卒業式

*オリキャラマネージャー注意報*












 この廊下を、「学生」として歩くのも、今日で終わりか、と──しみじみとした気持ちになって、土井垣は歩きなれた廊下をことさらゆっくりと歩いた。
 廊下の窓から見下ろした校庭には、まだ芽吹いてもいない桜の木が枝をむき出しにして連なっている。
 土井垣は、うっすらと朝露をつけた窓の桟に指先を当てて、ふう、と窓に息を吹きかけた。
 肌寒さが濃厚に残る朝の空気の中、吐いた息は土井垣の顔の前を漂って消える。
 窓の外に広がるのは、この3年間、当たり前のように見続けてきた野球部のグラウンド──それを認めた瞬間、胸の中に湧きあがりかけていた郷愁にも似た気持ちが、ス、と消えた。
 代わりに浮き上がるのは、月末に迫った春の選抜──甲子園への闘志だ。
「春の優勝旗も、この明訓に持ち帰ってみせる。」
 山田たちがいる限り、決して負けはしない。
 そう、誰にともなく誓った、その刹那であった。
「あっ、土井垣!」
 早朝の廊下に、甲高く響く声がした。
 その声に、土井垣はゲンナリすると同時、ようやく「彼女」とも離れることができるのだと自分に言い聞かせるようにして首をめぐらせた。
 するとソコには、やはり思ったとおりの人物が、コートにマフラー、手袋と言った、「春先」とは思えない姿をして立っていた。
「おはよー。」
 軽く手を振りながら、彼女はかじかんだ指先で脱げない手袋を、歯で脱ぎながら、スタスタと近づいてくる。
 頬も鼻の頭も真っ赤に染めた彼女は──正しくは、彼女をはじめとする「彼女達」は、いまやこの地域で知らない人間はいないのではないかと思うほどに有名になった「土井垣」を、スーパースター扱いしない唯一の「女子」たちである。
 その筆頭とも言える娘は、脱ぎ終えた手袋を乱暴な手つきでポケットに仕舞いこみ、もう見納めになるだろう制服姿の土井垣を上から下まで見つめ──にんまりと笑った。
 彼女がそういう笑い方をするのには、覚えがあった。……思い出すのもイヤな覚えである。
 その土井垣の苦い顔を認めるように、少女は、んふふ〜、とこれ以上ないくらいのにやけ顔で近づいてきて、
「もぉしかしてぇ、昨日と同じ服でご出勤ですかぁ?」
「…………当たり前だろう。」
 何を言っているんだと、苦虫を噛み潰したような顔で、土井垣は彼女を見下ろす。
 そんな土井垣のそっけない台詞に、両手を胸の前で組み合わせて、彼女はキャv と嬉しそうに笑った。
「当たり前だなんて、もー、やーねーv そんな、堂々と……最近の若い子ったらvv」
 何を面白おかしい想像をしているのか、バンバンと遠慮もなく土井垣の肩を叩き、彼女──元明訓高校野球部のマネージャーであった小西愛子は、うっとりとした顔で組み合わせた両手をそのまま頬に当てた。
 そんな愛子の、楽しいことこの上ないだろう目くるめく妄想に終止符を打つべく、土井垣は呆れたように鼻を鳴らし、
「昨日はおまえも、卒業式の予行練習にその制服を着てきただろう。」
 そう吐き捨てるように呟くと、クルリ、ときびすを返した。
 これ以上ここに居たら、無いこと無いこと、延々と愛子によって「導き出されてしまう」ことは目に見えていた。
 今年の夏の大会が終わった後──関東大会が始まる時期に、土井垣が「監督」を引き受けたと聞いたときの、愛子の狂喜乱舞のさまは、ビデオにとっておいて、後々彼女の結婚式の時にでも送りつけてやりたいと思うほどにすさまじかった。あの時のことは、恐怖の感情とともに、いまだにアリアリと思い出せる。
「ってことは、今日はきっと、里中ちゃんは、すっごくけだるげにしているに違いないわっ! そして注意力も散漫なはずっ! ……まぁ、いつも里中ちゃんは、基本的に注意力散漫だけどっ。」
 さっさと教室に入っていった土井垣に気づかず、愛子はガッツポーズをしてみせた。
 そして、肩から担いでいたスポーツバックに手を当てると、
「最後の最後に、山田のおかげで撮れなかった数々のドイサト写真を、ゲットしないとね……っ!」
 にんまり、と──何かをたくらんでいるに違いない笑みを浮かべて見せた。













 感動の卒業式の後は、校門まで続く在校生による花道を潜り抜け、学校の校門から卒業する──という段取りなのだが。
「……いつになったら出れると思う? 校門。」
 在校生達が作り上げる花道の先──明訓高校の校門の前には、他校の制服に身を包んだ少女達が、キャァキャァと黄色い悲鳴を上げていた。
 彼女達も卒業式があったに違いないだろうに──サボったのだろうかと、うんざりした気持ちで頬杖を付きながら室内を振り返る。
 あの少女達の山のおかげで、卒業生の「行進」は、遅々として進まない。
「さっさと土井垣を校門から追い出したら、あの群れも丸ごと移動するから、終わるんじゃない?」
 机に頬杖を付いて、うんざりしたように愛子はクイと顎で土井垣をしゃくる。
──まったく、さっさと行進が終わってくれないと、野球部の在校生が催してくれる「卒業生を送る会」が、遅くなってしまうじゃないか。
 そうすると、自然と「シャッターチャンス」を狙う時間まで減ってしまう。
 まったく、どうしてくれるのよ、私の卒業後の「癒し」をっ!
 無言で腕を組み、目を閉じている土井垣を見ながら、愛子は小さく溜息を零す。
「土井垣ったら、最後の最後くらい、ファンサービスくらいしてやってもいいんじゃないの?
 ──あ、でも、その第二ボタンはちゃんととっておかなくちゃダメよっ!
 ……はっ、でも、男同士の場合、第二ボタンをプレゼントというよりも、『オレが使っていたこの学生服……おまえにやるよ。これからはコレを身につけてろよ。』って言うのもありかも……うぅん、どっちかって言うと、土井垣の制服をブカブカに着てる里中ちゃんが見たいってゆーかv あ、それイイvv 今日の送別会で、ぜひ着てもらわなくっちゃvvvv」
 言っているうちに、だんだんと心地よい想像になってきたらしく、キャァキャァと一人で頬を両手で挟みこみ、喜んでいる愛子に、彼女の周りの人間はなれた様子でさりげなく視線をそらす。
「もちろん、その写真を元に、一本オフで本作らなくっちゃね♪」
 くふふふ、と含み笑いをしている愛子は、そのまま胸ポケットから、今日でもう使わなくなるだろう生徒手帳を取り出すと──これがまた、他人のソレと違って、たっぷりと書き込まれているため、手垢でぼろぼろになりかけている──、慣れた仕草でソレを開き、
「えーっと、5月のゴールデンウィークのコミケあわせの新刊の締め切りは……っと──って、あー……この手帳には書いてないんだったっけ。」
 ちっ、と舌打ちする。
 生徒手帳には、三年間使えるスケジュール欄が付いているのだが、愛子はそれを十二分に活用しているのである。
 もちろん、日曜祝日のイベント欄から、その直前の締切日、さらには申し込み締切日……もろもろがびっしり書かれていて、申し訳程度に「野球部合宿所入り開始」だとか、「県大会1回戦」だとか言う字が混じっている。
「4月からのスケジュール帳に、今日撮った写真を挟むレフィルも買っておかないとダメねぇ。」
 今までは、たった一度きりの土井垣里中バッテリーの愛ある写真とか、土井垣と里中が並んでいる写真だとか、応援に向かった日に(芦屋旅館に、前日に里中が怪我をしたのでその手当てをしにきたと堂々と嘘をついて)忍び込んで撮った土井垣と里中が隣り合って寝ている写真とか(その日は、里中が土井垣の隣の布団になるように、しっかり沢田だとかの三年生連中を買収はしてあった)、下敷きに挟んでいたが、これからはそういうわけにも行かない。
 定期に入れるだとか、写真レフィルを購入するしかないのだ。
「ということで土井垣っ!」
 一人、勝手に色々考えたあげく、勝手に納得したらしい愛子は、グルリと土井垣を振り返ると、
「今日、卒業式後の『卒業生を送る会』バーイ野球部が待ってるんだから、あんた、さっさとあのアーチを先にくぐってきてっ!
 あっ、この学生服は、ぼろぼろになったらみっともないから、あたしが預かっておくからっ!!」
 異様なくらい血走った目で、そう宣言した。
「……………………──────小西…………。」
 イヤそうな顔で呟く土井垣に、愛子は大丈夫よと、にやりと笑うと、彼の両手を無理矢理握り締めて、力強く、
「この日のために、山岡に頼んで、里中ちゃんに花束を渡すように言ってあるから、何も不安を覚えることはないわっ!!」
「…………どういう類の不安だ、それは…………。」
 だんだんと疲れたような顔になる土井垣は、同時に視線を外に飛ばし、さっそくシャッターチャンス到来よね〜、と喜んでいる愛子──彼女に自分が卒業生だという自覚はないような気がする──が言っていた言葉を思い出し、
「……あの校門前の騒ぎは、もしかして…………里中が待機しているからもあるんじゃないのか?」
 自分と里中を囲んだファンの数を思い出し、ゲンナリしたように呟いた。
 しかし、愛子はその自分の失態に気づくことなく、ウキウキと心躍らせ、カバンの中からカメラを取り出し、ばっちり準備オッケーっ! と、叫んでいた。
 自分の欲望には、とことんまで忠実だということを、彼女はこの高校三年間──貫き通すのである。











 そしてその校門前では。
 在校生達が昇降口から校門まで続く花道を作り、手に紙ふぶきや手作りの花のついたアーチを持ち──、一部の後輩達は、校門近くで卒業生に渡す花束を持って待機しているの、だが。
「う〜、寒い……。」
「なんで進まないんだよ〜。」
 はじめの頃の笑顔と「おめでとうございます」ラッシュもナリを潜め、彼らは初春に吹く風に冷たさに、身をちぢこめていた。
 何せ、自分達が囲んでいる「花道」には、先ほどから遅々として進まない交通渋滞中の、3年B組が、手持ち無沙汰に、居心地悪げにたっているのだ。
 そう──校門前に居る、他校の女生徒たちや記者陣の群れのおかげで、先生達が必死で警備員のような活動をするはめになり、卒業生の行列は一行に進まない状態なのである。
 何せ、あまりの人ごみで、卒業生が校門を潜り抜けるのがしんどいくらいだ。
 いっそ、校門までのアーチではなく、校庭までのアーチにしようかと、そういう案がもれてくるくらい、派手派手しい「土井垣の出迎えの群れ」である。
 その「土井垣さーん、まだーっ!?」というコールに混じって、「里中ちゃーんっ。」という声が聞こえるのは──まぁ、愛嬌というかなんと言うか。
「うー……風邪引きそうだ。」
 校門近くに群れている花束や贈り物を掲げている在校生の中に混じった、里中の存在を目ざとく見つけた人間が居るからだろう。
 彼は、首を竦めながら、両手をポケットに突っ込み、苦虫を噛み潰したような顔で一人一人、校門前に群れた──校門に入ってこようとする女子高生や記者陣の群れを掻き分けて帰っていったり、校門の中に逆戻りしようとしていたりする卒業生を見ていた。
 その里中の前には、本来なら里中が持っていなくてはいけないはずの花束を持った山田が立っている。
 手にした花束は、吹いてくる風にひらひらと揺れていて、そのまま花びらが散ってしまいそうに見えた。
 山田はそれを手持ち無沙汰にしながら、寒さに顔をしかめている里中を見下ろすと、困ったように顔をしかめた。
「里中、まだ時間がかかりそうだし、なんだったらおまえだけでも教室に入っていたらどうだ?」
 卒業生を送り出すのに、こんなに時間がかかるとは思ってなかったため、花道に参加している在校生達はみな、制服姿そのものである──手袋やマフラー、コートをきている人間は一人もいない。
 いくら暦の上では春でも、まだ3月の1日──つい昨日までは2月だったため、風は冷たく、正直な話、何もせずに突っ立っているだけでは寒くてしょうがないのだ。
 一応、里中に風がまともに当たらないように、体で盾になってやってはいるが、寒さが和らぐだけで、なくならないわけではない。
 春の甲子園を控えた今の時期、里中が風邪を引いたら、それこそしゃれにならないだろうと、マフラーかコートだけでも持ってこればよかったな、と零す山田に、
「一人で教室に居てもしょうがないだろ。
 少し走ったら、すぐに体はあったまるんだけどな。」
 さすがに走るわけにも行かないしな、と首を竦めると、すぐ傍の校門の向こう側の狂騒をチラリと見やる。
「あの中に混じったら、あったかそうだよなー……とか思わないか?」
「それどころじゃなくなると思うな。」
「……だな。」
 ちらりと視線を向けた里中に気づいた女の子が一人、何事か叫ぶと、それにつられたように数人が叫ぶ。
 そんな女と記者と先生との狂騒を、うんざりした顔で見ながら、里中はますます身をちぢこめて山田に近づく。
 暖かな山田の体に近づくと、少しだけ暖かくなったような、そうじゃないような……、
「山田。」
「ん?」
「寒い。」
 簡潔にそう告げる里中に、しょうがないな、と言わんばかりに山田は苦い笑みを見せると、
「土井垣さんが出てくるまでまだ時間ありそうだし、教室にコートを取りに行くか。」
「うん。」
 今度は素直に頷いて、里中は花束を持ったままの山田とともに、クルリと校門に背を向けて歩き出す。
 そんな彼に、校門前から残念そうな悲鳴があがったが、もちろん気にせず、二人はスタスタと一年生専用の昇降口向けて歩いていった。











 そんなことが校門前であったとは気づかず、
「さぁ、行けっ、土井垣っ!」
 三年生の昇降口の前で、なかなか進まない花道に飽きてきた卒業生達が不良すわりをして待機している中、愛子はスキップしそうな勢いで、ドンッと土井垣の背中を叩いた。
 彼女の勢いこんだ気合に、うんざりした顔で土井垣は何だ何だと、自分達を見ている同級生たちを見下ろす。
 思わずこぼれた溜息は、誰にも届くことはない。
「あんたがさっさと出て行って、里中ちゃんから花束貰って、そのまま校門の外に出れば、あの群れは解決! さっさと行進も終わって、あたしは更なるステキな世界をゲッチューできちゃうんだからっ!!」
 心の奥底からウキウキした調子で、愛子は白いカッターシャツ姿の土井垣君を、全身に体重をかけてタックルするようにドンッと、昇降口の外に送り出した。
 行動力の早さは、さすがはマネージャー頭と呼ばれるだけはある。
 すでに学生服を剥ぎ取られた土井垣は、しぶしぶと花道の中を歩き出す。
 何が起きているんだと、ざわめきはじめる同級生達にはまったくかまわず、
「勝負は、校門から出る直前──……っ、里中ちゃんが、土井垣に花束を渡した直後よっ。」
 愛子は、スカートのポケットに入れてあったカメラを取り出し、スチャ、とそれを構える。
 すかさず、待っていたかのようにその愛子の隣に、彼女の愛すべき同類二人が、
「照れてはにかんだ微笑を浮かべた里中ちゃん……あぁ、花がかすんじゃうわね。」
「口には決して出さないまま、土井垣君はきっと『里中の方がずっと綺麗だ……』とか…………思いそうにないけど、思うのよねぇ。」
 まさに愛子が言いたいことを、代弁してくれた。
 いつの間にか現れた友人の存在を疑うことなく、うん、と愛子は頷くと、彼女達とガッシリと手を組あわせ、
「二人とも! シャッターチャンスは逃さず撮るわよっ!」
「もちろんよっ! 感極まった土井垣君が、里中ちゃんを花嫁抱っこして、そのまま花道をバージンロードにするところまで、追いかけてみせるわっ!」
「その時の写植は、私に任せてちょうだいっ!」
 卒業式を何かカンチガイしているとしか思えない台詞をお互いに吐きあい──しかし、三人は、真剣な目でそれを語り合っていた。
 そうして、お互いの顔をしっかり見つめあい頷きあった後、それぞれカメラを握り締め、一際高い歓声の上がる校門前の戦場へと、飛び出していくのであった。
「ねぇねぇ♪ 花束ってさ、ブーケみたいに作ってもらったヤツよね〜っ!?」
「──はっ、しまったわっ! そうよねっ、考えてみたら、土井垣の第二ボタン確保のために学生服脱がしちゃったけど、胸ポケットにおそろいの花は必要だったわよねっ!!」
「やーんv そんなの、花を貰って二人っきりになってからの、お・た・の・し・みに決まってるじゃなーい♪」
 バシバシッ、と、勢い良く、興奮のままにキャァキャァ言いながら、交通渋滞している同級生を押しのけて、花道を駆け抜けていく少女達は、果たして在校生の目にどう映っただろうか……。
 もちろん、そんなことを欲望に赴くままにかけ行く少女達が、気にするはずもなかったが──。





 そんな彼女達の期待が裏切られるのは、この十数歩後のことである。













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土井垣さんの卒業式は大変だろうなー……と思ったので書いてみました。
何せ、日ハムを蹴っ飛ばして明訓の監督さんになった人ですからねっ!
きっと、大沢監督も来てるだろうし、女子ファンもすごくたかってると思います。あと記者も。目の前が春の甲子園ですしね。

それから、犬飼さんから「春の甲子園にて待つ」とか言う電報が来てたら素敵ですv(ありえない……笑)

で、山岡さんと石毛さんたちが花束を持っていて、こういうときに格好つける岩鬼も花をひそかに贈りたがっていたのだけど、元マネージャー命令で里中が持つことに。
ちなみに後輩マネージャーがいないので、マネージャー達卒業生の花束も、北さんたちがわたすことになるのですが──そんな気を利かせることができるような面子って誰だろうと思いつつ……山岡さん? それとも北さん? 山田か殿馬あたりのような気もする。
里中は、卒業式に「花束」なんていうのには、中学のときも縁がなかったから、「へー、そんなのするんだ」という感覚かな?

そしてさらにこの後、「明訓高校第○回 野球部卒業生を送る会」に入るわけです。

……って、早くその話を書かねば……(汗)