同棲生活 おまけ






 料理を作るにあたって、まずはエプロンだなと、山田と里中の二人はおばさんの休憩所に使われている小さな一畳部屋に足を踏み入れた。
 厨房から続く部屋に当たるココは、おばさんが休憩に使うほか、料理の本や滅多に使わない料理道具、米なども置かれている。
 その中に混じって、おばさんは自分のエプロンや三角巾をおいていた。
 目についたのは、いつもおばさんが使っている白いエプロン。模様も何もない簡素なそれは、少し大きめで、山田にも充分付けられそうだった。
「一枚しかないな?」
 綺麗に洗濯されて畳まれたエプロンを片手に、さてどうしようかと山田が振り返る先、裏口の傍に置かれたバケツを覗いていた里中が、軽く眉を寄せて答えた。
「漂白中みたいだ。」
 ほら、と、顎でしゃくる里中の視線の先にある青いバケツからは、漂白剤の独特の匂いが漂っていた。
 その中に、白いタオルに混じってエプロンの布地が見える。
 どうやら、一晩漂白して、翌日洗って干すつもりだったらしい。
「エプロンが足りないな……。」
「別に、エプロンくらいなくてもいいんじゃないか?」
「そういうわけには行かないさ。湯が跳ねたら危ないし、セーターの毛が入るかもしれないしな。」
 打てば響くように返る山田の台詞に、里中は軽く肩を竦めた。
 そうは言うものの、エプロンなんてものが里中たち個人の荷物の中にあるわけがない。
 まだ学校があるうちに、エプロンを使うことが判明していれば、学校の調理クラブの子に借りることもできただろうが、こんな時間では、そもそも学校が開いているはずもない。
「──と、そうだ、そういえば土井垣さんが……。」
 ふと何か思い出したように、山田が一畳部屋の中へと戻っていく。
 なにだろうと眉を寄せる里中をおいて、山田はしばらくごそごそと部屋の中を探っていたかと思うと、
「あった、あったよ、里中。」
 手の上に、もう白いエプロンを持って戻ってきた。
 いまだにビニールに包まれたエプロンは、まだ開封もされていないようだった。
「予備のエプロンか?」
 首を傾げる里中に、山田はさっそくビニールを破りながら、頷く。
「土井垣さんたちの前の先輩が、おばさんに贈ったものらしいんだ。」
「って、いいのか、そんなの開けちゃって?」
 使われていないということは、おばさんが大事にとっていたのではないのか? そう尋ねる里中に、いや、と山田はかぶりを振った。
「恥ずかしくて着れないから仕舞っているだけだから、今度サチ子にいらないか聞いてみるって言ってたから。」
 もし、使う機会があるなら、ぜひ持っていってくれとそう言ってたんだよ、と続ける山田に、ふーん、と頷いて──里中は、ん? と首を傾げる。
「恥ずかしくて着れない?」
「サチ子にはサイズが大きそうだったから、遠慮しておいたんだけどな。」
 それはどういう意味だと覗き込む里中の前で、ひらり、と山田は手にしたエプロンを広げて見せた。 ビニールに包まれていたときには良く見えなかった細部が、そのおかげでくっきりと見えた。 白い布地は綿100パーセントの、肌触りがよさそうな品である。──というか。
「……土井垣さんの先輩達って、何を考えてたんだ。」
 思わず里中は、目を据わらせてそのエプロンを見つめた。
 機能的よりも、模様とレースを重視したような作りのソレは、とてもではないが大きな息子さんが居るというおばさんが着るような代物ではなかった。
 確かにこれは、恥ずかしいだろう。
 青春を満喫しているはずの高校球児が買うような代物でないことは確かである。
 山田が両手で摘み上げるようにして広げると、なおさら白いレースとフリルが際立ち、華奢で繊細なラインが可愛らしく見えた。
「こんなの、どこで買ってきたんだろうな?」
 土井垣が買ってきたわけではないだろうが、思わず里中は彼がこのエプロンを購入している姿を想像して、ぷっ、と小さく噴出した。
 そのまま笑いの発作に囚われ、クスクスと笑い出す里中に、山田は手にしたエプロンを見下ろしながら、なんともいえない顔になった。
「そんなにおかしいか?」
「いやっ、そうじゃないんだけど……っ。」
 声を震わせながら否定しても、説得力がない。
 必死で里中は腹を抱えて笑いの発作を堪えると、はぁ、と大きく息を零した。
 それでも引きつれるような笑い声が口の端々から零れるのを止めることはできなかった。
 だって、あの硬派の土井垣さんの先輩が、こんなのを買ってきたんだぞ?
「と、とにかく、そのエプロンを使うのか、山田?」
 ひぃひぃと、腹を撫でながら問いかける里中に、山田はフリフリの愛らしいラインのエプロンを見下ろして、顔をしかめた。
「おれが使うのか?」
「だって、山田が出してきたんじゃないか。 ほら、こうして当ててみたら、案外山田も似合………………わないな…………。」
 当たり前のように里中は山田の手の中のエプロンを取上げ、山田の体に当てて──渋面を作り上げる。
「当たり前だろう。」
 呆れたように呟く山田に、そりゃそっか、とアッサリと納得して、里中はフリルのエプロンを山田に押し付け、自らはおばさん御用足しの白いエプロンを手にした。
「でも、似合ってるとか関係なしに、エプロンは使えればいいんだしな。」
 うんうん、と1人納得して、彼はさっさとエプロンを身につけ始める。
 おばさんが使っている大きめのエプロンは、小柄な里中にも少し大きめで、左右の幅ギリギリで紐を結んでも、少し余裕が出来た。
 自宅のエプロンよりも、着心地が悪いな、と体をよじる里中の前では、しぶしぶ山田が機能性がなさそうなフリルのエプロンを身につけていた。
「……ん、里中、ちょっと紐を結んでくれるか?」
 なんだか、身につけてみたら、似合っているような気がしてこないでもない格好で、山田が里中に背を向ける。
「あぁ。」
 山田の手の先にもたれた紐を受け取り、里中はそれをグイと引っ張って──。
「………………………………………………。」
 そのまま、動きを止めた。
「里中?」
 小さく尋ねてくる山田は、どこか窮屈そうに身じろぎさせた。
 里中は、無言で手元の紐を見つめた。
 機能性を無視した、新妻さんに身につけさせたいようなフリルのエプロンは、肩紐と腰紐をボタンで直結させるような形になっている。
 まず第一に、その肩紐が腰紐まで届かない。
 そして第二に。
「……………………山田、お前、このエプロン、本当にエプロンとしての機能を果たしてるのか?」
 おもわずそう尋ねてしまうくらい、腰紐がずいぶんと窮屈だった。
 この手のタイプのエプロンは、腰紐が長めになっているものだが、それをしても尚、山田の腰は──ややきつめであった。
 しかも、紐の始まる位置が、いやに前すぎているような気がして、おそるおそる里中は山田の腕ごしに彼の正面を見やった。
 瞬間。
「……──うん、そうだな、だいぶ……動きにくいかな。」
 なんともいえない顔で振り返った山田に、里中は心の奥底から、「ゴメン」と言いたくなった。
 直視できなくて、つい、と視線を逸らした里中を、山田がなんともいえない顔で見つめてきたのが分かった。
 里中は、表現しがたい様相になっている山田の、肩に引っ掛けただけだけにすぎないエプロン姿を上から下まで眺めて、チラリ、と上目遣いに彼を見上げた。
「エプロンつけない……のは、ダメ、なんだよな? 山田?」
 手にした山田のエプロンの紐は、でも、どう考えても長さが足りそうにない。
「里中。」
 山田は、細い目でジ、と里中を見つめたかと思うと、細く吐息を零し──とん、と里中の華奢な肩を叩いた。
「諦めてくれ、里中。」
「……………………………………。」
 その真摯な山田の瞳を見上げて、里中はイヤそうに顔をゆがめた。
 山田のその里中の表情を分かった上で、自分が身に付けようとしてたエプロンを外し、さぁ、と里中に差し出した。
 無言で自分が見につけている白いエプロンと、山田が差し出してくるフリルのついたエプロンとを見やる。
 触り心地が良さそうな綿のエプロンは、白く清潔で──愛らしいフリルのラインがまた、女の子に良く似合いそうだった。
「…………やまだぁ。」
 上目遣いに、ジットリ、と山田を見上げて名前を呟く里中の、どこかすがるような眼差しをしかし、山田は一蹴してかぶりを振る。
「諦めてくれ、里中。エプロンなんて、機能さえ果たしたら、どんな見た目でも気にはならないだろう?」
「────────………………。」
 里中は、山田が差し出してくる、機能性がなさそうにしか思えないフリルのエプロンを見下ろして、もう一度山田を見上げた。
 しかし、山田はニコニコ笑ってエプロンを差し出すばかりで、何も言わない。
 こういうときの山田は頑固だ。──何を言っても、よほどのことがない限り曲がってくれない。
「……分かった。俺も男だ。見た目にはこだわらない。」
 先ほど山田に、堂々と言った手前もある。
 里中は、山田の手からフリルのエプロンを受け取り──それを見下ろし、ふぅ、と溜息を零した。
 山田は諦めたらしい里中に微笑を零すと、そ、と手を伸ばして、里中を正面から抱きしめるようにして彼の腰に手をまわした。
「や……やまだっ!?」
 驚いて身を引こうとする里中の動きを止めて、山田はそのまま里中の背中へ回した手を動かせる。
 思いもよらず抱き寄せられる格好になった里中は、その胸元に顔を埋めながら、エプロンを握り締める。
「ちょっと動かないでくれ、里中。」
 言いながら顔を寄せてくる山田の息が、フ、と耳元にかかる。
 軽く首を竦めて、くすぐったさにくすくすと笑みを零す間に、シュルリ、とエプロンの紐が解かれる。
 かと思うや否や、山田は何でもなかったかのように身を離す。
 その手には里中が身に付けていたエプロンが握られていた。
 山田はなんでもないことのように、そのエプロンを自分の体につけた。
 里中には大きめであったエプロンも、山田が身につけると、やや小さめのギリギリサイズになった。
「…………………………。」
 なんとなく、納得できないようなものを感じながら、里中は自分の手の中のエプロンを見下ろした。
「ほら、里中、早く作ろう。」
 促した山田の腰の、本当にギリギリのラインで結ばれた紐を見つめながら、里中は渋々エプロンを広げ、それを体に当てた。
 両方の肩紐を肩に引っ掛けるようにして、背中に垂らす。
 そして次に腰紐を後ろにやり、後ろ手に肩紐と腰紐とをボタンで結わえた。
 その後、たっぷりと残った腰紐を腰で結わえると、山田に渡したエプロンよりもはるかに里中の体にぴったりと合っていた。
「あぁ、里中、サイズはちょうどいいようだな。」
 女性の標準サイズで作られたものが、ちょうどよくっても嬉しくない。
 そんな憮然とした表情で、里中は身に付けたエプロンを見下ろした。
 白いセーターの上にエプロンを身につけたので、そう目立つようには見えない。
 レースやフリルだって、遠目から見たら、そう分からないと思うし──片手を試しにあげてみたが、フリルが邪魔になるようなこともない。
 機能性が全くないというわけではなさそうだと判断して、どうせ食事を作る間だけだと諦めて、里中は先にキッチンに立った山田の隣に立つことにした。
「後で、漂白したエプロンを洗って干しておけば、夜までには渇くし……今だけの辛抱だよな。」
 そう自分に言い聞かせている里中を、チラリ、と山田は横目で見て──そうだな、と答えた。
 そうしながら、居心地悪そうにエプロンのフリルの部分を引っ張っている里中に、クスリ、と彼にはわからないように微笑を零した。
 似合っていると、そういったらきっと里中は怒るだろうから、言いはしないけれど。
 夜には見れなくなるのも、もったいないかなぁ、なんてことを、コッソリと胸の中で吐いてみたりする山田であった。





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いついかなる時、どこでもやまさとはくっつくものなんです。
ということで、くっつきを一個入れてみました。不自然すぎてステキです。
いいの、くっつかせたかったんだから。

ということで、里中のフリルエプロンの謎。
夕飯時には白いエプロンに着替えてて、密かに「山田とおそろい〜♪」とか言ってそうです。