で、ヤマサト(笑)
1 保土ヶ谷アパート
息子が新球団「東京スーパースターズ」に入団が決定してすぐ──里中母子は、保土ヶ谷に引越しを決めた。
加代の退院を待って、引越しした先は、なんだかんだで10年の付き合いになる山田家のほど近く。充分徒歩で行き来できる圏内だ。
引越し屋に入ってもらったその日も、関東に帰って来たばかりの「明訓OB」たちが集い、手伝ってくれ──やはり、千葉からココへ越してきたのは正解だったと、思った。
何よりも、自分の前では常に大人びた表情をして、頼りがいのある息子ぶりを見せている智が、彼らの前だと年相応よりも幼い表情を見せるのが、嬉しかった。
──高校時代からの友人である彼らを、誰よりも信頼しあっているのだと……そう、感じることが出来たから。
「また、山田君たちと一緒に野球が出来て、良かったわね。」
久し振りに握る包丁の感触を感じながら、9年過ごしたアパートとは違う最新鋭のキッチンに悪戦しつつ、息子を見上げる。
加代が退院してしばらくも、台所に立っていた息子は、母よりも早く電気コンロの使い方を熟知してくれている。
さらに言えば、過労で倒れた母が「久し振りに夕飯を作りたいわ」と言って作り始めたのを、心配しているのだろう。
今も隣で、下ごしらえの準備を手伝ってくれていた。
前のアパートは、台所に二人立てばもう満員という感じだったが、今回のココはほんの少しだけゆとりがある。
時々はこうして、二人で台所に立つのもいいわね──なんて思いながら、久し振りの包丁に、指が上手く動かないのを感じながら声を声をかけた母へ、智は、そっけなく、
「お袋、話ながら切ってると危ないよ。
それから、切った生ゴミはそこ。開けたら、処理機があるから。」
そう注意してくれる。
そんな息子に、加代は片眉をあげると、
「わかってます。母さんも一緒に買ったでしょ。」
心配性な息子に、自分のことを棚にあげてと、あきれたように返した。
いくら退院あがりの体だとは言っても、自分の体のことくらい分かっている。
──そう言えば、山田家の人々は揃って「この母にしてこの子ありか」と心で思いそうな台詞であったが、この親子、揃って自分が無茶をしていると言う自覚はなかった。
「あんまり無茶しないでよ、お袋。」
包丁でリズミカルに野菜を切り始める母をチラリと見下ろしながら、智がそう呟けば、母は嬉しそうに笑いながら、目線は野菜に定めたまま、息子に答える。
「でもね、智──母さん、昼間は家で寝てばっかりだから、たまには動かないと、逆に体が参っちゃうのよ。」
働き者のお母さんが良く口にする台詞ではあるが、正直に言えば、過労で入院したばかりの母の口から聞きたい台詞ではない。
「過労なんだから、寝てたほうがいいんだって。
それに昼間は寝てるも何も、洗濯とか掃除とかして、いつも動いてるじゃないか。」
「洗濯は全自動洗濯機だし、掃除は掃除機だもの、動いているうちには入らないわよ。」
即答する母の台詞に、こういう母だからこそ安心できないのだと──多分、智がそう零せば、サチ子あたりから「そっくりそのまま返すよ、里中ちゃん……」と突っ込みが入りそうなことを、心の中で思う。
そ、と溜息を吐く智に、加代は軽やかに笑って、
「それに、なんだか母さんも嬉しいのよ。」
「……嬉しいって……新しいキッチンが?」
眉を寄せて問い返してくる智を、加代は軽く目を見張って見上げた後、
「──……そうね、そういうことに、しておこうかしら。」
ふふ、と笑って、理由を口にすることはなかった。
2 サチ子来訪
12月に保土ヶ谷に引っ越してきて、数ヶ月。
智と太郎が恒例の箱根や春季キャンプ、オープン戦に開幕戦と、地元から離れている間、サチ子は学校の帰りに毎日加代のいるマンションに訪ねるのが日課になっていた。
いつ訪れても、朗らかに嬉しそうな笑顔で出迎えてくれる加代が入れてくれたお茶を飲みながら、思わずポロリと零すのは、もう10年も前の懐かしい話。
「私が中学校や高校の時に、加代お母さんが傍に居てくれたら、良かったなぁ〜。」
頬杖をついてそう零すサチ子に、加代は不思議そうに首を傾げる。
サチ子のことは、智が高校時代から良く話を聞いている。
太郎の妹で、明るくて可愛くて、気が強くて。
兄のように慕ってくれるのがとても可愛いのだと、嬉しそうに話していた。
そのサチ子と会ったのは、そう──もう10年も前の話だ。
加代が入院していた病院に、太郎と智と一緒に顔を覗かせてくれて、退院した後も、良くアパートに来てくれていた。
けれどそれも、里中親子が千葉に引っ越すまで。
その後は、智の話を聞いたり、電話をしてきたサチ子の電話と智に取り次ぐ間に話したり──それくらいしかない。
けれど、たったそれだけの付き合いに過ぎなかったけれど、サチ子は加代にも良くなついてくれた。
加代もまた、こんな子が智の下にお嫁さんに来てくれて、娘になってくれたらいいわね……なんてことを、山田の祖父と笑って話したこともある。
──もちろん、加代はそれがありえないことを、充分承知していたが。
「あら、どうしてそう思うの、サッちゃん?」
サチ子が中学と高校の時といえば、それはそのまま智のロッテ時代を示す。
サチ子は千葉に来ることは少なく、時々智や太郎と一緒に東京ディズニーランドに出かけるために来ていたのは知っているが、それも中学校入学当たりからピタリと止まった。──彼女が中学で部活に入ったためである。
その彼女の、充実していたはずの中学高校時代に、自分が傍にいればよかったとはどういうことかと問いかけかけて──はた、と加代はその可能性に思い当たる。
──サチ子は、「思春期の娘」として、「母親」の存在を求めていたのではないか、と。
いくらしっかりしていても、彼女もまだ中学の幼い少女に過ぎなかったはずだ。
しかも周りは思春期の青春盛りの青少年と、兄と祖父──とてもではないが、女になる自分の体のことを相談する相手はいなかっただろう。
そのことに今更気づいた自分に──10年前、入院していたときには、あれほどサチ子の明るさに助けられたというのに、自分は何もしてあげられなかったのかと、少しの悲しみを覚えて口をつぐんだ加代にしかし、サチ子はあっけらかんとして、
「だって、授業参観とか体育祭とかの時に、加代お母さんみたいな美人なお母さんが来てくれたら嬉しいじゃない。」
「…………サッちゃん…………。」
くるん、と目を回して明るく笑った。
「じっちゃんが来てくれたり、時々、お兄ちゃんが来てくれたのも嬉しいけど、でもやっぱり──お母さんが来てくれたらなぁ……って思うときとかあったんだよね。
先生とか友達のお母さんとか、色々と世話を焼いてくれたけど、それはでも、私だけのお母さんじゃないわけでしょ?」
小学校の頃は、両親が居ないことで、ずいぶん寂しい思いをしたのだろう。
苦労をした分だけ、他の子よりもずっと大人びているとは言えど、心が急激に寂しさを覚えないわけではないはずだ。
特に年頃の──思春期の娘になるに従って、両親が居ない寂しさは我慢できるようになっても、何もかもを打ち明けて相談できる同性がいないことは、ひどく心細さを覚えたに違いない。
たとえそのサチ子を不憫に思って、誰かが相談に乗ってくれるとしても、その人はサチ子の全てを受け止めてくれるわけではない。
「だから、加代お母さんが居てくれたら、サチ子、すっごく嬉しかっただろうな〜……って思ったの。」
「サッちゃん……そうね……おばさんも、サッちゃんが居てくれたら、とても楽しかったと思うわ。」
「そうそう。それにサチ子が居たら、お母さんが働きすぎないように、ちゃーんと見張りもしてあげたのに。」
茶目っ気を入れて、クスリ、と笑うサチ子に、つられたように加代も笑う。
「そうね、サッちゃんが居てくれたら、鬼に金棒だわ。」
「でしょ?」
ふふ、と女二人で額を付き合わせるように笑って──それからサチ子は、体をのけぞらせるようにしてカーペットの上に両手を付いた。
視界に映るのは、10年前の太郎と智の写真。二人で甲子園優勝のメダルを掲げながら、ニッコリと笑っているソレ。
記者のおじさんが、好意で譲ってくれた写真は、山田家にも飾ってあるのと同じものだ。
それをなんとなく見上げながら、
「里中ちゃんがお兄ちゃんになってくれたら、加代お母さんも、サチ子のお母さんになれるのにね。」
ポツリ、と──昔、本気でそう願ったことを、今更のように呟いた。
その小さな独白に、加代は小さく笑って、
「私がサッちゃんのお母さんになるには、サッちゃんが智と結婚する以外はないと思うわよ。」
「うん、それはね、実はちょっと考えた。」
ペロリ、と舌を出して、可愛らしく肩を竦める。
あら、と軽やかな笑い声を上げる加代が、多分自分と同じことを思っているのだろうと核心しながら、さらにサチ子は続ける。
「お兄ちゃんが、里中ちゃんと結婚してくれないなら、サチ子が里中ちゃんと結婚してやるんだー! って、小学校のときに、思ってたんだよ。」
「うふふ。」
意味深に笑う加代をチラリと見ながら──あぁ、やっぱり知ってるんだと、サチ子は苦い笑みを刻み、それを無理矢理お茶で濁してみた。
「私も、こんなに可愛い娘が居たら、本当に幸せだわ。」
「あら、でも加代お母さんは、まだまだ若いんだもん。生めるよ、きっと。」
「えっ、わ、私が生むの!?」
「それで、生まれなかったら、サチ子が娘になってあげる。」
ニコニコと笑うサチ子に、加代も楽しげにコロコロと笑いながら──、
「そうね、智は孫の顔を見せてくれないようだから、サッちゃんに孫の期待をしちゃおうかな〜。」
「そうそう。うちのお兄ちゃんも、じっちゃんにひ孫の顔は見せられないから、私が頑張るよ。」
女二人、昼下がり──そんな愉快な会話を繰り広げつつ。
──今頃、あの二人は、何をしてるんだろうな、と……頭の片隅で、そんなことを思ってみた。
+++ BACK +++
なんとなく仲のいい里中親子と、里中母とサチ子が書いてみたかったんですよね……。
スパスタ編5巻の最初から、あの話だったので……なんとなく……ね。
そしてあの問題の山田の台詞が、「こういう意味だったらいいなぁ」と、考えてみました。
うーん……だいぶ無理がありますねっ!!(笑)
あの不自然な加代さんの座り方は、無理矢理、智と太郎の間に入ったのだと(無理矢理)理解するとしても!
ということで、これから下は、「こうだったらいいなぁ……」という妄想集編(笑)。
笑って見なかったことにしてやってください。
3 食事会の後
すでに恒例になった、山田家で食事会の日。
なぜかスーパースターズのシャツとズボン姿で食事をする球団の正捕手とエースは、隣同士の席で──いやもっと正しく言うと、机の角と角同士で、隣同士よりも近い顔の位置で、今日も目と目で会話をしていた。
智の隣に座る加代と、太郎の向かいに座るサチ子の間でも話が弾み、そんな二組の男同士女同士の会話を、山田の祖父はニコニコと間に入ったり、入らなかったり。
そんな楽しい食事時が終わり、テーブルの上から食器が下げられると、サチ子が台所からお盆の上に空のグラスを持って現れる。
「じゃじゃーんっ! おじいちゃんのお楽しみタイムだよー。」
ばんっ、と差し出してくるお盆の上には、グラスが5つ。
そしてそれを待っていたように、食器棚の下の棚から、一升瓶を取り出してくる。
そんな祖父に、待ってましたとばかりにグラスを一個取り出し、掲げるサチ子には、
「こら、サチ子。お前はまだ未成年だろ。」
太郎が厳しい顔で小さく叱咤する。
そんな太郎に、
「この秋には二十歳だもーん。」
とサチ子は目を瞑って澄ました顔で答えるが、そういうことに厳しい太郎と祖父が許してくれるはずもなく、
「まだ19だろ。お前はジュースにしなさい。」
「そうだぞ、サチ子。お前にはまだ早い。」
二人揃って、ぴしゃり、と遮断してくれた。
サチ子は、空のグラスをつまらなそうに見下ろした後、ちぇー、と小さく零して──それでも、そう二人が答えることは分かっていたのだろう。素直に立ち上がり、自分の分のジュースを取りに、再び台所へ消えていった。
そんなサチ子を見送りながら、
「そういえば、サッちゃんももう二十歳なんだっけ。」
智がしみじみと──会ったときは、小学校低学年だったのになぁ、と零すのに、
「もう成人だって言うのに、一向に女らしくならないんだ。」
太郎が、はぁ、とわざとらしい溜息を零す。
「って兄貴っ! 聞こえてるよっ!」
サチ子が台所からジュースの瓶を振り上げるような動作をしながら、膨れた顔で戻ってくる。
そんなサチ子へ、
「サッちゃんは十分女の子らしいよ。」
ニコニコと智が笑いかけると、サチ子はそれに鷹揚に頷いて、
「まったくよね。ほーら見なさい、兄貴がそう思って無くっても、ちゃーんと見てくれる人は見てくれてるんです〜、っだ。」
ベ、と向かいの兄に向かって舌を突き出す。
そんなサチ子に、くすくすと楽しげに笑う智へ、山田のじっちゃんが栓を抜いた日本酒を差し出す。
「ほら、里中君、うちの孫娘にお世辞を言ってくれた礼だ。一番先に、たっぷり飲んどくれ。」
笑いながら、クイ、と手をひねる動作をする祖父に、
「って、じっちゃんまで〜っ!!」
もうっ! とサチ子が拗ねたように頬を膨らませるのに、楽しげに笑いながら、智は空のグラスをじっちゃん向けて差し出す。
「ありがとうございます。」
とくとくとく……と、注がれていく透明な液体を見ながら、
「あ、それくらいでいいです。明日は移動ですから、あんまり飲むと、寝ちゃいますから。」
ちょうど半分くらいまで注いだところで、笑顔でとめる。
そんな智に、そりゃそうかと、じっちゃんが手を止めた瞬間、
「いいじゃんいいじゃん、お兄ちゃんの肩でも背中でも、好きなところを借りて寝ちゃってよ。
ふかふかしてて、絶対寝心地いいから。」
サチ子が、先ほどの押収とばかりに、チラリ、と舌先を突き出しながら軽口を叩いてくれる。
「サチ子……。」
まったく、と太郎が呆れたように彼女の名を呼ぶのに、ついで貰ったばかりの酒を口元に運びながら、
「それもいいかもな。山田、移動中は、俺の枕役で頼むぜ。」
サチ子の軽口に乗るように、智が笑う。
「移動中に寝ると、首を痛めるぞ。」
「大丈夫だって、山田の肩って、ちょうどほら、いい位置にあるし。」
ほら、といいながら、コトン、と頭を預けて、智は彼を上目遣いに見上げると、
「な? いい感じ。」
ほんわりと、柔らかに微笑む智に、
「この間もそういって、坊ちゃんスタジアムの移動中に、節々が痛いだとか言ってたじゃないか。」
渋面を崩さない太郎が、つい先日のことを持ち出してくる。
「それに、エコノミー症候群にならないためにも、筋肉を解したり、ストレッチしたりするのは大切なんだぞ。」
「あぁ……それは大事だよな。」
うんうん、と頷く太郎と智の仲の良いほほえましい姿を横目に、また始まった、と加代はサチ子に向けて軽く肩を竦めて見せる。
さっきの食事の最中も、なんだかんだで見つめあいモードに達すること数回。
「山田」と言う一言で、しょうゆを差し出す太郎を見ること1回。「里中」と呼びかけるだけで、お茶を注いでやる甲斐甲斐しい息子の姿を見ること1回。
──正直に言って、そろそろおなか一杯だった。
そこで加代は、ここは母として、自分が動くべきだろうと、朗らかな微笑を貼り付けると、
「山田さん、私が太郎君にお酌します。」
智のグラスの中に酒を注いだ後、加代のグラスと太郎のグラスに酒を注ごうとしていてじっちゃんの手を止めるように、手を伸ばした。
「そうかね?」
あっさりと手渡してくれる酒の瓶を受け取り、加代は立ち上がると、未だに太郎の肩に手を置いて、顔を近づけて話す息子と、太郎の間のほんのわずかな空間に割り込み、
「はい、ちょっと智、どいてちょうだい。母さんは太郎君に『いつも息子がお世話になってます』って、お酌するんだから。」
ニコヤカな笑顔とニコヤカな台詞を吐き散らしつつ、二人をグイグイと引き離した。
「って、ちょっとお袋、そんな無理矢理入ってこなくてもいいじゃないか。それに、山田に酌するなら、俺がするからいいよ。」
不満を訴える息子が、しぶしぶ席をずれたのを見ながら、
「何を言ってるの。あんた達は遠征先でお酒を飲むことがあるかもしれないけど、母さん達はこういうときしか一緒できないでしょ。
こんなときくらい、母さんに譲りなさい。」
まったく──と、続けた。
「……はいはい。」
母さんには勝てません。
そういうように、ヒョイ、と肩を竦めて、席を軽くずれた智と太郎の間に、しっかりと位置を決め込んだ加代は、はい、と酒を掲げて、
「さ、太郎君。どうぞ。」
────酒の席が終わるまでは、酌をするという理由で、決してこの場は離れたりなどしない。
そう、ちょっぴり心に誓ってみたりするのであった。
(きっと食事の最中は、二人は隣同士だったんですよ。でも、あんまりにも二人が二人の世界を作りすぎてくれたので、母として、酒を飲むときはその世界を邪魔をしなくてはいけないと思って、「太郎君、お酌するわね」とか言って、グイグイと間に割り込んだに違いない。……と思った。)
っていう話です(笑)
さらにその後、↓山田の爆弾要注意発言を見て、「こうだったらいいなぁ」と、もっと考えてみた。
これは本当に、無理矢理補完して「こうだったらいいなぁ」と思ったネタなので、お遊び程度にどうぞ〜(笑)。
4 そのうち、いつか、一緒になるときが
明日から北海道。
あさってから日本ハム戦──そんな、出発前の休日。
久し振りに山田の家で会食をした里中親子は、山田家総勢に見送られて、帰ろうとしているところだった。
「おやすみなさーい!」
元気良く、片手を振り上げて挨拶するサチ子に、穏かな微笑みを広げて、加代が頷く。
「おやすみ。」
その隣で、智も笑顔を見せる。
──やはり、二人で食べるよりも、山田の家でみんなと一緒に食べたほうが、母の食欲が増しているような気がする。
食事の量もそうだが、サチ子が食事の後に必ずデザートを出してきて、母に甘いものを食べさせてくれるから、あのガリガリにやせ細っていたときに比べて、ずいぶん加代はふっくらとした。
その母の面差しを見下ろして──本当に嬉しそうに楽しそうに笑う母に安堵を覚えつつ、里中は、
「また明日。」
微笑みを張り付かせて、肩ごしに二人に声をかけた。
そのまま、視線を太郎へと走らせた瞬間。
「…………………………………………。」
一瞬、智は動きを止めた。
ヒラヒラと手を回せていたサチ子は、外灯の明かりに照らされた智の白い頬が、かすかに強張ったような気がして、軽く首を傾げる。
歩き出そうとしていた加代もまた、動く気配のない息子を、不思議そうに見上げる。
「さとる?」
小さく呼びかけると、智はニッコリと笑みを零して、加代を見下ろし、
「ごめん、母さん、ちょっと待ってて。」
そう言いおくと、スタスタと迷うことなく星空を眺めている太郎の傍に歩み寄ると、
「山田。」
ニッコリ、と笑って呼びかけ──だがしかし、加代と太郎はその智の声に、怒りの色が滲んでいるのを、間違いなく察知した。
太郎が驚いたように振り返るその顔に、智はすばやく顔を近づけると、自分の唇を寄せた。
突然頬に触れた温もりに、ビックリして固まる太郎以上に、
「……ぁっ。」
口元に手を当てて、サチ子が驚きの声を上げた。
「さ……里中っ?」
驚いたように、目を丸くして頬に手を当てる太郎を、智は眇めた目でジトリと睨みつけた後、
「……あんまりおかしなこと考えてると、怒るぞ。」
──その背後で、「あらあら、怒るとそんなことするなら、山田君は喜んで智を怒らせるわよ」と能天気な母の声が聞こえたが、スルーしておく。
「……里中……。」
困惑したような、困ったような──赤らんだ頬に手を当てて、口を歪める太郎へと、
「俺とサッちゃんが、なんだって?」
さらに詰め寄るように、智は顔を近づける。
そんな彼の、吊りあがった目を見下ろしながら、山田はジリリと後じさる。
あらあら、と能天気な声を上げる加代の声が、智の頭ごしに聞こえた。
さらに開いたままの玄関口で、サチ子が「わわ。」と意味不明の言葉を吐きながら、両手で自分の顔を覆い──その指の隙間から、興味津々に自分たちを見ているのが分かった。
「里中──いや、別に何も言ってないよ。」
「お前の目が言ってた。」
キッパリ言い切る智に──太郎は苦い笑みを刻み込む。
目線を合わせてもないのに、勘が鋭いというか、なんというか。
「いや、だから……その……別に、今すぐというわけじゃないぞ?
ただ、……結婚とか──そういう話も近いかもしれないな、と。」
コリコリ、と頬を掻きながら、赤らむ頬を抑えられない太郎に、智はカチンと来たように目を吊り上げる。
「へー……それで、俺とサッちゃんが、なんだって?」
グイ、と両手で太郎の両頬を挟みながら、智は彼の顔をまっすぐに睨みつける。
そんな智を見下ろしながら、太郎はますます苦笑を滲ませた後、指の隙間から固唾を呑んで見守っているサチ子に視線をやり、それから智の背後でニコニコとことの成り行きを見守っている加代を見て──小さく、諦めたように溜息を零した。
ぽん、と智の両肩に手を置くと、智の小さな面差しを覗き込み、
「……………………イヤか?」
どこか真摯な眼差しで、聞いてくるのに、思わず智はカッと頬を怒りに染めた。
「って……あのなぁっ! イヤも何も、お前が勝手にそういうことを決めるなよっ!」
思わず声を荒げる智に、そっか、と太郎は苦い笑みを刻み──それから、智の肩から手を落とした。
「悪かったな、里中。」
どこか寂しさを宿した表情で言われて、智は続けて叫びかけた言葉を飲み込んだ。
正直に言うと、太郎にこういう表情をされると、たとえ自分が理不尽なことをしていなかったのだとしても、ちゃんと彼に理由を聞かなかった俺が悪いのではないかと、そう思って頭が冷めてしまうのだ。
「お前の気持ちも考えずに、勝手に決めて悪かったよ。
……ただ、俺は、その──今年は、岩鬼もコッチに帰ってきてるから、サチ子と岩鬼にも進展があるだろうから、今すぐ結婚とまでは行かなくても、婚約くらいにはなるかと思っただけで──そうなると、俺達も負けてはいられないかな、と……、いや、俺がお前の気持ちも考えずに、一方的に決めすぎただけだな。」
少し俯いて呟く太郎の言葉の続いた先に、
「………………ん?」
智は、何か違う雰囲気を感じて軽く首をかしげる。
「すまなかった、里中。」
もう一度謝る太郎を見上げて、智はさらに首を傾げる。
「……山田。」
「うん。」
「──なんでソコで、岩鬼が出てくるんだ?」
いぶかしげに問いかけてくる智に、太郎は目を瞬いて、
「なんでって──、サチ子と岩鬼の話もしたからだろう?」
こちらも不思議そうに首を傾げてくれる。
智は一瞬沈黙した後、ジ、と太郎の顔を見上げた。
同じように太郎も見返す。
そしてしばらくの沈黙の後、
「………………ゴメン、山田。」
不意に、智が目元を赤らめて、そう呟いた。
そんな智を、太郎もホッとしたような眼差しで見下ろし、小さくかぶりを振る。
「いや、俺のほうこそ、言葉が足りなかったな。」
「そうだぞ、だってあんな言い方されたら、誰だって『俺とサッちゃん』のことだって思うだろ。
間があるなら、間があるって、ちゃんと言ってくれよ。」
ジトリ、と上目に睨んでくる智に、そうだな、と太郎が苦笑を浮かべる。
しかし、会話を聞いている側からしてみたら、一体いつ、太郎が智を誤解させるような言い方をしたのだろうかと、疑問に思うところである。
けれど、会話外の人間がそんな疑問を抱いているとは露とも気づかず、智は伸ばした指先で、くい、と太郎の服をつまんだ。
そのまま、顎を引いて、
「でも──その……俺は、イヤなんかじゃないぞ?
山田だったら……いつでも、いいんだからな。」
見上げてくる面差しの頬が、かすかに上気しているのを見下ろして、太郎も照れたように笑う。
「うん──それじゃ、その……そのうち、な。」
「うん。」
ニッコリ、と笑み交わす二人の周りを、誰の目にもくっきり映るような、ピンク色のオーラが飛び回っているのは、いいとして。
問題は、その二人の世界に突入した二人ではなく、二人に取り残された女達の方で。
「…………で、兄貴は一体、何を言って、里中ちゃんを怒らせたの?」
「さぁ……なにかしらねぇ。」
ただひたすら、二人だけにしか分からない会話で、二人だけにしか分からない痴話喧嘩をして、二人だけにしか分からない仲直りをする兄と息子を、妹と母は無言で見つめた後、
「……あーっ! もぅっ! 喧嘩するなら、もっと分かりやすい喧嘩しなよ、二人ともっ!!」
とりあえずサチ子が、叫んでキレてみた。
もちろん、二人で延々と目で会話をしあっているバカップルに、そんなサチ子の悲鳴が、聞こえるはずもないのであった。
うん、つまりだな、無理矢理、名前の間の空間を埋めてみた。
「いずれは里中(と俺)とサチ子(と岩鬼)も一緒になるかもな。
この2 3年で明訓5人衆も大きく様変わりするのかな。」
って言う補完……いや、無理矢理なのは自覚あるさ……ふっ……………………。
だから、最初にお断り入れてみたんだもん。
題して「こういう展開だったら、よかったなぁ…………」
しかし、いつ、いかなるときも、山田は里中優先なんだなぁ、と思いました……なんで「一緒になるかも」発言で、「サチ子と里中」という表現じゃないんだろう? 普通、身内のほうが先に名前がきますよね? うーん、不思議だ。
はい、私はいついかなる時も、ヤマサト&岩サチ派ですからねっ! でも、殿マドもいいかなぁ、と思っておきながら、まだ殿サチも捨てがたいとか思って……(笑)