大甲子園1巻の1話から発生したパラレルです。 もし、あの時、里中の母が悪性であったら……。 里中が二度と明訓に戻ってこない設定です。 明訓高校は、三年の夏、不知火に負けているため、 甲子園に出ていない設定で行っております。 現時点で、CPがあるかどうかは分かりません。 まぁ、あったとしても、やっぱり山里? 最初は暗いです……それでもOKな方はどうぞ。 |
「あっ、ほら、母さん、ドラフトが始まるよ。」
狭い病室の中、ことさら明るい声でそう笑って、智が小さなブラウン管を指差す。
その明るい笑顔が、かすれて見えて、加代は小さく瞬きをしようとした。
けれど、その瞬きすら億劫で、そのまま目を閉じてしまいそうになる。
空気をよくするために薄く開いた窓からは、そよそよと秋の冷たい風が吹き込み、それが頬を撫でていく。
かすれた視界で捕らえた窓の外は、すっかり空も高くなり、秋から冬へと移り変わる季節を映し出していた。
「今年の夏は、明訓が地区予選で負けた分だけ、山田も不利だよな──でも、山田は実績があるから、最低でも3球団の指名はあると思うんだ。」
ベッドサイドに置かれた椅子に腰掛けて、真剣にテレビ画面を注視しながら話す智は、まるでわが事のように緊張して見えた。
その横顔がひどく遠く見えて、加代はうつらうつらと霞が掛かった目で、必死に智の顔を映そうとする。
けれど、わが子の顔がぼんやりとぼやけて、テレビはただ真っ暗にしか映らない。
きっと智が言うのだから、あのテレビには、今年のドラフトの映像が映っていて、各球団が勢ぞろいしているシーンでも映し出されているのだろう。
「……や、まだ……くん……、ね。」
きっと、選ばれるわよ──そう続けるつもりだったけれど、乾いた唇では、そう言うのが精一杯だった。
そんな加代を振り返り、にっこり、と智が笑う。
その微笑に、少しずつさびしげで辛い色が混じってきたのを知ったのは、いつごろからだっただろうか……そう、きっと、あの7月の末の手術が終わり──しばらくして、加代がベッドに身を起こすのも辛くなってきてからだ。
こんなことなら、手術なんてしなかったらよかった……そう、真夜中に智が、自分のシーツに向かってつぶやいているのを、聞いた頃からだ。
──手術の結果、悪性だったと判明して……同時に、手術で一気に体力が落ちた自分の命が、もう残り少ないだということを、加代は知っていた。
この冬を越せるかどうか、分からないほど──自分の体力は落ちている。
10月に入ってからは、ほとんど寝ていることが多くて、起きているのすら辛いと思うこともあった。起きているときは、苦痛に悩まされて、余計に体力を消耗して──ますます命を縮めていっているような気がした。
それでも──智が高校に入ってから、ずっと一緒にいる時間が無かったから……せめて、少しでも長く、彼のことを見ていたいと思って、がんばってきたけれど。
────どうしてかしら? 今日はイヤに、視界が悪いわ。
億劫げに目を瞬くと、そのたびに視界がかすむ気がした。
白くぼんやりと、霧がかったような視界の中で、智がほら、と、加代のシーツを軽くたたいて、テレビを見るように促す。
「やっぱり、一番は甲子園の優勝校の青田の中西かな? けど、今年は不知火も甲子園で活躍したからな……初出場で準決勝進出したんだから、たいしたもんだぜ。」
中西と山田の対決は、俺も見てみたかったな……いや、プロでその夢は、叶うかもな。
そう言って笑う智の横顔が、どこかさびしげなのを認めて、加代はますます白くなっていく視界の中で思った。
──こんなに早く、この子と別れることになるなら、やっぱり、あの夏……最後までやらせてあげればよかった。
加代は、瞳を瞬くたびに視界が白くにごっているのを感じた。
同時に、先ほどまで感じていた肌をなでる冷たい風も、シーツの感触も、何もかもが感じなくなっている事実にも。
そのときが、来たのだと……ぼんやりと思った。
智、と、そう呼びかけようと思って、唇を薄く開く。
けれど、唇からこぼれたのは、ヒュ、と細い音のする息ばかり。
加代の視線の先で、智はジ、とテレビを注視していた。
その緊張の走る横顔を見て、加代はこみ上げてくる苦い感情をかみ締める。
今この場で、後悔があるとすれば、この子を一人、残していくことだ。
夏の手術が終わった後──すでに手遅れだと、そう担当医師から告げられた後……加代は、智に告げた。
今ならまだ間に合うから、戻りなさい、と。
夏の大会が終わるまでは、母さんは何とかがんばって見せるから、だから──今、戻らないと、一生後悔するわよ、と。
けれど、智はそれにかぶりを振った。
もう残り時間が少ないと分かったのなら、今優先するべきなのは野球じゃなくって、母さんだから、と。
うれしくなかったといえば、嘘になる。
でも、この子のこういう顔を見てしまうと、この選択を選ばせてしまったのは、間違いじゃないかと──そう思わずにはいられない。
この子は、本当は彼らとまだ野球がしたかったに違いないのに。
智が、固唾を呑んでテレビを見守る。
緊張してきたのか、彼はシーツの中から加代の手を取り出し、きゅ、とその手を握り締めた。
無意識の行動だろうそれに、加代は小さく笑みをこぼした。──形になるかならないかの、かすかな笑み。
智の手の感触は、残念ながら手の平に感じることはできなかった。
でも、握り締められたのは分かったから、加代はその手を握り返した……自分にできる限りの、精一杯の力で。
「──……。」
無言で智がテレビを見詰めている。
きっと発表の瞬間なのだ。
そう思った瞬間、グラリ、と体が揺れるのを感じた。
「────…………さ……。」
智、と。
そう呼びかけようと思った瞬間、ギュッ、と、智が手のひらを握り締めたのが分かった。
ハ、と、目を見開こうとした。
やったのね、と。
山田君、選ばれたのね、と。
そう言って、笑ってあげるつもりだった。
けれど。
体は、何も言うことを聞かなかった。
全身が、スゥ、と、冷えていくのを覚える。
「母さんっ、やったっ!」
満面の笑顔で振り返った智の顔は、見えなかった。
──もう二度と、見えなかった。
「山田が、ドラフト一位で指名されたっ!」
ギュ、と、強く母の手を握り締めて、智は加代を振り返り……コトン、と──力なくシーツの上に落ちる母のぬくもりに。
「………………か……さん?」
彼女の視界が、ひどく空ろであることに気づいた。
「母さんっ!!?」
ガタンッ、と、椅子がなる。
激しい音を立てて椅子が背後にひっくり返るのにも気づかず、智はあわてて加代の体の上に上半身を乗り出し、彼女の肩をつかむ。
肉がごっそりと削げ落ちた肩は、痛々しいくらいに骨と皮の感触を智の手に伝えた。
そして。
「………………────っ!!!!!」
音もなく、母の名を叫ぶ智の背後で──テレビの中で、同じ名前を呼び続けていく声が、ただ空ろに、響いていた。
「お世話になりました。」
頭を下げる少年の細い腕には、白い布に包まれた、小さな箱が一つ。
それが何なのか知っているからこそ、医師は顔を曇らせて、小柄で華奢な……けれど、母親に似て芯の強い少年を、見下ろした。
「智君……。」
病院に勤めている関係上、どうしても患者の死に目に出会う回数は、普通の人よりも多い。
──言いたくはないけれど、珍しいことではない。
けれど、いつも、その瞬間は辛いし、悲しかった。
目の前の少年は、たった一人の身内を亡くして、身が切られるほど痛いだろうに、それを臆面にも出さず、深々とお辞儀をする。
「勤め先が決まりましたら、連絡します──あの、母の入院代……必ず、少しずつでも、払っていきますから。」
ギュ、と、すっかり様変わりしてしまった「母」を、大事そうに抱きしめながら、そう言う智に、医師はただ切なげに笑うしかなかった。
真摯なまでの──強い眼差しを秘めた少年の肩に手を置き……ギュ、と、力を込めて握り締める。
この子に、幸多からんことを。
今年の春先には、テレビの中で満面の笑顔で笑っていた少年の、今の姿の、なんともの悲しいことか。
それでも、彼は全身で先を見据えている。
生きる希望を、失ってはいない。
「──がんばってくれ。お母さんも、君をずっと見守ってくれているよ。」
言葉が詰まって、ありきたりの言葉しか、こぼれてこなかった。
いつも流暢に話している言葉が、何も頭に浮かんでこなかった。
そんな自分が悔しくて……でも、少ない言葉に込められた思いが伝わればいいと、そう思い口にした医師に、智は、小さく笑った。
「はい、先生。
おれは、母さんに恥じない生き方をしていきたいです。」
「野球、やめるなよ。」
「はい。」
今度はしっかりと頷いて、智は腕の中の遺骨壷をしっかりと抱えなおす。
肩からずり落ちそうになった自分の荷物のすべてが入ったカバンを持ち直すと、再び彼はお辞儀をする。
「それでは、先生。
今まで、ありがとうございました。」
「…………元気でな。」
にっこり、と笑う顔も、まだ痛々しいばかりだった。
その顔を見送りながら──その小さな背が、病院の敷地からゆっくりと歩き出て行くのを見ながら、医師をしている限り、何度でも思うだろうことを、今再び思う。
どうして運命は、悲しい方向にばかり、転がっていくのだろう?
あの子は、いつも歯を食いしばって、がんばってきたじゃないか。
自分の夢をかなえるために、息子の夢をかなえるために、智君も、加代さんも、がんばってきたじゃないか。
なのに。
『これは、智が初めて公式戦で投げたときの写真なんですよ。』
そう言って、笑いながら病院に持ち込んだ「全財産」のうちの一つ──アルバムを取り出す加代に、どこか照れたような憮然とした顔で、「やめてよ、母さん」とつぶやいた智。
荷物になるから置いてきて、って言ったのに。
そう言いながら、加代はコレが宝物なのだと、智の高校時代の写真のアルバムを抱きしめて笑った。
そのアルバムを、──荷物になると、そう言いながら、智が真っ先に自分の手荷物の中にしまいこんでいたのを、知っている。
────それが、加代の、形見となってしまったからだ。
新聞の切り抜き、遠目からの写真──智ばかりが写るソレには、加代の写真は一枚も無かった。
高校に入ってからは、暇がぜんぜんなくて、母と一緒に写真をとることはなかったのだと、智は言っていた。
入院してから、写真を撮ろうかといった事があったけれど、加代はこんな顔はとられたくないと、そう笑って断った。
もしかしたら、母なりの、智が自分の死にとらわれ続けないようにとの考慮なのかもしれない。
けれど。
「……あの子はこれから、どうするのだろう?」
どこへ行くのかと聞いたら、母が生まれた故郷へと、そう答えた少年。
母の遺骨は、母が望む地に還してあげたいからと、彼はそう言った。
その後、どこか住み込みで雇ってくれる場所で、働いて暮らすと続けた。
もしかしたら、あのまま野球を続けていたら、あの子もまた、ドラフトで選ばれることもあったかもしれない。
加代が二度と目を覚まさなくなった日……智と共に野球をしていた同学年の彼らは、一人残らず──智以外すべて、ドラフトで選ばれていたのだから。
「………………──────。」
加代の担当医師だった男は、もう見えなくなった智の背の残像を追うように目を眇めて……苦痛の入り混じったため息を一つ、こぼした。
+++ BACK +++
加代さん好きなのですが、考えだすと止まらなかったんです。
里中、さっそうとノンプロデビューとか。
テレビのこっち側で苦悩する里中とか。
でも、誘惑に負けて、なんか野球のチケット買っちゃったりとか。
で、活躍している不知火とかを見て、嫉妬や闘争心や疎外感を感じちゃったりとか。
ちなみに仕事は、どこかの宿か何かで住み込み後、紹介でトレーニングジムのインストラクターとか。
で、中学時代を思わせるように、一人、延々と投げる練習していたり。
ノンプロに入りたいと思って、見学しているうちに山岡さんと再会してみたり。
(そして山岡さんと西武の試合を見に行って、山岡さんに山田のサインボールをねだる里中とか。←違)
里中「鉄二さん! 鉄二さん!」
山岡「んー? どうした、智?」
里中「見てくださいっ、山田のサインボールを売ってるんです!!」
山岡「おっ、本当だな、最近はこういうのも売店に置いてあるのか、へー。」
里中「山田の直筆かな? おれ、考えてみたら、山田のサインって持ってないんですよね。」
山岡「そりゃ持ってないだろ……って、買うのか、もしかして?」
里中「給料日前でお金ないんですよね──うーん。」
「山田のサインボールは人気高いから、すぐに売れちゃうよー。」
里中「…………せんぱーい〜。」
山岡「お前、こういうときには先輩になるんだな……。」
里中「お願いしますっ。」
山岡「しょーがないな、がんばってるお前に特別にプレゼントしてやるよ。」
里中「えっ、本当ですかっ!? それじゃ、えーっと……やっぱり、普段用と保管用といるよなー。」
山岡「いや待てっ、買うのは一個だけだぞっ!」
里中「えーっ!」
山岡「い・っ・こ・だ・けっ!」
里中「ちぇっ、しょーがないですね、それじゃ、一個で我慢します。」
山岡「……………………。」
──これじゃタダのファンじゃん(笑)。
続きを書くなら、多分、次は明訓高校卒業式編かな?