芦屋旅館にて














 大阪は、恒例の宿──「芦屋旅館」の一室。
 二つの和室を繋げた畳の上には、隙間が無いほどにびっしりと布団が並べられている。
 その布団の上に、さんさんと降り注ぐまばゆい朝日の下──、一年生たちを前に、微笑はこう告げた。
「智はなー、A型なんだ。」
 突然の、台詞であった。
「──……は、はぁ。」
 答える渚の相槌は空ろで、その目もどこか空ろであった。
「あ、でも里中さんって、それっぽいですよね。」
 渚の隣で、ぽむ、と高代が手を打つ。
 そんな高代の声に、うんうん、とほかの一年生達も同意を示す。
 そうして頷きあう一同に、山岡は、
「ちなみに岩鬼はB型だ。」
 自分が座っている布団の斜め前でまだ寝ている岩鬼を指で指し示した。
 はぁ、と気の無い返事を返す渚は、無言で視線を岩鬼の隣の布団に当てた。
 すでに朝日は完全に姿を見せており、びっしりと敷かれた布団の持ち主たちは、布団の中から抜け出した後であった。
 しかし、未だに布団の中で眠りをむさぼる者もいる。
 その最たる者が、岩鬼であった。
 彼は周りの布団が空になったにも関わらず、グースカグースカと大きないびきをあげて眠りほうけていた。
「B型の人間は、寝つきが良くて寝汚い人間が多い──その良い例が岩鬼だな。」
 こいつは絶対、夜中に地震が起きても起きないだろう。
 そう断言する山岡に、うんうん、と二年生と三年生が揃って頷く。
 そんな彼らを、一年生たちは当惑の目で見つめた後、無言で視線を落とした。
 それから目を上げて、
「あの──その血液型と、今と、どういう関係があるんですか?」
 おずおず、と、高代が勇気を出して問いかけてみた。
 その答えには、あふ、とあくびをかみ殺した殿馬がアッサリと一言。
「A型はよー、神経質づらよ。」
「……はぁ。」
 確かに血液型がAの人間にはその傾向がある。
 ちなみに里中が、その「神経質」に当たるかどうかは、一年生達にはまだ理解できなかった。──ある意味、「神経質」と言える性格であることは、もうしばらく住居を共にするうちに気づくことであろう。
 曖昧な返事を返す後輩を気にすることもなく、殿馬はさらに面倒そうに続ける。
「だからよ、枕や場所が変わると、寝つきは悪くなるし、些細な事で目が覚めるづらな……。」
「──で、その挙句、早起きしすぎるか、寝過ごすかのどっちか──となるわけだ。」
 ヒョイ、と肩をすくめる微笑に、なるほど、と渚が納得したように頷き、岩鬼の布団からひとつ空の布団を挟んだ先にある、未だに住人が居るままの布団を見た。
 枕をポンと布団の外に放り出して、スヤスヤと穏やかな寝息を立てている「主」は、珍しく朝日が差し込んでいるのにも、周りの人間が起きているのにも、まったく気づいていないようであった。
「──ってことは、今日の里中さんは、その後者だって……ことですか?」
 ──そう、朝に強い里中にしては珍しく、彼はまだ布団の中で、眠っていた。
 いつもなら、チームメイトのほとんどが夢の中のうちに早朝ランニングまで済ませて、寝続ける同僚や先輩たちを、所かまわずブシブシと踏み歩き、「あ、すみません、暗くてよく見えなかったから。」と一同を起こしているはずである。
「……まぁ、夜寝れなかったのは、当たり、だろうな。」
 それは里中だけの話ではなく、試合のあった日は眠れるが、旅館に到着した当日などは特に、夜中遅くまで寝れない、という部員も居ることは居る。
 その一部は、岩鬼のいびきがうるさい、と訴える声もあったが。
「去年もな──里中は、なかなか寝付けてなかったよ。」
 山岡が、去年の夏を思い出すように──そ、と目を細めた。



















 初めての甲子園の地──大阪は芦屋旅館の二階にある続き和室に、窓の障子ごしに月明かりがうっすらと忍び込んでいた。
 隙間がないほどに敷かれた布団に潜り込んだ彼らは、つい今日の昼過ぎにこの大阪の地に到着したばかりであった。
 神奈川県代表──初出場校「明訓高校」の野球部員達である。
 生まれて初めての、夢にまでみた甲子園で戦えることへの興奮は、新幹線を降りたときからバスに乗るまで──そして芦屋旅館の迎えのバスの中で、最高潮に達した。
 わざわざ気を利かせてくれた旅館の人が、少し遠回りをして甲子園球場を見せてくれたのである。
 その、写真やテレビでしか見たことがない球場への大きな期待と不安を胸に孕みながら、初めて迎えた大阪の夜──実を言うと、布団に潜り込んだのは早かったのだが、素直に眠りに入っていったのはほんの一部の人間ばかりであった。
 みな、神奈川からの移動で疲れているはずなのに、甲子園に来たのだという興奮ばかりが先にたって、なかなか眠れなかったのである。
 モゾモゾといつまでも寝返りをみんなで打ち続けたあげく、諦めたように起き上がり出すのも早かった。
 一人で布団の中でいつまでもモゾモゾしていても、冴えた頭はなかなか眠気を訴えてはくれなかったからである。
 そこで、もうすでに熟睡してしまった者を起こさないように、彼らはココに来るまでにも語り尽くした興奮を、小声で語り合ったり、なぜか自分の布団の上で腕立て伏せをしてみたりして、眠れるように努力をしてみた。
 その結果、草木も眠る丑三つ時の時間帯ともなれば、スヤスヤと、心地よい寝息や、耳に痛いようないびき声までもが聞こえてきてたのだが──。
「…………はぁ。」
 何度目になるか分からない寝返りを打って、里中はゴロリと天井を見上げた。
 誰かと話せば話すほど眠くならないのが分かっていた里中は、布団に入ってからずっと、ジ、と目を閉じて寝よう寝ようとしてきたし、羊の数も数えてみたし、誰かのボソボソ声を子守唄だと思おうともした。
 ──にも関わらず、頭は冴えるばかり。
 体は眠る体制に入っているし、目を瞑ってしまえば開くのが億劫だと感じる程度には眠気を覚えているのだと思う。にも関わらず、そこから眠りに入るまでの感覚が無い。目を開けるのも億劫だと思っているのに、開けばパッチリと苦もなく目が開いてしまうのが現実だ。
 明日の朝も早いからな、と、一同がそれぞれの布団を決めた後に、厳かに──けれど嬉しさを滲ませた声で告げた土井垣の声が耳元によみがえった。
「──……はぁ……。」
 小さく溜息を零して、里中は見慣れない天井を見ながら、首に痛い気がする枕の位置をモゾモゾと変えて──それから、ゆっくりと瞼を閉ざした。
 一瞬で暗闇に入る視界に、それでも落ち着かなくて、ゴロリ、ともう一度寝返りを打った瞬間──、
「眠れないのか、里中?」
「──……っ。」
 突然、寝返りを打った方角から声が飛んできた。
 小さな、空気を振るわせる程度の声に、里中は驚いてパチリと目を開いた。
 隣の布団で寝ていたはずの山田が、暗闇の中でも分かるくらいに心配そうな表情で自分をジ、と見ていた。
「……ゴメン、もしかして起こしたか?」
 ぼそぼそ、と返すと、いや、と山田がかぶりを振った。
「いや──ちょうど目が覚めたら、溜息が聞こえたから……。」
 穏かにそう答える声に、そっか、と里中は零した。
 シン、と静けさが落ちる部屋の中、耳には規則正しい複数の寝息が届く。
 その音を聞きながら、里中は一度目を閉じてから、眠そうな目をしている山田に小さく笑いかけた。
「眠れないのは眠れないけど、いつものことなんだ……おれ、枕が代わると寝つきが悪くてさ──。」
「いつものことって……もう3時だぞ?」
 明日も早いのに、全然寝てないのじゃないのかと、心配そうに身を乗り出して尋ねてくる山田に、里中は苦笑を漏らすしかなかった。
「一日目はいつもそうなんだ。──どれだけ疲れてても、神経が冴えて寝れなくってさ……ま、こればっかりは仕方ないことだしな。」
 実を言うと、合宿所に入った日も、練習でバテバテになっていたにも関わらず、明け方まで寝れなくて、浅い眠りを二時間くらいしかしなかったのだと、漏らす。
「でも、二日目からは、寝不足でストンって寝ちゃえるから、今日だけの辛抱だしさ。」
 だから、気にしないで寝てくれ、とそう言って、里中はゴロリと仰向けになった。
 夜明けまであと少し──今日も起きるのは早いけれど、2時間くらい寝れたら十分だろう……体力と若さには、自信があるし。
「明日も早いぞ?」
 それでも山田は心配そうにこちらに視線を向けてくるのを感じながら、里中は、それ以上何もいえなくて、ただ苦い笑みを刻んだ。
 そう言われても、寝れないものはしょうがない。
「それは山田も同じだろ。大丈夫だって、明日、試合があるわけじゃないんだしさ。」
「──……うーん。」
 気にせず寝てくれよ、と繰り返して里中は再び目を閉じた。
 けれど、目を閉じただけで眠っていないことは見ていても分かった。
 山田は細い目をますます細めながら、ソ、と目を閉じた里中の整った横顔を見つめる。
 確かに里中は、合宿所に入りたての頃は、早々に布団の中にもぐりこんだくせに、ひどく眠そうにしていることがあった。
 寝る場所が変わると、なかなか寝付けないという話は、ほかでも良く聞く。
 この芦屋旅館に来る前にも、先輩の北がそう零していたのを聞いている。
 けれどその北ですら、さすがに疲れが出たのか、みんなが眠りに入った頃には、スゥスゥと穏やかな寝息を立てていた。
 寝るときに環境が少しでも変わると──たとえば、枕が違うだとか、部屋が違うだとか、周りにほかの人が居るとダメだとか、少しの騒音もダメだとか、明るいとダメだとか──そういう人が居るのは、山田もよく知っている。
 サチ子がもう少し小さかった頃は、何がイヤなのか、夜中にワンワン泣き出すこともあった──今ではその頃の名残はなく、元気良く布団を蹴飛ばして寝ることもしょっちゅうだったが。
 そういえば、サチ子は徳川監督と一緒に寝ているが、迷惑なんてかけてないだろうかと、今更の不安がもたげてきて、山田は勝手についてきた妹の腕白ぶりに小さく溜息を零した。
 そんな山田の溜息に、里中は閉じていた目をチラリと開けて、苦笑をかみ殺すようにして、ゴロリと再び寝返りを打って山田に背を向ける。
 どうやら、山田に気を使わせてしまっているらしいと、そう思って山田から顔が見えないように考えたらしい。
 しかし──見えなかったら見えないで、気になる。
 暗闇の中でも、うっすらと浮き出て見える里中の白い首筋を見ながら、うーん、と山田は声に出さずうなって、首をかしげた。
 悩みごとがあったりして寝れない時は、羊を数えたり、数を数えたり、時には疲れて倒れこむまでバットを素振りしたりする。
 大抵はそうやれば、ストン、と眠りに落ちるものだが──羊を数えたりするのを、里中がしていないはずはない。疲れ果てるまで素振りをしたりボールを投げたり……というのはしていないが、今からそんなことをしていたら、本当に夜明けを迎えてしまうのは確実だろう。
 いくら明日は試合がないからと言っても、朝から体を鈍らせないためのランニングだの、キャッチボールなどの予定はある。まともに寝ていない体でそんなことをすれば、怪我をしてしまう原因にもなりかねないだろう。
「──里中。」
 小さく声をかけると、モゾ、と里中が動いて、肩ごしに白い面がこちらを向いた。
「なんだ、まだ寝てないのか?」
 そういう里中の声も、ずいぶんとはっきりと聞こえた。
「お前がイヤじゃなかったら、ちょっとコッチに来れるか?」
「? コッチ?」
 手招きする山田に、彼の方に体を向けて、いぶかしげに顔を顰める。
「何だ、山田?」
 隣り合う布団の境界線の辺りまで近づいていくと、山田がやんわりと里中の頭を抱える。
「……? 山田??」
「ほら、こうすると少しは安心できるだろ?」
「────…………。」
 そのまま顔を山田の強靭な──と形容しておく──胸元に押し付けられて、ますます困惑の色を深くする。
 ──安心も何も、寝れないのは別に不安だとかそういうわけじゃないんだけど……。
 これが山田じゃなかったら、思いっきり首を締め上げているところだが、彼が好意でしてくれているのは理解できた。
 そんな困惑を顔にアリアリと書き出した里中の頭の上で、
「なんなら、子守唄でも歌うか?」
 小さく笑いながら山田が尋ねて来る。
 その口調にどこか照れが入っているのを感じながら、触れた部分から声が響いてくるのを感じた。
「……遠慮しとく。」
 苦笑交じりに答えて、里中は、どうしようかとチラリと山田を見上げた。
 ──多分、サチ子と同じ扱いをされているのだろうことは分かる。
 サチ子が寝れないときは、こうやって山田は彼女に寄り添って寝てあげているのだ。
 確かに、人肌に触れていると安心することはするかもしれないが──、
「少しでも寝ておいたほうがいいぞ、里中。
 何も考えず、ただ音だけを聞いてれば、そのうち眠くなるさ。」
 ポンポン、と、なだめるように背中を叩かれ、低く囁かれると……もう完全にサッちゃんと一緒の扱いだな、と、苦笑ばかりが零れてくる。
 けど、それが不快なわけではない。
 それどころか、先ほどまで全身で感じ取っていた同じ部屋の中の『他人の気配』が、間近な体温で相殺されたような気すらした。
 ストン、と、肩から力が抜けるのを感じながら──……不安ではなかったかもしれないけれど、知らず知らずのうちに、肩に力が入っていたのだということに気づく。
 耳に入ってくる音も、山田の静かな呼吸音ばかりになった。
 先ほどまで聞こえていた誰かの歯軋りの音だとか、誰かのいびきだとか、誰かの寝言だとか……とにかくそう言った、耳触りに飛び込んでくる音が、感じ取れない。
 小さく規則正しく、トクトクと聞こえる音が、鼓動の音なのだと気づいた。
 自分の胸元から感じる音とはまるで違うリズムを刻むソレも、わずらわしいどころか、ゆっくりと浸透していくように感じた。
 先ほどまで不快に感じていた、感じ慣れないシーツの感触も、布団の重みも、自分の体をやんわりと包み込むように感じるのが、酷く不思議だった。
 ぽんぽん、と、ゆっくり、ゆっくり肩を叩く音が、だんだんと遠くなっていくのを感じながら、その音が止まったのが先なのか、それとも自分が寝てしまったのが先なのか、分からないまま、ストン、と意識が離れていった。











 シミジミと、懐かしい去年の様子を思い浮かべて、山岡が腕を組みながら、朝日が明るく差し込み始めた室内の端っこ──メンバーの中で一番早起きな二人を見やる。
「──ということで、去年も起きたら、あんな感じだったんだ。」
 無言で顎で見るように促した先には、みんなの注目の的であることにまったく気づかず、眠り続ける二人。
 ちなみにその布団を一つ開けた向こうで、岩鬼が布団を蹴っ飛ばして豪快に寝ている。
「へー、そうだったんですか、里中さんって、見た目と違って豪快で大雑把だと思ってたけど、繊細だったんですね。」
 感心したように頷く渚に、高代も、へー、と納得している。
 そんな二人を、欠伸を噛み殺しながら見やりつつ、
「おぅよー、なんで、寝てたときのことが分かるかとか、思わねぇづらかよ?」
 殿馬が呆れたように突っ込むと、
「それは言っちゃいけないな。」
 あからさまに怪しい仕草で石毛と今川が遠く天井の節目を眺めてみたり。
 そんな先輩達の、どう考えてもおかしな態度に気づかず、高代がホッと安心したように胸を撫で下ろす。
「ということは、明日はもう、一緒に寝ててビックリするなんてことはないんですね。」
 良かった、と、心底安心したように安堵の吐息を高代が零す。
 その言葉を聴いて、なぜか先輩達一同は、動揺したように体を震わせた。
 そして思い思いに口元に手を当てたかと思うと、突然窓を開いて、
「今日もいい天気になりそうだな。」
 と現実逃避してみたり、無意味にストレッチ運動をしてみたり──。
 その、あからさまに怪しい行動に走る先輩達に、なにやら不穏な空気を感じて、高代と渚の1年生コンビは無言で視線を交し合う。
 その目の前で、微笑が山岡を突付きながら、
「鉄司さん、土井垣監督説はダメですよ、一日目しか使え無いっすね……。」
「そうだな……。」
 とっても怪しい会話をしていた。
 その会話がボソボソと漏れ聞こえてくるのに、なぜか恐怖にも似た不安を感じて、高代は眉を落とす。
「──あ、あの……?」
 恐る恐る声をかけた瞬間、不意に石毛が、
「そう! そうだっ! コレはな、隣の岩鬼が原因なんだっ!」
 強引に話に割り込むようにしてそういいだした。
「い、岩鬼さんですか?」
 突然話の方向が変えられて、驚いたように目を見張る高代に、そうそう、と石毛が頷く。
 そんな彼を、なぜか胡散臭そうな目で、先輩達まで一緒になって見つめる。
 しかし、未だに目覚めの時の動揺が色濃く残る渚と高代は、その挙動不審な先輩達に気づくことはなかった。
「ほら、良く見てみろ、岩鬼は寝相が悪いからな。今も山田(が寝るはずだった元)の布団に豪快にはみ出ているだろ?
 寝てる最中に、まーた山田のヤツ、岩鬼に押しつぶされたんだな、きっと。」
「ソレだっ!」
 これこそが正しい、と言わんばかりに、平然と語る石毛の意を汲み取り、仲根がパチンと指を鳴らす。
 この当たりで、さすがに後輩二人も、なんだか雲行きが怪しいことに気づき始めた。──いや、気づかないほうがおかしい。
「ソレだって……何がソレなんですか?」
 胡散臭そうに渚が眉を寄せて問いかけるのに、石毛が重々しく頷いて、
「だからな、寝ているときは普通だったんだが、真夜中に、また岩鬼が山田を踏み潰したんだよ。
 そうすると、漏れなく山田がうめき声を上げて、里中も起きる。」
「え、起きるんですか?」
「A型は、そういうのに神経質だから起きるんだよ。」
 思わず問いかけた渚には、あっさりと答えを押し付けて、石毛は岩鬼の空いている隣の布団を指差し語った。
「で、岩鬼に占領された山田を哀れんで、里中がスペースを開けてやったんだ。
 な? それなら話は納得できるだろ?」
──納得しなくちゃいけないような話なんですか、コレは?
 さまざまな疑問の声が、高代と渚の頭をグルグル回ったが、彼らはそこで一度思考を停止させた。
 ただ自分たちは、起きた瞬間飛び込んできた目の前の現象にびっくりして、思わず声を出して叫び、先輩達を起こしてしまっただけなのだが──そして、なんでこんな状況になっているのか、説明を求めただけなのに。
 どうして帰ってきた答えは、「そうだと思って納得しろ」という、「真実」ではない答えばかりなのだろう?
 想像力豊かな思春期の男子高校生二人は、色々な考えで頭が飽和状態になるのを感じながら、目の端で寄り添うように眠り続けているバッテリーと、その隣の微妙な空白がある布団と、二つの布団に跨って寝ている岩鬼とを見て……、言わなくてもいい一言を零した。
「──……ぇ、あの……でも、その空いてる布団って、山田さんじゃなくって、里中さんの布団じゃなかったでしたっけ……?」
 ピキン……──、と、空気が凍ったような気がした。
 その、夏の朝にしてはあまりに冷たい空気が走るのに、ひぃっ、と、なぜか二人は背筋を震わせた。
 おどろおどろしい空気が、先輩達の頭上を浮遊している。
「──……あぁ、そうだったっけ……昨日、山田のヤツが、『隙間風が入るから、場所を変わろう』とか言いながら、里中と変わってたな。」
 どんよりと顔に縦線を引きながら零す北に、そういえばそうだったな──と、実は里中の指定寝床であった空いている布団を眺めた。
 そして、もう万策尽きたといわんばかりの顔で、山岡が、重々しく……、
「仕方がない、それじゃ、一番初めの『土井垣監督案』で、納得するしか……。」
────…………イヤ、その、土井垣監督案って、ナンデスカ?
「いや、それよりも、石毛案の、山田と里中をひっくり返したパターンのほうが、信憑性があると思う。」
 なんかもう、疑問を口にするのも面倒臭くなってきた渚が、ガックリと両肩を重く落として、溜息まで零しながら、この無駄なまでの朝の論争の「原因」を見やる。
 乱れた気配のない布団に、グッスリ熟睡している二人。枕はきちんと山田の頭の下にだけ、敷かれている。
 里中の枕はドコだというヤボな突っ込みはしてはいけない。
 その二人の頭の上には、山田の着替えが折りたたまれており、里中の布団──になるはずだった、岩鬼に半分占領されている布団の上には、里中の着替え。
 そして、その二人の着替えに挟まれるようにしておかれているのは──、
「………………ぁ。」
 昨日、二人が寄り添いながら覗き込んでいた、「高校野球年鑑」であった。
 各有名高校の選手の一覧や写真が入っている、ちょっとお高めの雑誌で、この芦屋旅館のロビーから、山田が借りてきたと言っていたブツであった。
「あれだ。」
 思わず呆然と、渚がその雑誌を指差し呟いた瞬間、
「何がアレだよ?」
 さて、どうしようかと、悩む頭を突き合わせていた面々が振り返った。
 その先輩達に、アレアレ、と渚は指差し、
「昨日! 山田さんと里中さんが、同じ布団でアレ、見てませんでしたっけっ!?」
 まるで、自分こそが真実をいい当てたというように、興奮ぎみに頬を火照らせながら、叫んだ。
 そんな彼を、目を見開いて見つめ……山岡は、無言で視線を渚の指先を追う。
 そして、ソコに置かれた雑誌を見た瞬間、見て見ぬフリをしていた光景が思い浮かんだ。
 風呂上りに二人揃って布団に横になり、雑誌を捲っていた、確かに。
 涼しい夜風が入る中、里中の肩が冷えると困るからと、そう言えば布団をきちんと掛けて、うつぶせになって、見ていた。
 ココはスゴイだとか、こいつは要注意だとか、ここはノーマークだけどこの人物が気になるだとか、そういうのを、真剣に額をつき合わせて話していた──会話だけ聞いていると、熱心なバッテリーだと思うのに、視線をやれば、同じ布団に包って、何をやっているんだと思う光景だったと、記憶している。
 途中で山田が、「もっとこっちに来ないと、布団からはみ出るぞ」だとか声を掛けて、モゾモゾと里中が移動しているのを目撃した北が、なんだかいたたまれない顔をしていたので、良く覚えている。
「もしかして、里中さんが、そのまま寝ちゃったんじゃないですか?」
 コレだっ! と、顔を輝かせて渚が答えを出した瞬間──部屋の中に満ち満ちていたなんとも言いがたい闇色の空気が、一拭された。
 というか、その拭われる直前に、表現しにくい、噛み切れないような苦さを含んだ雰囲気が蔓延したが、それは見なかったことにしておく。
 答えを見つけた渚の、輝かしいまでの顔を見て、はぁ、と、微笑が項を撫でさすりながら溜息をつく。
「なんだよ、渚、答えを知ってたなら、最初っから言えよ、まったく。」
 吐き捨てるような、苦い声であった。
 ──え、と、後輩達が目を瞬くのをよそ目に、石毛や仲根たちも、何事も無かったかのように自分たちの布団に戻ると、それをクルクルと畳み始めながら、
「本当だぜ。俺達は、どうやってごまかそうかと必死になったよ、ったく。」
「ほんと、無駄な労力を使ったな。」
 そんな会話を交わし始めた。
 え、え、え──と、置いてきぼりを食う形になった渚と高代が見回すと、まだ寝ている三人を置いて、全員が何事も無かったかのように着替え始めたり、顔を洗うために部屋を出て行ったりと、行動を開始していた。
 その、あっという間の変わり身の早さについていけず、高代は目をパチクリと回した後、
「え……あの……ごまかすって……何をごまかすって言うんですか……?」
 すでに目の前に居ない先輩に聞くが、もちろん、誰の耳に届くこともなかった。
 そして渚はというと、
「──というか、誰も突っ込まないんですか?
 里中さんが寝てしまったんなら、山田さんが里中さんの布団に移動したらいいだけの話なんじゃ…………?」
 なんでアレで納得するんだ?
 そのことへのショックを隠しきれず、愕然とするしかなかった。



 誰も、そんな無粋なことは突っ込みません。







+++ BACK +++




あ〜、楽しかったv
書いている張本人だけ、とってもv 楽しかったですv


……まぁ、女同士は、普通に同じ布団で寝るとかやると思いますが、男同士はしないと思いますけどね……、同じエロ本を隠れてこそこそ見るとか言う場面じゃない限り。


ちなみにその後すぐ。






「…………ん……? ────……アレ?」
「ん? あぁ、おはよう、里中。」
「おはよう、山田。
 アレ? なんで俺、山田と一緒に寝てるんだ??」
「昨日、お前が本を読んでる最中に寝ちゃったんだよ。」
「……あ、そうだな。そういえば、記憶がない。
 そっか、悪かったな、山田。腕、痺れてないか?」
「平気だよ、ほら。」
「そっか、良かった。お前の黄金の腕がどうにかなかったら、明訓は大変だからな。」
「そうなったらそうなったで、お前の右腕が頑張ってくれるだろ?」
「なんだよ、リードするのはお前だぞ。」
「アハハハ。
 って……ぅわ……なんだ、もうこんな時間なのか?」
「え、こんな時間って……──えっ!? 7時っ!? マズイっ! もう朝食の時間じゃないかっ! なんだよ、三太郎も殿馬もっ! 岩鬼相手じゃあるまいし、なんで起こしてくれないんだよっ!?」

「いや、だってお前等、すっごく熟睡してたからさ〜。」

「熟睡してても起こしてくれよ!」

「でも珍しいよな、お前等が二人揃って寝坊するなんてさ、アハハハハ。」
「鉄司さん、今のはちょっぴり空笑いすぎっすよ。」
「ん、そうか。」

「なんか、山田と一緒に寝ると、うっかり寝すごすことが多いよなっ。」
「そうだな、人肌が傍に居ると、気持ちよく寝れるからじゃないか?」
「あ、それはあるかもしれんな。冬に暖かい布団から出たくないのと一緒だな。」
「あははは。」

「……会話だけ聞いてると、普通の会話なんだけどな。」
「なんだけどな……。」
「っていうか、たぶん、雑誌読んでる最中に、里中が山田の腕を枕にして寝ちまって、しょうがないから里中を起こすのも忍びなくて、山田もそのまま一緒に寝たってことで、いいのか、今回の場合は?」
「いいんじゃないっすかー?」
「っというか、あの二人の場合、わざわざ理由を探すのが面倒だよな……結構いつもだし。」
「うん、そーだな。そろそろ理由なんて考えないで、『あの二人はああいうもの』って思っとくか?」
「だなー、どーせ俺達も、コレで最後なんだし、アレ見るの。」