同棲生活 第二

あいさいべんとう









 キーンコーンカーンコーン………………
 明訓高校に、少し独特の響きのあるチャイムが鳴り響き、各教室で4限目終了を告げる担当教師の声がした。
 本日の日直が号令をかけ、一礼をした後、生徒達はいまだ教卓に残る教師には目もくれず、さっさと教科書とノートをしまい──または仕舞う間すらも惜しみ──、昼食の準備に取り掛かる。
 授業の最中、何も机の上に出すこともなかった岩鬼は、終了のチャイムと同時に、カバンいっぱいのドカベンを取り出し、それをドンと机の上に置いた。
 そんな彼へ、弁当の入ったカバンを横がけにした山田が声をかける。
「岩鬼、おれたちは中庭で食べるけど、お前はどうする?」
 すでに弁当の蓋を開けて、本日の昼食にかかろうとしていた岩鬼は、その巨顔を大きく歪めた。
「なんでわいがお前らと仲良う飯を食わなあかんのや。せっかくの昼飯も、まずぅてかなわんなるやないけ。」
 そのまま飄々とした顔で言う岩鬼に、
「そっか。」
 山田は岩鬼がガックリとするほどあっさりと引いた。
 もぅ少し根性だしてみぃや……と小さくぼやく岩鬼のハッパが垂れるのを見ずに、山田はそのまま視線を自分の席の斜め後ろへと飛ばす。
 ちょうど里中が、筆記用具を机の中にしまい終え、弁当の入ったカバンを肩に掛けているところだった。
「行くか。」
 声をかけると、里中が顔をあげて、頷く。
 そして、開いた弁当をさっそくがっついている岩鬼を見て、軽く首を傾げた。
「なんだ、岩鬼は教室で食べるのか?」
 弁当を食べる場所は、決められてはいない。
 他のクラスに行って食べようと、自分のクラスで食べようと──そして別の場所で食べようと、それは自由である。
 だから、わざわざほとんど一日閉じ込められているような教室で食べなくてもいいじゃないか──里中はそう言いたげに眉を寄せた。
 窓の外は心地よい晴天の秋空。風も強くなく、日差しも強すぎるわけではない。中庭で食べるには、本当にちょうど良い季節であった。
 そう言いながら窓の外を一瞥した後、里中は山田を見て、さ、行こう、と促した。
 それに山田が頷いて、教室の後ろの扉から出て行こうとした──まさにその刹那。
 ガタンッ、と、激しい音を立てて岩鬼の椅子が後ろへ引かれた。
 岩鬼はそのまま立ち上がると、
「ごちそーさんっ! さぁって、昼食後の散歩にでも出かけるかいなっ。」
 さっさと食べ終えた弁当を机の中に突っ込み、ズボンのポケットに両手を突っ込みながら、山田たちの後ろへと続いた。
「って、もう食べたのかっ!?」
 驚いたように目を見開く里中は、思わず教室の前の時計を見やった。
 時計の下の教卓には、まだ教師が立っている──授業が終わって、2分も経っていないのだ。
「は、速いな……。」
 呆れたように呟く山田と里中の隣をすり抜けると、
「腹ごしらえの散歩に、中庭にでも行くかいの〜。」
 はっきりと二人に聞こえるような声で、そう残しながら、彼は中庭へ続くドアに向けて歩き出した。
 教室のドアの外に出た山田と里中は、その大きな背中を見送りながら──、
「一緒に食べたいなら食べたいで、最初っからそう言えばいいのに。」
 呆れたように眉を寄せる里中の背を、ポンと叩いて、
「中庭を散歩したい気分だったんだろ、だから。」
 クスクスと笑いながら、山田は、さぁ行こう、と彼を促した。
「早く行かないと、座れないかもしれない。」
 この季節の中庭は、競争率が高いんだ、とそう言われて、コクンと里中も頷いた。
 明訓に入って、「弁当組」であったのは、一年の一学期の間くらいだ。他はずっと合宿所に入っていたから、基本的にみんな食堂で食べることが多かった。……何せお弁当がなかったので、みんなパンか食堂の飯である。
 もちろん、育ち盛りのスポーツ選手が、「パン」ごときでおなかが一杯になるはずもなく、自然と合宿所の野球部員達は、昼飯時になると合宿所で顔をあわせるのである。
 山田だけはサチ子が朝から弁当を届けてくれたので、里中たちと一緒に食堂で弁当を食べていたが。
 それでも時々は、食堂が一杯だったりして、どうしてもパン食になることがある。そういうときは、売店から一番近い中庭に行くのだが──過去二年の経験で、この季節の中庭の競争率が高いことは熟知している。
 早く行かないと、日当たりのいい場所はとれず、風が吹きすさぶ場所でご飯を食べるハメになってしまうことだろう。
「急ごう、山田。」
 クイ、と山田の制服の裾を引いて、里中は岩鬼が出て行ったドアへと歩いた。
 そのままドアの外に出ると、涼しい風が吹いてきていた。
 つい先日まで、あの灼熱の暑さの中、高校生活最後の戦いをしていたとは思えないほど、涼しい風だった──すっかり秋の色だ。
「いい風だな……。」
 小さく微笑み、山田を振り返ると、彼もどこか懐かしむような目で空を見上げていた。
 それに頷いて、里中と山田は、適当な場所を探してきょろきょろと辺りを見回した。
 先に中庭に来ていた女生徒が、すぐに里中と山田に気づき、頬をそめながら、数グループが同時に二人に声をかけようとした矢先だった。
「おーい、智っ! 山田ーっ! コッチ、コッチーっ!」
 手を大きく上げて、合図する男の声があがった。
 視線をやると、中庭の中央近くの木の下に、どっかりとあぐらを掻いて座った男が、ヒョロリとした手を左右に振っていた。
「三太郎。」
 ニコニコと笑い崩れる微笑を認めて、里中も山田も笑みを零してそちらへと方向転換をする。
 そんな彼らに、あーあ、と、ガックリと肩を落とす女生徒には、二人とも全く気づくことはなかった。
「なんだ、珍しいな、今日は弁当か?」
 ドサリ、と音を立てて弁当の入ったカバンを微笑の隣に投げて、里中はそのまま彼の隣に腰を落とした。
 間をおかず、その近くに山田も座る。
「まーな。」
 笑いながら横に置いた弁当を示して、
「後から殿馬も来るぜ。最近お前らが弁当ばっかりみたいだから、たまには俺たちも……と思ってな。」
 軽くウィンクしてくる。
 そんな彼に小さく笑いながら、里中はカバンの中から弁当を取り出す。
 銀色の鈍い色を放つ、色気の欠片もない弁当は、山田がカバンの中から出したソレと全く同じものだった──もっとも、山田の弁当のほうが、里中のそれよりも二周りは大きい。
 それを見て、微笑は自分の弁当を見下ろし──里中のものよりも一回りは大きいが、やはり山田のものとは比べ物にはならない。
「やっぱ、山田はドカベンだなぁ。」
 アハハハ、と笑っていると、
「中学の頃からづら──けど、今のほうがでかいづらなぁ。」
 ずーらずらと、後ろ手に弁当の包みを持った殿馬が姿をあらわした。
 そのまま彼は、空いてる場所へ座り込むと、すでに弁当を前に置いている三人に倣うように弁当の包みを開けた。
 殿馬の弁当箱は、里中と同じくらいの大きさのもので──……、
「…………なんでドラえもんっ!?」
 思わず微笑は、当然のように縞チェックの弁当袋から出てきた弁箱を示して叫んだ。
 弁当箱の上に乗せられた箸入れも、同じドラえもんのマークが入っていた。
「家にこれしかなかったづらよ。」
 なんとも思っていないような顔で、殿馬は気にせず箸入れの中から箸を出し、弁当箱の蓋も開く。
 中は、艶やかな白いご飯と黄色い卵焼き、ふりかけと漬物が入っていた。簡素極まりないご飯である。
「無かったからって……そんなアホな。」
 溜息を零しながら、微笑は自分の弁当の箱も開く。
 プラスチックの弁当箱の中は、白いご飯の中央に梅干、ゆで卵に昨夜の夕飯の残りと思われる芋の煮物とこんにゃく。オマケのように色鮮やかな鮭が入っていた。
「おおーっ、……やっぱり弁当だと、夕飯と朝食の残りだな…………。」
 ガックリ、と肩を落とした微笑に、弁当箱を開きながら、そんなものだ、と里中はしたり顔で頷く。
「わざわざ弁当分のおかずなんて作ってたら、不経済だろ。
 前の日から下準備して、朝からおかずを色々作るのは面倒なんだぞ。」
 自分の弁当の箱を開けながら、だから夕飯と朝食の残りと言うのが、一番時間も材料も経済的だ、と嘯く里中に、微笑はなんともいえない顔をしてみせる。

 そんな里中に、
「そりゃすまん、里中。」
 弁当の箱を開けようとしていた山田が、すまなそうに頭を掻いた。
──なぜそこで山田が謝る?
 そう疑問に思った瞬間、あははは、と軽い笑い声をあげながら、里中はポンポンと山田の背中を叩く。
「俺の分を作るついでなんだから、別に山田の分はいいんだって。
 ただ、作るついでがないのに、作るのはただの面倒だって言う話。」
「……ってことは、それ、智が作ったのかっ!?」
 まだ蓋がされたままの山田と里中の弁当箱を指差し、微笑は驚いたように目を見開いた。
 そんな彼に、当たり前だろ、と里中は返す。
「引越し代を作るためには、1に節約2に節約、だ。
 昼の弁当代は、バカにならないんだぞ。」
 言いながら、里中は弁当を開く。
 思わず微笑も殿馬も、興味を引かれるように首を長くして里中の弁当を覗きこんだ。
 その時には既に、山田は自分の箸を手に死ながら両手を合わせ、「いただきます」と唱えていた。
 パカリ、と開かれた弁当の中身は、高校男児の弁当にしては、いやに彩りが良かった。
 まず初めに、白いご飯が見えない。
 てっきり里中のことだから、ご飯の上にノリを置いて、「ノリ弁当」とか言うのかと思っていたのだったが。
「って、お前、こんなの朝から作ったのかっ!?」
 それ以前に、この中身は本当に「経済的」なのかっ!?
 そう叫ぶ微笑の目の前には、一介の男子高校生が作ったとは思えない弁当が広がっている。
 母一人子一人の里中は、基本的に家事の一切を母と二分していた、と言っていたから、ある程度の家事は出来ると合宿所時代に聞いたことはあったけれども──まさか、弁当をココまで完璧にするほどだとは思いも寄らなかった。
「朝のランニングしてると、早朝市場とかで色々もらうんだよ。あと、牛乳配達で牛乳もらったり、新聞配達で果物もらったり。」
「なんで新聞配達して果物をもらうづら?」
 里中が、朝、ランニングの練習がてらに新聞配達や牛乳配達のバイトをしていることを知っている殿馬と微笑が、不思議そうに聞いてくるのには、
「そこの奥さんが、朝ご飯代わりに食べなさいってくれるんだよ。」
 ──相変わらず女にモテモテらしいという事実を、里中は告げた。
「しっかし──それにしても、良く朝から作るなぁ……。」
 感心したように微笑は、自分の手元の弁当と、里中の弁当を見比べる。
 白いご飯の上には、ひき肉のそぼろと卵のそぼろが綺麗に斜め半分に掛けられている。
 プチトマトときゅうりとレタスのサラダに、ベーコンのアスパラ巻き、肉団子にオニオンフライ、ジャガイモとリンゴのマヨネーズ和えと、おかず側も綺麗に詰まっている。
「作るって言っても、肉団子とオニオンフライは冷凍にしてあるし、ベーコンのアスパラ巻きを焼くくらいじゃないか。」
「その努力が俺の母親にも欲しい……。」
 呟きながら、微笑は自分の弁当箱を突付いた。
「まぁ、うちは夕飯のおかずが残ることがないからなぁ……。」
 そんな微笑に苦い笑みを貼り付けながら、山田が弁当の半分ほどを平らげて、水筒のお茶を口にする。
「それに、里中の場合は、余分に作っても──魚は弁当に入れないだろうしな。」
 ソレ、と、微笑の弁当の中の鮭を示して、山田が里中に視線を向けると、彼はあからさまに視線をそらせた。
 なんだかんだ言いながら、魚を食べるようにはなったものの、まだ好んで食べたいとは思わない里中である──今でも、毎食魚はイヤだと、せめてもの抵抗として、弁当を作っている……というのが、本当の理由だという。
「弁当に魚なんて入れたら、生臭いだろっ。」
 言いながら、自分の弁当に箸を入れて、里中はそぼろご飯を口に入れる。
 相変わらずの魚嫌いらしい里中に苦笑を零しながら、微笑はチラリと山田の弁当見た。
──先ほどからの会話の関係上、多分そうだろうとは思っていたが、やはり山田の弁当は、里中のそれと全く同じだった。違うところがあるとすれば、飯の量が里中の二倍以上は入っている、というところだ。
 まぁ、確かに今も、一緒に暮らしているわけだし──同じでもおかしくはないのだろうが。
「プチ新婚カップルづらぜ。」
 ぱっくり、と自分のご飯に箸ごと食いつくようにしながら、ボッソリと殿馬が零す。
 その小さな声は、微笑にだけ届き──そうなるように呟いたのだろうが──、里中と山田には届いていないようであった。
「……その漢字とひらがなの間に、『バ』が入るんじゃねぇの?」
 だからあえて、微笑もそう言ってみた。
 それに殿馬は、ヒョイ、と肩を竦めるだけでそれ以上突っ込むことはしなかったが──言えてるづら、と、唇がそう動いたような気がした。





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バカップル万歳。
なんか山田は新聞見ながら、弁当作ってる里中を、幸せそうな顔で眺めてそうだ。
で、サチ子も自分の弁当を作ってもらって大喜びしてるの。
…………いいなぁ、高校生新婚バカップル…………。