そつぎょうしき











 数日後には、各球団のキャンプが始まり、「明訓5人」は別々の道を歩みだす。
 微笑、殿馬、岩鬼の三人はそれぞれ、ジャイアンツ、オリックス、ダイエーに入団が決まっており、球団の寮に入ることも決定している。
 山田は西武ドームに自宅から通うつもりだったし、里中はすでにもう千葉のアパートに入居が決定している。
 高校時代──当たり前のように同じ屋根の下で暮らしてきた5人は、卒業を前にして、バラバラに暮らし始める。──土地も何もかもが、まったく異なる場所で。
 ただ同じなのは、みな野球で生計を立ててるということだ。
「みんな、バラバラになっちゃったな。」
 そう言いながらも、軽い口調で微笑が笑う。
 バラバラになった。
 そう言えば一言で済むことだが、たとえ球団が別になっても、自分たちが友人であることには変わりないし──何よりも、野球場で顔をあわせるのが、今から楽しみで仕方がない。
 だから、「バラバラになった」──というのは、表面的なものでしかない。
 そのことを一番良く分かっているのは、多分、目の前の二人なのだろうけど。
「……山田……。」
 ジ、と大きな目で山田を見上げる里中は、まるで今にも、彼と引き離されたら死んでしまいそうだと言いたげな悲壮な顔をしていた。
──つい先日、記者たちの前で、「やれるところまでやります。プロの地で、俺も山田と戦ってみたい。」と強気な発言をしたとは思えないような顔である。
 一度でいいから、この顔を記者の前に出してやりたい。
 ──いや、これに近い顔なら、甲子園が終わって少し落ち着いたときに、「進路はどうするのか」と聞かれたときに見せていた。
 山田と離れると思うだけで、憂鬱になると、後輩達相手に半ば折檻状態のしごきをしていたのも懐かしい一面だ。
「里中、千葉なら電車ですぐに会えるさ。」
 しょんぼりと肩を落とす里中の肩をグ、と掴み、山田が微笑む。
 その山田の顔を見上げて、里中はますます顔をゆがめる。
 そんな彼に、慌てて山田は、
「それに電話もあるし、遠征のときは、ホテルの番号も部屋番号も教えるよ。」
 そう続ける。
 時々思うが、山田は絶対、実の妹よりも里中に甘いと思う。
 そんな風に、微笑が頬杖をついて思っているなど思いもよらずに、山田は里中の顔を覗きこむと、
「里中──何を不安に思うことがある?」
 お前なら大丈夫だ。
 そう顔を近づけて宣言する山田に、里中は顔を上げて、
「不安じゃない。──いや、不安に思うことなら、色々あるけど、そういうことじゃない。」
 フルリ、と微かに首を振るう。
「そうじゃなくて──あのな、山田?」
「うん。」
「……これから俺、お前と最低でも9年はバッテリーを組めないわけだろ?」
「──あぁ、そうだな。」
 口に出されると、どこか痛い響きを宿すそれに、それは確かにチクリと胸が痛くなると、山田は顔を顰めた。
 そんな山田を見上げて、里中は手を伸ばすと、彼の頬に手を添えると、
「……山田…………。」
 どこか甘い色を潜ませて、目をゆがめたまま、里中が彼の名を呼ぶ。
 その声を聞いた瞬間、山田はハッとしたように目を見開き──コクリと頷き、彼の名を呼び返した。
「里中……。」
「……山田。」
 そのまま、視線を合わせて間近で見詰め合う二人に、
「いちゃつきバッテリーっちゅうのも、もうこれで呼べんづらな。」
「おっ、そうだなー、じゃ、代わりになんて呼ぶか?」
 殿馬が、首を竦めるようにして呟いた言葉に、微笑がいたずらに乗るような顔つきで身を乗り出す。
 そんな友人達には気づかず、二人は二人だけで通じる世界で、交信中である。
 そのうち、目で見詰め合わなくても会話できるようになって、千葉と神奈川で会話しそうな気がしないでもないと、半ば本気で思ってしまう。
 とりあえず、智と山田のために、卒業祝いにテレホンカードの束でもくれてやるかと、頭の中にとどめておくことにした。
「夫婦決裂後っちゅうたら、ただの他人やないけ。」
 そんな風に軽口を叩く岩鬼に、里中はギロリ、ときつい視線を向けた。
「お前だって神奈川と福岡で、遠距離恋愛なんだから、他人事じゃないだろっ!」
 千葉と神奈川と違って、お前らのほうが絶対遠いから、破縁するならそっちが先だと怒鳴る里中に、岩鬼はカーッと顔を真っ赤に染めて、
「わ、わいはな、生計が立つようになったら、夏子はんとすぐにでも結婚するつもりやでっ! おんどれらと一緒にするな!」
 バンッ、と机を叩いてそう怒鳴りつけた。
「里中……言い過ぎだぞっ。」
 慌てた山田に抱きとめられる形で止められるが、里中は牙を剥くようにして彼をにらみつけて、
「何言ってるんだよ、目には目を、歯には歯をだっ!」
 そう宣言する。
 その、好戦的に光る瞳に、山田は間近で苦笑を零すと、ポンポンと大きな手の平で落ち着かせるように里中の体を軽く叩いてやりながら──こうしているのも、後少しなんだなぁ、と、腕の中に感じる小さな温もりに、微笑を覚える。
「なんだよ、山田っ、笑ってる場合じゃないだろっ!」
「いや、すまん──っ。」
 岩鬼に噛み付いていた視線を、キッ、と山田に戻して、里中は彼の襟首を掴むようにして顔を近づける。
 そんな里中に、ますます山田は笑い……今度これほど近づくのは、どれくらい先なのだろうと、そんな一抹の寂しさを覚えた。
 そして、突然、自分に向いていた矛先がそらされた岩鬼はというと、なんじゃい、と呆れたような顔を乗せる。
 そこへ、隣で頬杖をついている微笑に、
「このイチャイチャを見れなくなって、寂しいなぁー……って思うこと、俺たちにもあると思う?」
 そう聞かれて、思いっきり顔をゆがめた。
 答えに窮する……否、答えたくないだろう岩鬼が、ふぬぬ……と仁王立ちするのに。
「あるならあったで、づんづらづんづら。」
「いや、わっかんねぇし、ソレ。」
 あはははは、と明るい笑い声があがった。


──たぶん、きっと、どうせ。


 すぐにまた見れるだろうことは、間違いないのだろうけど。















「里っ! ほれ、おんどれの表札じゃい。」
 卒業式の日──突然岩鬼がポケットに手を突っ込んだかと思うや否や、ぽいとよこしてくれた。
「プレート? って、合宿所のか?」
 目を見張って、里中は放り投げられた岩鬼からの物を受け取る。
 それは、白いプレートで、マジックで「里中」と書かれていた。
 実を言うと、合宿所のネームプレートは、こう見えても達筆の岩鬼によって書かれていたりする。
「いや、だが合宿所のネームプレートは、俺たちが退所するときに、ちゃんと全部綺麗にしたはずなんだけどな?」
 首を傾げる山田が、里中が手に取ったネームプレートを見下ろす。
 そこに書かれている文字はきっちりとしていて、確かに岩鬼が書いた合宿所のプレートと寸分たがわないように見える。
 が、山田は確かに、退所の日、3年間お世話になったそのプレートの上の文字を、丁寧に消毒用アルコールで拭い取ったから、もう里中のネームプレートも、山田のそれも……誰のものも残っていないはずだった。
 なのに、里中の名前の入ったプレートとは、一体?
「岩鬼、これは何だ?」
 不思議そうに見下ろす里中に、岩鬼はそんなことも分からないのかという顔になった後、ヒョイと上半身を傾けるようにして、
「おんどれの家の前にかける表札にきまっとるやろが。」
 当たり前のように告げた。
 その彼の言葉から出た台詞に、里中のみならず、微笑も殿馬もキョトンと目を見開く。
「里中の家の前にかける表札って……。」
「もしかしてコレ、アパートの部屋の前にかける表札ってことかぁっ!?」
 山田が岩鬼の顔と、里中の手の中のプレートを交互に見やる先、微笑が岩鬼の台詞を理解して、すっとんきょうな声をあげた。
「づらっ?」
「って……岩鬼っ!?」
 もちろん、そのことに驚くのは殿馬だけではなく、受け取った里中もである。
 見下ろしたプレートは、確かに良く見れば、ホームセンターなどで売っている「表札用の札」のように見える。
 縦にかけられたそこには、「里中」と縦に書かれていて、里中はそれを無言で縦に起こした。
 少し遠目に見ると、それは確かに──アパートの入り口につけるのに見合った、表札に見えないこともない。
 が、長年暮らしてきた合宿所の隣にかける札だと思ったら、それ以外に見えなかった。
「……………………。」
 思わず無言でその札を見つめて、里中はこの隣に、「山田」って言う名前がいつもあったんだよなー、と、札の横をジットリと見つめた。
 岩鬼の達筆が目立つ札を見つめているにしては、少しばかり右手にずれている里中の視線に、誰もが気づいていたが、決してソレを突っ込む人は居なかった。
「岩鬼、これがお前の、里中への引越し祝いなんだな。」
 山田が、そんな風に表札を見つめる里中の肩をぽんと叩いて、良かったな、と彼を見下ろした後、ニッコリと笑って岩鬼を見上げる。
 里中はそんな山田に向かって頷いた後、そのままの笑顔で岩鬼を見上げ、
「けどさ、岩鬼──普通、アパートの表札って横だと思うぞ。」
 岩鬼に向けて、手にした縦書きの表札を、横にしてみせた。
 「里中」と書かれた文字が横になり、見づらいものになるのに、微笑が、あはは〜、とガクリと肩を落とす。
「それくらい常識づらぜ。」
 殿馬が、ヒョイと肩を竦めるのに、あははは、と山田も首を竦めるようにして笑った。
 そんな彼らの前で、岩鬼は唇をゆがめると、
「………………よこせっ!」
 里中に一度は渡したプレートを取り上げ、「里中」と縦に書かれた表札を裏向けて、ポケットの中からマジックを取り出すと、
「って、おいおい〜っ!」
 思わず声をあげた微笑にかまわず、スチャリとマジックを構えて、彼はそのままサラサラー、っと目の前でマジックを滑らせた。
 そしてスチャリとサインを終えた後のように右手を高々と抱えて、
「どやっ! これで文句ないやろっ!!」
 びしぃっ! と、見事な達筆で横に書かれた「里中」という文字を前に突き出す。
 それを見た里中は、なぜか大げさに眉を寄せて──顔をゆがめると、
「…………文句ならある。」
 小さく呟いた。
「なんやとっ!?」
 声を荒げた岩鬼に、けれど里中は決してひるむことなく、彼が差し出した表札に書かれた、新たに描かれた文字を指し示し。
「このハッパはいらない。」
「ぬなっ! わ、わいのサインやないけっ!」
「いらない。」
 「岩鬼」の「鬼」の部分に、ハッパがついているのは、岩鬼のシンボルだと言える。
 けれど、今、彼が書いてくれた「里中」の「里」にハッパがついているのは、ただの邪魔にしかならない。
 そう繰り返す里中に、岩鬼は、ヌヌヌ……とハッパを揺らしたが、無言で表札を見おろし、
「……そやな、わいの高尚なサインは、サトの名字にゃ、もったいなかったな……。」
 一転して溜息を零して、そんなことを呟いてくれた。










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最近の小ネタは長いのばっかりだったので、漫画を読んで思いついたネタでも……。

卒業式の後、彼らは揃ってグラウンドでキャッチボールはしただろうなぁ、とか。
で、その後山田と里中は二人で、ランニングコースを散歩するんだろうなぁ、とか。

色々考えてみて、考えすぎて(笑)、結局書いたのは上の二つだけになりました。

イミがないのが小ネタですから……。