明訓高校の野球部、合宿所。
この夏に見事に甲子園初優勝を決めた学校の野球部は、普通なら三年生の引退後も中途入部やマネージャー入部希望やら何やらで、非常に注目を集めている……ハズ、なのだが。
色々あって、非常に閑散とした合宿所のミーティングルームに、夏の大会以来の賑わいが生じていた。
狭いミーティングルームの中……黒板の前に立つのは、引退した主将であるはずの「土井垣将」。そして、最前列のあたりを占めるのは、同じく引退したはずの三年生達。
椅子からあぶれた「色々あった」時に退部しなかった二年生と一年生は、ミーティングルームの後部に佇んでいる。
その中には、現在「治療中」で部活に参加できない里中の姿もあった。
二年生たちが訳知り顔で頷きあう中、一年生プラス転校生の微笑は、何が起きるのかサッパリ理解できない様相である。
さらに、緊急召集であるにも関わらず、その場に監督の姿はなかった。
その集まった面子をグルリと見回して、土井垣はカツカツと白いチョークで、黒板に文字を書いた。
カツ、と、最後の一文字まで書き終えた土井垣が、ゆっくりと振り返る。
いつも真摯で真面目な表情を宿す土井垣であったが、今日の真剣さはまたいつもと違う色を乗せていた。
この顔を彼のファンの少女達が見ていたら、キャーッと黄色い声をあげるに違いない。
そんな彼が書き終えた文字を見て……、
「……秋の体育祭、部活対抗リレー?」
里中が、顔を歪めて首を傾げた。
黒板に白い字で書かれた達筆を認めた途端、やっぱりコレか……と、三年生と二年生から、落胆の溜息が零れた。
その溜息を聞いて、益々一年生達はワケが分からずに首を傾げる。
「な、なんやねん、それは?」
岩鬼が顔を顰めて問いかけるのに、傍に立っていた北が首をすくめて答える。
「うちの学校じゃ、秋の体育祭で部活別のリレーをするんだよ……1年生から1人、2年生から1人、3年生から1人、あとアンカー1人、で。」
別に不思議な催しではない。
どこの高校でもやりそうな催しである。
事実、小学校なり中学校なりで、誰かしらは経験しているはずだ。
「運動部限定の催しなんだけど、これが学年別リレーやクラス別リレーよりも盛り上がるんだ……けどな。」
山岡が北の台詞に続けて零して──だから、引退した三年生も集まっているのか、と頷く他人事な顔の一年生達を見て、はぁ、と溜息を零す。
その重い溜息は、二年生と三年生の両方から漏れている。
そして、いつもならその怠惰に見える態度に怒りをぶつけるはずの土井垣が、無言で腕を組み、目を伏せていた。
──おかしな光景である。
「つまり……おれには関係がない話だな。」
首をすくめてそう笑う山田は、つい先日行われた体育祭の出場選手決めでも、ことごとく「走る」系からは省かれていた。
私立高校だけあって、様々な種目が行われる明訓高校の秋の体育祭は、種目が「競走」ばかりではないので、走るのが苦手な人間にも安心である。
とりあえずバカ力を買われて、岩鬼と一緒に巨大綱引きと騎馬戦には出場が確定している山田であった。
「い、言うほどのことでもないやろ。やァーまだの鈍足は問題外やし、トンマも短足やさけ、ムリやろ。サトは使えへんし、こ、ここはやっぱり、わいやな……わい以外おらへん。」
1人、ブツブツと真剣にひとり言を言っているつもりで腕を組んでいる岩鬼であったが、彼の声は基本的に大きい。ひとり言のつもりであったが、丸聞こえであった。
そんな彼を見て、微笑が困ったような笑顔を浮かべる隣──里中は、ハイ、と片手を挙げると、
「一年生代表は、岩鬼君でいいとおもいまーっす。」
──さっさとこのミーティングから出て行きたいとばかりに、堂々と【推薦】をした。
とたん、
「そ、そやろ、そやろ。このメンツなら、わい以外はおらへんやろっ。」
岩鬼が、バンバンっ、と里中の背を叩いて、豪語する。
もちろん、他の一年生達に否があろうはずもない。
推薦された本人が走る気なのだから──まぁ、トラブルが起きそうだという予感がしないわけでもなかったが、それはそれ、これはこれ。気がするだけで済ませておけばいいだけの話だ。
これで、一年生の代表は決まった……はずなのだが。
「…………いや、決定は少し待て。」
土井垣は、渋い顔でそれを一蹴した。
「──え、どうしてですか、土井垣さん?」
驚いたように目を瞬く山田に、推薦した里中だけではなく、やる気満々だった岩鬼までもが目をひん剥く。
「わいやとあかんっちゅうんかい!」
噛み付くように怒鳴る岩鬼を、慌てて押さえ込みながら、山田は異様な静けさを保ち続ける三年生達を見やる。
彼らは、どこか沈んだ表情を隠すこともないまま、どんよりと机を睨みつけている──どうやら、説明する気はないらしい。
「黙れ、岩鬼! ……すぐに理由は分かる。」
リン、と響く声で一喝し、土井垣は腕を組んだまま、黒板に軽く背中をもたれさせた。
その表情は厳しく──そしてどこか憂鬱気で、思わず続けて叫ぼうとしていた岩鬼ですら、口をつぐんだ。
「……一体、どういうことなんすか?」
途方に暮れた顔で微笑が問いかけると、うろんげな表情で山岡が彼を見上げた。
「──……お前ら、前評判は何も聞いてないのか。」
俺達ですら、去年の今頃には、「部活対抗リレー」がどういうものなのか、知っているのに。
そう零されて、サッパリ、と肩を竦める面々。
「盛り上がるんでしょ、部活対抗リレー? 何か賞品でも出るんですか?」
なら、俺が出てもいいかなぁ、と首を傾げる里中は、名実ともに1年生の間では紛れもない俊足NO.1である。
しかし、そう零す里中には、
「肩も直ってないのに、無理はするな、里中。」
山田が渋面で注意する。
クラスの種目別を決めるときには、やんわりと注意していた山田であったが、あまりに自分の体を省みない里中に、遠回しの注意は諦めたようである。
そんな彼へ
「分かってるって。肩が上に上がらないのに、ムリなんて出来るはずないだろ。」
アハハハ、と軽く笑った里中は、結局スプーンリレーにしか参加は決定していない──コッソリと、久し振りに本気で走りたかったんだけどなぁ、と心の中で零したのは、山田には内緒である。
「賞品が出るんだったら、おれも頑張るぜ。」
明るく笑う微笑に、そうだよなー、と里中が相槌を打ち、わいじゃ不満や言うんかい! と岩鬼が怒鳴り……──そんなこんなで、しぃん、と静まり返ったミーティングルームに、一年生の声だけが楽しげ(?)に響き渡る。
そんな彼らを一瞥して──今年の一年生は、本当に言うことを聞かないヤツラばかりだな、と嘆息を零して、土井垣がしぶしぶの呈で口を割った。
「…………────部活対抗リレーって言ったら、部活の特色を表に出したリレーが普通だろう? たとえば、野球部なら、野球部のユニフォームを着て、バットやグラブ、ボールなどをバトン代わりにするとかな。」
「なっ、なんやて……っ! そ、それなら夏子はんは、ソフトボール部なら、あ、あないな破廉恥な、か、格好で走るんかい!」
バッチン、と顔を手のひらで覆って、真っ赤に染まった岩鬼には、
「破廉恥か、あの格好?」
「岩鬼にはそう見えるづらぜ。」
疑問を抱いた石毛の言葉を、アッサリと殿馬が切って捨ててくれた。
「──だがまぁ、それだと剣道部は不利だし、もとより陸上部は有利だろう?
そんな理由から、数年前から…………。」
そこで一度言葉を区切って、土井垣は頭痛を覚えたようにこめかみに手を当てた。
必死で自分に何かを言い聞かせているようにも見えるその表情と態度に、一年生達は益々疑問を大きくするばかりである。
「何かハンデがあるんですか?」
山田がそこで、先輩達にそう質問をするが、三年生は終始無言──良く見ると、小刻みに肩を震わせ、何かを堪えているようにも見える。
二年生たちは、一様にお互いの顔を見やり、お前がやれ、いや、お前だ、と──擦り付けているようにも見えた。
「ハンデと言ったらハンデだ。
今、ちょうどマネージャーがクジを引いてきているから、その結果次第じゃ……棄権したいくらいだ。」
あの土井垣の口から「棄権」という言葉が零れたことに、ギョッとしたのは一年生だけ。
闘う前から弱気やっ! と勢い叫ぶ岩鬼は山田に任せて、引退した三年生達はうんざり顔で、頬杖をつく。
「棄権はダメですよ、キャプテン……じゃなかった、今のキャプテンは里中か。」
そう零した三年は、チラリ、と里中を見て──ま、それもまた面白いかー、などと、不穏なことを零してくれる。
「? 面白いって……だから、一体、何が……。」
顔を顰めて、里中が不穏な空気に苛立ちを爆発させようとした──その瞬間。
バタバタバタッ、と、足音も荒く、廊下が音を立てた。
それと同時、来た、と、先輩達が体を竦めるのを、何が何だかと、見守る先。
バンッ!
「たっ、大変っ! す、すごいの引いちゃったーっ!!」
飛び込んでくるなり、そう叫んだのは、明訓高校の制服に身を包んだ、少女が3人──皆一様にほんのりと日に焼けており、つい一ヶ月ほど前までは、グラウンドの片隅でマネージャー業に精を出していた三年女子である。
部活中にはいつも後ろで結んでいた髪を下ろした、二年生と一年生にとっては見慣れない姿のマネージャー達は、揃って飛び込んでくるなり、さらに続けて、
「ゴメンなさいっ!!」
ガバッ、と──勢いよく、90度にお辞儀した。
「………………何を引いたんだっ、お前らーっ!!」
途端、ガタンッ、と大きな音を立てて、勢いよく立ち上がる同級生達に、あははは、とマネージャー頭と呼ばれていた少女が笑いながら、頭を掻きつつ……、
「主将……じゃなかった、土井垣、コレ、よろしく!」
クラスメイトである元主将に向かって、引き当てたクジであろう紙を、恭しく差し出した。
ゴメンなさい、とお辞儀をするということは、さぞかしスゴイことになっているのだろうと、三年生も二年生も、ゴクン、と喉を上下させる。
土井垣が渋い顔で受け取った紙を見下ろすのを、──謝っていた分際で、なぜか元マネージャー達三人は、ニヤニヤと笑っていた。
笑いながら、お互いを肘で突付き合っている──先程の謝罪は一体何だったのだろうと思わせる仕草である。
そんな彼女のニヤニヤ笑いの先で、土井垣は手元の紙をイヤそうな顔で見下ろして──、
「…………合唱部……だと?」
低く……紙に書かれた部活の名前を呟いた。
その刹那、
「なんだとーっ!!!?」
「が、合唱部っ!? よりにもよって、ソコかーっ!?」
「ぅわっ、最悪! 俺、絶対、降りたっ!!」
ガタガタガタッ、と三年生たちが立ち上がり、大げさにブンブンと頭を振る。
あからさまな一同の拒否に、合唱部がどうしたんだと、一年生は頭にハテナマークを飛ばすばかりだ。
そんな同級生たちに同意とばかりに頷いた土井垣は、クシャリ、と紙を握りつぶし、なぜか両手を握り合って喜んでいる元マネージャーたちを睨みつけた。
「お前な……なんで毎年毎年、ろくなものを引いてこないんだっ!」
叫ぶ土井垣に、あら、と元マネージャー頭の少女は、友人と握り締めた手をそのままに、彼を振り返る。
「ろくなものを引いてこないって、おととしは私がクジ番じゃなかったけど、去年も今年も、走りやすさではバッチリだと思うわよ!」
「そうそう! おととしは、当時の三年のお姉さまマネージャーが引いたんだもんねー。」
両手を握り合いながら、キャッ、と可愛らしく笑いあう少女に、土井垣は米神が揺れるのを覚えた。
「おととしは剣道部で、去年は水泳部で、今年は合唱部かっ!?」
バンッ、と黒板を勢い良く叩きつけると、キャーッ、と元マネージャーたちが悲鳴なのか喜びなのか、声を上げて大げさにお互いに抱き合う。
「去年の水泳部は、土井垣のファンクラブの子たちから、黄色い悲鳴を貰ってたからいいじゃなーい。」
「今年は、絶対、面白いわよねーっ!」
首をかしげあって笑いあう少女たちに、
「面白いって、おまえら他人事だと思って……っ!」
「いや、待て、選ばれさえしなかったら、他人事だっ。」
三年生たちが、そう叫んで拳を握り合う。
基本的に、「ずる」をしないように、クジはそれぞれの部活のマネージャーが引くことになっている──もしくは、部活対抗リレーの恐ろしさをまだ良くしらない一年生が……なぜなら、「参加するほう」がクジを引く場合、何が何でも、楽なものを引こうとするから、である──どんな手を使っても。
「……お前ら、やっぱりわざとじゃないのか……っ!」
握り締めた拳をそのままに、土井垣が叫ぶと、ますます元マネージャーたちはお互いに身を寄せ合って、こわーい、──と、部活動をしていた頃には絶対にしなかった仕草で、土井垣に向かって首をすくめて見せる。
どう見ても面白がっているようにしか見えない、と、小さく土井垣は毒づいた。
そんな三年生たちの言葉を受けて、不意に腕を組んで成り行きを見守っていた山岡が、
「──……二年代表は北にしよう。」
唐突にそう告げた。
瞬間、
「えっ、な、なんで俺なんだよっ!?」
悲鳴に近い声を北があげる。
「そうだな……北なら、サイズも合うし。」
顎に手を当ててそう呟く石毛に、
「て、ちょっと待てよっ! リレーは足の速さで選ぶものだろっ!? だったら、山岡や仲根でいいじゃないかっ!」
北は噛み付くように怒鳴るが、もちろん「選ばれさえしなかったら他人事」を貫くことにした、他の面子が聞いてくれるわけもない。
「じゃ、二年生代表は北満男って書いておくよ。」
すちゃ、と、いつの間にか手にした白いチョークで、今川が黒板に駆け寄ろうとした──まさにその瞬間、
「あー……良かった……さすがに、彼女の前で、あんな格好できねぇもんなぁ……。」
ホ、と、胸に手を当てて、仲根が呟いた。
それが彼の命取りであった。
キラーン、と二年生の目が輝き、
「仲根決定っ!」
ビシィッ! と、誰もがチョークを持った今川に向かって命じた。
「オーケー! 仲根、っと。」
そして今川もまた、心得た調子で、先ほどまで「北」と書こうとしていた事実を放り出し、カツカツと黒板に「仲根」と書き込む。
とたん、なでおろしかけた安堵も吹っ飛び、仲根がギョッと目を見開く。
「ちょ、ちょっと待てよっ! なんで俺に決定するんだよっ!?」
そんな仲根の肩に、ぽん、と手を置き、
「諦めろ、仲根。」
「恥をかくときは、彼女の前だ。」
「っていうか、振られろ。」
「……お前らなぁっ!!」
山岡、北、石毛──揃って極悪な台詞を吐いてくれる。普段のいい人ぶりはどこへ行くのかと思うような、「悪友」ぶりであった。
半泣きの声で叫ぶ仲根に構わず、二年生たちは、代表も決まってサッパリしたなー、なんてのんきな声を上げている。
そんな彼らを見て──そして、未だに戦々恐々としている土井垣たちを見て、里中は整った顔を大きくゆがめて、山岡を見上げた。
「普通、対抗リレーに出るのって、嬉しいものじゃないんですか?」
人気がある種目なら余計に、出場選手の競争率が高くなるものだと思っていた。
──先ほど、思いっきり面倒だからと、選手代表を岩鬼に押し付けようとしていたとは思えない台詞を吐いて、里中は疑問をぶつけた。
「そうっすよね、普通は花形ですよ。」
微笑も首をかしげてそう尋ねるのに、仲根がジト目で彼らを睨みつける。
「普通ならなっ! でも、合唱部は普通じゃないだろっ!」
バンバンっ、と壁を叩く仲根の迫力は、元マネージャーに怒鳴っている土井垣に劣らないほどだ。
その隣で、うんざりした顔で、山岡が額に手を当てる。
「去年の水泳部も凄かったぜ……悲鳴なんだか黄色い悲鳴なんだか……もー、白鳥浮き輪だぞ、白鳥浮き輪っ!」
「山岡、似合ってたよなーっ。」
茶化して笑った石毛と北に、
「ぬかせっ!」
一言怒鳴って、まったく、と山岡は息を大げさに吐いた後、
「──だからな、うちの『部活対抗リレー』は、リレーの前に……クジを引くんだよ。ハンデって言うか……まぁ、そういうの。」
「はぁ。」
そのクジが、土井垣が手にしている、元マネージャーが引いてきた紙なのだろうとは理解できるが──そこに描かれていた「合唱部」とは一体何なのか?
ハンデだと言うからには、運動部は合唱部と二人三脚でもするとか、文化部をアンカーに置くとか、そういう展開なのか?
色々頭に思い浮かべる一年生たちを見て、北が楽観的に笑って指を立てて説明を受け継ぐ。
「そのクジって言うのは、うちの学校の全クラブの名前を書いてあってな。リレー参加クラブはそのクジを引いて──書いてあるクラブの『ユニフォーム』を着て、『バトン』を持って、参加する決まりなんだ。」
「ちなみに、土井垣さんが一年生のときは、剣道部を引いて、剣道部のアレを着て、バトンが竹刀で──ドベだったらしい。」
さらに言えば、引いたクラブが、「これがバトン」だと好きなものを指定できるので、互いのクラブの足を引っ張り放題……とも言う。
ちなみに野球部は毎年、「マスコットバット」をバトンに指定している。なおかつ、アンカーの着るユニフォームは「捕手スタイル」だと譲らないらしい。
「……──あぁ……なるほど。」
確かにそれは面白いかもしれない。
──見ている分には。
「見ている分には、面白そうだなぁ。」
「づら。」
「そうだな。」
初めて聞いたと、一年生たちは関心しつつ、やはり「見ている分には」を強調せずには居られなかった。
──実際、剣道部の剣道着を着て、竹刀を持って走るのは冗談ではなかった。
サッカー部やバスケット部に当たった者は、ドリブルをしながら走らなくてはいけないだとか、陸上部のユニフォームに当たった者は、砲丸投げをしてバトントスをしなくてはいけないだとか、「ちょっと待てっ!」状態な盛り上がりがあり、見ている分には、体育祭の楽しい催し……である。
見ている分には。
「……ん? ……ちょぉ待て。
白鳥浮き輪ってなんやねん!? す、水泳部なら、浮き輪なんて使わへんやろっ!?」
岩鬼の疑問には、イヤそうな顔で視線をそらした山岡ではなく、石毛が答えてくれた。
「水泳部が、バトンとしてソレを指定してきたんだよ──まぁ、泳ぐのに関係ないわけじゃないし、面白いからってコトで学校も許可してさ。」
「白鳥浮き輪って、白鳥の首と頭がついてる、浮き輪っすか?」
「そう。」
恐る恐る……まさかそんなものを身に着けて、土井垣や山岡が運動場を走ったなんて──と、そんな顔で尋ねた微笑に帰ってきたのは、即答の北の返事であった。
さらに、沈む山岡をよそに、
「見ている分には面白かった。」
キッパリ、と断言する石毛と今川が続く。
ぅわー──と、同情心たっぷりの眼差しが、山岡に降り注がれた。
同時に、どうしてココまで三年生がイヤがるのか、分かった気がして……アレ、と、山田は首をひねる。
「でも、今回は合唱部ですよね? 合唱部はユニフォームって言っても、制服だし……バトンも、楽譜とかマイクとかじゃ……ないんですか?」
なら、一体なぜ、三年生も二年生も、ココまでイヤがるのだろう、と──覚えた疑問に答えたのは。
「……──甘いな、山田……っ。」
クッ、と、握りこぶしをした沢田であった。
「文科系とかの制服組は、見た目が面白くないという理由から……っ、男女逆転の法則が用いられてるんだよ……っ!」
どうだ、恐ろしいだろう……っ! と叫ぶ沢田には、
「はぁ。」
やはり理解できない様子の山田の微笑の生相槌が返り、さらにそれを受けて、
「え、逆転って、マネージャーが走るの?」
里中が、少しずれた回答を返した。
だから、マネージャーたちが喜んでいたのか? ──いや、でもそれなら、最初の「ごめんなさい」は……何?
首をひねり続ける里中を一瞥して、殿馬は首をすくめる。
「……つまりなんづら? 男は女の制服を着て、女は男の制服を着て、走れっつぅことづらか。」
まさかな、と。
誰もがそう思う内容を口にした殿馬の言葉にしかし、
「そう。」
「で、合唱部はバトンが『楽譜立て』なんだ。」
二年生たちが全員、だからイヤなんだろうが、と吐き捨てるように呟いた。
瞬間、
「はい! 一年生代表、岩鬼正美っ!」
スチャッ! と、里中が元気良く左手を上げた。
正直すぎる反応であった。
「じゃ、一年生代表には岩鬼って書いておくか。」
よし、と即座に同意を示した微笑が立ち上がる。
なかなか優秀なコンビプレーである。
おいおい、と苦笑をにじませる山田も、止めないあたりが彼の心中を告白している。
一人、被害者になることが確定している岩鬼だけが、理解できないような顔で目を瞬いていた。
このまま、強行突破をしても、どうせ本番の日に真実を知った岩鬼が暴れることは、今から決定していることなのだが……。
だがしかし、
「岩鬼は却下だ。」
その一年生の不穏な行動に、即座に反応を示したのは土井垣であった。
「な、なんやとっ!? このスーパースターの新幹線なみの足を、う、疑ごうとんのけっ!?」
事態を理解していない岩鬼が怒鳴るが、土井垣はそんな彼の大声に片耳を手のひらで覆いながら、
「バカを言うな。足が速かろうがお前が制服を着たかろうが、サイズがないものは仕方がないだろうがっ。」
──吐き捨てるように、呟いた。
思わず、この場で一番巨体である岩鬼の体と、入り口付近で未だに抱き合って固まっている元マネージャーたちを見て──さもありなん、と誰もが納得したように頷く。
「サイズがないやとっ!? 制服やったら、わ、わいの制服があるやないけっ!」
「落ち着けよ、岩鬼。──制服って言っても、その……着るのは、女子の制服なんだよ。」
やっぱり理解してない様子の岩鬼の説得は、いつものように山田に任せるとして──一年生3人は、お互いの顔をみやりながら、難しい顔で唇をゆがめる。
部活が勝つためには、山田は使えない。
そして、岩鬼は規定外過ぎるので、制服がない。
となると──残るは、三人の誰か、ということになる。
足の速さにかけては、里中が一番であるが、微笑も殿馬も足は速い。
誰になっても、問題はない。
「……微笑、お前、転校してきたばっかりだから、この機会に学校内に顔を知らせたほうがいいと思うぞ。」
ガシ、と、里中がうそ臭い笑顔で微笑の肩を掴んで、笑いかけた瞬間、
「あ、ちなみに里中、お前はキャプテンだから、問答無用でアンカーになるから、一年生代表にはなれないからな。」
サックリ、と──土井垣が唇をゆがめて笑って告げた。
「……────……ハイ!?」
思いっきり良く振り返った里中は、視線の先で土井垣が、してやったりとばかりに微笑んでるのと、元マネージャーの3年生のお姉さま方が、キャーッ! と叫んでいるのを認めた。
「キャプテンは、問答無用で参加決定なんだ。」
「そうなんでーっす! 去年は土井垣がアンカーで、爆笑……いえいえ、黄色い悲鳴を貰ってて、すっごく盛り上がったわよねっ!」
「そうそう! あの、最後の直線で、陸上部のトランペットと、土井垣君の白鳥と、どっちが先にテープに触れたかという戦いは、ほんっと、面白かったわよねっ!」
「爆笑、爆笑!」
土井垣の言葉尻を受けて、口も軽い元マネージャーたちが叫ぶのに、土井垣の手が震え──去年のリレーを思い出した三年生たちが、フルフルと肩を震わせてテーブルに突っ伏す。
笑いの発作を、必死にこらえているようであった。
「おっまっえっらっな……っ!」
「さぁって、そういうことで、今のキャプテンは里中ちゃんだから、里中ちゃんは、アンカーに決定なのデス。」
土井垣の怒りが頂点に達しそうだと気づくや否や、クルリと娘たちは方向転換をして、里中に笑顔で語りかけた。
その笑顔の中で光る瞳が、キラキラと輝きを宿している。
──ナニヲ期待シテイルンデスカ……。
あまりに唐突に宣言されたことに、思考回路がストップした里中をひとまず置いておき、土井垣は黒板に近づくと、さて、と持っていたチョークで黒板を一つ叩いた後、
「三年生代表、沢田、と。」
「ちょっと待ってください、キャプテン……いえ、土井垣さんーっ!?」
間髪居れず、ハイハイ! と宣言を訴えるように沢田が手を上げる。
ブンブンと振られる手に、土井垣は興味を示さず、当然だろう、と彼を見下ろす。
その周囲で、自分は逃れたと、ホゥ、と胸をなでおろす三年生の姿があった。
「なんで俺なんですかっ!?」
「お前は去年、俺がアンカーを勤めたときに、2年生代表として出ただろう?
だから、慣れてるだろうと思ってな。」
しれっとした顔で、アンカーの部分に里中の名前を書いて、あとは1年代表だけだな、と土井垣。
そんな彼の背後では、
「わー、やったなー、さわだー。」
「うらやましいぜ、ひゅーひゅー。」
「翌日からさらし者……いや、人気者間違いなしだぜっ!」
棒読みの三年生たちが、喜びの涙を流しながら呆然と立ち尽くす沢田に向かって拍手を送った。
それを受けた沢田は、冗談じゃない、と顔をゆがめる。
「無理ですよ、土井垣さんっ! 土井垣さんが出ないリレーなんて、おれ、絶対に女子生徒からゴミ投げられるじゃないですかっ!」
震え上がった沢田に、土井垣はヒョイと肩をすくめると、
「スーパースターが女子の制服を着て走るほうが、ゴミが投げられるだろ。」
飄々と言ってのけてくれた。
そんな土井垣には、
「でも土井垣、沢田は夏に痛めた肩がまだ完治してないからって、ドクターストップが出てるはずよ。」
首をかしげて、元マネージャーが提言する。
「……肩?」
眉をしかめた土井垣と、三年生の面々が振り返る中、思わずギクリと肩を抑えた沢田が、あわてたように視線を向けた先で──片目を瞑る元マネージャーの姿があった。
それを見て、コクコクと沢田は土井垣に向けて頷く。
「そ、そうなんだっ! 実は、甲子園で痛めていたのが、ひどくなって──激しい運動は控えろと医者に言われてるんだ……っ。」
「そういうわけだから、やっぱりココは、二年連続で出ている土井垣が出るのが、一番いいと思うわ。──っていうか、全校生徒の女子代表として宣言するわ。
出ろ。」
沢田がボロを出さないうちに、さくさくと話を自分の方へ戻して、にぃっこり、と──元マネージャーは微笑む。
伊達に、一年の時から、どうしようもないのんべぇ監督と、厳しくて生真面目な土井垣たちと付き合って、マネージャー業なんて勤め上げてないのである。
したたかさで、男が女に勝てるはずもなかった。
「──出ろって……。」
「わー、土井垣君が出てくれるなら、今年も野球部の優勝が確定かしら〜!」
「楽しみだよねー、優勝賞品の、食券! あれ、合宿所住まいの人間には、すっごく助かるって、土井垣君も去年、言っていたものねー。」
堂々と宣言する少女を援護するように、残り二人までにっこり笑って畳み掛ける──その、わざとらしいほどわざとらしい態度に、土井垣は手にしたチョークをそのままに、ひくり、と引きつるしか出来ない。
さらにそこへ、
「土井垣さん! それを言うなら、おれも肩が肩より上に上がらないから、辞退します……っ!」
里中が、キッパリと宣言する。
そんな彼へ、土井垣がすかさず、「肩より上に上がらなくても、走れるだろうが……!」と、そう怒鳴りつけようとした矢先、
「土井垣さん──確かに、全力疾走なんかして、里中の肩に衝撃があったら、困ります。」
山田が、里中を庇うように前に進み出て、真摯な目でそう告げた。
「実際、里中はクラスの方でもリレーや短距離走には参加してないんです──もし、全力疾走で転んだり、ぶつかったりして、肩の治療が遅れたら、本当に洒落にならないです。」
正しくは、「参加してない」ではなく、山田が参加させてくれなかった、であるが──そのあたりのことはあっさりと忘れて、里中は山田の広い背中の後ろから、コクコクと頷く。
女子の制服を着なくてすむなら、喜んで怪我人になろう。
そんな里中と山田の尻馬に乗った形で、ハイ、と仲根が自己主張のように手を上げた。
「キャプテンが走れないんだから、野球部は棄権……ってことで、いいんじゃないっすか?」
というか、棄権しよう!
意気揚々と目を輝かせて宣言する仲根に、肩の辺りを掴んで自分をジッと見つめる沢田。
そんな彼らを見やりながら、土井垣は顎に手を当てて──(沢田が出れないなら)それも考えるしかないか、と、一度目を閉じる。
珍しい土井垣が「棄権」しようかと、口にするのに、一同の意見が一致しようとした瞬間──、
「ダメよ。今年の夏、堂々と全国大会で優勝した栄えある野球部が、秋の体育祭の目玉競技を辞退していいはずがないでしょうっ!」
りん、と胸を張って、元マネージャー頭が、ジロリ、とミーティングルーム内の面々を軽く睨みつける。
「だが、キャプテンが参加できないならしょうがないだろう。」
「合唱部」が当たったから棄権をした、というと世間体が悪いうえに、体育祭実行委員会が許可をしてくれそうにないが──春の選抜が掛かっている秋季大会が目の前に迫っているから、里中に無理をさせたくない……と言えば、夏の甲子園で盛り上がっていた学校側は、許してくれるだろう。
土井垣が真摯な目でそう告げるが、
「そう言って、土井垣が参加したくないだけでしょっ!
そ・れ・に、まともに参加要綱を見ていないでしょ、あんたたち? 言っておくけど、キャプテンが出場できない場合は、『クジで引いた部活先が、アンカーになる人物を指定する』ってなってるの! キャプテンが出れないくらいじゃ、棄権なんて許可されるはずないでしょ。
大体ねぇ、誰かさんのおかげで部員が少なくなった今は余計に、辞退なんて出来るわけないじゃない!」
キッパリと、元マネージャー頭は宣言してくれた。
その少女の後ろで、うんうん、と腕を組んで納得したように頷く彼女の友人が、さらに続けて、
「秋の体育祭は、部員獲得にも効果があるんだから、ぜっったい、参加あるのみよ、土井垣君、里中ちゃんっ!
っていうか、せっかくうまい具合に最後の最後でおいしいネタが引けたんだから、あんたたち二人の倒錯風景くらい見せなさいっ!」
キリリ、と真摯な顔で吐いたが、
「って、キャーッ! バカっ! ちょっとあんた、本音垂れ流してるわよーっ!!」
あわててその口をふさぎ、グイッ、ともう一人が彼女の体を抱き寄せた。
「とにかく、そーゆーことだから、棄権はしちゃ駄目よ。」
そして、そんな二人を背中に庇いながら、何事もなかったかのように元マネージャー頭は堂々と宣言した。
「…………お前らな……。」
「まぁまぁ、でも、新入部員は獲得したいでしょ? これはいい機会だと思うなぁ。私たち元マネージャーからの、ステキな贈り物だとでも思ってくれればっ!」
あははは、と明るく笑い飛ばす少女には、
「ステキじゃない、ぜんぜんっ!」
三年生と二年生が揃ってまとめて、ブンブンと手を振った。
そんな往生際の悪い男たちに、ふん、と小さく鼻を鳴らすと、元マネージャー頭は下から仰ぎ見るように土井垣に顔を近づけた。
「──まぁ、合唱部がアンカーを選ぶとなると、十中八九、アンカーは土井垣で決まり……でしょうけどね。」
ふふん、と間近で笑ってみせる元マネージャー頭に、クッ、と悔しげに顔をゆがめた土井垣の手の中で、ボキリ、とチョークが小さく音を立てた。
そんな彼の前を、スルリ、と通り抜けた彼女は、少し名残惜しそうな顔で、黒板の「里中」と言う文字をかき消す。
そしてチョークを手にすると、
『アンカー……合唱部推薦者。たぶん土井垣。』
と書き直した。
土井垣の手の中で、さらに悔しげにチョークが激しい音を立てたが、気にしない。
さらに彼女は、チョークを赤色のものに持ち替えて、クルクルクル、と「二年生 仲根」の上に花丸を描いた。
二年生代表、決定である。
その事実に、ガンッ、と仲根が悔しげに壁に頭を打ち付けた。
もちろん、そんな些細なことも気にしない。
二年生の面々なら、誰が「合唱部ユニフォーム」を着ても、元マネージャーたちには面白くもなんともないからである。
「さ、後は一年生だけだよーっ。」
ついでとばかりに、彼女は「三年生 沢田」と書かれた土井垣の字の上にも、くるくる、と花丸を描く。
とたん、
「マネージャーっ!? 俺は、ドクターストップが……っ!」
沢田が肩を抑えながらそう叫ぶが、
「ん? あぁ、それはもういいのよ。土井垣がアンカー確実だって分かってるから。」
パタパタ、と元マネージャーは手のひら一つで、むごくも彼の訴えを却下した。
とどのつまり、先ほどの「手助け」も、土井垣が3年生代表になるためのでまかせだったと、白状したも同然だった。
そんなぁ……と、眉を落とす沢田に、他の三年生たちから同情たっぷりの眼差しが寄せられた。
そんな、ちょっとした喜劇を呼び込んだ少女は、そのままクルリと振り返ると、
「さて、微笑君、殿馬君v どっちがするの?」
対抗リレーで上位入賞になったら、新入部員が入るかもしれないわよ……っ!
そう、口で笑って目で笑わず──チョークを持った手で、とんとん、と黒板を叩いて、元マネージャー頭はジロリと一年生たちを睨みつけた。
その視線を受けて、里中がひょっこりと山田の影から顔を出し、パチンと指を鳴らす。
「ってことは、おれは参加しなくていいってことですよねっ。」
満面の笑顔を浮かべて、にっこり、と里中は山田を見上げる。
喜びを隠さない里中に、元マネージャーはしぶしぶと言った表情を浮かべるが、しょうがないでしょう、と腕を組んで頷く。
「山田君の言うことには一理あるもの──その代わり、秋季大会で優勝しないと、後がひどいわよ。」
分かってるんでしょうね? と、ジロリと下から睨みあげるように言われて、もちろん、と里中は笑って頷く。
それから、こっそりと肩先で山田の腕をつつくと、
「サンキュ、山田。」
小さく山田にだけに聞こえるように囁いた。
その言葉に、山田は苦い笑みを浮かべて頷くと、
「おれが里中の代わりに参加してすむことなら、それが一番なんだけど、さすがに足の速さがぜんぜん違うしな……。」
コリコリ、と頬を掻いた。
その瞬間、
「あんたの女子制服姿を見たい人がいたら、相当マニアだよ。」
口にチャックのない元マネージャー頭さんの鋭い突っ込みが入った。
そんな彼女の隣で、なんとかダメージから復活した土井垣が、それでもまだ頭痛を覚えながら額に手を当てて──ふぅ、とため息をこぼすと、
「それで──殿馬、微笑? どっちが一年生代表になるんだ?
早いところ『英雄』を決めないと、今日のミーティングは解散できないぞ。」
覚悟を決めた眼差しで、そう宣言した。
ジロリ、と土井垣の鋭い眼差しで──無理矢理こらえた怒りの色が滲んでいる目で、殿馬と微笑の顔を順番に見やる。
その視線に貫かれて、ビクリ、と微笑も殿馬も肩を揺らす。
ゆぅらりと、土井垣の全身から異様なオーラが湧き上がっているように見えた。
──土井垣さんは本気だ。
「──おいよぉ、三太郎? おめぇ、まだ顔も知れてねぇから、そう恥になることもねぇづらぜ?」
殿馬、早くも自己弁護に走る。
それに、あわてたように微笑が自分の顔の前で手をかざし、
「オイオイ、殿馬、冗談はよしてくれよ。」
両手を左右に振って、顔をしかめる。
──と同時、ガシィッ、と、二人の頭を巨大な手のひらが掴んだ。
ハッ、と見上げた先──微笑と殿馬の間に、巨顔が覗いた。
「こ、コラ待て、おんどれらっ! 英雄やなんて、じぶんらだけ、め、目立とうと思うてっ!」
ヒクヒク、と無理矢理笑んだ顔で、岩鬼は微笑と殿馬の目を覗き込む。
そんな彼に、現状が分かってるのかと……誰が好き好んで女子の制服なんか着るかい、と、二人は複雑な表情で顔をゆがめる。
そこへ、
「なら、岩鬼がするか?」
軽い調子で、里中が唇に笑みを刻んでサラリと告げた。
「制服のサイズが合わないなら、山田が手直ししてくれるさ。女子の制服着て走るつもりがあるなら、止めないぞ。」
誰も──というか、喜んで送り出すだろう。
そう提案する里中に、岩鬼に頭を掴まれたままの体勢で、殿馬も同意を示した。
「そうづらなー、夏子くんとお揃いで、わー、お似合いづらなー。」
両手を挙げて喜ぶ様を見せるものの、ひどくやる気のない棒読みであった。
そんな二人の声に、カッ、と岩鬼が目を見開く。
「──……なっ、何やとっ!? お、女の格好を、なんでわいがせなあかんのや!」
怒鳴りつける彼が、そのままバカ力で微笑と殿馬の頭を強く掴むのに、痛みに二人が首をすくめるのを見て、あわてて山田が背後から岩鬼を二人から引き離そうとする。
「だから、さっきも説明したと思うけど、今回の部活対抗リレーは、そういうのなんだよ、岩鬼。」
背後から抱きつかれて、山田に説得(?)され、岩鬼は一度動きを止めた。
黒板と土井垣、元マネージャーたちを見やると、それぞれにこっくり、と頷いてくれた。
ソレを見て、岩鬼がハッパをゆらゆらと揺らすと、
「──しゃ、しゃあないな。」
左手で握り締めていた微笑の頭を、クルリ、とこちらに向かせた。
そして、痛さに眉をしかめている微笑を覗き込み、ニィー、と笑いかけると、
「微笑。──転校してきたばかりのお前のために、わいが、体育祭のスーパースターを譲ってやるわい
せ、せいぜい気張って、目だって来い! こんなときやないと、目立たれへんやろ、凡人はっ!」
「って、ちょ、ちょっと待……っ!」
抗議の声を微笑があげるよりも早く、
「じゃ、書いてくるづらぜー。」
いつの間にか、スルリと岩鬼の手から抜け出した殿馬が、いつになく素早い身のこなしで、黒板へ近づくと、
「一年生代表、微笑三太郎、と。」
堂々と、白いチョークで書き上げた。
すかさず元マネージャー頭が、その上に赤チョークが花丸をつける。
これによって、1年代表「微笑」、2年代表「仲根」、3年代表「沢田」、アンカー「合唱部推薦。多分土井垣」が、決定したのであった。
それを満足げに見つめて……万歳三唱はできないなぁ、と元マネージャーたちが邪まな思いで呟いている背後で、
「──……って、おいおい、ちょっと待てよーっ!? そんなのアリかーっ!?」
微笑が、未だに岩鬼に掴まれた手の下で両手を握り締めて、ひぃぃー、と叫ぶが、
「アリ。」
あっさりと里中に訴えは却下された。
さらに、微笑の訴えを元から聞く気のない元マネージャーたちが、サラサラと「出場選手枠」を書く用紙に、黒板の字をそのまま写し取っていた。
「はいはい、決まったねー。いや、今年はさっくり決まったねぇ。」
「さぁってと、合唱部に行ってこなくっちゃね。」
すでにもう、心はこのミーティングルームにはないような様子で、元マネージャー頭は移し終えた紙をしっかりと抱えながら、いやそうな顔でその紙を見ている土井垣を見上げると、
「ふふ……土井垣、めでたい暁には、あたしの制服貸してあげちゃう〜v」
にんまり、と──楽しくてしょうがない、と言った表情を浮かべて、ツンツン、と土井垣の腰を突付いてやった。
と同時、
「きゃーっ! 思いっきりミニスカートじゃーんっ!」
「ガムテープは、私たちにお・ま・か・せv」
「って、ちょっと、気が早いよーっ!」
元マネージャー一同が、キャーッ! と黄色い悲鳴をあげて喜ぶ。
土井垣をいつも囲む少女たちとは、まったく質が違う悲鳴なのは確かである。
「それじゃ、土井垣! 最後通達は明日教室で言うからっ! 楽しみにしててねーっ!」
ウキウキと浮き立ちながら、颯爽と廊下へ飛び出していく元マネージャーたちの残した台詞に、土井垣は黒板の端に額を押し付け、苦痛をこらえるように拳を強く握り締めた。
ここが後輩たちの前でなかったら、思いっきり机や椅子を蹴飛ばしているところである。
「……──棄権したほうが、どれくらいマシか……っ。」
歯を食いしばり、そう呟く土井垣の無念(?)さに心動いたのか、
「土井垣さんっ、おれ、土井垣さんの犠牲は絶対に無駄にしません! おれ……がんばって、肩を直して見せますからっ!」
強く宣言する里中の姿があった。
──こっそりと、「そりゃ、火に油だーっ!」と、三年生と二年生が思ったが……、
「……あぁ……そーしてくれ……。」
土井垣は、もう怒る気力も何も無いまま、絶望をかみ締めつつ……そう、答えるしかなかった。
かくして、秋の体育祭、部活対抗リレーの出場選手決めは、無事に終了したのであった──が。
そこで素直に終わってくれるほど、生易しくはなかった。
──体育祭当日。一年生の応援席までやってきた土井垣は、未だにジャージ姿のままであった。
それを認めて、もうすぐ部活対抗リレーじゃないんですか、と首を傾げた里中に、土井垣はウソ臭いさわやかな笑顔を浮かべると──背後で、一年生女子の黄色い悲鳴があがっていた。
「──ということで、里中、お前、コレな。」
ぽん、と、里中にマスコットバットを差し出した。
ずっしりと重いそれをうけとり、里中は目を瞬かせて彼を見上げる。
「……は? コレって、何ですか?」
「このマスコットバットって、今からバトンに使ってもらうためのものじゃないんですか?」
里中の隣に立っていた山田も、土井垣を見上げる。
そんな二人を見下ろして、それはそれは嬉しそうに土井垣は、両手で里中の肩を叩くと、
「参加できないキャプテンは、『野球部』を引いた運動部の、バトンになることに決定した。」
朗らかに──告げた。
「──────…………ハ?」
イミが分からず、里中は自分が手にしたマスコットバットと、土井垣の顔とを交互に見やる。
そしてもう一度、どういうことなんですかと、顔をしかめて尋ねようとした先。
トン、と──肩を叩かれた。
今度は何だと、いぶかしげな顔のまま振り返った先には……にこやかなスマイルを浮かべる、陸上部のキャプテンの姿があった。
けれども、ジャージ姿ではなく、里中たちが見慣れた野球部のユニフォームを身に着けている──そう、彼ら陸上部が、今回は野球部のクジを引いたのである。
「と、いうことで、里中君、頼むよ、ハッハッハ。」
「……え?」
朗らかに笑う陸上部のキャプテンの顔を見上げて、里中はマスコットバットを見下ろす。
「頼むって……え、マスコットバット……ですよね?」
はい、と、マスコットバットを差し出そうとした里中に、
「里中、落ちないようにしっかりとしがみついておけよ。」
それはそれは楽しそうに言い残し、土井垣は、じゃぁ着替えてくる──と、今度は苦々しい顔つきで告げて、去っていった。
その背中を見送り──里中は、ニコニコと笑って自分の肩を掴んでいる陸上部のキャプテンを見上げた。
「──……って、山田、何のことだ……?」
困惑した顔で尋ねる里中に、山田もワケが分からないと首をかしげている。
そんな二人に、陸上部のキャプテンは困ったように笑った。
「あれ、もしかして、何も聞いてないのかい?」
「聞いてないって……何がですか?」
怪訝そうに自分を見上げる里中を見下ろし、いや、だからね、と陸上部キャプテンが説明しようとするよりも先。
「……もしかして、さっき土井垣さんが言っていた……キャプテンがバトンになるって……。
陸上部のバトンが、里中本人……って……イミ、ですか…………?」
おそるおそる……山田が、尋ねた。
瞬間、
「そんなわけないだろう!? それじゃ、俺も一緒に走ることになるんじゃないか。バトンのイミがない!」
両手を広げて、バカげたことを言うなと、里中が叫ぶ。
それに、そうだよなぁ、と山田が苦い笑みを刻んで、コリコリ、と頭を掻いて謝るが──陸上部キャプテンは、そんな二人に明るく笑い返す。
「あははは、そうだよ、バトンは走らないよ?」
ほ、と里中が胸をなでおろす隙も与えず、
「だから、里中君は、おれたちが抱きかかえることになるんだよ。」
「──────…………ちょ……ちょっと待てっ! そんなの聞いてな……っ!!」
「さぁ、そう言うわけだから、行こうか、里中君。
大丈夫、陸上部はリレーも慣れてるから、君を取り落とすことはしないと誓うよ!」
「いや、誓うって……誓われても困るんですけどっ!!」
グイ、と腕を引っ張られて、それに必死に抵抗しながら、里中は助けを求めるように山田を見るのだが──、
「里中はうちの大事なエースなんです。ですから、絶対に! 何があっても、落とさないようにしてください。」
山田は、そんなことを陸上部キャプテンに頼み込んでいた。
「──っていうか、止めてくれよ、山田っ!」
悲鳴に近い声をあげる里中の声は、
「大丈夫、大丈夫。まかせてくれ。」
自信満々の陸上部の男の声と態度に、すっかりかき消されてしまった。
がんばれよ、里中! ──と、背後から幾種類かの声が上がるのを聞きながら……里中は、元マネージャーの所業か、土井垣の所業であろうこの現実に、悔しげに臍を噛むのであった。
その年、明訓高校の体育祭は、必要以上に盛り上がった……ということを、ココに記しておこう。
+++ BACK +++
…………スミマセン、浮かれすぎました……。
もうすぐ文化祭だなー、と思ったら、色々文化祭ネタが浮かんできたのですが、なぜかコレが……。
多分「いもうと」のネタを思い浮かべてたときに、こっちが浮かんだのが間違いだったんだと思います。
だんだん土井垣さんが、うちのサイトでいじめられキャラになってきたのが、どうしてなのか、すごく疑問なんですけど……。
ちなみにオリキャラなマネージャーたち(マネージャー頭は土井垣とクラスメイト)は、腐女子なので、土井垣さんキャァキャァと言う方向が違うので、マネージャーを勤め上げられるのです・笑。今年はなかなか旬だと言うのに、引退しなくちゃいけないとは……っ、と、悔しがっているに違いありません。
そして土井垣が監督になった後は、違うキャァキャァ目的で(大笑)、後輩たちに差し入れとかしに合宿所に通うんですよ、きっと。
「なんかお前ら、現役の頃よりもやる気じゃないか?」と土井垣に聞かれて「2ショットは、受験勉強へのエネルギーなのよ!」とか叫んでそうだよ……。
彼女たちの一押しCPは、本文中でも出てきた土井垣里中でしょう、きっと。