1 ホワイトデーのお返し。
駄菓子屋の店先に並べられた、色とりどりの一個10円のみぞれ玉。
何色にしようか真剣に悩んで、ピンクと白のマーブル模様のを二つと、青と白が混ざったのを一つ、あとみぞれ玉の隣に並んでいた金平糖を少し、白い透明な袋に入れてもらった。
持ち上げると、本当に小さいそれは、まるで縁日の屋台で買ったように見えた。
みぞれ玉の周りにくっついていた砂糖が、サラサラと袋の下で、白く輝いていた。
「野郎どもっ!」
折れそうに細い両足を踏ん張り、同じく細い腕を交差させて腕を組み、本人は「ドス」を効かせたつもりの愛らしい声で、ギロリとユニフォーム姿の男どもを睨みあげる。
グラウンドに散らばる野球小僧達は、明訓の帽子を被り、明訓のユニフォームの上だけをワンピースのように着込んだ少女の声に、動きを止めて振り返る。
ベンチの前に堂々と仁王立ちして、口にハッパを加えた少女は、驚いたようにコチラを見ている選手たちに気づくと、右手に持ったメガホンを口に当てて、
「こらーっ! サボってないで、とっとと練習しろーっ! 春の甲子園は、目の前なんだぞ! 気合い入れていかんかーっ!!!」
キーンッ、と耳鳴りがするほどの大声で怒鳴りつけた。
子供特有のキンキン声に、うわっ、と思わず肩を竦めた選手たちは、お互いに顔を見合わせた後、漏れでそうになる笑みを必死に堪えて、ビシリと背筋を正すと、
「はいっ、一生懸命やってます、コーチっ!」
「死ぬ気で練習に励んでまーっすっ!」
本日の鬼監督に代わって、自分たちをコーチする気満々らしい少女に、そう大きな声で返した。
「よーしっ! その調子だーっ!」
満足した様子で、うんうん、と頷く少女に、はいっ、と答えて、再び守備位置に散っている先輩を横目に、慌てて彼女の元に駆けつけてくる影が一つ。
「サチ子っ! 何やってるんだ、お前はっ!」
ドタドタと鈍い足音を立たせながら駆け寄ってきた。
かと思うと、そのままヒョイと小柄なサチ子の体を抱えあげて、慌てた様子でグラウンドの端へと彼女を連れて行く。
「なんだよっ、太郎っ! お前も、ちゃんと練習しろよっ!!」
抱えあげられた状態でも、ジタバタと足を動かすサチ子に構わず、彼はその場で彼女を下ろすと、厳しい表情で見下ろす。
「サチ子、お前、学校はどうしたんだ。」
「終わったよ。だってもう、昼までだもん。」
サチ子の肩を掴み、しゃがみこんで尋ねてくる兄を見上げながら、ケロリとしたサチ子は答える。
「それに、もうすぐお兄ちゃんたち、甲子園じゃん。サチ子も練習の応援してあげようと思ったの。」
メガホンを振り回し、ね? と微笑むサチ子に、山田は苦虫を噛み潰したような顔になった後、
「サチ子……。」
さて、どうやってこの無邪気に笑う妹に、帰ってもらえばいいのだろうかと、山田がガックリと肩を落とした瞬間だった。
「まぁまぁ、いいじゃないか、山田。」
ポン、と山田の肩に置かれる手が一つ。
ハッと見上げた先では、現在の明訓のキャプテンである山岡が、ニコニコと笑っていた。
「サッちゃんが居てくれたほうが賑やかだし、いいところ見せようと思って、みんな気合が入るよ。」
ポン、と手の平をサチ子の頭の上に落とすと、サチ子はそら見ろといわんばかりに、ニンマリと笑って山田を見上げる。
そのどこか勝ち誇ったような顔に、
「山岡さん──、サチ子をあまり甘やかさないでください……。」
「え、いや、そんなつもりはなかったんだが。」
コリコリ、と頬を掻いて苦く笑む山岡に、山田は小さな溜息を一つ零した。
それからゆっくりと立ち上がると、サチ子の頭をゴシゴシとなで上げて、
「ほら、サチ子、静かにしてろよ。」
しょうがないとばかりに、妹の顔を覗きこんでそう告げた。
サチ子はそんな兄の太い足に、ポカリ、とメガホンを叩きつけると、
「こらっ、太郎! そんなこと言ってないで、とっとと練習しろーっ!」
鬼コーチさながらの体を装って、腕を組んでクイと顎でグラウンドをしゃくった。
山田はサチ子のその言葉に、首を竦めるようにして、
「はいはい、今からやりますよ。」
「はい、は、一回だろっ!!」
「はい。──ったく、誰に似たんだか……。」
そんな呟きを零しながら、くるりとサチ子に背を向けて、グラウンドに向かって走りだした。
サチ子はドタドタと走り去っていく兄の背を見送りながら、まったくもう、と腕を組んだ。
「まったく、ほんとに、そろいもそろって、たるんでるぞっ! 明訓野球部の未来が心配だよ。」
まるでコーチのようなことを呟く小学生に、おいおい、と突っ込む人間は、残念ながらいなかった。
そんなことをブツブツ呟いていると、
「あれ、サッちゃん、遊びに来てたんだ。」
不意に背後の合宿所の方から、サチ子の名を呼ぶ声が聞こえた。
その聞きなれた声に、サチ子が振り仰ぐと、野球部の花形とも言える笑顔を浮かべた少年が、手に何かを持って出て来るところだった。
「さっとなかちゃん。遅いぞ〜!」
「ゴメンゴメン、今日は掃除当番の上に、先生に呼ばれてたからさ。
ちゃんと監督には言ってあります、コーチ。」
グローブを持った手を掲げて、敬礼のフリをしてみせる里中に、サチ子は両腕を組んで、うむ、と頷いた。
それからすぐに明るい笑顔になると、里中が持っている透明な袋を見て、
「里中ちゃん、それ、なぁに?」
興味津々な様子で、ニコニコ微笑む。
そんなサチ子に、うん、と里中は一つ頷くと、腰を屈めてサチ子と同じ高さに目線を合わせると、はい、と彼女に向けて差し出した。
「ちょうど良かったよ、サッちゃん。
これ、サッちゃんに。」
「──……えっ、わ、私にっ!? お兄ちゃんにじゃなくってっ!?」
驚いたように目を見張って、サチ子は自分の目の前に差し出された袋を凝視する。
透明な小さな袋に、細いピンク色のビニール紐。
中には、星の形をした色とりどりの金平糖と、白い粉砂糖がまぶされた飴玉がみっつ。
「誰かに貰ったの、里中ちゃん? そんなの、もらえないよぅ。」
いつも人気者の里中は、良く貢物を貰っている。
先月のバレンタインデーと誕生日のコンボの時は、あきれるくらいすごかったのを思い出して、慌てて両手を振るサチ子に、里中は明るく笑い飛ばす。
「違うよ、これは俺が買ったの。ほら、サッちゃん、先月バレンタインのチョコくれただろ? だからお返し。」
はい、と差し出されたお菓子の入った袋を見て、サチ子はマジマジと里中の顔を見上げた。
バレンタインのお返し。
──言われてみれば、小学校のおしゃまなクラスメイトが「バレンタインのチョコは誰にあげるぅ?」と言っているのを聞いて、おじいちゃんにおねだりして買ってもらった覚えがある。
とは言っても、貧乏な山田家のこと。買ったチョコは板チョコ一枚で、しょうがないからソレを溶かして、自分と祖父と兄と里中の分として、四等分したのだった。
「って、え、でも──いいよぅ、里中ちゃん。だって私があげたのより、里中ちゃんから分けてもらったほうが、ずっと多かったもん。」
ハズかしがるように頬を染めて、上目遣いに見上げて、サチ子は首を竦める。
実際、持って行ったチョコを、はい、と兄と里中に分けた後で、里中が貰ったチョコの量のすごさに、ビックリして……恥ずかしく思ったのも覚えている。
たくさんありすぎるから、近所の子と分けて、と貰ったチョコは──嬉しかったし、美味しかったけど。あんなにたくさん貰って、さらにホワイトデーのお返しまで貰っては、困る。
そういい募るサチ子に、
「それは数に入らないよ、サッちゃん。
サッちゃんがせっかく手作りしてくれたんだから、ちゃんとお返しはしないとね。」
──って、母さんも言ってたし。
心の中で最後の一文は付け加え、里中は飴の入った袋をサチ子の手に握らせる。
指先に引っ掛けても気にならないほど軽い感触に、サチ子はゆっくりとソレを持ち上げ……それから、えへへ、と照れたように笑った。
「ありがとう、里中ちゃん。来年は、サチ子、もっと頑張るからねっ。」
「あははは──うん、期待して待ってるよ。」
ぽん、と手の平でサチ子の頭を軽く撫でて、里中はそのままグラウンドの中へと入っていった。
残されたサチ子は、嬉しそうに微笑ながら──手に持った飴を見下ろした。
ピンク色のみぞれ玉が二つと、青いみぞれ玉が一つ。あと、たくさんの金平糖。
なんだか優越感を感じて、サチ子はそれを大切そうに抱きかかえると、キョロキョロとあたりを見回し、誰も居ないのを確認した後、ごそごそとソレを懐にしまいこみ、ぷっくらと膨れたポケットを、上からポンポンと叩くと、
「えへへ〜。お兄ちゃんには内緒にしとこ。」
緩む頬をそのままに、そんなことを呟く。
もちろん、里中が、山田に内緒にしておくはずはなく、翌日、「ちゃんと里中に礼を言ったのか」と聞かれるまで、サチ子は自分だけの秘密に、ちょっぴり胸を躍らせるのである。
2 席順
新学期の席順は、出席番号順である。
そして出席番号順というのは、出席簿の番号順という意味で──早い話が、名字の「あいうえお順」というわけである。
最初の一ヶ月──教師が名前を覚えるまでは、最低その状態で居なくてはいけない。
そのため、目が悪いなどの理由で黒板が見れない者は、特別な処置を施されるわけであるが……一身上の都合により、「前が見えません」と言えない者も居た。
というのが。
「………………………………っっ。」
クッ、と、シャーペンを握る手に力を込めて、前をギリギリと睨みつける彼にしかり。
目の前に聳え立った山は、果てしなく大きく見えて、屈辱とプライドが傷つけられる一方であった。
これが普通に、クラスでも背の高い指折りに入るクラスメートというだけなら、ここまでプライドが傷つけられることもないだろう。
だが、自分の目の前で、どう軽く見積もっても2サイズはサイズが上の制服に身を包む男は、野球部におけるライバルなのである。
しかも目の前の彼は、中学生にしては体がしっかりと出来ている速球投手。
東郷学園中等部で、1年早々からエースに抜擢されるほどの実力の主だ。
一方で自分は、背が低いだの貧弱だの小柄だの可愛いだのとバカにされて、控え投手すらまともにさせてもらえない状況。
その自分と彼との体格差を、部活や体育以外のこんな状況でも、見せびらかすことはないじゃないかと思う。
カチカチカチ、と突き出したシャーペンを、俯いたヤツのうなじに突き刺してやりたい凶暴な気持ちに駆られたのも、一度や二度じゃない。
コイツの後ろの席って本当、凶暴になるよなぁ。
そんな思いを噛み締めながら──だったら、担任に言って席を前にしてもらえばいいことなのだが、目の前の『ライバル』の背と頭が邪魔で黒板が見えないなど、プライドに掛けても口に出したくはなかった。最初の一ヶ月さえ我慢したら、この目の前の障壁は無くなるのだ──、里中は、自分の真っ白のノートを見下ろしながら、奥歯を噛み締めるのであった。
*
「……なんで新学期の席は、番号順なんだろう……。」
その日、突然山田が零した台詞に、はい? と、食堂内の面々は目を見張って彼を見た。
山田は真剣な顔で、ご飯を食べ進みながら、はぁ、と溜息をつく。
彼にしては非常に珍しい動作である──というよりも。
「なんだよ、突然?」
そう聞きたくなるような先程の台詞であった。
どちらかというと山田は、そういう心配事の類は全部胸の内に閉まって、人当たりのいいところばかりを口に出す方だから、彼が悩み(?)を口に出すとは珍しい。
席替えの季節に、「男女混合席替えなんだから、前が女子になればいいのに……」とか鬱憤を撒き散らすかのような台詞を吐いているのは日常的だが、山田がこんなことを零すなんて珍しい。
「なんじゃい、おんどりゃ、まーた腹がつっかえて、机に入らんのかいな。」
「いや、そりゃ席替えの問題じゃなくって、机のサイズの問題だろ。」
かく言う「規格外サイズ」の岩鬼は、最初から机に素直に納まろうと努力すること自体がない。
その体をちんまりと縮めて机に向かうのは、ご飯の時くらいのものである。
「いや、そうじゃなくて──ほら、出席番号順だと、席が最初っから決まってるじゃないか。」
あたり前である。
窓の一番左から1番、2番、3番……と続くのだ。
「わいは好きなとこに座っとるで。」
本来ならその出席番号順で行くと、岩鬼は一番左の一番前の席になる──が、平均以上の巨体である岩鬼が前の席に座っていては、他の連中が迷惑をする。
「岩鬼は、好きなところに座ってるんじゃなくって、好きな席に移動してもいいって言われたんだろ……。」
最初のホームルームの時は、好きな席に座ってもいいが、すぐに出席番号順に並び替えられるのが通常。このときに岩鬼だけ、体が大きいからと、最初から座っていた席から前が、すべて一つ前にずれる形になったのだ。
それは、岩鬼のような巨体だからこそできることである。
「おんどれも、横じゃのうて、縦にでかかったら良かったの。一番前やさけ、よぅ横に目立っとるで。」
出席番号順だと、そういうことも起こりうる。
きっと岩鬼の席からだと、山田が一番前で、背後の全員が机からはみ出してない中、ぽっこりと山田だけはみ出しているように見えているのだろう。
かっかっか、と豪快に笑う岩鬼の言葉に、その風景を想像した山岡達が、思わず噴出しそうになるのを、必死で手を当てて堪えた。
「サトなんざ、ちんまりして真ん中で埋もれとるで、あんなんで先生から見えるんかいの。出席漏れしとるんちゃうか。」
そんな軽口を叩く岩鬼の台詞に、まさかまさか、と微笑は笑って答える。
「しょうがないだろ、最初は。」
石毛が付け合せのサラダを突付きながら、何を今更なことを言うのかと目を瞬く。
出席簿を教師があらかた覚えるまではそのままで、その後席を並び替えるのだ──そしてテストの時期だけ、再び出席番号順に並び替えられたりする。
それが面倒だからと、年中出席番号順にしたがる担任も居るが、それは女子からの「ストーブもない教室で、廊下側の席は、死ぬほど寒いんですよっ! 女子ばっかり廊下側に押し込めて、凍死させる気ですかっ!」というクレームを受けることになるため、大体は一学期に一度は席替えが行われるわけである。
──そう、席替えは基本的に教師と生徒の希望により行われ、クラスごとに特徴があるわけなのだが(たとえば、班で席を固めたりとか、男子と女子を隣同士にさせるとか……諸々)、山田は一体何を言いたいんだろうと、食堂に居た誰もが首を傾げる。
そうしないと教師は顔と名前がなかなか一致しないのだから、それくらいは我慢すべきだと、そうしたり顔で説明する仲根も続いた。
「出席番号順で言ったら、席順だけじゃないしな。」
身体測定の順番、体育祭の並び方、学年集会の並び方にしてもそうだ。
「ま、名簿順だから、しょうがない、しょうがない。」
「なんか問題でもあったなら、担任に言ったらどうだ? 席を替えてもらえるぞ。」
気楽に言ってくれる先輩達に言われて、そうですよね、と山田は視線を落とす。
けれどその表情を見るに、山田が溜息を吐く問題は無くならないらしい。
「一体、それがどうしたんだよ、山田?」
「……いや、問題と言うことじゃないんだ──うん、何も問題はないんだ。」
尋ねてくる微笑に、あわてたように手を振ってそう答えた後、山田は改めて箸を取り上げて自分の目の前に置かれている茶碗を手に取った。
そしてコンモリと盛られた白い飯に箸を突っ込む。
あわてたように口に飯を突っ込む山田を、一体何なんだと山岡達は顔を見合わせた後、
「出席番号順の何がいけないんだ?」
「さぁ?」
首を傾げあうばかりで、一向に答えは見えてこなかった。
もしココに、山田の相棒である里中が居てくれたら、気になるだろと山田を突付いてくれるだろうし──そして山田も、里中には甘いから、結局アッサリと話してしまったりする──、殿馬が居てくれたら、持ち前の天才的な勘で山田の考えを見抜いてくれるのだろうが、残念ながらその2人は今、野球部自体に居ないのだ。
一体、どういうことなのだろうと、ひたすら首を傾げ続ける部員達を横目に、山田は何も言わずに、さっさと食事を終えると、
「ごちそうさまでした!」
慌てて──それ以上突っ込まれないうちにと、トレイを抱えて席を立ち上がるのであった。
+++ BACK +++
えー……ゴミコネタというのはですね、前に書きかけて放っておいたもったいないものなんですが、書きかけでほうっておいたので、もう何がオチなのか分からず、オチも書かずにそのままアップしてるって言う代物だと思ってもらえればいいかと。
未完というのに近いです。
1のホワイトデーは、そのまんま。本当はこの後、サチ子が飴を山田に分けてあげるというエピソードが入るはずだったんですが、「兄っぽい里中」と、「その里中に懐いているサチ子」って言うのが書きたかっただけなので、もうどうでもよくなった代物。ていうか、里中はホワイトデーにプレゼント返しなんてしないと思う。
2の席順は、単に山田が高校二年の時、右手を故障してたのでゴムマリを授業中に使おうとするのだけど、一番前の席になっちゃって、どうもソレができない。しかもその上、里中の様子がおかしいので気になるのだが、それも見えなくて、落ち着かない。一方で里中は、山田の背中ばっかりをジーと見ている。小林の後ろ姿はむかついたけど、山田の後ろ姿はいいなぁ、とか思っている。──そしてそれを見ているクラスメイト、って言うのが書きたかったんですが。もういいや、みたいな……。
はい、そんな感じです──ごめんなさい………………。