修学旅行前







 高校二年の夏。
 一生に一度きりしか巡ってこないこの年のこの夏。
 一生に3回しかチャレンジする機会を得られない、全国大会の──二度目。
 不敗を誇った明訓高校の黄金バッテリーと呼ばれた二人が、初めて敗北を味わった、夏でもあった。
 めまぐるしいほど、色々なものが変わった。
 一年間──初めて手にした優勝旗が、とうとう理事長室から無くなった。
 そして、昨年の秋から監督をしてくれていた土井垣が、明訓高校から姿を消した。
 もちろん、夏が終われば、三年生たちも姿を消す──二年生と一年生だけになった野球部は、それでも意欲を持ち、毎日厳しい練習に明け暮れていた。
 初めての敗北の悔しさは、誰もが持っていないつもりで持っていた驕りと余裕を完膚なきほどに叩きのめし、這い上がる意欲を与えた。
 そんな、気迫めいたものが見える彼らが目指すのは、すぐ目前に迫っている秋季大会だった。
 ココで、甲子園での敗北にいつまでも心囚われ、後悔していては、打倒明訓を銘打つ他校に、一気に叩き潰されるぞ──そう、土井垣や三年の先輩たちが残していった言葉は、強く、野球部の部員の心に焼き付いていた。
 再び合宿所に泊り込んでの生活が始まり……秋季大会目指して練習、練習を繰り返していた、そんなある日のことだった。
「そういえば、里中さんたちって、もうすぐ修学旅行ですよね?」
 夕食後、唯一テレビが置かれている食堂で、渚がそう言った。
 ノンビリとお茶を飲んでいた一堂──現在合宿所での最高学年に当たる2年生は、後輩のその言葉に、パッチリと目を見開いた。
「…………そういえば……いつからだった?」
 湯飲みを片手で持ちながら、軽く首を傾げて里中は山田を見る。
 思い起こせば去年、確かに山岡や北たちが、修学旅行で何日かいなかったような記憶がある。
 もっとも里中は、甲子園の初優勝の代償に負った故障の治療のために合宿所にはおらず、学校も授業が終わるとすぐに飛び出していたから、あまり記憶になかったが。
 秋季大会前──だということだけは、覚えている。しかし、イツだったかとなると、ドタバタしているうちに過ぎ去っていってしまった感があり、あまり記憶になかった。
 里中の視線を受けて、山田は細い目をさらに細めて、うん、と一つ頷く。
「確か──9月の終わりだったんじゃないかな?」
 山田が記憶している限り、昨年の山岡達は、そのあたりで一週間ほどいなかった覚えがある。
 三年生が引退して、さらに岩鬼と明智先生の事件のおかげで部員が辞めてしまって、ただでさえでも人がいない部室が、非常にガランとしているのを、苦く思った覚えがあるから、確かだろう。
 だが、何日からとなると──山田の記憶はあいまいになった。
「20日からづらぜ。」
 そんなうろ覚えの山田に対し、殿馬が、はっきりと答える。
 見やると、いつものようにタクトの先で、ボールをコロコロと回していた殿馬が、視線をボールに当てていた。
「おぅよぅ、お前ら、ホームルームでも、やってたづらぜ? それともよぉ、お前らのクラスだけ、しなかったづらか?」
 それに、夏休みの宿題として、修学旅行先の奈良と京都について、何か一つ史物研究をしていることになっていたはずだ。
 そうしれっとして答える殿馬に、そういえば──と、記憶に引っかかるホームルームがあったような覚えもある。
 だが、あの甲子園の敗北以来、頭にあったのは、次の秋季大会をどう乗り越えていくか……ということばかりだったので、まともにホームルームの内容など入っていなかった。
 実行委員の推薦がどうのこうのと言う話をしていたから、てっきり委員会だとか生徒会長だとか、そういう話なのだとばかり思っていた。
──あれは、修学旅行での係り決めだったようである。
「20日からって、あと2週間もないじゃないですか!」
 驚いたように顔を上げる渚に、里中も整った顔を顰める。
「そっか。そういえば、明日のホームルームで、自由行動の班分けをするとか言ってたな。」
 修学旅行の班分けだというのは知っていたが、それを知っていただけで、いつから始まることかまでは興味がなかった。
 もう、そんな目前に迫っていたのか、と感慨不深げに呟く里中は、全くもって、野球以外の学校行事はどうでもいいと思っているような節があった。
「おかげで、コッチも班が決まってねぇづら。」
「そうそう。野球部は、同じ班わけ待遇にすることが決まったとか、先生に言われたな、俺も。」
 トン、とタクトの先で軽くボールを叩いて、手の平の中にボールを落とした殿馬に続いて、微笑が笑った。
 その二人の──別のクラスの二人の言葉に、山田が意味がわからないというように目を瞬く。
「同じ班わけって──班わけは、クラス別だろ?」
「だから、特別待遇づんづらよ。」
「特に俺たち四人には、なんと、班に先生もついてくるらしいぜ。」
 いまだに班分けを行っていなかった山田達は、そんな殿馬と微笑の台詞に、ひたすら困惑を覚えるばかりだった。
 それは一体どういうことなのだろうかと、里中と視線を交し合うも、彼も不思議そうな顔で身を乗り出し、殿馬と微笑を見比べた。
「なんで先生までついてくるんだよ? もしかして俺たち、岩鬼の監視役か?」
 ──あの、スーパースターの、お目付け役?
 ………………確かに、殿馬と山田がいたら、それも可能だとは思うが。
 すっごくイヤそうに顔を顰める里中の脳裏にはきっと、いつもの野球面子+明智先生という組み合わせで、京都や奈良を回る姿が描かれているに違いない。
 この面子である以上、付いてくる先生は、彼以外にありえないからだ。
 それはゴメンしたいと、そう呟く里中に、殿馬も微笑も同意してみせる。
「しかし、なんで俺たちだけ、特別待遇なんだろうな?」
 明日のホームルームで、説明もあるかな?
 そう首を傾げる山田に、あきれたように口を挟んだのは渚であった。
「オオアリに決まってるじゃないですか、山田さん。」
 その顔には、なんで分からないんだろう、という疑問符が張り付いていた。
 見回すと、後輩のほとんどが、うんうん、と意味不明に頷いている。
「明訓高校の山田太郎と里中智って言ったら、高校生で知らない者はいないんじゃないかってほどの有名人なんですよ?」
「────…………。」
 当たり前ですよ、としたり顔で言う渚を、里中は一度にらみつけたが、それ以上は何も言わず、無言で続きを促した。
 彼自身、1年生の夏からずっと、高校前で待ち合わせされたり、練習中に黄色い悲鳴を浴びせられたりしたことを、身をもって体験しているからである。
「俺たち、今年の大阪の宿で、本当に驚きましたから。──人気があるのは知ってましたけど、まさかアソコまで群れをなしてるなんて……なぁ、高代?」
 突然同意を求められて、少し離れたところでチビチビとお茶を飲んでいた高代は、驚いたように目を見開いた。
 その高代に、二年の先輩の視線が集中して、なんとなく彼は小さい体を更に縮めて、コクコクと頷いた。
「は、はい……バスが着いた途端、中には入れませんし、出るときも裏口からって──あれは普通、ありえないんじゃないかな、とは思いました。」
 首を竦めるような高代の言葉に、里中は眉を寄せて山田を見る。
「俺は、優勝したらあんなものだと思ってた。」
「うん、俺も。」
 アッサリ帰ってくる山田の台詞に、この二人は……と、がっくりと肩を落とす渚と高代である。
 まぁ確かに、高校野球で優勝した学校は、人気があってしかるべきだ。特にそのピッチャーが美形で、キャッチャーが猛打者となれば、そのバッテリーの人気は急上昇して当たり前。特にバッテリーは、テレビに映る確率も高いわけだし。
 それらの条件をクリアしている自分たちの人気が、高校野球児レベルじゃないということを、本当に理解しているのだろうか?
 渚がそんなウンザリした気持ちで頭を抱えてしまうのも、分からないでもなかった。
「暢気なもんづんづらぜ。
 去年、山岡らも言ってたづら? 向こうでファンだって言う人に、サインを求められたってよぉ。」
 椅子の足を軽く持ち上げさせてバランスを取りながら、殿馬が二人に教えてやる。
「あぁ、そういえば、すごく喜んでたな。北さんも、なんかプレゼント貰ったって言ってた。」
 今川が、ポン、と手を叩いて呟くのに、里中は、そうなのか? と小首を傾げる。
 山田がそれに頷いて──そういえば、里中は知らなかったな、と小さく笑った。
 里中は去年、ちょうど山岡達の修学旅行のシーズンに合宿所にいなかったのである。
「土井垣さんの時は、そう言うのは無かったって言ってたから……甲子園の威力はすごいな。」
 引き合いに出された人の名前に、へー、と頷きかけた里中は、瞬間──酷くイヤそうに顔をゆがめた。
 実は、山田にすら言っていないことがあったのを、思い出したからだ。
 あの1年の夏の大会が終わったあたり──里中と土井垣は、このあたりの地区で二分するほどの人気があった。
 その、大会終了後の初めての秋の遠足の時に、里中は土井垣に呼び出されて言われたことがあったのだ。
 今、この地区で明訓は有名だから──遠足の時は、気をつけろ、と。
 何の話だと、聞いたときは首を傾げたものだが、その遠足の時に理由はわかった。
 つまり、土井垣は、甲子園に出ていなかったときですら、地元では有名であり──その有名税として、遠足の時に、「一緒に写真とって下さい」だとか、「サインください」だとか、「握手してください」だとか言う申し出を受けていた、ということだ。
 ──そう、まだ、甲子園に出ておらず、全国的に有名じゃなかった頃でも、地元では、そういうラッシュに会って、困ったとそう零してくれた。
 そして、とうとう全国的に有名になった時には、土井垣はすでに修学旅行を終えていた。
──つまり、その土井垣と人気を二分していた自分は。
「…………………………貧乏くじを引いたような気がする…………。」
 タダでさえでも、バッテリーというのは、有名になる。
 特に里中は、明訓高校の中でも一番人気を誇るピッチャーだ。
 それを思えば、確かに、教師がそういう特別待遇をする理由がわかる気がした。
 ようやく理解したらしい里中に、渚はしたり顔で笑う。
「ま、いざとなれば、変装って言う手もありますよ、里中さん。」
 有名になるのって、辛いですよね〜──と、なぜか嬉しそうに笑ってくれる渚に、コッチは嬉しくない、と、握りこんだ拳を彼の後ろ頭に叩きつけてやろうかと思った刹那、
「智なら、女装で十分いけそうだしな。」
 近くに座っていた微笑が、爆弾発現をかました。
 瞬間。
「三太郎〜っ!!」
 ゴンッ!
 握りこんだ拳の落ちた先は、微笑の頭の上だった。
「いけるわけないだろっ!」
「似合うづら、きっと。」
 わなわなとさらに拳を震わせる里中を、慌てて山田が背後から抱きとめ、
「落ち着け、里中。冗談だ、冗談っ。」
「言っていい冗談と悪い冗談があるっ! じゃぁ何かっ!? 山田も俺と一緒に女装するって言うのかよっ!?」
 噛み付くように背後を振り返り、叫ぶ里中の台詞には、
「…………………………。」
「…………………………。」
「…………………………。」
 食堂の誰もが沈黙した。
 きっと、想像力豊かな高校球児たちは、アリアリと山田太郎の女子制服姿を思い浮かべてしまったのだろう。
「いや、それは、体格的に無理だと思うけど──。
 そうじゃなくて、ほら、甲子園のときとは違って、今回は生徒がたくさん、同じような格好をしてるだろ? 岩鬼ならとにかく、俺たちは、その中に紛れ込んじゃえばわからないよ、きっと。」
「────……そうかな?」
 不安そうに上目遣いに見上げる里中に、うん、と山田は穏やかに笑って見せた。
「自由行動の時くらいじゃないかな、心配しなくちゃいけないのは。
 それだって、お寺とか神社の中だろう? 同じ修学旅行生くらいしか来てないから、そう揉まれることはないんじゃないかな?」
 それに、このあたりの地区の人間は、男子の帽子と女子の制服を見たら、どこの高校なのかを判断することは出来るが、別の県ともなれば、そうは行かないだろう。
 宿泊先のホテルに「明訓高校」と書かれるくらいで、出先では一目でソコと分かることはないはずだ。
 そう説明する山田に、それはそっか、と、なぜか残念そうに微笑と今川が肩を竦めた。
「甲子園のときとは違うよ。
 それに、今年は俺たち、優勝してないしな。」
 しれっとしてそう言う程度には、一月前の戦いを、心の上で消化した後だった。
 穏かに微笑む山田に、そうだよな、と里中もホンワリと笑った。
 その二人に、これ以上突っ込む気力は、後輩達にはなかった。
──いや、だから、優勝してるとかしてないとか、関係ないから、あんた達の人気はっ!
 彼らは握る拳でそのツッコミを心の中ではいてみた。
 能天気に微笑みあう黄金バッテリーの、試合中とはほど遠いノホホンとした空気に、ヤレヤレと微笑は苦笑いを刻み込んだ。
 確かに、普通の人間ならば、学生服集団に埋没され、気付かれる可能性は薄いだろう──特に、誰も口に出しては言わないが、標準男子高校生に対して小柄な里中や殿馬ならば。
 岩鬼は騒がれるのが好きなのだから、この際置いておくとしても。
 だがしかし、里中も山田も、一応自覚はあるらしい殿馬に至っても、「普通にしていても目立つ」という自分の特技を自覚していないようである。
──埋没する個性……なんてものが、この野球部のメンツにあるわけがない。
「果たして、そう上手く行くかねぇ……。」
 思わず顎に手を当てて、そんな不穏なことを微笑が呟いた瞬間であった。
 ドタドタドタ……っ!
 地響きがするかと思うような足音が、近づいてきた。
 瞬間、食堂に居る誰もが、その足音の主を頭に思い浮かべた──と同時、
「男・岩鬼っ! 今、風呂からあがったでぇっ!!」
 バンっ、と、食後早々、1人フロに入っていた男が、食堂のドアからニョキリと顔を突き出した。
 風呂上りだというのに、学生帽を頭にかぶせ、首から濡れたタオルを掛けている。
 ホカホカと湧き上がる湯気が、気持ちよさそうに見えた。
 食堂に入ってくるなり賑やかな男は、そのままいつものようにテレビに一番近い席へと向かおうとして──ギョッとしたように目をむいた。
「なっ、なにやっとんねん、やぁーまだっ、サト!」
「………………ハ?」
 唾が吹き飛ぶかと思うほどの大声で怒鳴る岩鬼に、きょとん、と里中は目を瞬く。
 周囲の者たちも、岩鬼の剣幕に不思議そうに視線をバッテリーにやり──あ、と、今更気付く。
 岩鬼は、ばっちん、と大きな掌を顔にたたきつけると、
「公衆の面前で抱き合うなんて、やぁーらしいバッテリーや、ほんま。」
 どっかり、とそのまま近くの椅子を引いて座った。
 さらにそのまま、どっぷりとため息をつく、芝居がかった仕草までしてくれる。
 その段階になってようやく、山田も里中も、自分達が先ほどの体勢のままで居ることに気付いた。
「…………あ、悪い、里中。」
 背中から回していた手を解いて、すまなそうに謝る山田に、里中は小さく笑ってかぶりを振った。
「気にするな、山田。」
「気にせんかい!」
 すかさず、岩鬼からの突っ込みが入った。
 その岩鬼の突っ込みの見事さに、思わず渚や高代たちが小さく拍手を送った。
 合宿所でも同室の二人が、とても仲がいいのを誰もが知っていたし、言われてみるまで気付かなかったほど慣れてしまった自分達もどうかと思うが──未だに突っ込めるキャプテンへの敬意でもあった。
「そもそもお前らは、所かまわずいちゃつきすぎじゃいっ。」
 ドンッ、と机を叩く岩鬼に、
「拗ねるなづらよ、キャプテン。」
 しれっとクールに突っ込む殿馬。相変わらず表情は飄々としていて、本気でそう思っていないのは見え見えであった。
「だっ、だぁれが拗ねとるんじゃい! わいはなぁ、この色ボケどもに、もう少し常識を知れと言うとるんやっ!」
 ガァッ! と叫んだ大きな口から出た台詞に、
「常識。」
 目を丸くして呟く里中と、
「岩鬼の口から、そんな言葉が出るなんてな。」
 ある意味感心したように腕を組んで零した山田に。
「…………まぁ、修学旅行では、気をつけたほうがいいとは思うけどな。」
 微笑は、少し遠回しに、忠告してやるのであった。
──何につけても、自覚のない面々は、まったくもって面白い……そう心の中で呟きながら。








 賑やかな先輩達のじゃれあいが終わるのを見計らって、渚は恭しくキャプテンの湯のみに茶を注いでやる。
 風呂上りで喉が渇いていた岩鬼は、それを一気にあおって、どんっ、と机の上にたたきつけた。
 空になったソレに、すかさず新しくお茶を注いでやりながら、渚は岩鬼を見下ろす。
「それで、キャプテン。先輩達が修学旅行に行っている間の、練習メニューなんですけど……。」
「それはすでに大平はんに渡してある。」
 打てば響くように帰ってきて、おおっ、と周りから感嘆の吐息が零れる。
「さっすがキャプテン!」
 持ち上げるように微笑が叫べば、目を閉じ、腕を組み──いつものポーズで、岩鬼は平然とした顔でそれを咎める。
「当然のことじゃい。」
 そう言いながらも、顎の辺りがヒクヒクしているのを見ると、もっと誉めろ、といわれているのが見て取れた。
 そこで山田も里中も、コッソリ視線を交わして、にやり、と笑みを浮かべると、
「いや、やっぱりさすがだよ、岩鬼は。
 俺達なんて、渚に言われるまで修学旅行のことなんか忘れてたからなぁ。」
「そうそう、俺達が居ない間のことも考えるなんて、キャプテンの鏡だな。さすがは岩鬼だ。」
 合いの手を入れるように、抜群のチームワークっぷりを披露してみせるバッテリーに、あちこちから苦笑が零れる。
「まぁ、そう自分を貶めるな。
 お前ら一般人と、わしのようなスーパースターを比べること自体がまちごうとる。」
 知った顔でそう説く岩鬼に、そうそう、と笑いながら里中と山田が相槌を打った瞬間、そこを狙ったかのように、
「キャプテンなら、当たり前のことづらぜ。」
 ずーるずる、と足を引きずりながら、殿馬が岩鬼の前を通り過ぎていった。
 そのまま、ぱさり、とタオルを肩にかけ、何事もなかったかのように、
「風呂言ってくらぁづら。」
 彼は、癇癪を起こしそうな苦い顔になる岩鬼を見もせず、そういいおいて食堂から去っていった。
 一拍後、
「んなこと、わかっとるわい!!!」
 ──なにやら叫ぶ男の声が、合宿所を響かせた。








 風呂の湯気がもうもうと立ち込める大浴場は、岩鬼が居ない分だけ、ずいぶん広く感じた。
 先に体を洗い流した二年生たちはすでに湯船に浸かり、今は一年生達が己の体を洗うために洗い場を占領している。
 そんな中、彼らが話題に上らせるのは、来年はわが身となる──高校生活で、実は結構楽しみにしていた「修学旅行」のことであった。
「明訓の修学旅行って、京都・奈良なんだな。」
「僕、中学も同じだったよ。」
「俺もだよ。」
 その悩みは、どこの高校にもありがちだ。
 高校生なんだから、いっそ海外に行きたいだとか、せめて本国を離れたい、だとか思うものだが──修学旅行の意味を考えれば、どうしてもその辺りに収まってしまうものなのである。
 なんだか楽しみが半減したと、そう零しあう一年生の背中をボンヤリと見ていた里中は、ふと隣を見た。
「山田は、京都と奈良に行ったことはあるか?」
 浴場に良く響く里中の声に、山田はノンビリをした顔を向ける
「いや──そういえば、新幹線で通ることはあるけど、降りたことはないな。」
「去年、岩鬼が降りたづら。」
 すかさず、鼻まで湯船に埋もれていた殿馬が、湯船から顔をあげて突っ込む。
 その言葉に、プッ、と噴出したのは、山田と里中だけだった。
「……あぁ、あれは……なぁ。」
「アハハハ! 思い出させるなよ、殿馬っ!」
 何とも言えない顔になった山田の肩に顔を伏せるようにして、里中は笑いながら殿馬を見やった。
 初めての甲子園初優勝──の後の顛末。
 残念ながら、大浴場に居るメンツは、その事実を知ろうはずもない。
 何があったのかと、不思議そうな顔をする彼らに気付かず、里中は山田の肩に額を押し当て、必死に笑いを堪える。
「絶対アレは、一生忘れないぜ、俺。」
「俺もだ。」
「俺もづら。」
 おかしすぎて涙まで出てきたと、指先で目元をぬぐった里中は、呆れたような笑みを馳せる二人を見た後、ふぅ、と吐息を零す。
 それから、きゅるん、と瞳を回して──あぁ、そうそう、と改めて山田に向かい合った。
「それで、話を戻すけど──山田は中学の修学旅行は京都じゃなかったんだ?」
「あぁ、鷹丘中は静岡だったんだ。」
「づら。」
 鷹揚に頷く山田に、殿馬も相槌を打つ。
「里中は、二度目か?」
「いや、俺は北海道。」
 ゆるくかぶりを振って否定する里中の口ぶりは、アッサリとしているようで──少しだけ、痛みを伴っているような気がした。
 その微妙なニュアンスに気づいて、山田がかすかに顔を曇らせると同時、
「えぇっ、里中さん、中学の修学旅行は北海道だったんですかっ!!?」
 ビィンッ、と、風呂場に響くような大声で、渚が絶叫した。
 そのあまりの大声に、隣を陣取っていた高代が、クワンクワンと頭を揺らしたほどである。
「──……あ、あぁ。」
 確かに中学の修学旅行としては、珍しいかもしれないが、そんなに驚くことかと、里中は眉を顰める。
 正直な話、中学時代の修学旅行にはあまりいい思い出がない──野球部をヤメた後だったからなおさらだ。
 しかも、目が治った小林と同じ班だったし……この辺りのことは、あえて口にすることではないから、言わないが、非常に居心地の悪い修学旅行であったことだけは確かだった。
「いいなぁ〜、北海道って、魚が美味しいんですよね?」
 そんな里中の心中を知らないだろうに、ノホン、とした声で、高代が羨ましそうな声で呟く。
「お前はソレしかないのかよ。」
 呆れたような渚に、だって、と反論しそうなところを見ながら、
「夕飯にカニが出たな、そういえば。」
 とりあえず、自分が覚えている限りで、驚いたことを口にしてみた。
「カニ!」
「カニか〜、いいなぁ。」
 高校生男児、野球部──やはり、色気などよりも食い気のほうが勝るようである。
 あっという間に、北海道の修学旅行の話から、食べ物の話へと移行していく。
 それを何ともナシに聞きながら、コッソリと里中は魚の話題を出してくれた高代に感謝をした。
 そして、気を取り直して、今度はニコニコといつものように微笑みを絶やさずに一年生の掛け合いを聞いていた微笑を仰いだ。
「そういえば、三太郎はドコだったんだ? 中学の修学旅行。」
「ん、俺は──京都だったねぇ。」
 苦い笑みを刻んで、微笑はヒョッコリと肩を竦める。
 そんな彼に、あぁ──と、山田も里中も苦虫を噛み潰したような顔になる。
「ま、何度行ってもいいところだとは思うけどね。」
 ニコニコ笑いながら、微笑はコッソリと心の中で付け加える。
──それに、今回のメンツなら、同じ場所でも、絶対に面白いに違いない、と。
 クラスが違っても、同じ行動班になることが確定なら、それだけで楽しみで仕方がなかった。
「そっか──楽しい修学旅行になったらいいな、山田。」
 ニコニコ笑う微笑につられたように笑って、里中は山田を見上げた。
 ほんのりと色白の顔に朱色がさして、本当に嬉しそうな顔になった里中に、うん、と山田も頷いた。






+++ BACK +++


修学旅行はいつだって捏造。
ということで、明訓の修学旅行先は京都と奈良にしてみました。なんかありきたりっぽくていいと思うのですが。
でも良く考えてみたら、二回戦敗退後に、その方面向けて修学旅行で行くって……ちょっと…………可哀想……。
鷹丘は公立だと思うのですが、東郷は私立だから、きっといい所に修学旅行にいくと思います。高校はきっと、韓国とかだ、うん。


神奈川だと、遠足とかにディズニーランドとか行くのかしら?
やまさとでディズニーか……里中の頭にミッキーの耳をつけて、似合う〜、とか微笑が爆笑して、里中にしばかれてそうだ。
山田を連れてプーさんのぬいぐるみ片手に、「サッちゃんに、コレ土産。」と言いながら、コッソリ自分の分も買ってたり(笑)。なんか山田に似てる、とか言いながらネ! 確かプーさん専用のショップもあったはず!

いいなぁ……ディズニー遠足。水族館とかもイイ。やまさとは高校時代に普通にデートとかしてなさそうなので(いつもランニングとかスポーツショップっぽい)、こういうときにデートっぽい気分を……(笑)。