球技大会













 それは、高校2年の冬──2月の球技大会でのことであった。
 行われる競技は、その時の生徒会の発案で、新旧入れ替わったりするものの、ほぼ一定。今年も去年と同じように、男女別で数種類の競技が用意されていた。
 もちろん、学校全体あげての「スポーツ親善」であるため、強制的に全員参加が決まっている。
 同時に、部活動をしている者は、その競技に参加してはいけないことになっているので、毎年波乱万丈の競技大会となるわけである。
 今年の男子の球技は、サッカーとバスケットボールと卓球。
 各球技の審判は、それぞれの部活動をしている者やその顧問が行う。そのため、野球部の面々は、今年はサイドワークもなく、それぞれが参加する球技にのみ集中すればよかったわけ、なのだが──……。
 山田のクラスのサッカーは、あっさりと1回戦敗退を記していた。
「うちのクラス、サッカー弱いよな〜。」
 能天気にそんなことを呟きながら、グラウンドの隅──用具室がある日当たりの良い壁際に座りながら、里中が頬杖をつきながら、溜息を一つ。
 北風はちょうど良い具合に用具室の壁でさえぎられ、うららかな冬の日差しがポカポカと優しく照り付けてくる。
「そうだな……、岩鬼をキーパーにというのは、いい案だと思ったんだけどな。」
 山田が苦い色を刻みながら、穏やかに相槌を打ってくる声が心地良くて、里中は緩く目を細めた。
「確かに、岩鬼なら飛んできたボールに反応するかもしれないけど、まともにゴールの前に居なかったからなー……。」
 少し考えたら分かることだった。あの攻撃的な男が、ゴールの前で仁王立ちして待っているということ自体が、ありえない。
 試合中、「じゃかぁしい! わいに任せやんかい、愚図どもがっ!」と、飛び出してゴールをガラ空きにしたことが、何度あったことだろうか。
 そのたびに慌てて山田がゴールに走ったが、彼の鈍足で間に合うはずもなく──……気づけば、大差を付けられて負けていたという次第である。
 試合が終わった後の得点板を見て、顔を真っ赤にした岩鬼が、「虚弱児の里や、ノロマのやぁーまだが邪魔しくさるさかい、負けてもうたやないけ!」──と叫んでいたのを横目にしていたクラスメイト達が、「良くお前らこんなチームワークで、甲子園に優勝できたな……」とあきれ果ててくれたのが、心の慰めというかなんと言うか……。
「ん……まぁ、どっちにしても、俺は足が遅いからな……サッカーじゃ、活躍できないよ。」
 負けたのは、やっぱり、悔しいな、と苦い笑みを刻む山田に頷きながら──もう終わったこととは言えど、やっぱり言わずにはいられない。
「そうか? 山田がゴールを守ってくれてたら、一点も入らなかったんじゃないか?」
「そんなことはないさ。」
 穏かに答える山田の声に、そうかなぁ、と首を傾けながら、里中はうららかな日差しにこみ上げてきたあくびを噛み殺した。
 目の前のグラウンドのサッカー面では、今も試合が行われているのだが、駆け抜ける足音や、掛け合う声も遠く──まるで昼食後の教師の声のように心地良い子守唄に聞こえた。
 眠気を訴える目をパチパチと瞬きながら、里中はコトンと用具室の壁に頭を預ける。
「──それにしても、今から暇だな……。」
「そうだな。」
 トーナメント形式のサッカーは、初戦で敗退してしまったら、もう出番がないのだ。
 つまり、まだ午前中の早い時間であるにも関わらず、里中も山田も1日する事がないと言うことである。
 視線を斜め前に投げると、目の前で行われている試合の得点板があった。 その得点板の横には、先ほどまで一緒にグラウンドを駆けていたクラスメイトの姿がある。サッカーの審判はサッカー部がするが、得点係りは前の試合で負けたクラスがやることになっているのだ。
 そのため、山田と里中も一応ココに待機していると言うわけなのだが──出番はなさそうだ。
 視線をやると、得点板の横に立っていたクラスメイトの少年は、あまりのうららかさに、ふあぁ……とあくびを漏らしていた。
 そのままけだるげに首をコキコキと鳴らしながら、ふとこちらに視線をやると、里中の視線に気づいて、ヒラヒラと手を振って寄越した。
「あんまり暇なら、体育館とか見てきてもいいぞー。」
 こっちは、すっげぇ暇だし。──そう続けて、やる気のない声で、ココは任せろ、と続けてくれる。
 そんな親切(?)に、
「──どうする、里中?」
 山田がノンビリと声を掛けてくる。
 ココは風も当たらないし、日差しもうららかだし──昼までの時間を潰すにはいい場所だが、少しばかり見渡しがいい。
 思わず寝てしまったら、体育教師に見つかって、たたき起こされた挙句、道具運びに参加させられそうな気がする。
「そうだなぁ……──。」
 今にも落ちそうな瞼をパチパチと忙しなく瞬きさせても、眠気は飛んでいかない。
「……な、山田? キャッチボールしに行かないか?」
 首をかしげるようにして、山田の顔を見上げて問いかける。
「俺、このままじゃ、寝ちゃいそうでさ……。」
「そうだな……。」
 ふぁ、と、またあくびを噛み締める里中に、山田は小さく一つ頷いた。
 真面目なことを言えば、球技大会中は、試合に参加していない者は、他の試合を見て応援しなくてはいけないとされている。
 けれど、そんな風に真面目に参加しているのは、一年生のごく一部くらいのものだろう。
 実際、去年も途中でサボって、「春の大会向けてキャッチボールだ!」と、野球部のグラウンドでキャッチボール大会に入った記憶がある。
 そう誘いかけてくる里中に、山田はチラリと彼の右腕に視線を落とした後、
「……うん、グラウンドに移動するか?」
 ──軽いキャッチボールなら、里中の腕にも負担にならないはずだろうと頷いた。
 球技大会の最中は、トイレ以外で校舎の中に入るのは許されていない──教師が常に目を光らせているのだ。
 もちろん、校舎の外に出ることも禁止されている。
 けれど、同じ校内にある野球部のグラウンドになら、行ってもいいのである。たとえ今回の球技大会に全く関係のない場所であっても。
「よし、それじゃ、行くか。」
 眠気が残る頭をフルリと振って、里中はヒョイと身軽に立ち上がる。
 サッカーの試合が続けられている中央グラウンドに背を向けると、背後からは、気だるげな歓声が聞えてきた。
 午後の準決勝や決勝戦になるまでは、ずっとこんな感じが続くのだろう──、球技大会なんて、そんなものだ。
 グラウンドから出るところで、ちょうど体育館の方向から歩いてきたクラスメイトとすれ違った。
「よっ、山田、里中。お疲れさん。」
 暢気にヒラリと手を振ってくる彼は、確かバスケットボールに参加登録をしていたはずだ。
 一応、自分たちのクラスの第一試合の時間だけは頭に入れていた山田が、あれ、と目を瞬く。
「今から試合なんじゃないのか?」
 指で体育館の方を示して山田が尋ねると、彼は明るく笑って、そ、と軽く頷いた。
「そういうお前らは、一回戦敗退だってな〜?」
「文句なら岩鬼に言ってくれ。」
 憮然として里中が答えると、彼は、さらに明るく笑い声をあげた。
「岩鬼なぁ〜! 今、体育館に居るぜ? ──で、いかにお前と山田が自分の足をひっぱったのか、夏川さんに説明してたぞ。」
 ニヤリ、と──いかにも面白そうに笑ってみせてくれるクラスメイトに、山田が苦笑いを浮かべて、里中がますます顔を顰める。
「良く言うぜ、岩鬼のヤツっ。」
 まったく、と腰に手を当てて憤慨した様子の里中に対し、
「──そっか、夏川さんは、卓球だったな。」
 通りで試合が終った後、岩鬼の姿が見えなかったと、山田は、そっかそっか、と、なぜか納得した様子である。
 そんな対照的な明訓高校の誇る黄金バッテリーを左右に見ながら、クラスメイトの少年は、さらに言葉を続けてやった。
「──で、夏川さんにベッタリしてるところを、殿馬に後ろから叩かれて、引きずられて観客席に放り込まれてたぜ。──業物だよな、殿馬も。」
 さすが、わが明訓の野球部は、曲者が多い!
 そう、当の野球部のバッテリーに向かって、うまくオチをつけて続けてやるつもりだった少年はけれど、
「──…………あ、そっか、殿馬って、卓球だったっけ?」
「そうだ、で、三太郎がバスケットだ。」
 揃って顔を見合わせて、そんなことを今更ながらに確認しあう里中と山田に、自分の言葉が空振りしたのを知った。
「ちょっと見に行くか?」
「そうするか。」
 ニコニコと笑顔を交し合う二人の光景は、教室でもしょっちゅう見ていたが、こうしてジャージ姿で居るのを見ていると──体育の授業中にも常に心の中で激しく突っ込んできたことを、今もまた思わずには居られない。
──どうしてお前らは、今にも手をつないで歩き出しそうな距離で立つんだろう……。
 一度誰かがそう聞いたら、「同室だしな?」という、さらに頭を悩ましそうな答えを返してくれたと言っていたので、それから誰も、決してそのことに口を突っ込むことはなくなった。
 代わりに彼は、一年間クラスメイトとして付き合ってきた「慣れ」から、アッサリとその心の突っ込みから立ち直り、ニコヤカな笑顔で、
「オイオイ、見に来るなら、自分のクラス見に来いよ。
 俺たち、すぐに試合が始まるからさ──ただいま応援者募集中なんだよ。」
「──……はぁっ!? なんだよ、それ!?」
 あきれたように声を荒げる里中に、だーかーら、と彼は手で首の後ろを掻きながら、
「岩鬼と殿馬が卓球場の方を沸かしてるから、バスケットコートに観客が居ないんだよ。で、ぜんぜん盛り上がらないからさー……サッカーの試合が負けたって言うから、お前らを連れてこようと思って、俺が呼びに来たんだよ。」
 どうせ試合に負けて、暇だろうと思ってさ。
 そういけしゃあしゃあと言ってくれるクラスメイトに言いたいことは一つ二つあったが、すぐに彼は腕時計を見下ろし、
「げっ、やべっ、もう時間がねぇ! 山田、里中、応援頼むなっ!」
 慌ててクルリと踵を返して、体育館に向かって走り出してしまう。
 かと思うと、数歩走ったところで足を止め、クルリと肩ごしに振り返ると、
「──っと、そうそう、卓球は無事に一回戦通過で、11時から二回戦だってさ。」
 それだけ言って、ふたたび前を向いて、彼は慌てたように体育館目掛けて、今度こそ走り去っていった。
 里中と山田は、その背中を見やった後、視線を交し合う。
「──……じゃ、とりあえず……応援してみるか?」
「だな。」
 サッカーで一回戦敗退をした身としては、自分のクラスの、他の試合を応援する義務があるだろう。
 そう頷きあうと、野球部のグラウンドに向けていた足をクルリと回して、二人は肩を並べて体育館に向かって歩き出した。
────そこでまた、岩鬼絡みでひと悶着起きるのは、この際、予想の範囲内である。












 校舎の中で昼食を食べ終えた後、昼休み終了のチャイムが鳴ると同時に、校舎は閉鎖される。
 午前中と同じように、校舎の外に放り出される形になった山田と里中は、今度は体育館ではなく、野球グラウンドにまっすぐ向かった。
 体育館にクラスメイトの応援に行きたくても、観覧席のない体育館は混み過ぎていて、その人込みにまみれるのは、午前中だけで懲りていた。
「参加賞はジュースだけど、競技で優勝したクラスには、アイスもつくらしいな。」
「夏ならとにかく、冬にアイスは嬉しくないなー。」
 たわいのない会話をしながら歩いていくと、バックネット越しに見えるグラウンドに、先客の姿を見つけた。
 ヒョロリと長身の影──微笑だ。
 午前中にバスケットの試合に参加していたものの、二回戦で二年生のクラスに負けているのを見た記憶がある。
 彼も午後は丸々暇になったので、ココに来たのだろう。
 しかも、一人ではないらしく、顎を少し下げるようにして俯きながら、地面に向かって話しているように見えた。
「三太郎ーっ!」
 里中が良く響く声で微笑に呼びかけると、すぐに彼はその声に反応して、バックネットの向こう側から手を振り返してくれた。
「おーっ、なんだ、お前らもサボリか?」
 ニィ、ともともと笑っているような顔に、緩むような笑みを貼り付けた微笑の言葉に、サボリとは人聞きが悪いと、山田と里中は揃ってグラウンドの中に足を踏み入れた。
 すると、校舎側からは見えなかった位置に、微笑が話しかけていた相手が見えた。
 見慣れた明訓高校のジャージ姿の後輩たちである。
 うららかな冬の日差しが差し込むバックネット裏で、半円を描くようにしてしゃがみこんでいる。
「あれ、なんだよ? 三太郎達は本当にサボリか?」
 てっきり、彼らも自分たちと同じようにキャッチボールをしにきたのだと思っていた里中は、そろいも揃って座り込んでいる状況に、軽く顔を顰める。
 すると、バックネットに背を預けていた面々──渚たちは、慌てたように里中を振り返り、
「ちっ、違いますよ! 俺たちも、体を動かそうって言ってたんですけど!」
「そう! うっかり、部室棟の鍵を持ってくるの忘れて!」
「校舎の中は先生達に締め出されてるしで、もうどうしようもなくって……っ!」
 ブンブンブンとかぶりを振る後輩たちの体の向こう側──ちょうど向かい合って座る中央辺りに、こんもりと盛られたいびつな形の土の山が見えた。山の上には、崩れかけた木の枝も見えることから、五人で円陣を組みながら棒倒しをしていたのは間違いないだろう。
 それのどこがサボってないって言うんだと、里中は呆れたように思う。
 そんな後輩たちをグルリと見やる里中の隣で、うっかりしていたな、と、山田が呟く。
「昼間は、合宿所も部室棟も、鍵が掛けられてるんだった、か…………。」
 合宿所に生活用品のすべてを置いてある彼らは、体育の授業で野球がない限り、自分のバットやグローブを部屋から持ち出すことはない。
 しかも、硬球のボールもバットも、部室の中に鍵をかけて保管してある。
 ──さらに、部室の鍵は合宿所の中で保管されていて、合宿所の鍵は、監督が所有しているものと、職員室で保管されているものがあるだけだ。
「……何もすることは出来ないってことかよ……。」
 今更ながらに、微笑が手持ち無沙汰にココに立ち尽くし、後輩たちが連なるようにバックネット裏に固まっている理由が判明した。
 というか、自分たちもその事実に気付かなかった辺り、相当うかつである。
「あはは……まぁでも、ランニングやストレッチくらいなら出来るしな。」
「それはそうだけどさ……。」
 それなら、いつもの部活中も、これでもかと言うくらいやってる。
 里中は右手を左手で摩りながら、はぁ、と溜息を零す。
 そんな彼の肩を、ぽんぽん、と山田は軽く叩いて、
「まぁ、あせるな、里中。たまにはゆっくり休むのもいいだろう?」
 里中の右肩を、やんわりと掴んで笑いかけた。
 里中は、そんな彼を見合えて、小さく口元に笑みを浮かべて頷く。
「──あぁ……。」
 分かっている、と──そう、自らに言い聞かせるように頷いて、
「でも、時間が勿体無いから、とりあえずランニングでもするか。」
 よし、と小さく握りこぶしをする。
 投手はとにかく下半身を鍛えなくてはいけない。そのために走りこみは絶対条件だ。
 後輩投手である渚をつき合わせて、午後中ずっと走りこみに付き合わせるのもいいだろう。
 そのつもりで、里中は「日向ぼっこで棒崩し」を満喫中の後輩に目線を移し、
「渚、お前らも一緒に……。」
 付き合え、と──そう続く言葉が、フイに口の中に消えた。
 渚をはじめとする野球部の後輩たちは、すでに中央の「山」に体を向けていた。
 山の頂上に立てられた木の枝は、倒れかけているように見えるが、まだまだ大丈夫そうである。その山を、渚が身を乗り出して、削り取っている最中だった。
「よし、次は高代だぜ。」
 両手を使って、山の外壁から土を手元に引き寄せた渚が、ニヤリと笑って斜め前に座る高代に告げる。
 高代はその言葉に、よし、と頷いて、渚と同じように山の外壁を撫で上げるようにして山の壁面を削り取って手元に引き寄せた。
──その仕草は、午前中もグラウンドの片隅で、良く見かけた光景である。
 渚たちがやっているように、棒倒しだとか、地面に棒を引いて五目並べだとか──、時には普通にアッチ向いてホイだとか、指相撲や腕相撲だとか。
 試合に負けたチームが増えるほどに、そうやって暇つぶしをする人間が増えていた。
 去年も、午後の最後の方は、決勝戦の応援よりも、あぶれたクラスの人間による「腕相撲グランプリ」のほうが盛り上がっていた記憶があった。
「──だからって、野球グラウンドですることはないだろうよ。」
 全く、神聖なるグラウンドを何だと思ってるんだ、と里中は腰に手を当てて、渋面になる。
 このままだと、彼らに向かって、「罰として、グラウンド20周!」とか叫びそうである。
 事実、そう口を開きかけた里中に、微笑が両手を抑えるような仕草をして、
「まぁ、落ち着けよ、智。
 どうせこいつらがグラウンド整備するんだからさ、好きにやらせてやればいいんだって。」
 ──な? と、意地の悪い笑みを浮かべて同意を求めてくる。
 そんな先輩の言葉に、
「──って、微笑さぁ〜ん!?」
「暇なら棒倒しでもしてろって言ったのは、微笑さんじゃないですかーっ!」
 慌てて後輩達が抗議の声をあげるが、微笑はそれにただニコニコ笑うばかりだ。
「俺は、棒倒しか外野の草むしりと、どっちがいい? って聞いたんだ。」
 しかも、しれっとして、そんなことまで続けてくれる。
 神聖なる野球グラウンドを思えば、「草むしり」を選ぶのが、野球小僧としての正しい姿だろう。
 とは言うものの、北風が吹きすさぶ中での草むしりと、バックネット裏でうららかな日に当たっての棒倒しなら──選ぶのは、おのずと決まっているが。
 それを聞いた里中は、微笑と顔をあわせるようにして、にやり、と口元に笑みを刻むと、
「そうだな、グラウンド整備は一年生の仕事なわけだし?
 俺達も、一緒に棒崩しでもするか?」
 な? と、山田の顔を見上げた。
 その最後のセリフに、どことなく楽しげな棘が入っている気がしてならない一年生達が、いやっ、あの──……っ、と言葉にするよりも早く。
「……そうだな……どうせ、暇だしな。
 どうせなら、思いっきり掘って、大きな山でも作るか。」
 穏やかな顔に笑みを広げて、山田が、そう口にした。
 その笑顔を向けられた先に居た里中は、そんな山田の言葉に、うん、と大きく頷く。
 そのまま、ニッコリと微笑を交し合う先輩バッテリーに、心底情けない顔で、ガックリと後輩たちが肩を落とした。
「山田さぁ〜ん、勘弁してくださいよ〜!」
 後輩たちが、苛めないでくださいよ! と叫ぶのに──あはは、と軽い笑い声を立てながら、里中は彼らと同じようにバックネットに近づき、それに背を預けて地面に座り込んだ。
 山田もそのすぐ隣に腰を落とす。
 そんな仲のいい先輩バッテリーに、後輩たちはそれ以上文句を重ねることはなかった。
 十中八九、今日の練習前に、この周辺を念入りに整備しろと言われるのは間違いなかったが、どうせそれも「今更」だからである。
 なんだか微笑に嵌められたような気がしないでもないが、どこからか土を運んできて埋め立てなくてはいけないわけではないのだから、それほど重労働でもないし。
 釈然としないものを感じるが、後輩たちは山田と里中に背を向けて、ふたたび自分たちの棒倒しに戻った。
 そんな後輩たちに続くように、山田と里中の二人は、肩を並べるようにしてお互いの中間に大きな山をコンモリと盛り上げる。そして、出来上がった山の頂上に、サックリと木の枝を差し込んだ。
 準備の完了した棒倒しの山を前に、二人は向き合って右拳を出し合うと、
「じゃ、ジャンケンで先攻後攻を決めようぜ。」
「よし。」
 何も言わずに突っ立ったままの微笑を無視して、二人きりでジャンケンを始めてしまった。
 微笑は、それに文句を言うわけもなく、ただ面白そうにニヤニヤと二人を見つめている。
 山田の手はグー。里中はチョキ。
 先攻は山田である。
「ちぇ……後攻か。」
 出したチョキを引っ込めて、残念そうに呟く里中に、山田は小さく笑って、手を伸ばして早速山を削り始める。
 その様子に、思わず渚は、「どうしてあの二人は、向かい合わせじゃなくって隣同士でやるんだ」と小さく呟いたが、それに答える声はなかった。
 変わりに蛸田が、腰に手を当てたまま苦い色を滲ませている微笑を見上げて、
「──……微笑さん、いいんですか?」
 あの中に混じらなくって、と問いかけた。
 その気を使ったような問いかけに、けれど微笑は、ひどくアッサリと、
「ああ、いい、いい。どうせ一緒にやってても、二人の世界に入ってくのには変わりないしな〜。」
 というよりも、どちらかというと、同じ棒倒しに参加することこそ、ゴメンだと、肩を竦めて笑って答えた。
「そういうものなんですか……。」
 納得したような、していないような──そんな微妙な表情で、上下が相槌を打ち、そのついでに自分たちがしている棒倒しの山を見下ろす。
 その山を自分たち5人で切り崩すと、あっと言う間に勝敗が決まってしまう。
 けれど、その五人に微笑を加えて二組に分かれたら、なかなか面白い勝負になるのではないだろうか? ──時々、組を分けなおしたら、本日の球技大会が終るまでやっていても、飽きない……かもしれない。
「微笑さん、良かったら俺たちと一緒に、やります?」
「んー……そうだな、こうやって見てるのが飽きてきたら、参加させてもらおうかね。」
 軽く笑って、微笑は山田が丁寧に手元に招いた山を、大きな目で、ジ、と見つめている里中をチラリと見やった。
 里中の番だぞ、と促すような仕草をする山田に、コクリと里中は頷いて、景気良く手元に土を引き寄せる。
──……あーあ、あんなに一気に取ると、後が大変だぞ、智。
 こういう遊びは、「読み」と「バランス感覚」を見抜く人間が勝ちやすい。
 その点で行けば、里中は山田に負ける可能性が高いだろう。
 手元に土を引き寄せた里中が、ん、と山田に目で促すのを見ながら、微笑が小さく溜息を零した刹那──、
「まぁ、目と目で見詰め合って会話してるよーな二人に、入ってくことは出来ませんよねー。」
「そうそう、岩鬼さんじゃない限り。」
 一年生達が、新たに掻き集めた土の頂上に枝を差しながら、笑いながら会話を終了させた。
 そしてそのまま、こちらでもジャンケンが始まる。
 先ほどの試合(?)で負けて棒を倒した高代は、皆からデコピンを喰らった代わりに、次のこの勝負で一番初めに挑戦する権利を得ている。
 ジャンケンをして順番を決めるほかの四人を横目に、高代は微笑を見上げて、
「そう言えば、岩鬼さんって、一緒じゃないんですね?」
 今更ながらのことを口に出した。
 確か岩鬼も、山田と里中と同じクラスで、しかも同じサッカー種目に参加していたはずだ。
 岩鬼のことだから、なんだかんだと口で文句を言いながらも、山田たちについて暇を潰しに来てもおかしくはない。
 そう口をかしげる高代に、ああ、と微笑は一つ頷くと、
「岩鬼なら体育館の卓球を見に行ってるんじゃないか?」
「卓球!? 岩鬼さんがっ!?」
 岩鬼がバスケットボールを見学すると言うのも似合わないが、卓球となると、もっと似合わない。
 驚いて目を見開いた高代に、なんてことはないね、と、微笑は手の平をヒラヒラと揺らすと、
「山田たちのクラスの卓球じゃなくって、夏子くんの卓球。」
 目を閉じなくても、岩鬼が女子卓球の最前線を陣取って、「夏子はぁーん!」と叫んでいる光景が浮かんでくるようだと、微笑はゲンナリしたように思う。
 まぁ、岩鬼がエスカレートして、周りに迷惑をかけるようなら、殿馬が面倒臭そうにとめてくれるに違いない──彼は、卓球の選手として登録されていて、しかもお得意のリズム打法で勝ち進んでいるらしいから。
「あー。なるほど、そういうことなんですか。」
 それなら確かに、岩鬼がココに来ていなくても不思議はない。
 岩鬼が『夏子さん』に心酔しているのは、学校中が周知の事実なので、アッサリ納得できる。
「そ。きっと今、体育館はすげぇ騒ぎだぜ。」
 あの中に混じるのは、遠慮したい。
 きっと殿馬も、うんざりしてきたら、手抜きをしているとばれないように、さっさと負けて、こっちへ来ることだろう。
 向こうはうるせえづら、とかなんとか言って。
 そうなったら、雨の日に教室の中で遊んでいたように、布を丸めてボール代わりにソフトボールの真似事をするのもいいかもしれない。
 野球部のグラウンドで、野球の真似事みたいなことをするのは、少しばかり寂しいが、道具がないのだからしょうがない。
「殿馬が来ると、俺とお前らと山田と里中で──……。」
 全部で9人になるから、審判が4人対4人と審判一人か──と、そう呟きながら、頭数を数えるために視線を向けた先で。



 かぷ。



 里中が、山田の肩先に噛み付いていた。
「……………………──────なっ、何やってんだ、智っ!!!!?」
 あまりといえばあまりの光景に、さしもの微笑も、動揺のあまり声を荒げてしまう。
 当然、動揺も露な微笑の声に引かれるように、後輩たちも視線をあげて──、里中が景気良く山田の肩先に食いついている光景を見てしまった。
「──さっ、里中……さんっ!!?」
「や、やや、山田さんは食べ物じゃないですよ……っ!?」
「っていや、さっき昼飯は終ったばっかでしょう!?」
 真っ赤になるやら真っ青になるやら、大変な顔色で、山田の肩に噛み付いたまま、目線をコッチに寄越してくる里中に、動転を隠せなかった。
 そして里中に噛み付かれていた山田はと言うと、まったく動揺せずに、拳一塊分の土を引寄せて、よし、と呟く。
「里中、お前の番だぞ。」
 当たり前のような顔で、里中を振り返ってそう促す山田に、里中は眉間に皺を寄せて、
「くそ──……お前、ぜんぜん動じないよな……。」
 体を起こすようにして呟く。
 改めて土の山を見ると、また微妙な感じに土が残っていて、枝はスックと上を向いていた。
「ど……動じないって……っ、俺たちが動じてるっつぅの!」
 その土に向かい合う里中に、微笑が突っ込む。
 そんな微笑に続いて、
「そ、そうですよ〜、里中さんっ!」
「イチャイチャしてるのはいつものことだけど、さすがに噛み付くのはやりすぎなんじゃないすか? せめて二人っきりのときにしてくださいよ。」
 高代と香車が続けたが、真剣な顔で土を取り終えた里中は、さっぱり聞いてくれなかった。
 そんな里中を、山田は楽しそうに細い目をますます細くさせてみている。
 すっかり二人の世界である。
「…………おい、智、山田〜……。」
 頬をコリコリと掻きながら、微笑が再び呼びかけると、ようやく二人は微笑たちに顔を向けた。
「なんだよ、さっきから。
 お前らが棒倒しでもしたらどうかって言うから、してるんだろ。」
「いえっ、確かに棒倒しをしたらどうですかとは言いましたけどっ!」
「山田さんを噛んで(こんなところで山田さんがその気になったら)どうするんですか……。」
 里中の言葉に素早く反応する後輩たちの声に、彼は、ああ、と納得したように頷くと、
「山田を動揺させてるんだ。」
 山田が土に手を掛け始めるタイミングを狙って、里中は山田に擦り寄った。
 そしてそのまま手を伸ばし、山田の頬を指先で摘むと、にゅ、とほっぺたを伸ばす。
 けれど山田は、それに全く動じずに、マイペースに棒倒しの土を手元に引寄せる。
 マイペースで、いつもと同じ穏やかな顔のように見えるが、良く見ると、その口元がいつも以上に綻んでいるのが分かるはずだ。
「普通にやったら、山田が勝つだろ? だから、こうやって山田を擽ったりしてるんだけどさ……。」
 コショコショコショコショ……っ!
 指先を山田の腰に這わせても、山田はやっぱり動じずに、無事に棒を倒すことなく土を取り終えて、ペッタリとくっついている里中を見下ろすと、
「ほら、里中の番だぞ。」
「──……な? 普通の攻撃だと、ぜんぜん効かないだろ? だから噛み付いてたんだ。」
 でも、それでも一瞬しか気を散らせないんだよな。
 少し拗ねたように目を据わらせた里中が、クルリと肩越しにチームメイトたちを振り返る。
 どうしたらいいんだろうと真剣に悩むそのさまは、ただのバカップルのようにしか見えなかった。
「あー……。」
「あはははははははは…………………………。」
 その里中の言葉を受けた一同の口にはもう、乾いた声と笑いしか上らなかった。
 痛烈に思う。

────聞かなきゃよかったんだよ、やっぱり!

 生ぬるい視線の先には、山田に促されてちょっとだけ山を切り崩した里中の姿があった。
 そろそろ彼ら二人の棒倒しの山は、随分スリムになって、棒がグラリとかしぎ始めていた。
 あと2、3回が勝負というところだろう。
「よし。」
 無事に土を取り終えた里中が、ココが勝負だと、山田を見上げる。
 ちょっかいを出す気満々の里中に対し、山田はそれを受ける気満々に見えて、しょうがない。
 というか、
「山田さんの策略だよな。」
「あー……うん、そうだよな……。」
 渚たちの中で、すでにもうそれは決定事項だった。
 それ以外にありえない。
「まぁ──智も楽しんでるんだから、放っておいたらいいんじゃないか?」
────なんで俺たちは、あの二人に、棒倒しなんてものを勧めてしまったのだろう?
 仲間内では遊べる遊びでも、それがことカップルになると、二人っきりの世界が出来てしまう、危険なゲームだと言うことを、スッカリ忘れていた……。
 いや──というよりも、カップルでやると危険だということを、今、初めて知った。
 微笑の声に、チラリ、と視線を向けると、里中が山田の首に手をまわして、今度は耳にかじりついているのが見えた。──かと思うと、
「あっ、山田、そこはダメだっ。」
 薄目を開いて横目で見ていた山田の行動に、かすれた声で抗議をあげる。
「大丈夫だよ、──ほら。」
「お前が大丈夫でも俺がダメなんだよっ。」
 声が甘えを含んでいると思うのは、決して気のせいではあるまい。
 拗ねたような声音で、山田のバカっ、と、先ほどまで噛み付いていた山田の耳を引っ張る。
 けれど山田はやっぱり動じずに、そのままスルスルと手を動かす──が、その手の動きが、まるで里中がちょっかいを出すのを待っているかのように、緩やかで遅いように見えるのは…………多分、気のせいじゃ、ない。
「やまだぁ……。」
 抱きついたまま、最後の手段だとばかりに、里中は甘えた声で山田の名前を囁いた後、フ、と短く息を吹きつける。
 途端、ビクンっ、と山田の肩が跳ね──よしっ、と、里中が笑みを口元に刻んだのも一瞬。
 山田はすぐに平静さを取り戻し、スルスルと土を引寄せてしまった。
 そして、ニッコリ笑って、
「ほら、里中の番だぞ。」
 ──ひどく嬉しそうな顔であった。
「……………………。」
 里中は無言で、もうかしぎそうなほどマズイ山の上の枝を見据える。
「…………もっとエスカレートしとけばよかった…………。」
 そんな呟きが聞えてきて、あれ以上エスカレートって──それって、「お外」ではやってはいけないことじゃないんですか! ……なんて叫んで里中に詰め寄れるほど、後輩たちは摺れてるわけではない。
 代わりに彼らは、自分たちの棒倒しの山を目の前にしながら、体を竦めて、
「……里中さんのあんな声、耳元で聞いて、良く平気だよな、山田さん…………。」
「慣れてるからじゃないのか?」
「香車ぁぁぁぁーっ! そんな結論、達するなよ、頼むからっ!」
「でも、他にないよな…………。」
「………………………………………。」
 ……………………。
 結論。
 いつでもどこでも、二人のムードになれる二人の先輩は、すごいと思いました。
 最凶のバッテリーです。








────高校生活入って初めての球技大会の感想は、そんな感じで締めくくられるようである。











+++ BACK +++



えー……何が言いたかったって言いますと、前に見た映画でね、恋人同士が将棋倒しをしているシーンがあったんですよ。

で……。


それが書きたかっただけなんです!!!


本当は、ほっぺにキスしたりとか、そんなこと(どこまで行くんだろう…)してるうちにその気になって、そのまま……みたいな話なんですけどね?(笑)

ムダに長くなってすみません……。本当に…………。