冬の夜は、ひどく冷たく寒い。
それぞれの合宿所の自室には、暖房機具なんてないから、寝る直前まで、談話室や食堂にたまっているのが日常だった。
暦も2月に入ると、目前に学年末テストが迫って来ていることもあって、談話室にノートや教科書、参考書を持ち込んで、プチ勉強会に入る者も居る。
その中で、畳の上に横になって、雑誌を捲りながら微笑は、ふとその手を止めて顔を上げた。
「智、そういやお前、もうすぐ誕生日だったよな?
何か欲しいものってあるかー?」
唐突にそんなことを聞いてくる微笑に、えっ、という声が上がったのは、プチ勉強会真っ盛りの、後輩達の方角からだった。
渚は持っていたシャーペンを投げ出し、
「里中さん、2月生まれなんですかっ!?」
思いっきり良く叫ぶ。
今まで聞いたことも、考えたこともなかったと、目を見張って渚は同じ部屋の中で、テレビを見ていた里中を振り返る。
思わずカレンダーを見上げた高代は、今日の日付を確認すると同時に、目の前に迫って来ている「例の日」に気づき、げっ、と小さく声をあげた。
「もうすぐって……まさか、バレンタインとか言いませんよね……?」
逸話に聞いて知っている昨年の「バレンタイン里中戦線」の話が、チラリと頭に浮かぶ。
その話を学校内で、同級生や先輩達から聞いたときには、「大げさだなぁ」と笑って済ませたものだが、里中の誕生日がその日なら──洒落にならないかもしれない。
思わず、ゾッ、と身を震わせる高代に、おしいっ、と微笑が指を鳴らした。
「2月17日だ。だから俺たちは明日からの一週間を、『さとるウィーク』と名づけてみた。」
名づけるなよ、と突っ込みたくなるようなことを笑って告げて、微笑は談話室に飾ってあるカレンダーを見上げながら、去年は凄かったよなぁ、とシミジミと思い出す。
初の夏の甲子園出場&優勝、その後の秋季大会優勝。
更に土井垣が監督として居たため、明訓高校の人気は神奈川県下の高校でナンバーワンの「チョコレート収集率」を誇っていた。
それでも今年は、土井垣はいないし、夏の甲子園は二回戦で敗退してるし──それほどバカみたいにチョコレートは来ないだろうと思うのだけれども。
「今年は、山田人気もすげぇづらからな。」
殿馬が、ヒョイ、と肩を竦めてそう口を突っ込んでくる。
そのままチラリ、と片目で見やる先で、里中の隣で山田がグローブの手入れをしている。
「あー……記録打ち出してるしなぁ──山田。
去年とは段違いにドシドシ来るだろうな。」
さすがに、大会の直後のような人気はなくなったが、それでも差し迫る春季に向けて、人々の関心は再び高まり始めている。
もしかしたら、今年のチョコは里中を抜くかもしれないな、とにんまりと笑う微笑には、
「あほかい、今年もわいが一番で決定やで。」
壁にもたれながら雑誌を読んでいた岩鬼が、そう呆れたように口を挟んでくる。
その、当然やろ、と言った顔には、
「……いつおめぇが一番になったづらぜよ。」
呆れたように殿馬が突っ込んだが、残念ながらその突込みを、岩鬼はまったく聞いていなかった。
「ま、なんじゃ、ナギもタカも、あと十年もすりゃ、わいくらいにドシドシとチョコをもらえるようになるで。」
がはははは、と豪快に笑う岩鬼に、良く言うぜ、と渚は首を竦め、高代はそうだといいなぁ、と笑う。
それと同時に、なんだかんだ言っても、「バレンタインのチョコ」で言えば、山田が里中に勝てるはずはないだろう、と胸の中で思ってみる。
山田が里中を抜くほどの人気があっても、それは老若男女を問わない人気の総合量であり、女性からの人気というイミで言えば、ダントツで里中がNO.1であることに変わりはない。
なので結局、今から一週間以内には、岩鬼は自分の目の前のチョコレートの量と、他の面子の量を比べて歯軋りする場面は、当たり前のように思い浮かべることができた。
とりあえずその当日までは、岩鬼の夢を砕くつもりはないので、微笑は改めて里中へと顔を向けると、
「で、智ー? お前、誕生日に何がほしいんだよ?」
そっちへ話を戻してみた。
すると、里中はテレビを見ていた顔をこちらへ向けるなり、
「山田。」
キッパリはっきり、一言だけ答えて、そのまま何事もなかったかのようにテレビに視線を戻した。
「あー……なるほどなー、山田かー……って、…………あのな。」
がく、と前のめりに崩れかけた微笑が、かろうじて途中で体勢を取り戻して彼をジットリと睨む。
「里中さん……冗談が過ぎますよ〜。」
自分たちも里中がほしいものを聞いておこうと、ちゃっかり聞く準備をしていた渚と高代が、そう里中に訴えるが、里中はというと、困ったように顔を顰めて、
「……山田のほかに欲しいものなんて、突然言われても思い浮かばない。」
本人、まったく悪気もなく、そう言い切ってくれた。
その里中の至極当たり前な口調に、高代は目を白黒させながら、口元に拳を押し当てて、
「────…………や、やや……山田さん、ですか…………。
いや、そりゃ、里中さんが欲しいって言うなら、あげたいのは山々ですけど、もともと山田さんは俺たちの物じゃないから、あげようにもあげれないっていうか…………っ。」
だんだんと混乱してきたと、涙目で訴える。
そんな彼に、落ち着け、と言うようにポンポンと殿馬は背中を叩いてやりながら、
「里よぅ、あんまり後輩いじめをするんじゃねぇづらぜ。」
呆れたように里中に目をやった。
里中は、そんな殿馬の突っ込みに、にやり、と口元をゆがめた。
「まさかそこまで本気にされるとは思っても見なかったからさ。」
そう言って、楽しげに喉を鳴らして笑う里中に、高代は信じられないように目を見張り、渚は素っ頓狂な声をあげて叫ぶ。
「嘘だったんですかーっ!?」
そんな、里中さんがそれがいいって言うなら、17日の日は延々と二人っきりにさせてあげないとだとか、色々思ったのにっ。
そう悲鳴に近い声を上げる渚に、里中は明るい笑い声をあげると、そのまま上半身を後ろに傾けて、トスン、と自分の隣に座っていた山田の腕に背を預けた。
「アハハハ、悪い、悪い。
だって突然言うからさー、そんな、何か欲しいって言われても思い浮かばないじゃん。」
その里中の背の後ろでは、グローブの手入れを黙々と続けていた山田が、苦笑じみた笑みを浮かべている。
たとえ突然言われて何も浮かばないからって、そこで「山田が欲しい」と口にするのも、どうかと思わないでもないのだが──。
「ま、どっちにしても、山田は山田自身からしかもらえないもんだし、朝食と夕食のデザートをくれるくらいでいいぜ。」
山田と違って、人様からくれるというものを遠慮するようなことはしない。
里中は軽やかな笑い声を立てて、ニッコリと彼らに向かって微笑みかけた。
「……デザートでいいんですか……。」
どこかガックリした感情を覚えながら、渚も高代は、疲れたように笑い──お互い、無言で目を交し合った。
──なんだ、結局、先ほどの発言は、本音だったんじゃないか。
そんなことを、心の中でポッツリと吐き捨てながら──なんだか、乾いた笑いが口に上るのを、とめられなかった。
明日の学校の準備をしている山田を、彼の背中越しに覗き込みながら、
「なぁ、山田。17日はさ、練習が終わった後に、ホットケーキ焼いてくれよ。」
先ほどの後輩達とのやり取りを思い出して、いたずら気な笑みを浮かべて、そんなことを口にしてみる。
「ホットケーキ?」
ふと手を止めて、不思議そうにチラリと見上げてくる山田の視線を受けて、うん、と里中は嬉しげに顔をほころばせて頷く。
「そう、ほら、前にお前のうちで作ってくれただろ? あれ。」
貧乏な山田家の「贅沢」なおやつであるソレは、以前に山田の家に遊びに行ったときに、彼に作ってもらったことがあった。
小さい頃には、母も良く作ってくれたが、里中が中学に入った後は、仕事が忙しくなって、そういう「オヤツ」の類は、手作りしてくれることはなくなった。
だから、久しぶりに食べたホットケーキはとても美味しくて、嬉しかったのだと、そう懐かしむように微笑めば、山田も目元を緩めて笑み──大きな手の平で、クシャリ、と里中の小さな頭を撫でる。
「あんなのでいいのか? ただのホットケーキミックスだぞ?」
「うん、あれがいい。
それで一緒に食べよう。」
キュ、と山田の首に回した手に力を込めて、里中は彼の頬に自分の頬を摺り寄せながら、小さく笑った。
──本当は、ケーキだとかプレゼントだとか、そういうのはどうでもいい。
ただ、去年みたいに、起きた瞬間に山田がすぐ間近で笑っていて、「おはよう、里中。──誕生日おめでとう」と、たったそれだけを伝えてくれたらいい。
そんな、どこか幸せな感情を抱きながら、そう呟く里中に、山田はにこりと笑って、
「うん、分かった。ホットケーキだな。
蜂蜜は、たっぷりいるよな?」
「もちろん、ちゃんとバターだぞ。」
「わかってる。」
頷いて、山田は里中の肩に手を回すと、彼の右手を肩より上にあげないように気を使いながら、スルリと彼の体を自分の前に引き寄せた。
そのまま、彼の華奢な体を胡坐をかいた足の上に抱き上げる。
「わ……っ。」
小さく──驚いたように声をあげて、里中はすぐ目の前に見上げることができる山田の顔に、目を瞬いた。
「やまだ?」
キョトン、と目を見張る里中に、
「うん。」
山田は穏やかに微笑みかけたまま──そ、と顔を近づける。
その動作に、里中はかすかに片目を眇めた後……ゆっくりと、瞳を閉じる。
額の上にキスを一つ。
そのまま唇を滑らせて、閉じたままの瞼と、米神から頬。
何度も口付けを繰り返しながら、山田は里中の唇のすぐ間際で──唇の際に何度も触れては離れる。
決して口付けは唇の上には落ちてこない。
そのじれったさに、里中は不満げに唇と尖らせる。
目を開いて、キ、と彼をにらみ挙げると、
「山田……っ。」
手を伸ばして、彼の襟首を掴み──そのまま、自ら顔を寄せようとした刹那。
「さとなか。」
チュ、と、唇の上に優しく触れる。
その、まるで狙ったかのようなタイミングのキスに、里中は小さく目を見開いて、照れたように笑う山田の顔をマジマジと見つめた。
それから、一瞬遅れて、指先と唇に当てた後──キュ、と真一文字に口を引き締め、
「──山田のバカ……っ。」
プイッ、と横を向いた。
その目元や頬が、羞恥に赤く染まっているのを見下ろしながら、いつまでたっても、不意打ちのキスになれない里中に、
「ごめん、里中。」
甘い感情を抱きながら、小さく謝りながら、今度は彼の髪の上に口付ける。
くすぐったそうに首を竦める里中の、その小さな耳や首筋に噛み付きたくなるような、凶暴な感情がムクリと起き上がってくるが──里中を抱き寄せる前に自分が覗き込んでいたカバンが、目の中に飛び込んできて。
……明日は、学校、授業。
そう心のうちで呟くと、ポン、と里中の頭を軽くなで上げた後、
「さ、そろそろ寝るか。」
穏やかにそう笑いかけるのに。
「──……っ! え……あ、う、うん。」
なぜか腕の中で彼が、恥らうように頬を染めながら、コクリ、と頷いてくれるから──。
「………………………………………………。」
思わず、ぎゅ、と里中を抱く手に力を込めると、里中ははんなりと笑って、
「山田……、その……たくさんは、駄目だぞ?」
左手を、山田の頬に当てる。
その、照れたような表情が、多くを語っている。
山田はそれを認めて──明日も授業があるし、確か体育もあった……と、思わないでもなかったのだが。
軽く体を伸ばして、チュ、と唇にキスされてしまったら、
「……あぁ、分かってるよ。」
そのしなやかな背を、抱きしめないわけには、行かなかったのである。
──あとは、いつもの、甘いひそやかな夜が、訪れるだけ……。
+++ BACK +++
ゴメンなさい……。
単に、「誕生日に山田が欲しい」と堂々と言い張る里中と、
ホットケーキを焼く山田が、ホットケーキミックスについていた蜂蜜を見て、「蜂蜜か……つかえるな」と思うところが書きたかったんですけどっ、さすがにそこまで書くのはどうかと思ったので、蜂蜜手前でとめておきました。
蜂蜜さとぴょんは甘そうで、山田は大好物じゃないかなぁー、とか思ったんですが。
ネタフリだけしてみました(笑)。