「そんなもんすよ」











 パ・リーグ新球団、スーパースターズのキャンプ初日。
 あらゆる意味で、緊張が走る日である。
 完全な新しい球団。
 プロ野球界では監督を務めるのがはじめての若手監督。
 四方八方から集まってきた、新しい力、選手、懐かしい顔ぶれ。
 多くの記者と、ファンが集い、キャンプ地は興奮に満ち溢れていた。
 その、どこか落ち着かない雰囲気の中、久しぶりに顔をあわせた面々は、懐かしい思い出話に花を咲かせていた。
「……いや……しかし、なんだ。」
 どこか照れくさいような表情で、コリコリ、と山岡は頭の後ろを掻いて周囲を見回す。
 見知った顔、知らない顔、懐かしい顔──。
 それらを見ても、落ち着くどころか、胸が忙しなく鼓動を打つばかりだった。
「なんか、こう、落ち着かないな。」
 はは、と、短く笑う声にも、緊張の色と上ずった色が見え隠れして、山岡は参ったな、と、顔をゆがめた。
 そんな彼の前に立つ高校時代の後輩達は、さすがにプロ野球の世界で9年間も場数を踏んでいるだけあって、高校時代とは比べ物にならない記者の数にも、ファンの数にも、ひるんだ様子は見えない。
 けれど、さすがにそれでも少し緊張しているのか、
「そうっすねぇ……いくら慣れ親しんだ場所でも、なんか……こういう時って、落ち着かないもんすよね。」
 苦い笑みを口元に刻み込んで、微笑が山岡に同意を示す。
「おまえらでもそうなのか?」
 そう問いかけながら、山岡は視線をずらして、「おまえら」と一くくりにした面々の顔を見やった。
 彼の視線の先では、ガッツンガッツンと豪快にバットを叩きまくっている男の姿があった。
 記者の焚くフラッシュや、気の早いファンのあげる声にこたえるように、両手を挙げて喜んでパフォーマンスをしている。
 アレは、緊張しているのかと、そう訴える山岡に、微笑が細い目をさらに細めて、
「あー……岩鬼は、緊張自体、あるかどうかわかんねぇっすねー。」
──でも、昔からあんなもんでしょ?
 と、山岡に同意を求める。
 確かに、もう10年も前になる記憶を掘り返してみても、岩鬼が真剣に悩んだり、緊張したりと言った姿は、「夏子絡み」以外では見なかった記憶がある。
 その夏子さんも、今じゃ人妻で数人の子持ちなんだから、月日の経つのが早いものだ。
 一瞬、回顧に思いをはせた山岡の隣を、シャラララ……と、殿馬が一輪車で駆け抜けていく。
 彼の一輪車好きは、いまだに健在のようであった。
 テレビで何度か見たことがある光景に、山岡は一瞬、毒気を抜かれたように目を見開き、呆れながらそれを視線で追った。、
「殿馬も、プレッシャーとか緊張とは、無縁そうだよな。」
 ガッツンガッツンとバットを振り続ける岩鬼の隣を、涼しい顔で殿馬が走り抜けていく。
 そんな彼へ、岩鬼が何か叫んで、殿馬がキュ、と一輪車を止めて何か返す。
 がくぅ、と肩を落とす岩鬼を気にせず、殿馬は再びシャカシャカと前へと飛び出していった。
 その風景を、どこか懐かしげに見ながら、山岡は隣の微笑を見上げた。
 微笑も、懐かしげに目を細めながら、岩鬼と殿馬の掛け合いのようなものを見つめながら、フ、と笑みを口元に刻んだ。
「けど、オレはさっきからドキドキしてますよ。
 ──なんてったって、明訓高校再結成……って感じっすしね。」
 やっぱり、いくつになってのあの時は「特別」なのだと──そう、懐かしむように笑う微笑に、そうだな、と山岡はひとつ頷いた。
 微笑が零したその台詞がそのまま、山岡達のプレッシャーになっている。
 不敗を誇った明訓高校──その明訓が唯一の負けを記したのが、山岡の引退の時であった
 その、明訓高校の再結成にプラスして、当時ライバル校として苦しめられた数々の友人達が、仲間に入り──このプロ野球世界に新しい風を招きいれる。
 当事者でなくとも心踊るその事実に、当事者である山岡は、喜びの緊張と共に、強いプレッシャーを感じずにはいられない。
「そっか。──やっぱ、緊張するよな。」
 腕を組み、少しだけ安心したように山岡が小さく笑う。
 それから照れたように頬を指先で掻いて、球場を一輪車で駆け巡る殿馬と、堂々と胸を張って立っている岩鬼とを見た後、
「……あの二人の神経が特別なだけか。」
 そう、納得して、話を終わらせようとした──が、
「いや、あっちもだと思うっすよ。」
 あえて、先ほどから山岡が見ようとはしなかった方角を、微笑が指し示して教えてくれた。
「………………………………。」
 無言で腕を組み、球場を見据えたまま、決して背後を振り返らない山岡に気づかず、ほら、と微笑はベンチの辺りを示した。
「──ま、あの二人の場合は、緊張とかそういうのよりも、お互いしか目に見てないって感じっすけどね〜。」
 腰に手を当てて軽く笑い声をあげる微笑に、山岡は何も言わず無言で目線を落とした。
 そしてその後、その、先ほどからあえて視線をはずしている一角をチラリと見やる。
 ベンチの傍では、久しぶりにおそろいのユニフォームに身を包んだ──あえて言えば、箱根ではいつも同じ明訓ユニフォームじゃないかと言う突っ込みを入れることができる──、バッテリーが、蛍光ピンクのオーラを垂れ流しで向かい合っていた。
「──……そーだな。」
 見ているだけで分かるほど、お互いしか目に見えていない「明訓五人衆」の残る二人を認めた山岡は、思わず胡乱気な眼差しで彼らを見やった。
 周囲が和やかに、にこやかに談笑している中、彼らはしっかりとお互いの目を見つめあい、ただ佇んでいる──昔良く、球場のマウンドの上で見た光景である。
 そしてその通り、二人は間近で視線を交わしあいながら、お互いの名を呼び合っていた。
「山田……。」
「里中。」
 ただ視線を交し合う──たったその一瞬だけで、多くの言葉がお互いの胸を吹き荒れているのがわかった。
「山田。」
 もう一度、相手の名前を口にする里中に、うん、と山田はひとつ頷いて、
「里中。」
 そう呼びかけて答えた。
 続けて二人は、ニッコリと微笑みあって──あとはひたすら、ニコニコ微笑ながら、見つめあいタイムに突入した。
「……………………────あいかわらずだな。」
 いつか見た光景だと──山岡は、ひたすらニコニコと笑いあっている二人に溜息をひとつ零した。
 新しい球団への緊張だとかプレッシャーだとかは、今の里中にも山田にも関係ないのだろう。
 ただ二人にあるのは、今から自分達が同じチームでバッテリーを組めるという、その喜びだけだ。
 ようやくその一歩を踏み出せたのだと──集合時間前から、ずっとあんな感じだ。
 そううんざりした様子を見せる山岡に、微笑がパタパタと手を振って明るく笑い飛ばす。
「アハハハ、12月から、ずーっとあんな感じっすよ。
 智の引越しのときも、目で会話しながら荷物運んでましたっすから。」
 最近の引越しは、引越し主はほとんど何もしなくてもいい。
 だというのに、里中家の引越しもイベントの一環だと言わんばかりに、山田も微笑も岩鬼も殿馬も、それの手伝いを買って出でいたのである。
 そんなおまえらも、相当仲がいいけどな──と、山岡が眉を寄せて里中と山田から視線をはずした先……、
「なんや、まーだ見つめあっとんのかい、あのバッテリーは。」
 いつの間にか目の前にやってきていた岩鬼が、片手でバットを十本纏めて掴んだまま、呆れたようにベンチの横に視線を飛ばした。
 さらにそんな岩鬼の隣に、キキィ、と短い音を立てて一輪車を滑り込ませてきた殿馬が、
「いつものことづらぜ〜、10年前みてぇによ、ことあるごとに見つめあいモードになるづらぜ。」
 懐かしい話を持ち出して、ヒョイ、と肩を竦める。
「いや、あの一ヶ月の空白よりも長いだろ、今回は。
 ま、夏の甲子園の時みたいに、同じ部屋に泊まらずにすむだけ、まだマシかねぇ。」
 腕を組んで眉を顰めた微笑が、軽く首を傾げて呟くのに、山岡は聞かずとも10年前に何があったのか、だいたいのところを理解した。
 思い出すのは、自分が高校2年と3年の時の、三度に渡る大阪宿泊の時の光景である。
「…………アレが毎日か?」
 うんざりしたように呟く山岡に、いや、アレよりももっとひどいと、微笑が真摯に首を振る。
 その真剣な微笑の顔に、山岡が大きく顔をゆがめた矢先──、
「どえがきはんに言うて、隔離せなあかんで、あれは、ほんま。」
「バカップルはよー、犬のえさにもならねぇづんづらぜ。」
 岩鬼と殿馬の二人が、微笑の言葉を援護するように、つまらなそうに肩を竦めあう。
「…………そこまでグレードアップしてるのか?」
 意味もなく地面を睨みつけながら、山岡が確認すると、
「そりゃ、もう。」
「背筋がこそばゆいわい。」
「ツーカーっちゅうヤツづらが、アレとって、しょうゆ? ちゅう会話もなく、目でツーカーづらな。」
 即答で答えが返ってきた。
 山岡は無言で視線をずらしら、イヤイヤながらベンチを見やった。
 そこではまだ、山田と里中が嬉しそうにお互いのユニフォームを見つめて、ニッコリと笑いあっていた。
 そして、そんな二人を横目に。
「………………──さー、そろそろはじめるぞー。
 山田、里中、おまえらもいい加減、体でも解し始めろ。」
 ひどく淡々とした声で、土井垣がわざとらしく声をかけているのが見えた。
 その光景が、ひどく懐かしいような気がするのはきっと、気のせいだと………………。
 思えたらいいな、と、山岡はひどく消極的に思ってみた。












+++ BACK +++




スパスタ編の最初の方の話。
たった一ヶ月離れていただけなのに、大甲子園でアレほどラブラブしてたことだし……。
三ヶ月離れただけなのに、山田の夢とか見て「会いたい」とか独り言呟くくらいだし……。
9年もまともに会えない日々たつづいたら、これから蜜月突入同然と言っても不思議じゃないかなー……とか思ってみた。
…………いや、もう熟練夫婦みたいな感じですかね。



「……山田。」
「うん、里中。」
「──……山田……。」
「うん。」
「……なんか、照れるな──また、おまえと同じユニフォームだ。」
「う……うん、そうだな……そういわれると、照れるな。
 でも、また一緒に野球がやれるな、里中。」
「うん──やっぱりオレ、山田と一緒に野球できるのが、一番嬉しい。」
「里中……。」
「山田……。」

「いや、もういいから、おまえら、いい加減ミーティングに混じれよ。」

「……土井垣さんも、ずいぶん扱いが乱雑になったな……。」
「なれっすよ、なれ。」