点をたたき出し、さらに9回の表に山田の逆転ソロホームラン。
 明訓高校の苦しい時の勝ちのパターンに似ていた。
 もっとも、明訓高校のときは、投手であった里中自身が突破口を開き、それに岩鬼、殿馬と続くというのが、パターンとなっていたが。
「──……。」
 無言で里中は、自分の顔をわざわざ文字で作り上げた知三郎の力作「喜びメール」を見下ろしながら──こんな「三男坊」には、小次郎さんも甘くなるんだな、と苦い色を刻んだ。
 感傷ともしれない感情が、ムクリ、と鎌首をもたげるのを感じながら、ぴ、と返信を押す。
「暇人。」
 そのまま、メールを送信してしまおうかと思った瞬間だった。
 突然、携帯電話が音楽を奏で始める。
 着信音だと気づいて、慌てて画面に目を落とすと、そこに記された名前に、里中は小さく目を見張った。
 つい先日、携帯電話の番号を交換しあったばかりで、一度も電話などかけてきたことのない相手だ。
 一体どうしたことかと、知三郎へのメール返信を放棄して、そのまま受話を耳元に当てる。
「はい、もしもし?」
 ザザ……と乱れるような電波の音に、この寮の中って、時々電波が悪くなるんだよな、と里中はヒョイと立ち上がり、ベランダへと歩いていく。
 カーテンをシャッと開けながら、
「もしもし? 山岡さん?」
 雑音が途切れたのを見計らって、通話相手の名前を呼んだ。
 その声が耳元に聞こえるや否や、つい先日4年ぶりの再会を果たしたばかりの相手が、嬉しげに里中の名を呼ぶ。
『里中ー? おっ、ちゃんとつながったみたいだな。』
 ザザ……と微かに雑音が入るものの、先ほどと違いしっかりと声は聞こえる。
 それでも不安は残るから、里中は窓を開いて、ベランダに出た。
「すみません、寮の部屋は、どうも電波が悪くって。」
 メールは届くのだが、電話をすると良く雑音が入る。
 時々混線して、とんでもない会話を聞いてしまったりすることもあるんだとは、この間番号交換をしたときに話した軽口だ。
 山岡もその時のことを覚えていたのだろう、クツクツと喉で笑いながら、
『いや、俺のほうこそ、先にメールで電話してもいいか聞くべきだったな。
 今、一人か? 電話してても平気か?』
 明るい声で話しかけてくれるその声に──懐かしい声に耳を傾けながら、はい、と里中は頷いた。
 その里中の返事に、それなら、と山岡は本題を切り出す。
『あのな、お前さ──オールスターって、興味あるか?』
「オールスターって……え、それ、どういう意味ですか?」
 どこか言い出しにくそうな口調の山岡に、里中は首を傾げつつ、ベランダの手すりに腕を伸しかけた。
 見上げた空も、見下ろした地上も、とっぷりと夜の闇に包まれていて、なんだか静かだった。
『ん──いやな、うちのチームの先輩が、今年のオールスター戦のチケットを買うって話になってな……。
 ほら、もうすぐ先行予約が始まるだろ?』
「あぁ……そうですね、もうそんな時期でしたっけ。」
 言われてみれば、人気投票の時期は目の前に迫っている。
 今年は、「知三郎」にお愛想程度の一票を投じてやろうか──いや、それくらいなら、当確確定だと思うけれど山田に入れたい。
 そんなことを電話のこちら側で里中が考えているとは気づかず、山岡はそれでな、と話を続ける。
『一人4枚まで注文できるだろ? だから、もし良かったら俺の分も一緒に取ってやろうかって言われたんだけど……お前が行く気なら、一緒に行かないか?』
「……………………山岡さん、誘う彼女とか居ないんですか?」
『…………あのな…………。』
 思わず真剣な顔で心配してしまった里中に、電話の向こうの山岡は、ドップリと溜息を零したようであった。
『そうじゃなくって……。』
 そういった後、少しの沈黙が降りて、山岡は無意味に「あー……」と考えるような沈黙を置いた後、不意に、
『お前、山田たちがプロになってから、一度も生で試合見て無いんだろ?』
 そう──切り出した。
「…………っ。」
 瞬間、ガンッ、と何かで頭を殴られたかのような衝撃を覚えて、思わず里中は息を詰め……キュ、と唇を真一文字に結んだ。
 「試合」は、見てる。
 けれどそれはいつも、テレビやラジオやカメラ越しだ。
 決して肉眼で見ることはなかった。
 それがどうしてなのかと聞かれたら、「球場が遠いから」だとか、「遅くまで練習してるのに、行ってる暇はない」だとか答えてきた。
 けど──本当の答えは、他の誰でもない里中自身が良く知っていた。
 2年前、プロ野球を目指すために、ファームに見学に行ったことがある……その時に見た、二軍の投手の実力に、背筋が震えるほどのショックを受けた。
 あの時の、言葉にならない──吐き気すら覚えそうになるほど、プライドが崩れ落ちる音を……そして絶望に近い感情が、今また湧きあがってくるようであった。
 俺以上の投手なんて、プロの二軍にはゴロゴロ居る。
 その事実に、胸が焼け焦がれるかと思った。
 今の俺じゃ、プロテストを受けても意味はない。
 そう思ったからこそ、「単位を取りながらの大学野球」なんていう物よりも、四六時中野球をしていられる「ノンプロ」に進むことを選んだのだ。
 ただでさえでも、1年遅れている自分には、「ノンプロで3年」が、一番近道だと思ったから。
────…………でも。
 それが、「逃げ」ていたのではないと、どうして言えるのだろう?
 焦りと、焦燥と──そんな風にむやみに焦っても、何もならないのだと、無理矢理自分を押さえ込み、ただ必死にすぐ目の前を睨みつけてココまで来た。
 そのために、俺は、プライドを著しく刺激される「彼らの野球」を、生の目で見ることはすまいと、そう、思ってきた。
 グ、と、ベランダの上で拳を握り締める里中が、胸の内に抱える激情を必死で抑えているのに、電話の向こうの山岡は、気づいているのか気づいていないのか……どこかつらそうな色を滲ませて、
『なら──その……そろそろ力量測るためにもさ、見ておいていいんじゃないか?
 どうせあいつらは、選ばれるのは決まってるんだからさ。』
 けれど、先輩ぶった声で、朗々と、そう告げた。
「……………………………………。」
 里中は、無言でベランダの手すりに置いた自分の手の甲を見下ろす。
 高校時代に比べて、節ばった気のする手は、少しだけ大きくなったように思える。
 身長だって体重だって、高校3年の頃よりも、伸びたし増えた。
 自分の年齢の男の標準身長も体重もクリアしているし、腕にだって脚にだって肩甲骨にも、筋肉はずいぶんと増えた。
 スタミナだって当時よりも、ずっと増した。
 でも、それでも。
『だからさ、里中? 一緒にオールスターを見にいかないか?』
 耳元で聞こえる山岡の声に、この春先に再会したばかりの彼の姿が思い浮かんだ。
 高校の頃とちっとも変わらない容貌に、けれどあの頃よりもずっと精悍になり、無駄ではない筋肉が付き、たくましくなっていた山岡。
 青森のノンプロに就職したんだと言って笑って、今はレギュラーを獲得するために、がんばってるところだと、そう教えてくれた。
 「一年目でエースになった里中という投手がいる」と聞いて、もしかしてと思って訪ねてきてくれたのだと言ってくれた。
『山田と岩鬼と殿馬に不知火は、確実に選ばれると思うぞ。』
 山岡は、こういう所が優しい──主将として自分たちを見てくれていたときと同じくらい、気配りや目配りが効く。
 里中が、なぜ逡巡しているのか、気づいていて、背中を押してくれる。
 そこで立ち止まってはいけないと、そう教えてくれる。
──俺は、そういう人に、恵まれている。……今も、昔も。
「──……7月22日と、23日でしたよね?」
 里中は、部屋の中を振り返り、壁に貼り付けてあるカレンダーを振り返った。
 穏やかにそう切り出した彼に、山岡はホッとしたように声を上ずらせて頷く。
『そう。とりあえず両日付とも取ってもらうつもりなんだ。
 だから、どっちになっても大丈夫なように、両方とも空けといてくれよ。』
「分かりました。」
 里中は、コクリ、と頷いて、それから山岡と近況について語り合い──最後に、もう一度連絡を貰うことを約束して、電話を切った。
 とたん、シン、と沈黙が落ちてくる。
 その静かな空気の中、里中はベランダから見える、つい昼間も走り回った自チームのホームグラウンドを見つめた。
「…………オールスター、か…………。」
 プロ野球ファンにとっては、「夢の祭典」。
 でも。
 今の、俺には──。
「────────……………………。」
 無言で携帯を握り締めて、里中は、キュ、と唇を噛み締めた。



 いつまでも、足を踏み出すことを恐れて、ぬるま湯に浸かっているわけには行かないのだと。
 焦りと焦燥感ばかりを煽られるわけにもいかないけれど。

 それでも。

 それを闘志に変えるために、自分を、一度突き落とすのも、必要なのだと──、そう思った。














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知三郎は、携帯でくだらない携帯メールとかを送ってそうだと思って、捏造してみました……っ!

ちなみに知三郎の本日のどうでもいい携帯メール→
「今日、山田さんのお誕生日だったそうですよ〜。なので、コンビニで小さなケーキを買ってお祝いしてあげました♪ けど、山田さんがローソクの火を消した後に、獅子丸さんが、ケーキを丸ごと一口で食べちゃったんですよ! ひどいと思いませんかっ!?」

それを見た里中の反応。

「…………………………(←即効メールを削除)。」

里中は滅多にメールを返さないが、知三郎は気にせずにメール送信。
気づくと里中の携帯の受信箱は、知三郎の毎日の日記みたいな状態に……っ!!(笑)

里中「こういうのは、お前の兄貴に送っとけよ! なんで俺のメールのほとんどが、お前からなんだよ!」
知三郎「いいじゃないですか、どうせ里中さん、他からメールなんて来ないんですから。」
里中「──……っ…………暇人っ。」

……って私、もしかして、里中と仲がいい知三郎の設定、だいぶ気に入ってる……?