狂犬注意







 合宿所に泊り込む日々が続くと、土日の空いた時間は買出しに行くことが多くなる。
 平日とは違って、週末の夜は自宅に帰ることも許されているため、そのまま合宿所に帰ってこない面々も居るには居たが、ほとんどの野球バカたちは、夜遅くまで練習して、バテバテのあまり自宅に帰る気力もなく、本日も家に電話してお終い……ということが多かった。
 かく言う里中も、自分のために身を粉のようにして働いている母が居ない自宅に帰ってもしょうがないどころか、ご飯の心配をかけさせるばかりだと分かっているので、いくつかの荷物をとりに自宅に帰ることがあるくらいで、もっぱら合宿所で過ごしていた。
 そして、町へ繰り出す用事と言えば、見たい野球雑誌の発売日だとか、グローブの替え紐がほしいだとか、そういう……結局は野球関係の用事ばかりであった。
 けれど、そうじゃないときだってある。
 たとえば、学校の先生やまかないのおばさん、女の子達から貰った映画のチケットや遊園地のチケット、プールのただ券がある場合とか。
 そう言うときは、せっかくなので有効利用することにしていた。
「山田、今から暇か?」
 午前中の自主トレを終えた面々が揃っているだろう談話室をヒョイと覗くと、目当ての人物は、雑誌を囲んで微笑と談笑していた。
 同じ部屋には、岩鬼以外のほとんどの合宿所メンバーが揃っていた。
「うん、時間はあいてるぞ。」
 突然顔を覗かせたあげく、唐突にそう尋ねた里中に、山田はいつものように穏やかな微笑を浮かべてうなずいた。
「なら、映画に行こうぜ。」
 ヒラヒラ、と手にしていた映画のチケットを振る里中に、映画か、と山田は頷く。
 その山田の正面で、微笑が里中の言葉に反応して顔をあげた。
「何の映画を見るんだ? 今週封切りのなら、おれも一緒に連れてってくれよ。」
 見に行きたかったんだけど、一人で行くのもなぁ……と、笑いながら続けた微笑に、里中は無造作にチケットを翻した。
「えーっと……『キングオブアーサー2』って書いてある。」
 誘った映画の題名も知らなかったのか、と里中に突っ込むようなツワモノは、残念ながらこの談話室には居なかった。
 どうせ誰かから貰ったチケットに違いないからである。
 微笑は、棒読みで映画の題名を告げる里中に、ニッコリ、と相好を崩して笑った。
「おーっ、それそれ! 一緒に行こうぜ。」
 このまま見に行けないかと思ってた、と笑う微笑に、そうだな、と山田が一つ頷く。
 そのついでに、帰りにスポーツショップに寄って行こうと、そう言いながら笑いあう二人を、里中は困ったように見比べた。
 手元のチケットをヒラリと扇状に広げて、
「でも、映画のチケットは二枚しかないぞ?」
 眉を曇らせる里中の手の中には、確かに二枚分の映画の券。
 これでは、誰か一人が自腹を切るハメになる。
 そう訴える里中に、
「いいじゃないか、里中と三太郎が見に行けば。」
 ニコニコと笑って言うのは山田であった。
「いや、いいって。自分の分くらいは自分で払うさ。」
 慌てて微笑がそう口にするが、山田はゆるくかぶりを振って、それを止めた。
「見たいヤツが行くのが一番だよ。」
 とどめの一言であった。
 確かにソレは一理ある。
 だが、それで「はいそうですか」と納得するわけには行かなかった。
 元々里中は、山田と映画を見に行くつもりだったのだ。事実、談話室に入ってきて、ほかに大勢揃っているのを知っていながら、迷わず山田を指名した。
 相手が誰でもいいのなら、里中はそんなことをせず、「誰か欲しい人ー。」と、チケットをヒラヒラ揺らしてみせただろう。
──どうしようかと迷うように眉を寄せた微笑であったが……、
「そっか、悪いな、山田。」
 山田の言葉を受けた里中は、非常にアッサリしていた。
「じゃ、行こうぜ、三太郎。2時からなんだ。」
 チケットを持ったまま、里中は微笑を見下ろし、そう催促する。
 思わず微笑は、目を丸くさせて里中を見上げる。
「って、いいのか、智?」
 山田と行きたかったんじゃ……と、心配そうに見上げる微笑に、里中はきょとんと目を瞬いた。
「──は? なんで?」
「……いや、だからお前、山田と出かけたかったんじゃ……。」
 二人の仲のよさは良く知っている微笑としては、邪魔をするのもどうかと思うんだが──と、困惑した顔で里中を見上げるのだが、見上げられた里中は、アッサリとしたもので、
「山田とはいつでも出かけられるだろ?」
 何を言うのやら、と、逆に不思議そうに尋ねられてしまった。
 そんな里中に、それでも当惑を拭えない微笑の背を、ポンポン、と山田が叩く。
「何を遠慮してるんだよ、三太郎。行って来いって。」
 満面の笑顔で言われて──微笑はそこでようやく相好を崩して笑って頷いた。
「そっか、なら、お言葉に甘えようかね〜。
 久し振りの映画だし、堪能してくるぜぇ。」
 ひょい、と身軽く起き上がった微笑に、行って来いよ、と山田がニッコリ笑ったその瞬間、
「えっ、里中さんと微笑さん、映画見に行くんですかっ!? おれも行きたいです!」
 唐突に、談話室の隅の方で漫画を広げていた渚が、がばっ! と起き上がった。
 そして、喜色満面の顔で、
「おれ、キングオブアーサー2が見たかったんですけど、1人でいくのもどうかと思ってたんですよ!」
 微笑が先ほど口にしたのと同じようなことを叫びながら、四つんばいのまま畳を這い進んできた。
 そして、輝く眼差しで里中を見上げる。
 里中は、そんな渚を見下ろして、チケットをヒラリと舞わせると、
「じゃ、渚と微笑で行ってきたらどうだ?」
 山田の先ほどの台詞「見たいやつが行けばいい」を、実行してみせた。
 当たり前のような顔で、当たり前のようにそう告げた里中に、
「──……ぇっ!?」
 渚が、驚いたように目を見開いた。
 さらに微笑が渋面で続ける。
「おいおい、さすがにチケット提供者を置いていくわけにはいかないって。」
 しかし里中は、そんな二人を不思議そうに見下ろした。
「でも、見たいやつが見ればいいんだし……。」
 特に映画には興味がなさそうな態度で、ほら、とチケットを渚の目の前でちらつかせる。
 そんな風に、目の前に差し出される映画のチケットに、微笑と渚が、なんともいえない表情を交わしあう。
 途端、
「あっ、渚、ずるいっ!
 その映画、おれも見たかったんです〜、里中さん、ぜひ一緒させてください。」
 部屋の隅から、はい! と元気良く片手を上げて、高代が宣言した。
 その、大きな目が、キラキラと輝きを放っている。
 ──先ほどの渚と同じ目の色である。
「えぇっ、高代、お前もか?」
 驚いたように彼を見やり、手元のチケットを里中が見た瞬間、それが皮切りだったかのように、
「あっ、俺も俺も〜。」
「俺も一緒してもいいっすか?」
 上下、蛸田がそろって両手を挙げて自己アピールをし始める。
 せっかくの休息時間だと言うのに、こいつらは暇人そろいなのかと、里中はあっけにとられながら、手にしたチケットを見下ろした。
「………………みんなこれが見たいって?」
 キングオブアーサー2と書かれたチケットは、二枚しかない。
 それをみんなで分けることは到底不可能である。
 微笑と渚だけなら、このチケットを分けてやってそれで終わりになるのだが、さすがにこれだけの人数ともなると、そのうちの二人だけに「やる」とも言えなかった。
 里中は、複雑な表情で綺麗にデザインされたチケットを見下ろす。
「そんなに面白い映画だったんだ。
 なら、お前ら最初ッからみんなで行けば良かったんじゃないのか?」
 いぶかしげに問い掛ける里中には、まぁまぁ、と立ち上がった微笑が宥めに回った。
「とりあえず、ほとんどが自腹を切ることは確定したんだからさ、里中?
 せっかくだから、お前も一緒に行こうぜ? 後輩たち全員が自腹、ってことで、な?」
 ぽんぽん、と肩を叩かれて、なんだか納得してない様子の里中であったが、グルリと見回した後輩たちの、
「はい!」
 という、なぜか元気な一言に──自腹を切ってでも、映画に行きたいのか、と疑問に思わないでもなかったが──、ま、こういうのもいいか、と、一応の納得は見せたようであった。
「それじゃ、お前らすぐに用意しろよ。」
 二枚持っていたチケットの一枚を自分の手元に、もう一枚を微笑に渡しながら、里中が宣言する。
 ──と、それを待っていたかのように、後輩たちは慌てて自室へ財布を取りに走っていった。
 それを見送りながら、里中は座ったままの山田と殿馬を見下ろした。
「じゃ、山田、殿馬、行ってくるな。
 ──ったく、なんでこんなに大勢で出てくことになるかなぁ……。」
 後輩たちがココへ戻ってくるのを待つ気のないらしい里中は、談話室に残った山田と殿馬にそう告げ、さっさと談話室から出て行く。
「じゃぁな。後で感想聞かせるよ。」
 ヒラヒラと、里中の後を追って微笑も談話室から姿を消してしまうと、
「ああ、気をつけて行って来いよ、里中、三太郎。」
 先ほどまでのざわめいた談話室が、しん、と静かになった。
 そして間をおかず、ドタドタドタッと、一年生たちの駆け足が廊下中に響いた。
「ずらずらと、行列がすげぇづら。」
 楽譜を広げてなにやら作曲をしていた殿馬が、リズムを指先で奏でながら、そうぼやく。
 そんな殿馬に、小さく笑いを零して、
「…………たぶんみんな、単に里中と一緒に出かけたいだけなんじゃないのかな………………。」
 山田は、談話室の前をドタドタと走り去る一年生たちを見やった。
──なんだかんだ言いながら、彼らはエースである里中を、とても慕っている。
 元々、ぞろぞろと歩くのが好きじゃない里中が、一緒に外出させてくれる機会なんて滅多にないから、その分浮かれているのだろう。
「そういう山田はいいづらか?」
 タクトを振りながらそう尋ねてくる殿馬に、山田は苦笑を刻んで、ゆるくかぶりを振る。
 出かけてもいいけど、出かけなくても別に構いはしない。
「いや、みんな出かけてくれるなら、この機会にノンビリするのもいいしな。」
 里中が先ほど言ったとおり、彼とはいつでも出かけられる。
 厳密に言えば、今日ほどゆったりとした空き時間が取れることはないだろうが、どうせランニングがてらスポーツショップに行くくらいなのだから、それで十分だ。
 わざわざ、団体さんで出かけるときに、一緒に着いていくことでもないだろう。
「殿馬は行かないのか?」
 結構有名な映画らしいじゃないか──と、音楽の勉強からか、殿馬がそれなりに映画を見ることを知っている山田の問いかけには、
「面倒づんづら。ピアノでも引いてるづらよ。」
 団体さんはゴメンだと、殿馬はヒョイと肩を竦めて見せた。
 言われてみれば、彼が映画を見に行くのはいつも一人だった。
「そっか。」
 納得した山田は、それ以上何も言わず、三太郎と一緒に広げていた雑誌を改めて広げ──久し振りに静かな合宿所を満喫することにした。
──────それも、夏子の下へ行っていた岩鬼が帰ってくるまでの、ほんの短い休息であったけれども。






「里中さんと出かけるのなんて、滅多にないことだよな〜っ!」
 どこか興奮した面持ちの一年生たちは、ソコで知ることになる。
 山田の居ない里中は、手綱のない狂犬みたいなものだと言うことを。






 土曜日の映画館は、それなりに混雑していた。
 チケット売り場に出来た短い行列に、一年生たちが並んでいる間、里中は映画館の壁にもたれて、ボンヤリとしていた。
 微笑は、チケットを買わない分だけお菓子を買ってくると、コンビニに走ってしまっていたので、話す相手もおらず、ただボンヤリと行き交う人を眺めるだけだった。
 久し振りの休息を満喫したい気持ちもあったが、それと同時に、休息が終わったあとの練習メニューについて考えてしまう。
 とにかく、香車には、カット打法を身につけさせなくてはいけない。
 そして、高代は打撃のセンスがなかなかいいから、これも伸ばしてやりたい。
 打撃に関しては、山田が居るから大丈夫だと、誰もが思っているが、そんなことを言っていたら山田に何かあったときにどうするのだ。──などなど。
 結局、どこに行っても、頭の中は野球一色だった。
 首を傾げて、少し考えるように拳を唇に押し当てながら、ジ、と見るともなしに雑踏を見つめていたときだった。
「ね、彼女?」
 声が、振ってきた。
 同時に、頭の上にかげりが落ちる。
「……?」
 怪訝に思って見上げた先、高校生くらいの男が三人、里中の前に立っていた。
 里中と同じ私服姿だから、高校生だとは断定は出来ないが──どこかで見たような気のする顔立ちをしている。
 もっとも、平凡な面差しの三人組だから、そんな気がするのかもしれないが。
 上目遣いに彼ら三人を認めた里中に、三人は素早く顔を見合わせ、にっこりと笑った。
 どこか、緊張した面持ちの微笑みだ。
「もしかして、待ちぼうけ食ってるんじゃない?」
「俺たち、今から、話題のキングオブアーサー2を見るんだけど、良かったら一緒に見ないかい?」
 ニコニコと、笑顔を振り撒いて里中を見下ろす三人に、ますます里中はわけがわからなくなって、眉を寄せた。
「──……は?」
 何を言っているんだと思うと同時、彼らの顔を知っていると思ったのは、間違いではなかったのだろうかと感じた。
 どこかで会った誰かだろうか? もしかしたら、中学時代の同級生か何かかもしれない。
 何せ、地元で里中は有名になってしまっている。
 その有名税として、友人面で近づいてくる男や女も居る──それはときに、コチラがムカリとするほどになれなれしいのだ。
 もしかして彼らもその手合いなのかもしれない。
 そう緊張して警戒の色を露にした里中に、慌てたように三人が手を振った。
「いや、別に下心なんてないってっ!
 ただ、彼女、ずーっと一人で立ってるからさ。」
「俺たちも、男三人で見るより、彼女みたいな可愛い子が一緒のほうが楽しいし……さ?」
 弁解するように必死な表情を取り繕う彼らが口にした台詞に、かちん、と里中の眦が上がった。
 きっ、と彼らの顔を睨みつけて、
「今、なんていった?」
 里中は、低く唸るようにして彼らを見据える。
 その大きな瞳に上目使いに睨みあげた先で、彼らはコッソリと互いの脇を突付きあった。
「結構低めの声だな。」
「そこがまた色っぽいんだって。」
「つぅか、可愛いよな〜?」
 コッソリと会話を交し合っているつもりであろうが、里中には筒抜けであった。
 そして、そんな会話が交わされれば交わされるほど、里中の額に浮き出た青筋がピクピクと震えはじめる。
 握り締めた拳が、ギリリ、と爪を食い込ませる。
「ジュースもポップコーンもおごるしっ、映画代も、もちろん俺たちが持つよ?
 なんなら、映画を見終わった後にお茶でも……っ。」
 頬を紅潮させた男の一人が、勢い込んで里中の手を握り締めてそう言った瞬間、
「…………。」
 無言で里中は、ニッコリ、と花ほころぶように笑った。
 その、眼前に突きつけられた笑顔に、男達の顔が、一気に赤く染まった。
 ──刹那。

ガシッ!!

「あたっ!!」
 思いっきり目の前の男の脛を蹴りつけて、里中は彼に握られた手を振り払った。
 パシンッ、と小気味良い音が響き渡ると同時、ギッ、と彼らを強く睨みつける。
「んっだとーっ!? お前らっ、このおれのドコが女に見えるってんだ! てめーらの目は節穴かっ!」
 震えた拳を引き、そのままソレを彼らの顔面目掛けて叩き付けようとした──が。
「って、智っ、智っ! 止まれっ、やめろってっ、こらっ!」
 いつのまにか側にきていた微笑に、がっしりと背後から羽交い絞めにされてしまう。
「離せ、三太郎っ!」
 ガサガサッ、と耳元で耳障りな音を立てるのは、微笑が手に持っているコンビニの袋か何かだろう。
 しかし、そんなことも気にせず、里中はジタバタと微笑の腕の中で暴れる。
 微笑は、小さな爆弾のような里中の俊敏さに翻弄されながらも、必死で彼を押さえつけた。
「こんなところで暴力なんてふるっていいわけないだろうっ!?」
 それは、他ならないお前が一番良く知っているはずだぞっ、と耳元で怒鳴るが、プライドを著しく傷つけられた里中の耳には入らない。
「一発殴らせろっ! 気がすまんっ!!」
 キッ、と、大きな瞳を怒りに潤ませ、眼光鋭く睨みつける「美少女顔」の少年の気迫に、驚いたのは三人組の方である。
 彼らは、突然現れた長身の男……里中を羽交い絞めにしている彼に、驚いたように目を丸くさせた。
「お、おい……こいつってもしかして……。」
 小柄な里中を、必死の顔で押さえつけている微笑を見つめる彼らの、その驚きを増進するように、
「って、里中さんーっ!? 何やってるんですかっ!!?」
 ちょうどチケットを買い終えた一年生たちが声を荒げながら近づいてきて──男達は、自分たちがナンパしようとした「少女」の正体を、ようやく悟った。
 つまり、
「里中!? 里中って、もしかして明訓の里中か……っ!?」
「って、俺達、なんつぅのをナンパしようとしたんだよ、おいっ!?」
 ──そういうことである。
 動揺も著しい彼らの台詞に、さらにカッチンときたのは里中であった。
 つまり彼らは、「里中智」という投手の存在を知っていた。
 知っていたうえで、さらに自分の顔を見ても、まだ「女の子」だと信じていたと言うことなのだ。
「ふざけんなーっ!!」
 カッ、と頭に血が上ったそのまま、里中はジタバタを揺らしていた足を地面に踏ん張り、そのまま思い切りよく──
がぼっ!
「うぐぅぅ!」
 微笑の腹に、肘鉄をかました。
 瞬間、里中を拘束する腕が緩み、微笑はそのまま腹を抱えるようにして蹲る。
「わー! 微笑さん、大丈夫ですかっ!?」
 ガサガサガサっ、と音を立てて地面に落ちたコンビニの袋の上に覆い被さるように、微笑はガクリと膝をついた。
 慌てて駆け寄る渚と高代、蛸田に上下へ、
「お、おれは大丈夫だから、さ、さとるを止め……っ。」
 息も絶え絶えに、必死の形相で願い出る微笑──彼の顔から、笑いが消えるという、非常に珍しい瞬間であった。
 そんな微笑の台詞に促され、四人が見上げた先……どす黒いオーラを放ちながら、里中がユゥラリと三人組みに向けて足を一歩踏み出していた。
「さっ、里中さぁーんっ!」
 思わず悲鳴めいた声をあげた一年生トリオを、誰が叱ることができただろうか?
 綺麗な顔ほどすごんだときが恐ろしい……とは良く言ったもので、今の里中はまさに、般若そのものであった。
「てめぇら、覚悟はできてんだろうな……あぁっ!?」
 ポキポキ……っ。
 細く形の良い指を鳴らしながら、さらに一歩踏み出す里中に、三人はジリリと後方に下がる。
「って、里中さん〜っ!」
 場慣れしているような気がする里中の態度に、ひぃぃっ、と悲鳴をあげつつ、四人は必死で彼を止めようと、その里中向けてダイブしようとした。
 質より量作戦である。とにかくこれだけの人数にもみくちゃにされれば、さしもの里中とて止まるに違いない!
 そんな明訓一年生の決死の覚悟を無駄にするように、
「か、可愛い顔して凶暴なヤツだな、里中……っ。」
 三人のうち一人が、またもや暴言を吐いた。
 瞬間、ぶっちんっ、と里中の理性がまた一本切れる音がした──ような気がした。
「まだ言うかっ!!」
 正真正銘、今度こそ止められそうにない……っ!
 そんな予感に駆られつつ、それでもこんな大通りでケンカをさせるわけには行かない……というか、野球部の部活動停止も恐ろしいが、合宿所に居る山田の「里中を止められなかったのか!」という叱責も怖い。
 一年生たちは、決死の思いで、里中の華奢な体を、なんとしてでも止めるつもりで足を踏み出した──まさにその刹那。
 この緊迫の展開に、里中の怒りの火に注ぐ、新たな油はやってきた。
「何やってるんだ、お前らっ!!」
 リン、とした良く響く声。
 その声は──男達に掴みかかろうとしていた里中を止めるのにも、十分な効力を発揮した。
 良く、知っている……声だったのだ。
 それと同時、
「あっ、──し、不知火さんっ!」
 その声の主の名を、3人の男が叫んだ。
 彼らが視線を向けた先──いつもの学ラン姿に、切れ目の入った学生帽を被った、白新高校の「不知火守」の登場であった。
 思わぬ知人の登場に、里中ですら闘志をそがれて、声が掛かった方向を見やった。
「……不知火? なんだ、こいつらもしかして、白新の野球部か?」
 彼が現れた途端、恐縮したような態度を見せる男達に、里中は怪訝そうに……しかし、怒りを滲ませた視線を向ける。
 キン……と音がしそうなほど冷たく鋭い里中の眼差しを正面から受け止めて──何せ、彼のこういうキツイ目は、試合中に当たり前のように受けているので、不知火からしてみたら、恐怖の対象にはなりえない──、不知火はいぶかしげに里中を見返した。
 別に明訓高校の面子がココに居ても不思議はないが、
「里中? お前、何やってるんだ?」
 なぜ、うちの野球部員を相手に威嚇しているんだと、暗に挑発的な響きを乗せて聞くと、憮然とした顔で里中が三人の男を顎でしゃくった。
「こいつらがケンカ売ってきたんだよ。」
 その、ふてぶてしい態度で呟かれた台詞には、ようやく起き上がることが出来た微笑の台詞が続いた。
「売ったのはケンカじゃなくってナン……。」
ぼごっ!
「黙れ、三太郎。」
 瞬間、微笑を見ずに放った里中の裏手が入り、哀れ微笑は可哀想に、そのまま再び地面に蹲るハメになった。
「……凶暴なヤツだな。」
 あきれたように微笑と、その微笑の回りに集まる一年生たちを見ながら、不知火はブラックオーラを纏った里中を見やる。
 里中は、そんな不知火の視線をジロリと睨み返し、腰に手を当ててフン、と鼻で息を吐き捨てた。
「お前に言われたくないね。──で、そいつら、コッチに渡してもらえるのか?」
「……なんでだ?」
 同じく、ジロリ、と睨みかえる不知火に、カチン、と里中は眦を吊り上げる。
「こいつらが俺にケンカを売ってきたからだって言ってるだろっ!」
 そのまま、今にも掴みかかうとする里中の足の動きに気づいて、一年生たちに案じられていた微笑が、慌ててタックルをかますように抱きついて止めた。
「あーっ、もうっ、おちつけ、智っ!」
 重しになるようにどっしりと微笑に抱きつかれて、里中はそれを引きずることもできないまま、きり、と唇を噛み締める。
 さらにそこに渚が、里中の振り上げた拳を止めようと、必死になって背後から抱きついてくる。
「里中さんっ、お願いですから、落ち着いて下さい〜っ!」
 しかし、投手として背筋力が並ではない里中の力に、怒りの力が加わって──この華奢さで、一体どうして、と思うほどの力で引っ張られてしまう。
「離せ、三太郎っ! 渚っ! ここまでバカにされて、男が黙ってられっか!」
 吐き捨てるように叫んだ里中に、
「お前がチビだから間違えただけだろーがっ!」
「しかもそんな格好してるからだろ!」
 白新の男達も、負けじと言い返す。
──言い返したと同時、自分たちの言い分が、非常に恥ずかしいものだと言うことに気づいてはいないようである。
「……思いっきり顔見ても、可愛いとか言ってたくせに…………。」
 思わず渚は、うろんげに彼らを睨みつけ、ボッソリ、と呟いてしまった。
──自分が里中に抱きついているため、ちょうどその呟きが彼の耳に入っているとも知らず。
 当然、
ぼごっ!
 勢い良く、里中のヒジが渚の腹に落ちた。
「あぐぅっ!」
 強靭な里中のヒジの強襲を受けた渚は、ぐらり、と背中から背後に倒れかけ、
「わーっ、渚っ! 大丈夫かっ!?」
 慌てて近づいた高代たちに、がっしりと受け止められた。
 上半身が自由になった里中は、ブンッ、と腕を振るいながら、どうして今、ボールを持ってこなかったんだろうと、そのことをひたすら後悔していた。
 そうしたら、オーバースローででも投げることが出来たのに、と。
「……………………あー…………なんかもう、展開が分かったような気がする。」
 ──しかし、今のやり取りで、不知火が里中からのケンカを買いモードから、一気に呆れモードに変化していた。
 彼は、頭痛を覚えたかのようにこめかみのあたりに指先を当てて、はぁ、と溜息を零した後、チラリ、と里中の足にしがみ付いている微笑を見やると、
「お前らも苦労するな、微笑。」
 そう、同情めいた眼差しを送った。
 そんな不知火の、滅多に見れない同情の眼差しを受けて──、
「あ、いや──はははは。」
 ……まさか、山田が居ない里中が、ココまで暴走するとは思っても見なかった、という、泣き言は、コッソリと微笑の心の中だけで吐かれることになった。
 不知火は、改めて里中を見やる。
「里中。」
「なんだっ!?」
 静かな彼の声に答える里中は、いまだに奮迅収まらぬ様子で、ギッ、と向けられた目には、怒りの色がありありと滲み出ていた。
「お前の凶暴さ加減は、最初にあったときからイヤというほど知ってるが、ここは穏便に済ませてくれないか。」
 そんな彼へ、火に油を注ぐような台詞を、真摯に吐く不知火。
 もちろん、その言葉が里中の火を治めるはずもなかった。
「はっ!? 誰が凶暴だ、誰がっ!」
 噛み付くように怒鳴る里中に、うんざりしたように不知火は、吐き捨てた。
「自覚がないのか? 初対面の雲竜にケンカを売ってたのはどこの誰だっ。」
「初対面に近い人間の自宅の屋根の上に乗ってたヤツに言われたくないがなっ!」
 打てば響くように返るお互いの初対面の時の状況に、
「……………………。」
「……………………。」
 二人はギリリと強くにらみ合う。
──が、先に視線を逸らしたのは不知火だった。
 彼は、細く溜息を零すと、
「とにかく、今回のことはコチラが悪かった。
 さすがにこんな映画館の前で騒ぎを起こすのは、双方にとって良くないことくらいは分かるだろう?」
 一度目を閉じて、冷静な眼差しで白新野球部を睨みつけた後、里中を見つめた。
 そして、まっすぐな彼の瞳を、ひたり、と見つめながら一言。
「っていうかお前、山田を片時も手放すな。」
 心の奥底からの台詞を、里中に献上してみた。
「最初のことに関しては飲むが、なんだ、その最後の一言はっ。」
「お前みたいにキャンキャン吼える犬には、手綱を締める飼い主が常時必要だと言ってるんだぜ。」
 自分で分からないのか、とうんざりしたように言う不知火に、里中は怒りが収まらぬ矛先を不知火に向けることにした。
「……ふっ、ざけんなよっ、この山田ストーカーっ!」
 この台詞には、なんとか冷静さを取り戻そうとしていた不知火も、カチンときたらしい。
 ほかの面子には分からずとも、お互いには理解できた。
──中学時代の「山田と初対面」時の対決のことを指しているのだ、と。
「お前が人のことを言えるのかっ!?」
 思わず怒鳴りつけた不知火に、里中は勝ち誇ったように、にやり、と口元に笑みを刻んだ。
「はっ、そう言うってことは、山田のストーカーじみたことをしてたってことは認めるんだな、不知火?」
「──里中……きさま……っ、口が減らないやつだな。」
「うるさい。」
 ぎり、と歯軋りをする不知火に、腕を組んで顎をあげ、苦々しく吐き捨てる里中。
 ──なんとなく、この中には入っていきたくないような気のする面々であったが、このまま放っておくわけにも行かない。
 微笑は、とりあえず不知火のおかげで、里中の「すぐさま殴りかかる」というモードからは解放されたと判断して、里中の足から体を離れさせ、立ち上がった。
 二度も里中に叩き込まれた場所が、じくり、といたんだが、それを気にしている余裕はない。
「智、そろそろ止めないと、映画が始まるぞ?」
 ポン、と肩に手を置くと、里中は対不知火で、怒りを発散したらしい、少し気の抜けた表情で微笑を振り返った。
「……は? ──って、あぁ、そうだった、映画を見にきたんだったな。」
 不思議そうに首をかしげ──握りつぶしたチケットの存在を思い出した里中は、そうだった、と呟いた後、
「……ちっ、命広いしたな、不知火。」
 ヒヤリ、と冷たい眼差しを不知火に向けて放り投げた。
 それを受け止めて、不知火もまた、余裕の笑みを口元に貼り付ける。
「それはコッチの台詞だ。」
 そして不知火は、ビクビクと怯えているかわいそうな白新の野球部員を見やると、
「ったく、お前ら、行くぞ。」
 くい、と顎でしゃくった。
 もちろん、里中の剣幕と、不知火とのわけのわからない対決を目の前で見せられた彼らに、逆らう余地はない。
「は、はい、不知火さん。」
 どうしてか怯えたような表情で頷き、彼らは不知火の後を素直についていった。
 そんな彼らをチラリと見ながら──不知火は、ヤレヤレ、と口の中で溜息を噛み殺した。
「……面倒なヤツをナンパしたな、まったく。」
 脳裏に浮かんだ先ほどの里中の姿は、確かに──黙って立っていれば、美少女のように見えないわけでもなかったが。
 グラウンドに立っている闘志剥き出しの里中とは、まるで違うように見えたのかもしれないが。
 …………お前ら、対戦相手のピッチャーの顔くらい、見分けをつけろ。
 心からそう思い、ため息をこぼす不知火であった。
 ──そして、その不知火からそんな風に思われているとは思いもしない里中はというと、去っていく白新野球部の背中に向けて、毒々しく、
「覚えてろよっ、くそっ。」
 吐き捨てていた。
 そんな、ユニセックスな格好をした、一見愛らしい美少女顔から吐かれる台詞に。
「…………里中さん、そんな悪役みたいな捨て台詞をはいて…………。」
 渚や高代、蛸田、上下は……どっぷりと、疲れたように肩を落とすしかなかった。











 なんとか無事に見終わった映画は、それはもう楽しくて面白かったが──合宿所に帰った面々が、山田や殿馬に語ったのは、映画の内容では、決してなかった。
 談話室の畳の上に座り込んだ瞬間、いたたた、と声を上げた微笑のシャツを捲り上げたとたん、山田は穏やかな顔に濃い眉間の皺を刻み込んだ。
「──まったく、死ぬかと思った。」
 大げさにそう言う微笑の捲り上げたシャツの中……細身の体には、時間が経過したことを示す赤紫の痣がついていた──それも、二箇所も。
「ぅわ、痣になってるじゃないか。
 里中、やりすぎだぞ、これは。」
 渋面のまま、微笑のその痣にクスリを塗ってやりながら、山田が部屋の隅で小さくなっている里中を軽く睨みつける。
「う……すまん、つい頭に血が上って、手加減をするのを忘れた。」
 素直にしょんぼりと頭を落とす里中は、シャツを脱いでいる渚の、うっすらと出来た打撲の後に、ペッタリとシップを貼ってやる。
「あぁ……まぁ、いいけどな、打撲とかは打球で慣れてるし。」
 あんまりにも素直に里中が謝るので、苦い笑みを貼り付けて、微笑はシャツを下ろし、見ているほうが痛々しいと思う紫のあざを隠した。
──まったく、山田が居ると、里中も冷静になるんだな。
「けど、里中さん、酷いですよ〜っ。」
 同じくシャツを着込んだ渚が、シップの冷えにブルリと体を震わせながら、拗ねたように唇を尖らせる。
 その渚にも、里中は上目使いに見上げて、
「悪かったってば、渚。」
 そう、謝る。
 そんな顔を間近で見せられて、うっ、と渚が詰まった瞬間、
「不知火のところにも、後で謝りに行くぞ。」
 パタン、とクスリ箱を仕舞いこんだ山田が、里中に顔を向けて、真摯な表情で告げた。
 その、キッパリとした言い方に、里中は殊勝な態度も吹っ飛び、険も露に顔をゆがめる。
「えーっ、なんでっ!? だってあいつら、俺を女と間違ってナンパしてきたんだぞっ!?」
 同行した人間に言わせてもらえば、ハイネックの少しだぶ付いた白いセーターと、細身のジーンズを履いて出かけた里中は、一見美少女にしか見えなかったんだから、それはある意味、しょうがない間違えなのでは──と思わないでもなかったが、そんなことを口にしようものなら、微笑の二の舞になることは分かりきっていたので、あえて口にすることはなかった。
「彼らだって人間なんだから、間違えることくらいあるさ、里中。
 一度や二度の間違いくらい、笑って許してやれよ。」
 山田は、そんな里中に小さく微笑み──それから、いつものどっしりとした、優しく包み込むような笑顔で、
「お前が誰よりも男らしいのは、俺が良く知ってる──な?」
 里中の懐柔に掛かった。
 ニコニコニコ、と満面の笑顔で山田に見つめられ、な? と駄目押しまでされて──、
「…………分かったよ。」
 渋々、里中は頷いた。
 その、あからさまなまでの変貌に、高代、蛸田、上下の三人は、あっけに取られるやら、感心するやら。
「…………おおー、すげぇ、山田さん………………。」
 あの、手のつけようのない里中の暴走ぶりが脳裏にアリアリと残っている分だけ、今のこの場面は感動的であった。
 もしかしたら、今日の映画よりも、ずっと感動したかもしれない。
「手綱、いるな……やっぱり。」
「うん、そーだな。」
 ──口に出してはいえないけれど、やっぱり不知火の言うとおり、里中には、「飼い主の手綱」が、必要なようであった。
 というか。
 二度と、山田さんの居ない里中さんと一緒に、でかけるのはやめよう。
 ちらり、と、そんなことを近いあう一年坊主たちであった。














 今日は学生服に学生帽──その帽子と学生服のボタンに、キラリと光るのは明訓高校の校章マーク。
 ニッコリ、と微笑む愛らしい面差しを、目の前の宿敵に向けて、彼は片手に下げた紙袋を翳して見せた。
「と言うわけで、不知火、手土産に山田の作ったプリンを持ってきてやったぞ。」
 目の前に立つのは、白新高校野球部の練習着を身に付けた、敵校のエースである。
「お前、それが謝りにきた人間の態度か……。」
 金網ごしに呼びつけてきた里中を、ジトリ、と睨み上げる不知火の台詞に、里中は眉を寄せてみせた。
「なんだとっ!? 山田の作ったプリンがいらないって言うのか!?」
 気色ばむ里中の、気色ばむ方向が違うような気がしないでもないのだが、それは気のせいじゃない。
 手にした紙袋を握り締め、そう叫んだ直後──はっ、としたように里中は不知火を見上げた。
「もしかしてお前、甘いものダメなのか? なら、おれが食べるけど?」
 少しの期待を込めた眼差しを受けて、はぁ、と不知火は溜息を零したくなった。
 しかしそれをあえて堪え、手の平を差し出し、里中から紙袋を受け取る。
「………………いや、貰っておこう。」
 そんな不知火の言葉に、少し残念そうな色を乗せて、里中はその手の平に山田の手作りプリン入りの紙袋を乗せた。
 思ったよりも重量感を感じる紙袋を、ソロリ、と開けた瞬間、ふんわりと甘いバニラの香が漂ってくる。
「というか、山田が作ったのか、これ?」
 積み重ねられたそれらは、10個以上ありそうで──高校球児に、プリンを作ってくる山田もどうなんだ、これは嫌がらせか? という気持ちを抱えながら尋ねると、
「うん、そう♪
 おれはお菓子なんて作れないけど、山田はサッちゃんのために、結構こまめに作るんだぜ。」
 ニッコリ、と満面の笑顔で里中が答える。
 どうやら、明訓高校の野球部員にとっては、差し入れのプリンは普通らしい。
 ──────いや、この黄金バッテリー限定か?
「そうか──山田がなぁ。」
 なんとも複雑な気持ちでその紙袋を、とりあえず脇のベンチに置いていると、里中が金網から上半身を乗り出して、バンバン、と不知火の背中を叩いてきた。
 なんだ、と振り返ると、やはりニッコリ笑顔で里中が微笑みかけてくる。
「ところで不知火? この間の、おれをバカにした部員はどこだ?」
 不遜な台詞で、柔らかな微笑み。
 彼が誰を探しているのかわかって──水に流すわけじゃないのか、と思いながら、不知火は彼の目を見返し、キッパリと告げてやった。
「仕返しなら受け付けないぞ。」
「ケンカはしない。山田から止められてるしな。」
 止められなかったら、敵地のグラウンドでケンカを売るつもりだったのか、なんてことは無駄なので聞かない。
 何せ、山田の家の前で雲竜相手に堂々とケンカを売ったような少年なのだ──里中は。
 小柄で愛らしい顔立ちだなんて、甘く見ていたら痛い目を見るのはこちらである。
「なら、何のようだ?」
 慎重に里中を見つめて目を細めて尋ねると、うん、と軽い頷きが帰ってきた。
 そして、里中は、
「その代わり、白新の練習に参加してもいいって言う許可を貰ってきたんだ。」
 嬉しそうに、笑って告げた。
 不知火は、その笑顔を見つめ──里中が今繰り返した台詞を、頭の中で反芻した後。
「──……誰に?」
 …………聞きたくないと思いつつ、聞いてみた。
 すると、案の定、
「山田に♪」
 笑顔のまま、返ってきた。
 ──それは一体、どういうことなのだと、不知火が困惑した表情で里中を見返した瞬間、
「──あ、居た、居た。あいつらだ、確かに……っ。」
 ス──と目を細めて、グラウンドの中に居る「彼ら」を見つけだしてしまった。
 何をする気だと、不知火が険しい眼差しで里中を睨みつける。
 それと同時、里中は被っていた帽子と上着をバサリと脱ぎ捨てると、ヒラリ、と金網を身軽にまたぎ、トサ、と地面に着くと同時、
「よし、不知火! バットを貸せっ!」
 堂々と、右手を不知火向けて差し出した。
「…………ハ?」
 呆然と、差し出された右手を、不知火は見詰めるしかなかった。
 そんな彼に焦れたのか、里中は右手を上下させながら、
「俺がノックをしてやるって言ってんだよっ! ほら、さっさと貸せってばっ!」
 そう、訴えてくる。
 だがしかし、そんなこと言われて、すぐに「はい、そうですか」とバットを渡せるはずもない。
「ノックって……おい、里中っ!?」
 というか、理解できない。
 目を見開いて里中の名を呼ぶも、その時にはすでに里中は、業を切らして勝手にグラウンドを横断し、そのあたりに転がっていたバットを勝手に拾い上げていた。
「里中っ!」
 思わず叫んだ不知火の声に、グラウンドに居た面々が、何事かとコチラを振り向いたのが分かった。
 そして、振り向いたと同時、
「…………里中っ!!?」
 だれもが、白いカッターシャツとズボン姿で、バッターボックスに立つ里中に、目をひん剥いた。
 里中は、そんな彼らを気にもせず、堂々とボールとバットを手にして、
「よっしゃっ! お前ら、徳川監督と土井垣監督直伝の、俺のノックを受けて見やがれっ!」
 嬉々として、叫んだ。
「…………って、里中………………。」
 あっけに取られていた不知火が、われに返る間もなく、

かっきーんっ!!



────恐怖の1000本ノックが、始まった。



「って、なんで明訓の里中が、突然ノックなんて始めるんだよーっ!!?」
 猛者明訓の鉄壁の守護を作り上げた監督たち直伝の、里中のノックは、彼らに負けず劣らずいやらしいノックだった。
 そのノックに、右に左に走らされているメンバーは、すでに息も絶え絶え。
 そして、
「おらおらおらっ! 何やってんだ、お前らっ!? こんな物も取れないのかーっ!?
 ほらっ、次行くぞっ、ライト!」

かっきーんっ!

 良い音をさせる「好打者」でもある里中の体力は、岩鬼の虚弱児と呼ばれながらも、さすがは9回を投げ抜く体力を持つピッチャーだけあって、まだまだ──ありそうだった。
 そんな、滅多に見られない光景を、目の前で繰り広げられて。
 不知火は、紙袋に入ったプリント、鬼のような勢いでノックの雨を降らす里中とを交互に見つめた後、
「……………………──────ま、いっか。」
 触らぬ神にたたりなし、とばかりに、ベンチに座り込み、山田手製のプリンを食べながら、ノンビリとノックの嵐を見物するのであった。






+++ BACK +++


書いてて楽しかった一品。

やっぱり里中はこんなんだと思うのですが……どうでしょう?
とりあえず山田は歯止め。でも時々は後押しする黒い一面もあり。

というか、不知火さんはプリンを食べるんですか? ……疑問。