寒くないはずなのに、不意に背中がゾクリと震えた。
──と同時、
「…………くしゅんっ。」
慌てて手の平を口元に当てたら、思わずくしゃみが出た。
そのまま顔を顰めて口に当てた手を見下ろす里中を、山田は心配そうに見上げる。
「里中、風邪か?」
「──ん、いや、ちょっと寒気がしただけだ。」
湯冷めしたかもしれない。
そう告げる里中に、山田は無言で時計を見上げた。
「そうか……もうこんな時間だし、今日はもう布団を敷いて寝るか。」
このまま座っていたら、風邪を引いてしまうに違いない。
ほかの野球部員に比べて、里中は風呂上りにも必ず一枚か二枚は余分に羽織っているが、それでも冬の夜の冷え込みには、寒気を覚えてしまうのだろう。
「結構、着込んでいるつもりだけど、やっぱり風呂上りは冷え込みやすいな……。」
厚着をしているというのに、服に触れている肌が冷たいような気がする。
そう零す里中の指先が、微かに紫色に染まっているように見えて、山田は苦笑を滲ませた。
里中は、冬の時期が近づいてくると、冷え性のように指先が冷たくなる。
良く寒いと言いながら、指を振っているのを見かけるが──どうやら、今日はいつもよりも冷え込んでいるらしく、指先はすっかり冷えているようだった。
山田は、自分がアンダーシャツの上から羽織っていた上着を脱ぐと、自分の指先を頬に押し付けて、「冷たい……」と顔をゆがめている里中の肩からかけてやった。
「すまん、里中。もっと早く気づいてやればよかったな。」
「サンキュ、山田。──ん、あったかい。」
山田の体温が移った上着は暖かくて、ジンワリと冷えた肌に染み込むような感覚を覚えた。
風呂上りは、体の芯があったまっているような感覚を覚えるから、つい見過ごしがちになるが、体に触れている部分がさめないわけではないのだ。
指を頬に当てると、指先も冷たかったが、ソレなりに頬の辺りも冷え込んでいるのが分かった。
「先に布団を敷いてくるから、それまでここで待ってろよ。」
「うん、頼むな。」
暖房器具が何もない自室は、室内だと言うのに息が白くなるほど寒い。
そんな中、その空気に触れた冷えた布団を敷くのは、寒さに弱い人間にとっては重労働だ。
山田の上着を羽織ながら、はぁ、と指先に息を吹きかけている里中の姿は、あまりに不憫に見えて、山田は軽く首をかしげながら、
「布団……2枚だと寒いか?」
そう心配げに尋ねる。
12月に入ったものの、今年は暖かいからと、まだ合宿所のかけ布団は2枚しか用意していなかった。
三枚目の布団も、一応押入れの中に用意してあることはあるが──、長い間押入れの中に仕舞い込んであるから、一度太陽の下で干さなくては、使えたものではないだろう。
そのまま使えば、翌日にはダニ跡ができることは必須……と言っても過言ではない。
「──……そうだな……最近、明け方になると寒くて目が覚めることもあるしな……。」
口元に手を当てて、そう呟く里中に、山田は呆れたように──もっと早くそういうことは言え、と、里中に忠告する。
里中の薄い体に対して、肉が厚い山田は、布団の中が暑いと思うことはあっても、まだ寒いと感じることはなかった。
里中の話を聞きながら、山田は先日、サチ子もじっちゃんも、寒いからかけ毛布と敷き毛布を出してきたと言っていたのを思い出した。
自分はまだ寒いとは思わなかったから、もう出したのか、と会話を終わらせたが──これからは、サチ子とジッちゃんの感覚を信じて、里中の布団はソレに合わせることにしたほうがいいようである。
「明日、布団を干しておくか。
……今日はしょうがないから、里中、おまえ、パジャマの上からジャージでも着て寝るか?」
「洗って干してあるじゃないか……オレのジャージ。」
今日の体育で汚れたから、帰ってきて真っ先に洗濯機の中に入れた──ため、現在、二人の自室に干されている最中だ。
明日の朝には乾いているだろうが、今はまだしっとりと濡れているに違いない。
そんなものを着て寝たら、明日の学校は熱で休むことになるのは確定である。
「──……ああ、そうだったな……。」
かく言う山田のジャージも、そしてほかの野球部の面子も、ついでだからと一緒に洗濯機の中に放り込んでくれたため、借りるようなジャージもない。
となれば、方法はただひとつ。
「じゃ、しょうがないな……。
枕はどうする?」
何がしょうがないのか、聞いている側には分からなかったが、里中には通じたらしい。
「ん、いいよ、別に。」
首を軽く傾げるようにして山田を見上げて、里中はニッコリと笑った。
「布団は3枚でいいか? 全部かぶせるか?」
「んー……三枚でいいと思うぞ。山田が暑いだろ、あんまり掛けすぎると。」
何せ、もう季節的には冬だと言うのに、山田は時々暑そうに布団を一枚剥いでいることもあるのだ。
「俺は大丈夫だよ。それよりも里中が風邪引くほうが大変だろ。
四枚かぶせるぞ? 暑かったら、剥げばいいだけだしな。」
ゆっくりと立ち上がる山田を見上げながら、里中は小さく喉を震わせて笑った。
「山田は心配性だな……まったく。」
けれど対する山田は、小さな子供を怒るような表情を作って、
「用心に越したことはないだろ。
それじゃ、もう少ししたら来いよ。」
少し声を低くして言った後、一転して穏やかな笑顔を見せた。
「うん。」
里中はそんな彼に、ニッコリと明るく微笑んで頷いた。
そんな、ほんわり、と花が開いたような──空気が華やかになったような気がする笑顔を見て、山田もニッコリと笑ってから、
「じゃ、お先に。おやすみ。」
何事も無かったかのように、出入り口近くで雑誌を読んでいた微笑たちに挨拶を交わして、部屋から出て行った。
山田が後ろ手に閉ざした扉と、残された里中が大きめの上着を羽織ったまま、手にしていた月刊雑誌を捲る姿とを、無言で見比べて、
「………………………………………………。」
渚が、物問いたげな視線を向けてきた。
その視線を感じているはずなのに、雑誌を広げたままの微笑は、背を壁に預けたままの体勢で、
「あー……そういや、もう冬なんだなー。」
「づら。」
朗らかに殿馬に語りかけた。
その、あからさまな態度に、オレはもしかして無視されてるんだろうかと、渚は一瞬考え込んだが、すぐに気を取り直し、
「え、いや……あの……あの二人の会話は、聞こえなかったことにするんですか、微笑さん、殿馬さん??」
改めて、そう問いかけてみた。
すると、微笑はしぶしぶの体を装って雑誌から顔をあげ、
「いや、聞こえたから、だから冬だなー、って言ったんだぜ?」
ハ、と小さく息を零した。
「………………いや、確かに、冬かなー……って思う会話だったかもしれませんけどっ、なんか、それ以前の問題っていうか……っ。」
渚は両手を広げて必死に熱弁を振るう──が、里中に聞こえないように、声は小さなものであった。
微笑は再び雑誌に視線を落とし、ペラリ、と雑誌を気のない風に捲りながら、渚の疑問に答えてやる。
「ああいう会話が隣から聞こえたら、『冬』の合図だな。
ま、なんだ? 毎年の風物詩だな。」
あからさまに避けている返答であったが。
もちろん、そんなことで意味が分かるはずもない。
渚はますます顔をゆがめ、唇をへの字に曲げた。
その隣にチョコンと座っていた高代が、分かったような分からないような表情で首を傾げて、
「……は、はぁ…………。
……って、あの──それで、里中さんと山田さんは、一緒に寝るんですか?」
渚が一番聞きたかったことを──けれど、聞きたくても口にできなかったことを、不思議そうに尋ねた。
「いつも一緒づらぜ。おんなじ部屋づんづら。」
ペラペラと譜面を見つめながら、殿馬が右手でリズムを取りながら高代に答えてくれる。
「いや、そーゆー意味じゃなくってですね……。」
渚は米神辺りを揉みつつ──真実を知りたい、でも知りたくない。
そんな苦悶の表情を宿す。
微笑は、パタン、と雑誌を閉ざすと、はぁ、と溜息を零して、渚に助言してやることにした。
すなわち。
「どういう意味なのか知りたかったら、夜中に山田と里中の部屋の窓の前に立ってみろ。
見えるから。」
覗きの勧めを少々……。
「はー……なるほど、山田さんと里中さんの部屋の窓で…………──って、それ、覗きじゃないっすかっ!」
あまりにあっさりと勧められたため、なるほどなるほど、と頷きかけた渚であったが、一瞬遅くただの「覗き行為」であると知り、渚は最近覚えたばかりの裏手突っ込みを放った。
その見事なタイミングの突っ込みに、ひそかに悦に入った渚であったが──、だがしかし。
「いや、だってあいつら、寝る直前まで窓のカーテンを閉めないからさ。」
微笑は、ひどくあっさりとしたものであった。
「あ、なるほど。だから寝る直前まで覗き放題なんですね。」
ぱふ、と、嬉しそうに目元を緩めて高代が手の平を打ち鳴らす。
そうそう、と、やはり嬉しげに目元を緩ませて──いや、微笑は常に嬉しそうな顔をしているが──、微笑が飲み込みの早い高代の頭を、二度三度撫でて褒めてやる。
そんな二人に、渚は再び突っ込みを放った。
「いや、じゃなくって──覗きでしょう!?」
全身全霊を込めて突っ込んだため、思わず渚の声は部屋の中に響いた。
良く響いた声に、慌てて渚は辺りを見回し──里中が雑誌から顔をあげて、時計を見上げているのを一瞥した。
──どうやら里中には、自分たちの声はまったく聞こえてないようである。
ホ、と……里中さんには、「何を考えてるんだ、おまえらはっ!」と、蹴られることはなさそうだと、渚は胸をなでおろした直後、
「うん、そう。」
今度はあっさりと、微笑が渚の突っ込みを肯定した。
そのあと、軽く目を見開いている渚と高代を交互に見やって、微笑は人の悪い笑みを口元に浮かべると、不意に声のトーンをひとつ落として──こう、続けた。
「でもな、見る前には気をつけろよ。
見たら、引き返せないからな。」
ニヤリ、と。
浮かべられた笑みと、口調に秘められた不穏な響きに、二人は背筋を這い上がるものを感じた。
「ひ……ひきかえせな、い……ん、ですか?」
ゴクリ、と喉を上下する高代に、そう、と微笑はあっさりと頷く。
そして、雑誌を再び開きかけ──お、と小さく呟いて、その手を止めた。
彼の視線の先では、ヒョイ、と身軽に起き上がる里中の姿があった。
里中は手にしていた雑誌をマガジンラックに戻すと、山田の上着の前を掻きあわせながら、
「じゃ、オレも、そろそろ寝るな。」
部屋の中に残っている友人達に告げた。
「おぅ、ゆっくり休めよ。」
ヒラリ、と手を振って、微笑はニコヤカに里中に向かって笑って言った。
それに頷いて、
「おやすみ。」
里中は、そのままパタン、と──部屋から出て行った。
「……あ…………おやすみなさい…………。」
思わず呆然と、渚と高代が閉じた扉に向かって、ポッツリと吐く。
もちろん、軽快な足音を響かせて自室へ帰っていく里中に、その声が聞こえているはずもなく。
渚と高代は、里中一人が居なくなっただけで、どこかガランと寒々しくなったような気のする室内を、何気に見回した。
そんな二人の後輩へ、微笑は先輩らしく柔らかな微笑を浮かべてみせると、ポン、と彼らの肩に手を置き、
「じゃ、行くから、あったかい格好しろよ。」
な? ──と、二人の顔を覗きこんだ。
「……………………ぇ?」
ひくり、と、笑顔が引きつる後輩に、微笑はニコヤカに見えて、極悪な色に染まった微笑を口元に張り付かせつつ。
「おまえらも一度は、見といたほうがいいだろうしな。」
後戻りはできないと、がっしり──しっかり、後輩二人の肩を、わし掴みにするのであった。
+++ BACK +++
ようやく冬らしく寒くなってきたので、冬話でも一丁……。
冬は、いちゃいちゃパラダイスだと信じて疑ってないような気がします……私。