目が覚めたら、喉がイガイガしていた。
いつもなら目が覚めると同時に体を起こすところだが、少し寒気も感じて、そのまま布団の中にうずくまる。
頭の上の窓からは、冬の朝の冷気がひしひしと流れてきているように感じる。
朝早くに目を覚ますのは億劫ではないが、冬の朝の寒さは辛い。
そう思いながら体を丸めると、隣の暖かな体にぶつかった。
その温もりにすがるように頭と体を摺り寄せながら──アレ、と目を開いた。
目の前には、穏かな寝息を漏らす山田の顔。
寝返りを打つようにして隣を見やれば、隣にはちゃんと空っぽの布団が置かれている。しかもどう見ても、一度寝たような形跡がある。
そうだ、昨日の夜は横に布団を並べて、おやすみ、と言って互いの布団にもぐったような記憶がある。
が、夜中に寒くなって置きだして、山田を突付いて、詰めてくれとお願いしたような記憶もある。
寒かったのが暖かくなって、またヌクヌクと眠ったような……。
「…………俺、また夜中に潜り込んだっけ?」
掠れた声が出た途端、ごほっ、と咳が零れる。
喉に何かが詰まるような感覚と、イガイガした痛み。
風邪かな、と眉を寄せて、喉をさするように手を当てた瞬間、
「大丈夫か、里中?」
てっきりまだ寝ていると思っていた山田から、寝起きの掠れた声が飛んできた。
「悪い、起こしたか?」
そう問いかけた声も、ガラガラと掠れている。
やっぱり昨日の夜も、最初から山田の布団に入っておけばよかったと──この風邪は、昨夜、寒いと起きたときに引いたものだと信じて疑わず、眉を寄せる里中に、
「いや──もう起きる時間だからいいんだが……、風邪引いたのか?」
心配そうな顔で、山田が里中の額に手を当てる。
その手が心地よいくらいに暖かくて、ほぅ、と吐息が一つ零れた。
「熱はないようだな──というよりも、冷たいくらいだ。」
大丈夫かと、そのまま掌が落ちてきて、冷えた頬を両手で包まれる。
「喉が痛いだけだから、風邪の引き始めじゃないかな?」
「もう3月も中旬なのに、まだ寒いからな。
──……今日の朝のランニングは、やめたほうがいいな。」
ヒンヤリと冷えた室内の中は、春の兆しが見えているはずなのにまだ寒くて……見上げた窓からは、かすかな明かりが差し込むだけ。
もう少しすれば夜明けが来るから、それまで布団の中に居るかと問いかければ、フルリと里中はかぶりを振った。
「大丈夫だ、これくらい。それに春の大会が目の前なんだぞ。1日たりとも休めるか。」
キリ、と眦の険しい里中の顔を見下ろして、そうだな、と山田は苦い色を佩いて笑んだ。
去年の夏──8月のあの日、「明訓高校まさかの二回戦敗退」の後、初めての甲子園だ。
しかも里中は今、右肩を痛めている──もう春甲子園は目の前に迫っているのに、一行に直る兆しは見えなくて、それどころか秋よりも一層酷くなっていく。
逆治療も試みてみたが、「なんだか最近、痛みに慣れてきたような気がする」という、芳しくない状況になってきたので、一時中断して様子を見てはいるが──……。
夏の甲子園の盛り返しを測りたいところだが、正直な話、エースである里中を欠いてどこまで行けるのかは、分からないのが現状だ。
試合の日が近づき、一番焦ってきているだろう里中の目が、強い色を宿している。
肘や肩が痛くて投球練習が出来ない分だけ、走りこみたいというその気持ちは、分からないでもない。──何よりも、頑固な里中が、素直に頷いてくれるはずもない。
しょうがないなと溜息を零して、山田は自分をジと見つめている里中の目を覗き込むと、
「無茶はするなよ、里中。お前の代わりは居ないんだ。」
「分かってる。」
神妙な顔で、里中はコクリと頷いた。
それからニッコリと笑うと、
「汗を掻いてグッスリ寝れば、明日には元気になってるさ。」
「ちゃんとクスリも飲んで。」
「塩水でうがいもしろよ……だろ?」
山田の言葉尻を取って、この二年の間にスッカリ聞きなれた山田の台詞を口にして、里中は軽く笑った。
自分の冷たい頬に触れている山田の手の甲に、手を当てると、
「山田も、俺の風邪が移らないように気をつけろよ。
──お前の代わりだって、居ないんだから。」
そ、と首を伸ばして、触れ合うほど近くにあった山田の唇に、チュ、と触れるだけのキスをする。
「おはよう、山田。」
ニッコリと、ほんのりと目元を赤くして微笑む里中に、山田は一瞬困ったような微笑みを貼り付けたが、すぐにそれを掻き消して、
「──……あぁ、おはよう、里中。」
同じように唇に、触れるだけのキスを落とした。
朝の練習の後、手洗いもしたし、塩水でウガイもした。
学校に来て一番最初に保健室に行って、貰った風邪薬も飲んで、眠気と戦った午前中の授業も終わり……昼休み。
売店で購入したパンと牛乳を持ち寄り、今日は音楽室で昼食だ。
一足先に昼食を食べ終えた殿馬が、気まぐれに即興の曲を聞くピアノの足元のカーペットに座り込みながら、話の種にあがるのは、いつものように取りとめのないことばかり。
先輩の北があの東大に合格して、先生達が万歳三唱していたこと。
3月の頭に卒業していった山岡たちが、4月からの新生活の引越し準備のついでに顔を出してくれたときのこと。
昨日の「オープン戦」で、土井垣がホームランを打ったときのこと。
「やっぱり土井垣さんは、スゴイよな……。プロ一年目で、もう4番打者だぜ。」
「監督にも、べた惚れされてたしな。」
何せ、ドラフトを蹴った土井垣のために、何度も何度も明訓に足を運んでくれたほどだ。
そう言って感心する二人に、何を言うとるんじゃいと、岩鬼がシィシィと爪楊枝を歯に立てながら、
「一年目で4番打者やなんて、ちゃっちぃ、ちゃっちぃ!
天才打者は、1番を打ってこそやでっ!」
ジャーンッ。
堂々と言い張る岩鬼の言葉に重ねるように、殿馬は指を走らせて鍵盤を叩いて、
「1番打者は、一番回ってくるづらからよ、岩鬼みてぇな、て〜んさいやねぇとづんづら、無理づらぜ。」
「がはははっ、とんまちゃんは、良ぅ分かっとるわいっ!」
バンバンバンッ、とグランドピアノの蓋を思いっきり良く叩く岩鬼に、まったく、と殿馬は肩を竦めてみせる。
「じゃ、岩鬼が一番だったら、殿馬が二番じゃないとな……っん……ごほっ。」
あははは、と軽く笑い飛ばそうとした途端、喉に突っかかりを覚えて、里中は小さく咳き込んで喉元に手を当てる。
顔を顰めて、コホコホと何度か咳き込むと、ヌナッ、とピアノに肘をかけていた岩鬼が里中を見下ろす。
「なんじゃい、サト、風邪でも引いたんかい。」
「──ん、ちょっとな。」
こほん、と喉の具合を確かめるようにしかめっ面で喉をさする里中は、そのまま手にしていた紙パックを啜る。
「風邪薬は飲んだのか?」
すかさず隣から微笑が尋ねてきて、里中はソレにコックリと頷いた。
「さっき飲んだ。」
「昨日もおとついも夜更かししとるからやで。」
知ったかぶりで腕を組み、そう言う岩鬼に、
「してたのは岩鬼づら。」
パタン、とピアノに蓋をして、殿馬がズラズラと里中達のほう向けて歩いてくる。
「で、里中よぅ、おめぇ、のどを痛めてるづらか?」
「みたいなんだ。」
今年の風邪は喉風邪からだったっけ? と首を傾げる里中に、さぁ? と風邪には縁のない面々が首を傾げる。
殿馬は里中の前に立つと、ポケットに突っ込んでいた手を取り出し、
「ならよ、気休めにコレやるづらぜ。」
里中の前に、ばさばさばさ、と落とす──飴、飴、飴。
「わっ、どうしたんだ、これっ!?」
驚いたように目を見張る里中と微笑と山田が、透明な包みや色のついたあざやかな色に包まれた飴を見下ろす。
片手で握りこめるほどの量しかなかったが、全部種類が違った。
「くわねぇづらから、やるづら。」
「サンキュー、殿馬。授業中にイガイガして痛かったから、助かるよ。」
これで十分、午後の授業の分はあるなと、ニッコリ微笑んで飴を一つ摘み上げた里中は、、
「あ、この飴、二つも入ってるぜ。」
ほら、と透明な包装紙の中に入っている飴を持ち上げてみせた。
小さな丸い飴が二つ、行儀良く同じ包装紙に入っている。
「本当だ。なんだか得した気分だな。」
大きさとしては普通の飴に比べて遥かに小さいが、一つの袋に色違いの飴が二つ入っているので、二種類の味が楽しめる。
「白い色はミルク味だよな? なら、この飴色は……カンロ味?」
首を傾げながら手にしたその袋を開ける。
ぴりぴりと開けた袋の中からコロンと二粒の飴を取り出して、この飴をくれた主である殿馬を見上げた。
けれど殿馬は、飴の味までは知らないというように、ヒョイ、と肩を竦めた。
無言で飴を見下ろしていた里中だったが、二つの飴のうち、白い方をポイと自分の口の中に放り込み、もう片方の飴を、手にとってニッコリと微笑むと、
「山田。」
当たり前のように山田の名を呼んで、それを山田の口の前に持っていった。
「──……いや、俺はいいよ……。」
それは里中の飴だから、と、そう続けようとした山田の口の中へ、強引に飴色の飴を突っ込んだ。
驚いたように目を白黒させる山田へ、
「あ、俺のはやっぱりミルク味だ。
どうだ、カンロ飴の味がするか?」
ワクワクした目で尋ねる。
「ハチミツ味かもしれねぇづらぜ。」
にやり、と笑って殿馬も山田を見るが、山田はなんとも言えない顔で口の中の飴を舐め続けるばかりだった。
その微妙な顔を見て、微笑が顎に手を当てながら首を傾げる。
「そんなに、おかしな味でもしてるのか?」
言いながら、何の味だったのか書いてないものかと、里中が前に放ったままだった空の包み紙を手に取る。
透明な包装紙は、ぎざぎざ部分にオレンジの色と黄色の線が入っていて、そこに商品名が書かれている。
書いてあるじゃん、と見下ろした瞬間──。
「智、山田、それ、紅茶味だ。」
素っ頓狂な声をあげて、山田と里中を見下ろした。
「──……こ、紅茶か、コレ……。」
微笑の声に、なんとも言えない顔で口の中の飴を持て余し続けていた山田が、ほぅ、と安堵したような溜息を零した。
何の味なのか分からなくて、どうしようかと持て余していたが、味の正体が分かれば一安心だ。
──が、紅茶味だと分かったからと言って、口慣れない味に、口の中が違和感を感じて口が歪んでしまうのは止められない。
「や、やぁーまだの口にゃ、未知の味やな。」
一人、したり顔で頷く岩鬼は、こう見えても一年前までは「おぼっちゃま」だったので、お母様やお父様とのお茶会、なんていう場で、味の分からないような紅茶を飲んでいた身である。
実際に紅茶の味が分かるかどうかはさておき、腕を組んでふふんと鼻を鳴らしていた。
「う……うん、そうだな──俺には、良く分からない味だな。」
あははは、と頬を掻いて呟く山田に、そうやろそうやろ、と岩鬼が頷く。
その鷹揚なうなずきを見せる岩鬼に、まったくよ、と呆れた様子で殿馬は片目を瞑った後、
「岩鬼よぅ、良かったづらな? お上品な味を知らねぇ仲間ができてよ、づら。」
そうからかうように言ってやった。
と、当然のように岩鬼は、その殿馬の挑発に乗ってくれる。
「なんやとっ!? そういうおんどりゃ、味が分かるっちゅうんかい!」
唾を飛ばさんばかりに叫ぶ岩鬼の唾から、近くにあった楽譜を盾にして自分の顔を守りながら、殿馬はしゃあしゃあと続ける。
「分かるづらぜ。ダージリンにアッサムにウバにセイロンづんづら、続けてアールグレイにキャンティによ、ネスカフェづら。」
「そ、そや、ネスカフェやっ。」
ぱちんっ、と指を鳴らす岩鬼に、してやったりとばかりに、殿馬がニヤリと笑う。
「おっよぅ、ばーか。ネスカフェはコーヒーのメーカーづらぜ。」
がくぅっ、と頭から床に突っ込む岩鬼の衝撃が音楽室一杯に響き渡った。
そんな岩鬼と殿馬に、ヤレヤレと微笑が肩を竦めて、
「いくらなんでも、ネスカフェが紅茶じゃないことくらいは分かるだろ……な、山田?」
全く本当に、飽きないなぁ、と苦笑いを見せながら、山田と里中を振り返り──……微笑は、そこで動きを止めた。
「山田、この包装紙に書いてある。二つあわせてミルクティーの味だってさ。」
「ふ、二つあわせて? あわせるのか?」
「みたいだな。」
明訓高校の誇る黄金バッテリーは、額をつき合わせて、飴の入っていた包装紙を見ていた。
そこまでくっついて見る必要はあるのかと、思わず突っ込みたくなる姿だったが、これもいつものことだと、サラリと流そうとした──その瞬間、
「ミルク味の飴と、紅茶味の飴、その両方を味わうか、両方食べてミルクティーとして食べるか、好きなようにしろってことだろうな。」
「そうか……ならやっぱり、里中が両方食べたほうが良かったな……。」
どうも先ほどから食が進まない様子で、口の中の紅茶飴を持て余している山田を見上げて、里中は緩く首をかしげた。
「紅茶味はダメか?」
「──そうだな、食べなれない味の飴は、美味しいとは思えないな……。」
苦い色を見せる山田に、そうか、と里中は少し考えるように俯いた後、
「ミルク味のもダメか?」
山田の顔を覗きこむように尋ねる。
すぐ目と鼻の先で尋ねる里中に、少し狼狽したように顔を後退させた山田は、目元を赤らめながら、
「そ、そうだな……牛乳なら、毎日飲んでるしな……。」
今も、と、チラリとカーペットの上に直接置いたままの紙パックのミルクを見下ろす。
そんな山田に、そっか、と里中はニッコリ相好を崩す。
それから腕を上げて山田の肩に手を置くと、顎を上げて、
「じゃ、とりあえず山田の紅茶味、貰うな。」
花のかんばせをほころばせて微笑む里中の、そ、と伏せられた睫に視線を奪われている間に、ためらうことなく近づいてくる唇に、肩を引きかけるが、
「……って、こら──っ、さとな……っ。」
しっかりとした投手の指先の力によって、あっさりと食い止められる。──もっとも、本気で山田が抵抗しようと思ったら、抵抗できたはずだという突っ込みが、そのシーンを目撃した微笑から、ひっそりと突っ込まれたが。
「ん……んー…………、あ、本当にミルクティーになる。」
喋りながら、からころと口の中でぶつかり合う二個の飴を舐める里中に、山田は目元から頬を真っ赤に染めて、唇を真一文字に引いた。
「──……そ、そうか……。」
言いながら片手を口に持って行きつつ、背後を振り返る勇気はなかった。
さすがに今の出来事を見ていたら、岩鬼も殿馬も微笑も突っ込んでくるとは思うのだが……。
耳を済ませれば、背後から岩鬼と殿馬の声で、「曙光」だの、「盛升」だのと言った、何か違う方面の飲み物の名前があがっているのが聞こえた。
どうやら彼らは、里中の行動に全く気づいていないようであった。
ホ、と胸をなでおろす山田を見上げて、フイに里中はぺろりと舌を突き出した。
「山田、白?」
少し舌足らずに見上げてくる里中の舌の上に乗った飴の色を認めて、コクリ、と頷く。
「ミルク味のキャンディだな。」
「ん、ヨシ。」
納得したように頷いた里中が、今度は舌をチラリと出したまま──その上にミルク味のキャンディを乗せたまま、顔をゆっくりと近づけてくる。
「って、里中──……っ。」
慌てて再び首を反らそうとするが、ホンノリと目元を赤く火照った里中の、少しだけ伏せられた睫の先──チロリと出された赤い舌に、再び目を奪われるのを止めることはできなかった。
それどころか、近づいてくる里中の顔に、誘われるようについフラフラと顔を傾けた。
そのまま、彼の小さな舌に自分の舌を絡めるようにして、ずいぶん溶けた白いキャンディを受け取る。
ころん、と口の中に転がり落ちてきた飴は、先ほど口の中には言っていた紅茶の味のするものよりも、ずっと甘く感じたけれど、その直前に触れた暖かな舌のほうが、もっととろけるような甘さを感じた。
でも。
「ん……甘いな。」
目元を緩めた山田に、里中も同じように目を優しい色に染めて、
「な? 甘いだろ?」
嬉しそうに笑って言った。
そんな風に、一足も二足も早い春の桜色を撒き散らす2人を背後に、一緒に音楽室に居た面々は、
「だからよぅ、酒はねぇづらぜ。」
「アホぬかせ、甲子園の優勝祝いに職員室からパクっとやりゃいいんじゃい。」
「ははーん、さっすが岩鬼キャプテン。悪知恵は働くっすね。」
好き勝手に昼休みを楽しく過ごしていた。
──あの2人が暇があったらいちゃつき、見詰め合っているのは、どうせいつものことなのである。
「はーるがちかづーけば、いちゃつきだす〜。」
「おっ、そんな感じだな〜。」
あははは、と明るく笑い飛ばす彼らの声は、ちょっぴりむなしく音楽室の中に響いたとか、響いていないとか……。
+++ BACK +++
ホワイトデーにね、こういう話をね、アップしたかったんです。
でもさすがに、人前でソレはやりすぎだな〜と思ったので(なんで人前なのかって、話を書いてたらそんな風にしかならなかった)、今更小ネタでアップしてみました。
……ふぅ、やりたい放題。
こうして気力と気合を溜めて、連載用に持って行く、と。