体調不良













──最近、里中の様子が少しばかりおかしいのは、知っていた。
 とは言っても、あからさまに何が変だというわけではない。
 ただ、何か、どこかおかしいのだ。
 バスに乗ると、ぼんやりと外を眺めていることが多く、ふとした時にポツンと一人になると、ボー、と考え事をしている。そういう時に話しかけてもまるで上の空。
 何があったのかと聞いてみても、何もないと頑なに繰り返すばかり。
 これでピッチングに影響があるならば、無理矢理にでも悩んでいる内容を吐き出させるところであるが、そういうわけでもない。
 これは一体どういうことなのだろうと、高校時代からの里中の知り合いであるはずの中西に聞いても、
「って言ったって、俺だって三年の甲子園で会った後、ロッテに来るまで、まともに話した覚えもないしなぁ。」
 と、難しい顔をした後で、
「里中のことなら、元明訓連中に聞くのが一番じゃないっすか?
 近くで言うなら、巨人の三太郎とか、西武の山田とか。」
 そう、誰に聞いても返って来たのと同じ答えが返って来た。
 瓢箪は中西のそんな台詞に、ガックリと両肩を落とした後、
「シーズン中に、どうやって会うんでげすか……。」
 それは何度も考えたのだと、そう訴える瓢箪に、中西は無言でカレンダーに目をやり──彼らとスケジュールがあいそうなのは、もうずいぶん先なのだな、と気づく。
 里中の様子がおかしいと、中西ですら気づいてもう1週間になる計算だ。
 ちなみに瓢箪はその少し前から気づいていたというのだから、里中が何事か悩みはじめてから、もう10日近くは経過しているということである。
「見てる限り、普通なんだけどな……里中。」
 中西も、里中を元気づけてやろうと、アメリカに居たときからの宝物の一つであるメジャーリーガーのサインボール逸話を聞かせてやったりだとか、飲み会に連れて行ってやったりとか、果てには弟の部屋に隠されていた『青少年雑誌』を持ってきてやったりとかしたのだ。
 けれど最初の手には、「それはもう何度も聞いた」と冷たく突っぱねられ、飲みに行けば行ったで、「酔っ払ったくせに山田の話をまったくしない里中」という非常に珍しい里中を発見することが出来た──早い話が、思ったよりも里中は追い詰められていてマズイ状況らしいと、知っただけだった。
 そしてさらに最後の手段として、弟の部屋から持ってきた雑誌は──ちなみにまだこのことは弟にばれてないが、ばれた後のことは想像するだけで怖い──、暇つぶしの代わりに読んでくれたようだが、その後の反応がない。……てっきり里中のことだから、「こんなものを人によこすなっ!」と叫んで投げつけてくるものだとばっかり思っていたものだから、余計に心配だ。
 そんな、他所様から見たら「空回りしすぎてる」というようなことを一通り繰り返したのだが、あたり前のことながら里中の態度は向上する様子を見せない。
 これは、本当にマズイのではないかと──まだ投球に影響は出てないが、このままではコントロールが定まらない、なんていうことにもなりかねない。里中のようなコントロール主体のピッチャーが、コントロールが定まらないというのは、正直厳しいところだろう。
「どうしたものでげすか……。」
 肘を故障したときだって、不調のときだって、里中はいつも不屈の精神を燃やし続けるばかりで、決して諦めたりはしなかった。
 その里中の、どこ悩んだ態度に、中西と瓢箪は揃って首を傾げあう。
 そうこうしているうちに、ロッテの他の選手も里中の「不調」に気づき、あれやこれやと自分たちに聞いてくることだろう。
 そのときに「原因? 知りません」と答えようものなら──。
 思わず、ブルリっ、と中西は身を震わせた後、
「こうなったら、今日、里中のお袋さんのところに行こう。」
 瓢箪に向かって、そう宣言した。











 訪れた先──里中家のお母さんは、ニッコリ朗らかに柔らかな面差しを和ませて、息子と仲の良いチームメイトの言葉に、耳を傾けてくれた。
 その穏やかな表情を見ていると、息子思いの彼女に余計な心配をかけさせたくないと言う気持ちがムクリともたげたが、自分たちが気づくくらいなのだから、彼女はきっと気づいているに違いない。
 久しぶりの「お客さま」に、ニコニコと相好を崩す里中のお母さんは、2人が最近の一通りの顛末を話し終えるまで、笑顔を崩さなかった。
 そんな彼女の様子に、なんとなく心配になった中西は、
「そういうわけで、理由、知らないですか?」
 伺い見るように聞いた刹那。
「知ってるわよ。」
 にっこり、と加代は満面の笑顔で、白い頬に手を当てて、そう笑った。
 一つの曇りもない、穏やかな微笑みだった。
 そうですか、とその笑顔に釣られるように微笑みながら返しかけた中西と瓢箪は、一拍置いて、えっ、と加代の整った顔をマジマジと見つめる。
「……え、知ってるって…………知ってるんでげすか?」
 驚いた顔を隠そうともしない2人に、加代は朗らかな微笑みを引っ込めて、眉をキュ、と寄せると、すまなそうな顔になる。
「ええ、──ごめんなさいね、瓢箪さんも中西君も。
 智には、みんなに心配をかけないように伝えておくわ。」
「──あ、は、はぁ…………。」
 その彼女の口調は、まるでこれ以上の関与は遠慮しますと、そう言っているようにも見えた。
 どうしようかと顔を見合わせる中西と瓢箪を、加代はどこか嬉しそうな表情で見つめながら、穏かに口を割る。
「心配しなくても、すぐに時間が解決してくれることなのよ。
 本当に──そう、心配をかけさせることがおかしいくらい、くだらないことなの。」
 ノンビリと笑う加代に、ますます2人はワケが分からない顔で、お互いの顔を見交わし、加代を見つめた。
 けれど加代は、疑問を浮かべた2人の笑顔に、ただただ微笑むばかりで、
「きっと来週の今ごろには、もう元気になっているはずよ。」
 そう続けて、部屋に掛けてあるカレンダーを見やり、うん、と自信ありげに頷いた。
──来週の、今ごろ。
 そんなヒントを貰って、中西と瓢箪は釣られるようにカレンダーに目をやった。
 来週の今。
 それはすなわち。
「…………あ…………、西武戦?」
「……………………────────それとこれと、何の関係が?」
 何もかもの内情を知っていたら、簡単に分かることだろうに、彼らはまだわからないらしい。
 見ていたら、すぐに分かることなのにねぇ、と加代は掌を頬に当てて、天井辺りに視線を彷徨わせた。
 そしてその後、加代はますます意味深に微笑みを深めると、
「きっと山田君が、智の不安を聞いて、解決してくれるに違いないからよ。」
 ──結論から言えば、真実に違いないことを教えてやった。
 その言葉に、ハッ、と衝撃を受けたような顔になる瓢箪や、納得したように頷く中西の顔。
 ある意味、ようやく「真実」に気づいたように見えないでもないが、眇めた加代の視線は、2人が何を思っているのか確実に捕らえていた。
 瓢箪は、これほどバッテリーを組み続けていても、まだ悩みを打ち明ける対象は山田なのかということに衝撃を受けていて。
 中西は、やっぱり山田は特別なんだなぁ、と思っているだけで。
「………………。」
 もう一歩踏み込んだら、すぐに分かることなのに、どうして2人とも、その一歩に入れないのかしらね……いつもいつも。
────2人とも、結婚するまで、まだまだ長そうねぇ……。
 ちょっぴりそんな老婆心を感じる加代であった。









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